新しい世界の入り口
「まさか吉香ちゃんが泉の知り合いだったなんてねー」
流れで軽音楽部に入ってしまった。そしてファミレスまで来てしまった。歓迎会やってくれるって篠之宮譲司が言うから。
「もしかして泉のファンだったりした?」
「え!?」
「だって泉、東の泉って呼ばれてたんでしょ?」
いやまあ図星ですけど何でわざわざ本人の前で言うかな。瀧川泉の視線が冷たい……! ていうか東の泉って呼ばれてたんだ。知らなかった。
「そういう譲司先輩だって西の譲司って呼ばれてたじゃないですかー」
「エヘッ、まあね」
何だ自慢か。びっくりした。とりあえずとっとと食って帰ろう。男3人とファミレスなんて落ち着かない。
「でもさぁ、本当きれいな色だよね」
「ぶっ!」
食べてる、途中に、髪さわるな! そう言ってやりたいけど口んなかいっぱいで話せない。
「譲司は金髪に弱いもんね」
「弱いっつーか、だってマジきれいじゃね?」
「篠之宮先輩こそすごい色じゃないですか」
何とか飲み込んで言い返す。だって赤だよ赤。初めて見たよ頭が赤いひと。
「あーこれ? スプレーだよ。もとは真っ黒」
「そうなんですか?」
「うん。ライブんときとか今日は勝負だってときに赤くしてんの」
「でも先生に怒られたりしないんですか?」
私も今日おもいっきり校則を破ったはずなのに、何のお咎めもなかった。篠之宮譲司なら何か知っているかもしれない。
「だって親父、理事長だもーん」
……それって完全なる身内贔屓じゃ。いいんですかそんなの。
「ちなみに吉香ちゃんが誰にも怒られなかったの、俺のおかげだったりしてー」
「え?」
「だって勝手に戻されたら嫌だし」
いやいや私の髪ですし。まあ無理やり戻されなくてよかったけど。なんか釈然としないなぁ、高校生が権力って。
「ていうか吉香ちゃん、俺のことは譲司でいーよ。これから同じグループで活動してくんだから」
「はあ……」
「グループ名はglow」
瀧川泉がストローでお茶をかき混ぜながら言う。カランカラン、氷の音が耳に心地いい。
「意味は燃えるような輝き」
私と、びっくりするぐらい不釣り合いな言葉。いつも日陰ばかり選んで歩いてきた。目立ちたくなかったから。目立つのが、怖かったから。
東の泉と呼ばれていた瀧川泉に、西の譲司と呼ばれていた篠之宮譲司。私、ほんとにここでやっていけるの?
「ただいまー」
いつもよりずいぶん遅く家に着いた。いつもが早いんだけど、ってこの際どうでもいいか。
いつものように迎えてくれたお母さんは、私の姿を認めるなり凍りついてしまった。……あ、頭。隠すの忘れてた。
「吉香、どうしたのその頭」
「えっと、これは――」
「その頭で学校に行ったの?」
重く低い声がわずかに震えている。どうしよう。間違いなく怒ってる。
――カシャッ。張り詰めた空気のなかに、場違いな音が響き渡った。
「……お姉ちゃん」
「久しぶり、吉香ぁ!」
真っ黒い髪を無造作にまとめて、首から下げたカメラを手に満面の笑みを浮かべている。この状況わかってんのかな。
「いいじゃん金髪! 似合ってるよー!」
「何でいるの」
「だってホラ、吉香もう高校生でしょ? 制服姿カメラに収めとこうと思って!」
お姉ちゃんは7つ年上で、いわゆる写真家で、世界中を旅してて、家にはめったに帰ってこない。
小さい頃からずっとお母さんに言われてきた。吉香はあんなふうになっちゃダメよ、まじめに勉強しなさいよ、って。
お姉ちゃんはいつも自由だった。でも、私は。
「あんたは引っ込んでなさい。お母さんは吉香と話してるんだから」
「えーずるい、あたしも吉香と話したいー!」
「お姉ちゃんが悪いんだよ」
小さい声だったと思う。でもふたりには届いたらしい。その証拠にふたり揃って黙り込み、うかがうように私を見てくる。
「お姉ちゃんの代わりに、イイコでいたんだよ」
なんだか悔しくて下唇を噛みしめた。おまけに目頭まで熱くなってきちゃって、悔しくて悔しくて仕方ない。
ずっと我慢してきたんだ。自分というものがわからなくなるくらい。
「絶対、もとの色には戻さないから」
お姉ちゃんをにらんで言った。お姉ちゃんの顔は、なんだか少し悲しそうに見えた。
でも今さら後戻りなんてできなくて。ふたりを通り過ぎて2階へ逃げた。
――バンッ。静まり返った部屋に響く大げさな音。ドアにもたれかかり、そのまま座り込む。
変わるっていうことは今までの自分を捨てるっていうことで、大切なものを失うっていうことで。
そっと短い髪に触れた。涙は、なんとかこらえた。
金髪にして2回目の朝。相変わらず向けられる視線は痛くて冷たい。昨日とは違う理由で足が重い。
金髪にすれば、すべてがいい意味で変わると思っていた。甘かったんだ。
友達も、家族も、みんなみんな遠くなって。結局、私はひとりだ。
「阿部さん、おはよう!」
1年1組の教室、窓際最前列に座って窓の外をぼんやり眺めていた。そしたら急に声をかけられて、振り向くのが少し怖かった。
でも振り向いたら安心した。すぐそばまで来て笑みを浮かべているのが、坂井くんだったから。
「おはよう、坂井くん」
「先輩たちみたいにユキでいいよ。同じ軽音楽部の仲間なんだから」
当たり前のように私の前に回り込んで窓に寄りかかる。後ろに広がる青空が、彼の笑顔によく似合っている。
「私も、阿部さんはやめてくんないかな」
もうまじめな阿部さんは嫌だった。お姉ちゃんと同じ、阿部さんは。
「じゃあ……吉香さん?」
「うん、ユキくん」
ユキくんがにこにこと笑ってくれるから、私までつられて笑顔になってしまう。愛想笑いなんかじゃない。ただ単純に、嬉しいんだ。
「――あれ?」
不意にユキくんが私の向こうを見てつぶやいた。「どうしたの?」って聞いたら、困ったのか目を泳がせる。
「さっき花村さんがこっち見てたような……気のせいかな」
花村さん? 振り向いた先で彼女は、いつも通り教室のまんなかに座り手元の文庫本に視線を落としていた。相変わらずやわらかい黒髪がゆるやかなウェーブを描いている。
「気のせいじゃない?」
「――そうだよね!」
さっき、ひとりだと思ったけど。同じクラスにユキくんがいるってだけで心強い。
私は、ひとりじゃない。
「ゲリラライブ、ですか?」
放課後、軽音楽部の部室にて。昨日とはちがい真っ黒な髪の篠之宮譲司に、私は思わず聞き返した。
だってゲリラライブって。いや聞いたことはあるけどゲリラだよ?
「そ。吉香ちゃんとユキのお披露目も兼ねて!」
「普通のライブじゃダメなんですか?」
「うーん。俺ら生徒会に目のカタキにされてっからなぁ」
そこは権力使えないんだ。恐るべし生徒会。……ていうか。
「ライブってことは歌わなきゃいけないんですか?」
「そりゃそうだよ、お披露目なんだから」
「吉香、怖い?」
瀧川泉が顔を覗き込んでくるから、思わず飛びのく。その顔でそれはやめてほしい。心臓に悪い。
「怖いっていうか、その……人前で歌ったことないですし」
「昨日俺らの前で歌ってくれたじゃん。俺らだって一応ひとだよ?」
うっ。そうですけど。
「音楽に疎いので歌える歌がないです」
「昨日の校歌があるでしょ。俺が譜面に起こすし」
瀧川泉まで。どうしよう逃げ場がない。やっぱり私、ボーカルなんて向いてないよ。
「そうビクビクしないでよ吉香ちゃん。ライブはゴールデンウィーク明けてからだし。練習すれば大丈夫だって」
そんな簡単に言わないでよ。私は今まで目立たないように生きてきたの。目立つために生まれてきたような篠之宮譲司とは違う。
そう言ってやりたかった。でも言えなかった。単純に相手が先輩だからじゃなくて、私が弱いから。
「大丈夫だよ」
言い返せずにいた私の耳に届いたのは、そんな優しい声だった。顔を上げれば、瀧川泉の茶色い瞳と目が合う。
「ひとりで舞台に立つわけじゃないんだし。怖くなったら振り向いていいから」
瀧川泉の言葉は、視線は、不思議だ。魔法みたいに不安をかき消してくれる。きっと大丈夫、なんて思えてしまう。
やっぱり黒ヶ峰に来て、もう一度、瀧川泉に会えて。よかった。
「ただいまー」
昨日より早く家に帰っても、お母さんはいつものように出迎えてはくれなかった。当然、か。
「ご飯、食べてきたから」
一応それだけ伝えて階段を上る。ドアを開けると真っ暗な部屋に光が差し込んだ。
なんだか電気を点ける気になれなくてそのままベッドに腰かける。お姉ちゃんはもう、行っちゃったのかな。
「――あ」
机の上で何か光ってる。近づいて手に取ると、写真と小さなメモ用紙。
『行ってきます!』
昨日の写真に添えられた文字は無駄に元気がよくて、無理して書いたのがすぐにわかった。
やっぱりあれは痛かった、よなぁ。ごめんなさい。写真、ありがとう。
心のなかで何を言っても意味がない。だから会ったときちゃんと伝えよう。
デスクマットに写真を挟んだ。写真のなかの私はまぶしいほどに金髪で、ただ私自身は少しも輝いてなくて。
「それではこれより月初めの朝礼を――」
5月になった。
距離ができてしまった家族とも最低限の会話は成り立つようになった。
友達はいなくなってしまったけど、軽音楽部の先輩やユキくんが声をかけてくれるから寂しくはない。そもそも友達と呼べるほど親しくなかったし。
歌も得意じゃないけど私なりに一生懸命、練習している。すべてが少しずつ、いいほうに向かっている気がした。
「その前に生徒会からいいですか」
進行役の先生の話を遮り、マイクスタンドの前に立つ。あのひと確か生徒会長だっけ。前にも挨拶してた。
「皆さん、おはようございます。生徒会長の
見事なまでの黒髪に銀縁メガネ。黒を基調とした黒ヶ峰の制服がびっくりするくらい似合っている。
「新入生の皆さんが我が黒ヶ峰学園に来て約3週間。ここで我々生徒会からプレゼントがあります」
生徒会長が指を鳴らすと、おもむろに舞台の幕が開いた。そこにはピアノと、腰まで伸びたつややかな黒髪が印象的な美人さんがいた。
「副会長の
副会長が上品に頭を下げる。あれ? なんか今、目ぇ合ったような。……そっか私いま金髪なんだった。目立つよね、黒髪のなかにいたら。
――ポーン。静かに広がるピアノの音。こんなにピアノが似合うひと初めて見たかも。
彼女が口を開いた瞬間、時間が止まってしまったようだった。
すごい、私でもわかる。うまい。天使みたいな透き通った声が耳に心地いい。
周りにいるひととか、ここがどこかとか、すべてが遠くに感じて。ただ目の前の彼女と、ピアノの音と彼女の声が、私の世界を支配する。
これが本物の歌。声で聴かせるということ。……私、ほんとにボーカルなんてできるのかな。
ゴールデンウィークが明けて、朝。毎日ここに通いつめて練習したけど、いまだ不安は消えない。
だって、あのひとの歌は。声は。
――ガチャ。沈んだ気持ちのまま下駄箱を開けた。本来ならそこにあるものが見当たらない。上履き、が。
これが目立つということ。だから私は、ずっと怖かった。