トラック9 ラブ・ソング
再始動を始めたニボシ。ゲソ天へ向けて動き始めた。
「ども…」
と、達也から電話がかかって来たのは、まさかの郁也が俺に会いに来た“惑星直列レベル”の奇跡の日の夜の事。つまり早坂さんにゲソ天リベンジのチャンスを貰った数時間後だった。
「おう、元気か?」
元気じゃない事は郁也から聞いていたし、事実、電話の声も元気はなかった、が、とりあえず他に言葉が浮かばなかったから、そう言った。
「なんか、郁也がそっち行ったみたいで、ご迷惑を…」
「いや、別に迷惑なんかかかってないよ」
「すんません、郁也から聞いたと思いますが、…郁也が歌えなくなっちゃったの、全部俺のせいです」
達也は、本番前に周囲の人間に挨拶ができない郁也を叱った。そのせいで郁也が心を閉ざしてしまい、本番で歌えなくなってしまった。でも当然、俺は達也を責めるつもりは全く無い。だって、郁也の社交性を躾けることは達也にとって、いやニボシにとって一番大事なバンド活動理由であるし、それを疎かにしたら本末転倒になってしまう。むしろ俺の私利私欲感情でギターを弾いた事が郁也に影響を及ぼしたんじゃなかったから、ホッとしているくらいだ。とにかく、ブラックアウト退場の件は過去の事。せっかくリベンジのチャンスを早坂さんから取り付けたんだ。今はそのテンションを大事にしたい。
「実はさ、さっき早坂さんから、リベンジのチャンス、ゲットしたんだ」
「マジっすか?はやっ…」
「だからさ、も一回、“ニボシのロックで挑戦しようぜ」
「いや…」
達也の口から否定の言葉が出るとは思わなかったから、ちょっと驚いた。まさかゲソ天を諦めるんじゃ、と思ったら、
「有働さんが、さっきそっちで郁也に聞かせた曲、アレでリベンジしましょう」
と提案され、俺の心拍数が急上昇した。あの、アパートの下の公園で歌った曲…
「え?マジで…いや、アレはお前ら兄弟に向けて、俺の気持ちを歌った応援歌みたいなもんでさ、別にあの曲で勝負しようなんて意味で、郁也に聞かせた訳じゃ…」
としどろもどろになりつつ、ちょっとだけ、「この曲、ニボシで使ってくれねえかな」なんて下心が無かったとは言い切れない。でも、さっきは勢い任せで郁也に聞かせたが、改まってあの曲の事を思い返すと恥ずかしくなる。それなのに、達也の“お褒め”は追撃の手を緩めない。
「めっちゃいい曲でした。感動しました。あの曲なら絶対イケます」
「そ、そうかな…」
達也がそう言うのであれば、事実、イケるのだろう。こいつの音楽センスは、絶大的に信頼している。
「あの歌詞って、俺と郁也の事ですよね。有働さんは、俺ら兄弟の歌を作ってくれたんですよね。俺、それが嬉しくて、それだけで、泣いちゃって…」
達也はそう言いながら、鼻をすすって涙声になっていた。
俺は気恥ずかしくて、背中がむず痒くなって、食い気味に言葉をかぶせた。
「でも次のゲソ天、二週間後だぜ。譜面に落として、割り振って、間に合うか?」
「え?そんなに早いんっすか?」
達也は、また大きく鼻をすすった。
「早坂さんが、そう言ってた」
「でも、本来なら番組に出るのに、審査とか予選とか色々あって、再チャレンジのバンドだって数ヶ月はスパンが空くはずなのに、なんか事務所の圧力が“ばればれ”な感じは、別に気にしないでいいんですかね?」
達也に言われ、俺はそこまで考えていなかったが、確かにちょっと怪しまれる“早さ”かもしれない。
「だな…なんか、優遇が“あからさま”だよな」
「でも、まあ決まっちゃっているなら、とにかく急がなきゃ。ユズに連絡しておきます」
「ああ、よろしくたのむ」
俺はそう言って通話を切った。達也との話を終えた後も気持ちがソワソワして落ち着かなかった。夜中の一時を超え寝なきゃいけない時間だが、とても寝る気になれなかった。昨夜は放心状態で殆ど寝ていなかった。寝ていたのか寝ていなかったのか、よくわからない意識のまま朝になっていた。なのに、疲れているはずの今日も眠くない。気持ちが高ぶって眠れないのだ。昨日泣いたカラスがもう笑ったとはこんな事を言うのだろうか。俺はメンタルめっちゃ弱いけど、立ち直るのも人一倍遅いけど、今日はさすがにすぐに立ち直っていた。ニボシの再チャレンジ。しかも俺の曲。俺の気持ちを、郁也があのソウルフルな歌声で歌う。凄え、マジ神だ…と、考えれば考えるほど興奮してしまう。でもさすがに今日は寝ておかないとやばい。きっと明日、バイト中にツケが回ってくる。こんな時もバイトの心配かよ、と、いやいやベッドに入り、部屋の電気を消し、布団に潜った。睡魔はすぐに襲ってきた。うとうとと微睡む意識に中、俺はフッと柚木真子の事を考えた。郁也とは今日直接会ったし、達也とも話した。でも柚木真子は、あの屈辱のブラックアウト退場の後、一体どう過ごしているのだろう。どんな気持ちで、昨夜を、そして今夜を過ごしているんだろうか。彼女も当然、落ち込んだはずだ。でも、彼女が落ち込んでいる姿が俺には想像できない。達也は、彼女にもうリベンジの事を連絡しただろうか。彼女はまた、あのパワフルで潔いドラムを叩いてくれるだろうか。そんな事を考えながら、俺は知らぬ間に眠りについていた
「本日も高崎線湘南新宿ライナー、籠原行きをご利用いただき有難うございます。各駅の到着時間をお知らせいたします。大宮到着は十六時十五分、熊谷到着は…」
俺は、車内アナウンスで目を覚ました。達也達とスタジオ練習を行うため熊谷に向かっている最中だ。最後尾車両のボックス席に座ると、たかが埼玉県に行くだけだが、ちょっとした旅行気分になってしまう。俺の気持ちは、まるで恋人に会いに行く様なときめき気分だった。思えば俺はかれこれ五年も彼女が居ない。五年前に別れた時は、ショックで大泣きした。彼女に二股かけられてて、それでも俺は彼女の事が好きで好きで、未練タラタラで別れたんだ。最後に彼女から言われた言葉が「キモい」だった。別れた後は三日間、部屋で泣き明かした。当時はまだソロで弾き語りを始める前で、バンドを組んでいたんだが、もう練習も手がつかなくて、メンバーに呆れられていた。それから俺が作る曲はしばらくドロドロのメソメソの失恋ソングばかり。その時の曲はパソコンの中に眠っているが、門外不出。陽の目を見ることはないだろう。
そう言えば、達也って彼女居るのかな。いや、居なそうだ。そんな話、一度も出たことなかったし、あの身なりに気を使わない感じから、女っ気なさそう、と言うか、女に興味がない訳じゃないだろうが、音楽と郁也の事で頭がいっぱいなのかもしれない。まあ、そこが達也のいいところなんだが。郁也はあの調子だから恋愛なんてずっと先のステージだろうし、柚木真子も男っ気なさげだ。何だかニボシって、ロックバンドなのに、今時の若者文化から外れたバンドなんだな、と思った。
車窓からの景色が都会から住宅、そして田園と移り変わり、またビルが立ち並ぶ街の景色となって熊谷駅に着いた。列車からホームに降り、エスカレーターを登って改札を出ると、例のごとく達也が駅ビルの入り口の所で待っていた。俺の姿を見つけると、何だかよそよそしい感じでペコっと頭を下げる。まあ、あの屈辱のブラックアウト退場の晩から、直接顔を合わすのは初めてだから、ぎこちないのは当然か。
「おう達也、久しぶり」
まあ、たかが四日ぶりだが。
「有働さん、この間はすんませんでした。全部、俺のせいで…」
達也がまた改まってその話をし出したので、俺は手を払って遮った。
「もういいよ、その話。そんな事より、どうしたん?その髪型」
「ちょっと気合いを。やっぱうちら、ロックバンドなんで」
達也が髪型を変えていた。率直に、変だった。いつもの寝癖モジャモジャヘアから一転、ジェルで髪の毛を逆立て、テカっている。しかもハイブリーチしたのか、茶髪を超えて、金髪だ。ビジュアル系をイメージしたのかもしれないが、どう見てもスーパーサイヤ人だった。ずんぐりむっくりのスーパーサイヤ人。色々残念な感じだったが、達也なりに心に期するものがあったのだろうかと、俺はあえて感想を言わなかった。ただ、これじゃ彼女は居ないだろうなと、確信が持てた。
「で、楽譜、できた?」
「ええ、もちろん」
スーパーサイヤ人の、じゃなかった達也の表情がパッと明るくなった。いい顔だ。やっぱりこいつは音楽の話が似合う。髪型なんかどうだっていい。
俺達はロータリーへ向かうエスカレーターを降りた。いつもの場所に停車してある達也のビッツに向かった。車内の後部座席には、相変わらずでっかい郁也と、やせっぽっちの柚木真子が乗っていた。郁也は俺をチラッと見て、揺れる程度にペコっと頭を軽く下げた。この間会った時よりは、また距離が生まれているが、以前に比べれば、会釈されるだけ、大きな歩み寄りだ。初めてライブハウスで声かけた時は、視線すら合わなかった。
柚木真子は、相変わらず無表情で俺に会釈した。やっぱり何を考えているのか、全然読めない子だ。
達也が運転席に乗り込み、車を発進させた。
スタジオに着くと、いつも通り各々が淡々とセッティングを始め、 音出しをした。そして、いよいよ俺の作った曲を、達也が割り振った楽譜に従って、演奏してみることになった。サビをリフレインさせたイントロを、俺がアコースティックギターで弾き、そこに柚木真子のドラムがタタッとインしてくる。達也のベースが加わって、郁也のギターがメロディの裏を弾き、そのままボーカルへと。生まれ変わった。俺のインスピレーションオンリーだった素朴な歌が、重厚で、繊細で、切ないロックバラードナンバーへと変貌した。やっぱり達也は天才だ。達也が楽器のパートを割り振って、コードワークを整理して、編曲も加えたら、こんな風になるんだ。そして何より郁也のボーカルが、俺とは段違いだ。歌詞を解釈する力がすごい。俺の歌詞なのに、俺よりも深みを加えてくる。Aメロを終えて、いざサビへ突入、と言うところで、突然、柚木真子がドラムを叩くのをやめた。何かちょっとミスっただけかなと、俺は演奏を止めなかった。達也も郁也も弾きつづけた。しかし、なかなかドラムの音が復活してこない。ブリッジを繰り返す。ゲソ天の時に郁也が歌いださなかった記憶が蘇って、嫌な空気が一瞬流れた。
その時、突然、柚木真子が叫び出した。
「あたしは!」
あまりの大声で、俺も達也も演奏を止め、郁也まで驚いて柚木真子を見た。
柚木は、泣いていた。顔をくしゃくしゃに、大粒の涙をポロポロこぼし、歯を食いしばって、肩を震わせ。
「あたしは、悔しかったの!とても悔しかったの!私たちの音を、ニボシの音を、皆んなに聞かせられなかった事が!あたしは本当に悔しかったの!」
そう叫んで、ステックでスネアを、我武者羅に、殴るように、無我夢中に叩き狂った。その振動は痛みを伴って俺の胸に響いた。俺も泣いた。涙がポロポロこぼれて、堪え切れなくなって声をあげて泣いてしまった。俺も悔しかったんだ。本当に悔しかったんだ。申し訳ないと思う気持ち以上に、泣き叫びたかったんだ。達也も泣き出し、郁也も泣いていた。みんなで子供みたいに泣きじゃくった。構うもんか。ここはスタジオなんだ。みんなで心を合わせて、大きな音を出す場所なんだから。いっぱい泣いて、また頑張ればいいんだから。