(3/9)鋼/犬と遊ぶときは少し物足りないぐらいで止めましょう
真夜中に叩き起こされた苛立ちを電話口にぶつけながら、ジーパンと穴の開いたスカジャンに着替える。
「お前ふざけんなよマジで!」
【だからごめんて、私も急に言われたんだもん】
聞こえてくる飯沼の声にも「寝てるところを起こされた」感が漂っていて、これ以上コイツに文句言っても仕方ないな、という気持ちにさせる。
「てかなんでそんなに緊急よ?」
【あー、えーと……色々?】
「てめぇ」
【とにかくごめん! お願いね!】
一方的に電話が切られ、すぐにピカユーのアカウントから着信。目的地の地図に続いてたて続けていくつかのメッセージが届く。
【道路管制は済んでるピカー】
【対象以外の反応も観測してるピカ、留意のことピカよ】
相手は1体じゃねぇってことか? それが緊急の理由? 首を捻りながらスニーカーに足を突っ込み家を出る。単体じゃあないからって急がせる意味もよくわからないが、まぁ仕方無い……とこないだ渡された封筒に入っている額を思い出して疑問を飲み込む。大抵の問題は金が解決する、いやさせられてしまう。その上これは私の妄執が関わっている以上、簡単に断れないことだって向こうは織り込み済みだろう。
バイクカバーを外しエンジンをかけスマホでナビを表示しホルダーにマウントする。時刻は深夜2時過ぎ、この時間なら姿を見られる可能性はかなり薄いだろう。
「大丈夫そう?」
「ああ」
念のためいつの間にか肩に乗っていたゼラにも確認させる。よし、それなら。
バイクに跨り首にかけた細いチェーンを引っ張り胸元から安っぽいプラスチックの指輪を取り出す。その指輪を外し中指にはめると、握った手からその指だけを伸ばして虚空に突き上げる。
「ピュリケア! ペリッシュ、オーバー!」
どろり、と漆黒の液体が足の裏から染み出し濃い影の様に広がる。それは引き伸ばされのたうつように広がりながら、薄い布状に形を変えて鎌首をもたげるようにそそり立った。つま先から包帯のように体へと巻きつき、ある隙間無く皮膚を覆ったところで勢いよく引き絞ら、黒い粒子がほこりのように舞う。
「ぎっ」
ぎちぎちと体を締め上げる痛みに歯を食いしばっていても声が漏れる。それと同時に染み出した漆黒の液体はバイクをも覆っていく。そうして布同士が癒着し体を包むラバースーツのような服ができあがり、バイク全体に広がった液体は硬化し滑らかな流線型を作る。どこからからあわられた黒い塊が飛んできて、激しい衝突音を立てて顔面にブチ当たる。くぐもった悲鳴を飲み込むように黒い塊は頭を包み、バイク用のヘルメットに似た頭部装甲に形を変える。衝撃に頭を振りながら体勢を整えると、もう一つ顔面に飛来したものよりも大きな黒い塊があらわれ、バイクのヘッドライトを飲み込むように融合し、レーサーレプリカのようなカウルを形成した。体にまとったラバースーツの表面に、そしてバイクを覆う急造の車体に白いラインで不吉な文様が描かれ、腰の辺りに申し訳程度のみすぼらしいフリルが飾られる。
「悲愴なる死、ケアスカル・エクステンド!」
名乗りに合わせてヘルメットにも白いラインが走って骸骨の模様を彩り、いつもより鋭い音を立ててバイクに火が入る。素早くギアを入れアクセルを多めに回しクラッチを繋ぐと、前輪を浮かせてバイクが吹き飛ぶような勢いで発進する。ナビ通りのルートを行けば道中にあるオービスや道路に向いた監視カメラなどはピカユーの根回しで停止しているハズだ。信号なんかもコントロールされてるようで、進行ルートに邪魔な車が割り込んでくることもほとんどない。
ピュリケアスーツと同じような素材でコーティングされているせいで速度メーターもタコメーターも覆い隠されてしまい確認できないが、体感的には軽くアクセルを捻るだけで普段の最高速を超えて倍以上の速度が出ている。音と感覚でギアチェンジして、さらに大きくアクセルを回す。ピュリケアスーツによって知覚能力と反応速度が上がってるおかげで乗れているが、普通にこの速度で走ったらあっという間に大クラッシュを起こすだろう。
左右にすり抜けながら目的地を目指す。横を抜かれた車は「何かが通った」と気付くことはあっても、正面を向いた瞬間にはすでに視認するのが不可能なほど先へ私のバイクは走り去っている。気のせい、あるいは出来の悪い都市伝説ぐらいにしか思えないだろう。
しかし元は単気筒で馬力も高くないバイクを一体全体どうやってこんな速度で走らせているのか? と疑問を持ったとたんに少しバイクの速度が落ちる。「気分の問題」でピュリケアパワーを与えているのだから、その気分が翳れば当然パワーは落ちてしまう。
にしてもここまで敏感に反応することもないだろ……と苦笑してバイクのタンクを手の平で撫でるように叩く、わかったわかったお前は速い。
「うおっ、ととと」
うぉん!とエンジンが吠えたかと思うと、さっきまでのパワーを唐突に取り返したことでバイクをウィリーさせてしまう。慌ててバランスを取って車体を建てなおす。
「あっぶねー……」
この速度でスッ転んだらバイク本体が破壊されてしまう。自分の体は大怪我したってピュリケアパワーで治るがバイクはそうもいかない。一度、どうしても試してみたくて「バイクに乗ったまま戦う」をやってみたが、まぁ二度とやるもんじゃあないという反省を得ただけだった。タイヤで踏み潰すと体液が散って超汚ぇし。
「ここらへんか……」
速度を落として裏路地に入ると、ナビが示す薄汚いアパートが見えた。近くにバイクを停めて階段を上がり「203号室」を目指す。郵便受けからゼラを滑り込ませて鍵を開けさせ……あれ? 鍵かかってないや。無用心だなぁと思うが、バケモノにしてみれば危ないもなんも無いのだろう。ドアを僅かに開けてその隙間から室内に滑り込む臭っ。
魚が腐ったような臭いが充満している。前々から思っているんだけど、私が行かされる先はことごとく臭い部屋なのはどういうことだよ……タメ息をつきそうになるが、それでまた余計な息を吸わされるては堪らないと我慢する。
しかし見たところ食べ物が腐ってる様子もないし、台所もキレイに……というかほとんど使われていない感じだ。臭いの原因を探して床に視線を落とすと、なにか光るものが目に付いた。それは小さな注射器……はぁなるほど、そーゆーわけね。乱用すると魚の腐ったような体臭になることは知っていたが、それが家中に漂うってのは相当な薬中だ。嫌な予感に舌打ちする、こういう手合は痛覚が鈍くなっていてやたらとしぶとい時がある。長く楽しめるのは歓迎だが、面倒なのは好きじゃあない。
敵が顔を出す様子もないので、奥の障子を開く。
「うわぁ、キモ……」
部屋の隅に置かれたベッドに横たわっているのは、茶色い半透明の体を震わせて蠢く軟体だった。矢印のように胴体の先で広がっているのは頭部だろうか、その先についてる黒い丸が緩慢な動きでこちらを見る。ようやく侵入者に気付いた手足がのったりとした動きでベッドの上を這い、恐らく戦闘態勢を取ろうとしているのだろうが四肢には力が入っておらず、ただただ不快な粘性の音を立てて這いずるばかりであった。
「なんなのさあんた……」
たぶん融合している生き物と、ヤクの効果切れが合わさった結果だろう。とてもじゃないがまともな格闘なんて不可能そうだ、これでもう少し時間が経ったらシャブを求めて大暴れしていたかもしれない。緊急で呼ばれたのはそれが理由だろうか。それにしても、これをいきなり殴り殺すのは流石に気が進まない。
「ほら、しゃんとしな~? 殺しちゃうよ?」
頬でも叩けば少しは目が覚めるかと左手で頭部と思わしき矢印状の部分を掴んで起き上がらせ、ビンタする。
ずりん
奇妙な音と、なぜか振りぬかれた右手の平、左手に掴まれた矢印の先端。
「へ?」
思わず手を離した頭部がベッドでワンバウンドして転がり落ちる。
う、嘘でしょ……軽くはたいただけ、そ、そりゃピュリケアだからそこらへんの女の子よりは強いけど、相手はバケモノだし、そんな手刀で首に全力で一撃いれたならまだしも、平手で軽く叩いただけなのに……。
「ぽぱぁぁああ!」
「ひぃ!?」
千切れた頭部のすぐ下に小さな穴が開いて謎の叫び声を上げる。致命傷を負ったであろう相手が急に大声を出したことに驚いて思わず悲鳴をあげてしまった。
「ほぴっぱっなぷぷぷぷぷ」
意味を成さない破裂音を上げて、体を前後左右に揺らす……その無軌道な動きに既視感を感じた理由に思い至る。私もウンコするときこういう動きしてんだよなぁ、とゾッとした。
声を上げながら揺れるそいつの切断面にいくつもの小さな山が盛り上がり、それぞれが独立して胴体と同じように前後左右によじれながらみるみるうちに大きくなっていく。やがてその山々は互いに繋がり、さらに増殖する速度をました。
「ぞぁ!」
「うお!?」
最後に一声叫んだかと思うと断面に生まれた肉の山が一気に沸きあがり、千切れる前と同じ矢印状の頭部を再生する。その再生速度と過程の薄気味悪さにたじろぐ。それと同時に床から聞こえてるぽこぽこという小気味良い音に気付きそちらに視線を向ける。まさかね。
「まさかだったわ」
切り落とされた頭の方もその断面から同じような肉の山が生まれ増え、自身の体を再生しようとしている。というかすでに上顎辺りまでの再生を終え、小さな口を形成する上唇が何かを言おうと律動する様が見えた。気持ち悪ぃ。
「なんかこんなん聞いたことあるわ、なんだっけ? どっから切っても再生するあのキモイやつ」
「プラナリアか?」
再生しつつある断面を興味深げに見ていたゼラが答える。
「あーそれそれ、プラナリア。 こいつ……ら? それっぽいな」
これはヘタすると無限に分離・再生・増殖を繰り返して、いつの間にかこのプラナリア男で世界が占拠される可能性があるタイプのやつだ。質量保存とかそういう常識が通用しない再生は、まぁピュリケア自体がやってることだから仕方無いとはいえ、これは規模と速度が段違いすぎる。流石のピュリケア(わたし)も千切れた頭から二人に増えたりはしないが、この再生の様子からするとそういった節度は期待できないっぽい。
「おうぁ、あば、ぬぱぱぱ」
強いて言うなら頭部の破壊と薬の影響でまともな思考ができてなさそうなところか。緩慢な動きで起き上がろうとする胴体へ向けてコブシをふるう。
「ケアスカルパンチ」
突き出した右手に重なるってしゃれこうべのビジョンが浮かぶ……が小さい。バスケットボール大の骸骨が口を開いてプラナリア男の胸部に噛み付き、その部分を虚無の中へ飲み込む。噛み切った断面を覗き込むと既に再生が始まっている。
「ヤル気をだせ」
「いや、だってさぁ……」
身の危険が迫るとか、怒りに燃えるとか、正義感に駆られるとか、憎しみの炎が猛るとか、そういったメンタル面の勢いが如実に反映されるのがピュリケアパワーの利点であり、また欠点でもある。こういった一方的な虐殺においては力が発揮できないというのは、ある種のセーフティーロックではあるのだが……。
「ゼラー、溶かせない?」
「さっきからやってはいるがな」
床に転がった頭部に覆いかぶさったゼラが困ったような視線を投げかけている。プラナリア男(頭部のみ)の表皮はゼラの分泌物で溶解しても、その下から次々と新しい皮膚が再生され溶かしきるとは難しい、どころか再生スピードが若干上回っているようで既に完成した下あごが緑色の粘体につつまれてぱくぱくと何かを言おうとしている。
「ヤル気をだせ」
こっちの皮肉に大きな気泡を一つ吐き出すだけでゼラは無視を決め込む。つまんないヤツ。
しかしこうしていても埒が明かない、小分けでもいいから何とかして消滅させるしかないだろう。私は大仰にタメ息をついて手首のロックを解除する。
「《死の手》」
射出機能するヤル気を失っているのか、手首から気の抜ける音を立てて右手の骨格がせり出してくる。それと指を絡めるようにして左手を重ねしっかりと握る。良く言えば神に祈るときみたいに、最悪の表現をするなら一人で恋人繋ぎをやってみるように。
ワイヤーを引き出してプラナリア男の体へ何重にも、足の先から頭、腕の先端まで巻きつけていく。なんか叉焼作ってるみたいだな、とは思ったが口に出すと明日から食べるラーメンが少し不味くなりそうな気がするので頭を振って考えを脳から追い出す。手首を捻ってワイヤーを巻き取るスイッチを入れ左手で掴んだ《死の手》がすっぽ抜けないように強く握りしめる。
腰のリールが作動し巻き上げられたワイヤーがプラナリア男の体を締め付け、その体にゆっくりと沈みこんでいく。
「ぽぱー! ほっぱ! ぽぽぽぽ!」
当然、痛覚はあるようで体に食い込むワイヤーから与えられる苦痛にプラナリア男は身をよじる、がその程度でこの拘束から逃れられるわけもなく、体中に巻き付けられたワイヤーが無慈悲にその体を切り刻んでいく。絶え間なく続くリールの作動音がプラナリア男の柔らかな体を確実に切断していることを告げていた。
「あぁぁぁ何か気持ち悪いけど気持ちいい」
ワイヤーを通して軟体に食い込み切り離す感触が手に伝わってくる。例えるなら羊羹を糸ようじで切り分けているような感じに少しだけざらつきを加えた手応えは、何ともいえない不気味な不快感とそれでいて切り分けられていく小気味よさを同時に発する。湿った音を立てて切り落とされた腕や足が床に落ち、それを素早くゼラが覆いかぶさって溶解液を分泌する。表面積が増えたことで溶かす効率は悪くなるが、それでも再生を抑制することはできる。
「あー、気持ち悪かったー……」
ワイヤーのほとんどが巻き取られプラナリア男の体は大小50を越える塊に分割される。それぞれの部分部分が蠢き、沸き立ち、繋がり、再生しようとする姿は、じっと見ていると気色悪いのにずっと見入ってしまいそうなおぞましい吸引力を持っている。私はそこから必死で眼を反らして、ゼラが全てのばらばらになった肉の塊を覆うのを待った。
「いくぞ」
「あいよ」
ゼラの体から梅干しの種を吐き出すように、分割されたプラナリア男が投げ上げられる。ちょうど私の目の前を通過していくタイミングで右腕を振るう。
「スカルパンチ」
浮かび上がったしゃれこうべの幻影が肉塊を飲み込む。
「ケアが抜けてる」
そう言いながらゼラが次の塊を投げる。
「ケアスカルパちょまっとっとっと」
技名を言ってる間に通り過ぎようするプラナリア男を慌ててスカルパンチで飲み込む。
「ちゃんとやれ」
投げ上げられる肉塊。
「あ? やってるだろが」
しゃれこうべのビジョン、飲み込まれる肉塊。
「言えてない」
投げ上げる
「できてるし」
飲み込む
「できてない」
ぽーん
「やってる」
ぱく
「やってない」
ぽーん
「殺すぞ」
ぱく
「前々から言っているが」
「んだよゼラチン」
「お前はもっとちゃんとしろ」
「してるだろうが」
文句の応酬をしながらも手を止めず、まるで千本ノックでもしているようにプラナリア男の体を次々に投げては飲み込んでいく。
「大体スカルには自覚がない」
「そんなもんあるか」
「だから余計なケガをする」
「は? 私のケガが何か関係ある?」
「大有りだバカモノ」
「うっせ、ほっとけバカ」
「ほっておけ……」
ゼラの体表に痺れるような小さい波が起き、流れ作業のように投げ上げていた手が止まった。鋭い声が不定形の体から発せられる。
「スカル」
「ちっ!」
私はゼラの眼球をむんずと掴むと、その場から飛びのいた。その瞬間、建物全体を揺さぶるほどの衝撃と轟音を立てて巨大な物体が外からこの部屋へ突っ込んでくる。粉々になった窓ガラスが部屋中に散乱し、爆風と呼ぶに相応しい勢いで室内のあらゆる物品が押しやられる。
ゼラを床に放り投げ、飛び込んできた鈍く銀色に輝く物体に向かって構える。丸まっていた「それ」は緩慢な動きで縦に伸び上がり、天井付近まで高くそびえ立つ。それを支える二本の足と、広げられた両手で「それ」がなんとか人型をしていることは理解できた。冷たい光沢を放つ金属で「それ」の全身は覆われている、いわゆる「お金持ちの家にある西洋鎧」然とした姿だ。頭部にはまるでブリキのバケツを逆さまにかぶったような装飾の無い兜が据えられている。そこに覗き窓のように横一線の隙間が開いてる、がその奥は暗く沈んでいて中に人が入っているのかどうかすら解らない。
金属鎧の「それ」はゆっくりと腕を曲げ、自分の胸に手の平を当てる。金属同士が擦りあって起こす不快な甲高い音と、関節部分が動くたびにそこから真っ黒な土がパラパラとこぼれ、床に小さな山をいくつも作っていた。
「…ぅ……ぁ……、…ァ……ィ…」
バケツ頭の中からくぐもった呻きのような音が漏れている。全身の皮膚が粟立ちそのひとつひとつがバケツ頭の動きを見逃さないと、感覚を鋭敏にし痛いほどだ。それは本能が感じるよりも先に肉体が鳴らす警戒アラート。目の前にいる「それ」が、一瞬でも気を抜けばその刹那に死の暗い穴蔵へと私を運ぶ力を持っているという、圧倒的な破壊の使者が発するプレッシャー。
洒落になってねぇ……胸の中で呟いて状況をやっと理解した心臓がようやく激しい鼓動を打ち始める。ここまで直感、いやそれ以前の生物としての反射で「ヤバイ」と感じたのは久々だった。構えた状態から1ミリ足を前に出すだけでも激しい恐怖に汗が吹き出る。それでもまだ構えて対峙できているということは、恐らく相手は私と大差ない能力なのか。そもそも「ヤバイ」であって「死ぬ」ではないのだ、体が勝手に脱兎のごとく逃げ出すほどの絶望的な差はない。
向かっていくことも逃げだすこともできるよう両足に力を込めると、踏んでいたガラス片が砕けその音がやけに大きく響く。
「…ぃ……ん、ぉ……………っ………」
バケツ頭が何かを語りかけてくるが、ほとんど聞き取ることが出来ない。しかしそれに耳を傾けようとすることは、相手の動きに反応するための集中を切らすことになる。そんな余裕は無かった。
「…ッ……………………ぁ…ぃ」
それでもバケツの下でまだ音声を発している相手が不審だ、そういう策略か、あるいは……呪いや魔術のたぐいかもしれない。巨体はブラフか、どっちにしろそれが判明するまで待っていては手遅れだ。心を決める。
私は構えを緩めて肩をすくめて見せる。
「だからさぁ、何言ってんだかぜーんぜん聞こえっ!」
話している途中で唐突に床を蹴りバケツ頭に突進する。その勢いで右肘を相手の鳩尾へ、突き刺すように叩き込む。相手は身を守るどころか打撃が打ち込まれるまで反応すら出来ていなかった。完全に不意を打てた!という気持ちは一瞬で霧散する。ピュリケアスーツの内側が針状に変化、右肘へ皮膚を破って侵入し砕けた関節の修復を始める。
うっそだろ、おい。信じられないものを見ながら後ろに跳んで距離を取る。私が肘を叩き込んだ鎧部分はピュリケアの全力を受けてすら僅かにへこんでいいるだけ、こっちの骨はばらばらに近い。折れた部分に擬似骨格を形成しだしたピュリケアスーツが、再生ではすぐに処置が終わらないことを伝えている。
「ぁ…、………………ぃ」
バケツ頭が両手でコブシを握り漫然と構える。どう見ても素人の構えだ、しかし私の一撃を受けてよろめきもしなければ鎧も軽くへこんだだけ……それが物語るのは規格外のパワーと防御性能だ。正面からぶつかってどうにかなる相手ではなさそうだ、それがこの程度の損傷で判明したのだから超ラッキーと言っていいだろう。
右腕を確かめるように大きく払ってから、構えを取り直す。腕を動かしたときに作られたばっかの擬似骨格が割れ、死ぬほど痛い。が声を出すのはヘルメットの下で唇を噛んで堪える。相手に「こっちがダメージを受けていること」を知られてしまえば、向こうはその力と鎧で愚直に向かってこれば勝てると判断するだろう。そしてそれは情けないことに事実だ、だから「まぁいまのはお互いに様子見でしたけど?」みたな面をしておかなければならない。
つま先で床を叩いて脚に再びピュリケアパワーをみなぎらせ、右手で相手から見えるよう大げさに拳骨を握って大きく振りかぶる。
「今度は本気で行くぜ」
まぁさっきも本気だったんですけど。バケツを通して聞こえてるかは不安だが、雰囲気で大体は伝わるだろう。私はバケツ頭の顔面目掛けて跳び上がる。叩き込んでくるであろう右ストレートを防御するため、バケツ頭は私の突撃に合わせて腕を持ち上げようとする。さっきと同じように真っ直ぐ打撃を放ってくるのなら、当然の対応。その当然の対応を素直に繰り出す……やはり構え通り素人だ。
「《死の手》!」
振りかぶったまま手を開いてロックを外せば右手首から白い手の骨格標本が射出される。
思いもよらない飛来物に対処できるほどバケツ頭の動きは速くない。そのまま《死の手》は吸い込まれるようにバケツ頭の顔面を捉える。顔面にブチ当たった瞬間、開いていた手を再び強く握りこむ、捕まえた!
《死の手》はバケツ頭をがっちりと掴む。声がする、ということはそこに顔の機能があるはずだ。顔があるということは眼がある、それは恐らくバケツのような兜に刻まれた横一文字の隙間。そこから見ているに違いない。《死の手》はその隙間を塞いだ、アイアンクローのようにバケツ頭を握っても何のダメージも与えられないが、視界を塞ぐことはできる。
突然目の前が塞がれ慌てたバケツ頭はおろおろと両手を振り回す。とにかくこっちに近づけさせないためだろう、だが見えない状態でそんな行為は隙を生むだけだ。
私は腕を回して《死の手》に繋がったワイヤーで輪を作りながら、ジャンプした勢いのままバケツ頭の肩を跳び越して後ろに回る。輪の中にバケツ頭を通してワイヤーの巻き取り装置をフルパワーで稼動させた。摩擦の勢いで煙を上げるワイヤーが掛かっているのはバケツ頭の兜と胸鎧の間、つまり首を締め上げた。
離なさないよう両手でワイヤーを握りしめると、私の体はバケツ頭と背中合わせでぴったりと張り付いた。体育の準備運動で二人一組になってこんな柔軟体操やらされたわ……と10年以上前の記憶を呼び覚まされながら、力を込めてワイヤーを引きさらに首を絞めていく。分厚い兜の奥から苦しげに息を吸おうとしている呻きが聞こえる、よしよしこれで呼吸がいらないタイプだったり、違う場所から酸素を取りれてるタイプだったらどうしようかと思ったが、しっかり効果はあるようだ。
バケツ頭は最初ワイヤーを手で掴もうとしたが、兜と鎧の隙間に食い込んだ細いワイヤーを金属製の篭手で覆われた指先ではまったく捉えることができなかった。すぐに諦め、今度は両腕を後ろに回し私自体を引き剥がそうともがく。しかし重厚な鎧がアダとなって背中の真ん中にいる私にまで腕が届くことはなく、残念なことに丁度いい孫の手も見当たらなかった。
そうやって無駄に暴れている間もワイヤーはより深く食い込み締め上げ窒息へとバケツ頭を追い込んでいく。
ふわり、と体が持ち上がり慌てる。ワイヤーをどうにかするよりも、本体を弾き飛ばしたほうが早いと判断したのか、バケツ頭が上半身を前に勢いよく倒し、一本背負いの要領で私を投げ飛ばそうとする。
「……っ!」
「んなろっ!」
腋を締めワイヤーを強く握り踏ん張る。浮き上がった両足が自転車のペダルを回すように宙をかき、食い込むワイヤーがピュリケアスーツを裂いて手の平を削りワイヤーを伝って鮮血が流れ落ちる。しかし背中はぴったりと合わさったままだ、ここで離してはこっちの敗北は必死……じゃない五分、いや6:4くらいでやや有利くらいだろう。負けるわけねぇし、私が。
「ふぇ?」
上半身を屈めたバケツ頭が小さく跳躍し、そのまま後ろに仰け反る。何をするつもりか、と考える間もなく視界に床がものすごい勢いで迫ってくる。バケツ頭は背を下に後ろへ倒れこもうとしている、それに気が付いた時にはすでに逃げる余裕なんてなかった。唯一できることは襲ってくる衝撃に対して覚悟を決めることぐらいだ。
「んがっ!」
純粋な質量攻撃はこれだけの体格差があれば有効だ、特に逃げ場のない相手に対しては。私は冷たい金属の鎧と床の間に挟まれ押し潰される。そこに落下の勢いも加わって全身の骨が軋みをあげているのがわかった。だがそれだけではない痛みが脇腹に走る、落下するときにバケツ頭は肘を私の腹部目掛けて叩きつけていた。深々と捻じ込まれた肘鉄が内臓がシェイクし破裂させ、そこにすぐさま針状になったスーツが突き刺さって修復を始めたことがダメージの大きさを物語っている。
「んー!」
歯を食いしばって叫びを抑える、いま喉を開けば内臓の損傷にともなう吐血は免れないだろう。それはヤツに「攻撃が効いている」実感を与えてしまうだけだ。痛いときほどそれを隠す、そうすれば「痛い」攻撃を抑制することができる。
「ふっ、ざけんなこんのぉ!」
一瞬だけワイヤーの張りを緩めて、すぐにフルパワーでリールを作動させ両手で絞り上げる。相手の喉を引き裂く感触が手に伝わってきたが、まだまだ致命傷ではない。いつになるかわからない窒息死を待つよりも、このまま首を切断してしまったほうが早い気がする。ワイヤーを緩め締め上げ緩め締め上げを繰り返す、リールの発熱と悲鳴のような駆動音、手の平に出来た裂傷がさらに深く刻まれ摩擦熱で焼かれていく。ワイヤーを伝う血に私の手だけではなくバケツ頭の首からのものが混じる。
「……ッ!……ッ!」
背中で押し潰したままバケツ頭は肘での打撃を繰り返す。的確に同じ箇所にダメージを与えるだけではなく、一撃ごとに治療用に伸びたスーツ内部の針が粉砕され、再生の速度を落ちてしまう。それでも落下の勢いを利用した初撃ほどの威力はない。これならいける……と思った矢先、バケツ頭が体を反らし跳ね上がる。まるで採れたてぴちぴちのエビのように宙に舞うと再び背中から床に体を叩きつけようとする。
逃げるか? いや、正面から受けるしかない。
「ぐぅ……っ」
落下の力を利用した肘が再び捻じ込まれる。口から腸が吹き出そうな衝撃に気絶しそうになるのをワイヤーをより強く握りこむことで耐える、手の平が切り裂かれる痛みが眼を覚まさせてくれた。立て続けに跳ね上がっての一撃が来ることを覚悟していたが、バケツ頭は細く息をしながら動きを止める。
そうかい、お前も余裕があるわけでもないんだな。バケツ頭の受けてるダメージも甚大な上、跳び上がり落下する衝撃は首に食い込んだワイヤーを更に深く締め付けさせる。互いに発揮できる破壊力に比べて頑丈さも耐久性も足りていない、このまま相手を破壊し合いながら、自分がどれだけ壊れきる前に決着をつけられるか。それぞれの尻尾を飲み込む輪になった蛇のような状態。
思わず笑みがこぼれる。
久々にこんな血みどろの戦いだ。楽しい、なんて楽しい。久しく感じていなかった生きる喜び、確かめられる強さの限界。生き物としての力を証明する争い、形振りかまわない闘志、剥き出しの命。
口元が緩み、破裂し潰された臓物からのどす黒い血が漏れて顎に垂れる。ピュリケアになった頃のことを思い出しそうになるが、奥歯が割れるくらいに噛み締め、いまここの命に意識を向ける。噛みつきあい、削りあい、殺しあう、もうすぐひとつになる命。その最後の瞬間への官能に向けて、殺意を研ぎ澄ませる。
バケツ頭が身じろぎし再び跳ね上がろうとするのを感じた。かかって来やがれ、と血で滑るワイヤーを掴みなおす。
「おぉあっ!おあ!ぬぱるぁぁああ!」
その二人の間に乱入者の曖昧な叫びが割り込んだ。湿った足が不快な音を立ててよたよたとした足取りで近づいてくると、私の顔面を蹴りつけてきた。蹴ったつま先がヘルメットを撫で回すように動き、バイザーが分泌されている粘液で汚され曇る。
そうだった完全に忘れていた……分割された体を繋げて再生したプラナリア男が立ち上がって私とバケツ頭を見下ろすように立っている。
「ぽあ!ぺへ!だぱさば!」
意味不明な雄叫びを上げながら私とバケツ頭に軟体の手足で襲い掛かってくる。しかし力もなく柔らかなプラナリア男の体ではろくな打撃にはならない、これなら小学生にチクワで殴らせたほうがまだ破壊力があるだろう。放置したとしても問題はないだろう、しかし……。
「おきゅぱぼ!ぬぱぁあ!」
うるさいし鬱陶しい。自分の上に乗っかっているバケツ頭から、先ほどまで張り裂けそうなほどだった緊張が弛緩しているのを感じる。私の殺意もだいぶ萎えてしまった、この空気の読めない闖入者によって完全に水を差されてしまう。このまま続けることは難しいだろう、少なくともこのプラナリア男を先に排除する必要がある。
私は恐る恐るワイヤーを緩める、それを感じたバケツ頭はゆっくりと体を持ち上げ、下敷きにしていた私を解放する。警戒して距離をじわじわと取りながらそっと立ち上がり思わずお互いの顔をじろじろと見る。
「だだぱぱぱぱららら」
立ち上がった私たちを恐れてプリナリア男が声を上げる、そっちに一瞬視線を移したバケツ頭が静かにうなづいた。
「…ァ……ィ…………ッ!」
なにかを呟き床に手の平をつくと、そこから引っ張り出すような動きをした。三角の持ち手が床から生えるようにあらわれ、そこから棒状の物体が伸び立つようにして姿を見せる。引き抜いたその先端にはところどころに錆びのある先端に向けて柔らかなカーブを描く金属板が取り付けられていた。
それは巨大なシャベル?スコップ?だった。なんの変哲も無い農園とかにありそうなごく普通のシャベルに見えるが、それを両手で持つバケツ頭の巨躯を考えれば成人男性の身長よりも長いように思える。バケツ頭はその尖った先端をプラナリア男に向けた。
怖っ。
戦争の白兵戦では拳銃やナイフなんかよりも、塹壕を掘るのに使われたシャベルが武器として圧倒的な猛威を振るったと聞いたことがある。確かに構えてる姿を見るとリーチ、重さ、鋭さ、なによりもその威圧感に「これにナイフ一本で立ち向かえ」といわれたら、そう命じたヤツを刺すことを選ぶだろう。
見えてるのか見えてないのか、向けられたシャベルに対してプラナリア男は特に構えることもせず曖昧に体を揺らしている。バケツ頭はその足元の床にシャベルを突き立てた。
「…ァィ…………ン…ッ!」
おもむろにシャベルに片足を乗せ、床を掘り返す。え!?何してんの!?と思った瞬間、床がぐるりと回り引っくり返る。そこにあらわれたのはひっくり返す前とまったく同じ床……よく知らないけど、床ってそんな構造してないよね……?
そしてひっくり返された床にいたプラナリア男は、床下に飲み込まれるように消える。特に物音もなく、というかここは2階だ、床板を引っぺがしたら下に落下する……のか?しかしそんな様子は微塵もない。
「まるで『クインティ』だな……」
思わず口に出た呟きにバケツ頭がこっちを見て首を捻る……まぁこれは20年以上前のファミコンゲームで例えた私が悪い。
なんにせよ邪魔者は消えたわけだ、微妙に空気が弛緩している気もしなくはないが続きだ続きとばかりにバケツ頭に向けて構えを取る。あのシャベルをどうするか、上手く奪ってこっちのもんにできないだろうか?
私が構えたのを見てバケツ頭はシャベルを床に放り投げ、両手の平をこっちに向けて慌てたように振る。なんだぁ?お前なんか素手で十分って挑発かぁ?面白ぇブッ殺す。
バケツ頭は一歩二歩と後ろに下がって間合いを調整する、デカブツめリーチを利用するつもりか……それなら一気に飛び込んで足にタックル、転がして関節を攻めるのが良さそうだ。鎧は分厚いが動きを見る限り間接部は柔軟な素材が使われている、それならそこが攻めるべきと……ん?
「なんだぁ?」
バケツ頭が粉々にした窓から黒いものがゆっくりと入ってくる。それはぷっくりと柔らかそうな翼を必死で動かしで空を飛び、バケツ頭の肩に着地した。真っ黒で柔らかそうな丸い体に黄色いくちばし、とぼけたようにひらいた目。それはどっからどうみてもぬいぐるみ……それもカラスを模したぬいぐるみだった。自力で空を飛べるぬいぐるみがあれば、の話だが。
「ちぃーッス、どうもーッス。あ、終わったッスかね?」
パカパカとくちばしを開閉しながら気の抜けた声を出すカラスのぬいぐるみに、大体を理解し思わず頭に手をやりタメ息をつく。そういうことかい。
「…………、…ュ……ァ…………ぅ…………」
「グレイブ~、なんべん言ったら覚えるッスか?」
カラスのぬいぐるみがバケツ頭を羽根とぽふぽふと叩くと、ハッとしたように両手を兜に持っていき留め金を外す。空気の漏れる音と一緒に蒸気が噴出され、その圧で金色の毛がはらりと隙間から顔を出した。そのまま指をかけて兜を外すとそこには
「うわ、かわいい……」
恐らくまだ10代だろうか? 幼さの残る顔はキレイに整っているが、少しだけ潰れたような鼻の形がファニーな魅力を添えている。それにより「すっごい美人」という一歩前に路線変更して「めっちゃかわいい」という印象の顔立ちだ。金髪に脱色した髪をツインテールにまとめているのも、幼さとかわいさを強烈にブーストしている。それに何より肌がキレイで顔が小さい!金属鎧をまとった巨躯や、バケツのようなデカイ兜からは想像もつかない、まるで頭だけフォトショで25%縮小でもかけました?というサイズ感だ。
「あ、あのっ、すいません。大丈夫でしたか?」
その可愛い可愛いお顔から鈴のような声が発せられる。あ、これ完敗だわ。人間の身体としての格が2~3段は余裕で突き放されてる。私もしぶしぶヘルメットを外し、これ以上の敵意は無いことを示す。見るがいい32歳の、皺は無いが張りもない顔を。
「いや、ごめんねなんか……そっちは大丈夫?平気?」
「いえそんな先輩が居るって知らなくて、えっと、私は平気でげばっばっはばっぱっぶぺっ」
話してる途中で喉から血を噴き出してバケツ頭(だった子)は膝を崩し四つん這いなる。ワイヤーでつけた裂傷が気管に達していて、再生途中で喋ったもんだから傷が開いたのか、首元から血を盛大に流している。思わず私も床に手をつき傷を覗き込もうと身を屈める。
「ちょ、ちょっとだいじょうぶぶぶべぺおろろろ」
口からどす黒い血の塊を噴出してしまった。しゃがんだ拍子にお腹が圧迫され、なんとか飲み込んだ内臓からの出血が全部逆流してしまったらしい。てへペロならぬゲロピヨだ、そのまま飲みすぎた時の嘔吐にしか見えない姿で床へ血を吐き続ける。
「だいじょうげへはっぶはっべっ」
「大丈夫、落ち着いうべろろろろ」
二人して這いつくばってどばどばと血を流出させながら目を合わせる。
「全然ダメじゃないッスかばぼびぶぶ」
「どう見てもやばいのはそっちぶふうおろろ」
「ふふっぶびゅうふぼぽうふふふふふぶぶばあ」
「うひっごぺあうひひびぶうろろうひひひひびゃぷえおろぼ」
血溜まりの中、顔を合わせて笑いあう。一度堰を切ってしまえば笑いは収まらず、びゅーびゅーと血を出しながら顔を見合わせて笑い転げる。
遠くからサイレンの音が聞こえる。まぁこれだけ大暴れすれば誰かが通報するだろう、もしかしたらガス爆発かなんかだと思って消防車でも呼んだのかもしれない。日本の市民はまだまだまともで善良だ。私は床に転がったバケツのような兜を拾うと目の前のカワイコちゃんに被せる。
「とりあえず行こう、話は治ってからだ」
自分もヘルメットを被りなおし、粉々になった窓枠から外を覗く。数人の野次馬が下からスマホを構えているのが見えた、やれやれ面倒臭い。
「《死の手》」
伸ばした《死の手》でベッドを掴む。
「これ、に続けて跳ぶぞ……よっ、と!」
バケツ頭がうなづくのを確かめてからベッドを外に投げ捨てる。その落下を野次馬の
ダンゴムシのように体を丸めたバケツ頭を見て、ああ確かにアパートへ突っ込んできたときもそんな格好だったなと思い出す。それが彼女の飛行形態というか移動形態というか。そのでっかいパチンコ玉は屋上のフェンスをへし曲げながら着地する。彼女を追うかたちで屋上に着いた私は、そこから目を凝らせば見える人気のなさそう公園を指差す。
「あそこの公園、わかる?」
バケツ頭はうんうんと頷いた。
「変身を解いてあそこへ、静かにな」」
体を丸めて、謎の力で弾き出されスッ飛んでいくバケツ頭を見てついつい「迷惑なメトロイド」という言葉が脳裏をよぎる。頭を振って私も次の足場へと跳ぶ。治癒が終わるまではもう少しかかりそうだ、ゆっくり向かえばいい。
人目を避けて公園に着くころには深夜4時を過ぎていた……いや早朝4時と言ったほうが正しいのか、へたすりゃそろそろ空が白々と明るくなりはじめる頃合。脇腹を軽く叩いて傷の治りを確かめる、うん破壊された内臓の修復も済んでいるようだ。変身を解いてぐるりと園内を見渡す。街灯すらない明け方の公園はブランコに座ってきいきいと錆びた金属の音を出している少女以外、ひとっこ一人いない。というかこんな時間にブランコを漕いでいる女という絵面は普通に怖い。待ち合わせをしていなければ回れ右をして逃げ出しているところだ。
こちらに気付いたブランコの少女は慌てた様子で立ち上がり一礼をしてみせる。ちっさ、え?嘘、あれだと身長150cmあるかないかだぞ? 明らかに2mを優に超える巨体をしていたバケツ頭を思い描いていたので驚きを隠せない。いやまぁ確かに顔はちっちゃかったけど……変身によって身体が変化するのは珍しくないが、ここまで極端にサイズが変わるのを見るのは初めてで流石に面食らう。
「ちっさ!」
というか勝手に声が出た。年取るとこういう部分の抑制効かなくなるのが困りものだ。少女は照れ笑いを浮かべる。
「すいません、なんか全然違って」
「あ、いや、ごめんごめん。思わず」
しかしこうして改めて見ると超かわいい子だ。同じ人類なのだろうか、たぶん私とナマコのほうが生物学的に近いと思う。マジでバトルスーツの中からサムス・アランが出てきた気分。
「あの、改めまして、
恵笑は丁寧に頭を下げたあろ、傍らに浮いているカラスのぬいぐるみを手でさす。
「クロクロッス、チョリーッスよろしくーッス」
「ちょっとクロクロちゃんとして」
あまりにも緊張感の無いクロクロの言葉に慌ててくちばしをぎゅうと握って黙らせた。
「ケアスカル、
私が手を伸ばすと恵笑は一瞬だけ怯えた顔を見せ、それを打ち消すようににっこりと笑うと手を重ね握る。少し小首をかしげるようにして見せる笑顔がこれまた大変にかわいらしい。
「よろしくお願いします、佐伯さん」
「光代子でいーよ、ええと恵笑、ちゃん、でいい?」
「あっ、はい、もちろん。さえ、光代子さん、の方が大先輩みたいですし……あっ、てクロクロが言ってて」
ふぅむ、と鼻を鳴らす。「大」先輩ねぇ、確かにそれは間違いないだろう。
「てか恵笑ちゃんて、いくつ?」
「十七です。でもピュリケアには先月なったばっかりで……」
わーお未成年。随分幼い顔してるから若いとは思ってたが、そうかーじゅうなな……。
「光代子さんはおいくつで……」
聞いてもいいのだろうか?という表情と、でもこの流れで聞かないのも……という戸惑いがまぜこぜになっている顔。17歳ってもっと失礼でも許されると思うんだけどなー、きっとこの子は賢く良い子で、そしてちょっと怖がりなのだろう。こういう子に「いくつに見える?」と聞き返すのは絶対に避けなければならない、そんなことをしたら萎縮してしまうだけだ。
「30、30」
ナチュラルにサバを読んでしまった。
「全然見えないです!」
お決まりのお世辞にははっと小さく笑って返す。
「そうかー先月からかー」
「まだ右も左もわからなくて……光代子さんはどのくらいの」
「長いよー、私も17からだったから、ひのふの……うわ15年!?自分でビックリしたわ」
やべぇサバ読んでたの忘れてた。
「え、すごい!でも良かったー。クロクロからは先輩がいるとは聞いてたんですけど、ほらテレビとかでよく見る朝の子みたいなのだとばっかり」
「朝の」
「あ、いえ、なんて言ったらいいのかわからなくて。なんか「朝だなー」って感じがしてたんで……変でした?」
今度は愛想笑いじゃない本当の笑い声が漏れる。
「ひひっ、朝ねーなるほど言いたいことはわかるわ。したらさしずめ私らは「夜の」ってとこか」
恵笑が吹き出す。
「よ、夜のって、ぷふっ、な、なんかちょっといかがわしい感がく、くくくっ」
笑う恵笑のポケットから電子音が鳴り響いた。
「あ、ヤバっ」
取り出したスマホの画面を見て顔色が変わる。
「なんかトラブル?」
「いえただの目覚ましなんですけど、彼氏が朝早い人で起きる前にお弁当作りに戻らないと」
なるほど17で同棲中か、そりゃ大変そうだ。
「行きな行きな」
「光代子さん、LINEとかって」
「ああ、そうね」
私もポケットからスマホを取り出してIDを表示して見せる。
「スカジャン、かわいいですね」
連絡先を登録しながら私の方をちらりと見る。
「ふふっ、ありがと……」
「あ、ちょっと、私の方は見ないでください。寝巻きのまま着ちゃったんで……」
かなりヨレが来てるジャージの胸に「水島」という刺繍と「中」の文字がある。ああ中学で使ってたジャージ、わかるわかる。ていうか本体が可愛すぎて着てるものにまで注意が行かなかったよ。
「行くッスよー」
連絡先の登録が終わったのを見届けたクロクロが3回りほど大きく膨らむ。
「ちょっと待って……その光代子さん、変なこと頼んでいいですか?」
「なぁに?」
「その、顔を一発ブン殴って欲しいんですけど」
「……は?」
思わず口をあんぐりと開けてしまう。え?この子、ヤバイ子?
「違うんです!殴って欲しいっていうか、無理ならそこらへんの壁に顔ぶつけるだけなんですけど自分でやると上手くいかなくて」
どこがどう違うのかがよくわからなかったが、少なくとも本当に殴って欲しいことはわかった。
「待て待て、理由をくれ、理由を」
「あっえっと、実はえーとー転んじゃって?顔に痣ができてたんですけど、変身したら治っちゃって。急に痣が消えるのもちょっと変じゃないですか?」
「あぁそういう……」
合点がいった、事情があって変身後に傷を消したくないヤツは結構見たことがあった。それと、わざわざ「殴る」必要がある理由もなんとなく察する。「やっぱいきなり殴ってくれとか言われたら引きますよね?」という目で不安げに見ている恵笑を少し不憫に思う。
「そういうことなら、いいよ」
「マジですか!じゃあすいません、ここにお願いします」
快諾されるとは思っていなかったのであろう、ぱっと顔を綻ばせて右頬を突き出し頬骨の下辺りを指差す。安堵と喜びの表情は、これから殴られる相手の顔が浮かべてていいもんじゃないとは思うが。
「痣ができるくらね?」
「はい、すいません」
「いくよー」
長いピュリケア生活のせいで他人を殴ることに対しての抵抗も薄い自分をどうかと思いながら、恵笑の顔面へフックぎみに右のコブシを叩きつける。ダメージを与えるために振り抜くのではなく、骨に沿ってスライドさせるように拳を振るう。こうすれば顔の表面に痣をつけつつ、内部にまで影響は出にくい。それに一番怖いのは自分の手が破壊されることだ、それを避ける意味も大きい。
「大丈夫?」
そんな他人を殴り慣れてる自分に、自分で引きながらパンチの勢いで顔を右に向けた恵笑に尋ねる。
「はいっ大丈夫です……これならしっかり痣になりそうですね!ありがとうございます!」
スマホの自撮りモードで殴られた部分の赤みを確かめてから、にっかりと笑ってそう答えた。殴られてすぐに痣になるかどうかわかるって、やっぱりコイツ相当「殴られ慣れてる」。まぁそんなことは私と関係ない、それでいいのだからそれでいいのだろう踏み込むつもりも無い。
「そう、それなら良かった」
「ありがとうございました。じゃあお先、失礼します!」
そう言って頭を下げた恵笑の頭部をクロクロの柔らかそうな脚が掴み、羽根が大きくはためくとふわりと宙に浮いた。
「じゃあねー、気をつけて」
「はいー、またよろしくですー」
頼りなげに浮いて飛び去っていく姿を見送る。
「あれいいなぁ」
「なんだ?乗るか?」
いつに間にか肩に乗っていたゼラが眼球をこちらに向けながらそう言う。
「ケツが溶けるわ」
目玉にデコピンしながら公園の出口に向かう、ゼラがそこにバイクを持ってきてくれているハズだ。
【おい、会ったぞ。急がせたのはこれか】
ピカユーのアカウントにメッセージを送る、既読はつかない。こっちに働かせて寝てるたぁいいご身分だ、後でどんな文句をつけてやろうか悩みながら白くなりはじめた東の空を見て伸びをする。
「んん~、お腹すいたなぁ」
少し視線を落とすとこんな時間にもオレンジ色の灯りを光らせている看板が目に入った。
「牛丼食べてかーえっろ、っと」
「太るぞ」
やかましい目玉を掴んで放り投げる。バイクを置いたままだらだらとした足取りで牛丼屋に向かいながら、昔のことを思い出していた。恵笑より若い16歳の頃。初めてピュリケアになった日のことを。
続きます。