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ラノベ勇者のハーレムパーティで男がこの先生きのこるには 作者:千路
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下剤の飲みすぎで勝手に倒れたヒロインを陰謀から守るために炎の魔女裁判で愚か者を焼いておわびに連れて行った隠れ家的ハーレムがあの女の故郷だったので死神に立ち向かう勇者と天使のお話(その1)

 旧ヴァンパイア領に完全に居座る気になったアンティーナとは別れて、代わりに小天使的サタンサーバントのルシルを仲間に加えた勇者パーティ。

 次なる目的地は、春風の塔。

 のはずなのだが、とある理由でこの城下町からいつまでも動けずにいた。

 エーリィが今回に限ってはいつまでたっても傷心状態から復帰してこないのだ。

 宿の食堂にも姿を見せないエーリィを部屋で介抱し続けていたレンナも、ついにはしばらく放っておこうと決めたらしい。もしかしたら、人殺シスターからのあの忠告があったことも大きいのかもしれない。

 いわく、あの死神プリーストにはもっと説教をしてやれと。

 エーリィが優しい言葉だけでは立ち直れなくなっている今こそがその時だったとしても、絶望に沈む彼女に苦味のある言葉を送るのはレンナの性分としては耐えかねたのだろう。エーリィの前から逃げ出してきた自分自身へのふがいなさを恨めしく思うと共にそれも仕方ないと諦めるような顔が、握るジョッキの内側に白い影となって映り込んでいる。

 そんなレンナの席の隣には、当然のように爆聴ツインテールウィッチのメイシェルが座っていた。

 メイシェルと弱毒性プリンセスのアンティーナは共にこのパーティに加わっただけあって、二人は特別に仲が良かったのだが、アンティーナがいないときにメイシェルが誰と話しているかといえば、大抵はレンナであったりする。

 そして他には珍しく、俺と勇者しか食堂でテーブルを囲むパーティのメンバーはいない。

「にしてもほんと、エーリィってお前ら二人にだけはなびかねーよな」

 小指だけで退屈そうにとんとんとテーブルを叩いているメイシェルが、珍しく俺を褒め称えてくる。

「それはもちろん、日頃の行いのたまものでござるよ」

「ま、そりゃ間違いないんじゃないの、最悪な意味で」

 メイシェルは黒の魔術師の正体が俺だと知ってしまったのだが、もちろんそれを踏まえずに言ってくれたセリフだろう。意識して隠してくれているのか、それとも単に忘れてるだけなのかまではわからないが。

「オレもさすがに一日に三回も風呂をのぞいてから普通の男としては見られなくなった自覚はあるな。そう、つまりエーリィにとってオレは特別な男……」

 温泉保養地でのエーリィとの思い出をかみしめる勇者だが、それでちょっと普通じゃない人間ていどで扱ってもらえてる時点で、エーリィの異常な受け入れ態勢がうかがえるというものだ。

 まあ、有名な薬湯とはいえ朝から晩まで三回も食後に温泉というパターンを繰り返していたエーリィの行動も普通の人間のものかどうかは疑問だが。

 あのときは俺も勇者に情報提供をして共犯扱いされたおかげで、献身的なパーティのサポート役としてポイントを稼ぎ続けたことで接近しつつあった女たちとの禁忌フラグを根こそぎ伐採することのできたおいしいイベントではあったのだが。

「お前らってさー、エーリィに嫌われることに関してはホント的確だよな、無駄がないってゆーか、隙がないってゆーかさ」

 とのメイシェルからの言葉に、

「キレがある、といったところだろうな」

 自信満々に自画自賛する勇者。

「そうそう、そんな感じ」

「あらたまって褒められると、少しばかり照れるでござるなあ」

 俺がまだ生きているということは、俺の努力がこの世界のルールを超越しているということだ。

 これほどの評価がほかにあるだろうか、いや無い。

「いやいや、褒めてねーから」

「良くも悪くも、エーリィにとってオレが特別な存在であるということだな」

「日夜エーリィ殿の研究を欠かさぬ拙者だからこその成果でござるよ」

「だから、きもいんだってーの、お前らは……」

 メイシェルから褒められるだけじゃなくて、同時に俺のことを嫌ってまでくれるなんて、全てが順調すぎて怖いくらいだ。

 それというのも、先ほどからジョッキで口をふさぐように飲んでいるレンナのおかげだ。

 俺にとってはレンナこそ、エーリィ対策のための一番の情報源なのである。

 そのレンナが、思い出を語る老人のような疲れた声を出す。

「ござるは、昔からエーリィの恋愛話には目がないからなぁ」

 当然である。あの死神プリーストの数々の初見殺しを見切ることこそ、このパーティで男が生存するための最低条件なのだから。

「エーリィ殿の好みは頼りがいのある男性でござるからな、拙者は残念ながらこのとおりのメガネゆえ、いたしかたないのでござる」

「そうなのか? それにしてはマサシとかただのヘタレだったような気もするが」

 勇者の言葉に悪気はほとんどないが、配慮はもっとない。

「故人のことを悪く言うものではござらんよ」

「まーたしかに、言われてみればユキサトも頼れるというよりはお調子者だったな」

 メイシェルもこの情報には懐疑的なようだ。

「それにだ、オレのマウンテンシーフってかなり頼れる男系の職業だし? その情報が真実ならエーリィがオレに好意を寄せているのは確定的なはずなんだが」

「ふうむ……実際のところ、どうなのでござるかレンナ殿?」

 エーリィは頼れる男好き、という情報の出所であるレンナに話を振ってみる。

「あぁそれな、ちょっと説明が難しいんだけどさ、実際に頼りになるかどうかの問題じゃなくて、あくまで気持ちの話なんだよな」

 レンナは人差し指を出して、俺と勇者を交互に指差す。

「仮にだ、仮にメイシェルがお前らの彼女だったとしてだ」

「は? 仮定の話でも寒気がするんですけど」

「まあメイシェルも聞きなよ。で、料理ができるんだけどまったく作ってくれない冷たいメイシェルと、料理が下手なんだけど自分のために甲斐甲斐しく作ってくれるメイシェルと、どっちを彼女にしたいかってことよ」

 ダンッ、と勇者が強くテーブルを叩く。

「オレは料理ができて甲斐甲斐しく作ってくれるメイシェルしか、メイシェルだとは認めない!」

 存在そのものを否定された本物がうざったそうに舌打ちしながらそれを横目に眺めていることなどおかまいなしである。

「まあ、それはなんとなくわかるでござるな。拙者はクールなデキる女のメイシェル殿も嫌いではないでござるが、こう扱いにくくては――」

「勝手に扱ってんじゃねーよ、扱おうと思うな、まずそこからやめろ」

 本物がなにやら面倒な抗議をしてくる。

「――まあ、エーリィ殿のような清楚で献身的で情緒的でちょっと旅足の遅い女性にとっては、デキるほうのメイシェル殿はやりにくい相手なのでござろうなあ、と言いたいのでござるよ」

「どさくさで変な文句混ぜるなって、まあ歩くのは遅いけどさ」

 いつも一緒に行動しているレンナとしては、自分についてこれない足の遅さが気になってはいたらしい。

「ま、ともかくだ」

 仕切りなおすレンナ。

「その料理できないメイシェルが指を切ったり火傷をしながらも必死に頑張ってる姿ってのが、ヘタレのマサシやお調子者のユキサトでいうところの……」

 話の途中で急に立ち上がり、イスに片足を乗せて腕組みをして叫ぶ勇者。

「オレは絶対に死なない、必ず君を守ってみせる!」

「というような、実行できもしない無責任な言動なのでござるな」

「そうそう。エーリィはそういう姿勢に弱くて、“この人は自分が頼ってあげなきゃ”って思うみたいだね」

 心底からの深いため息をつくメイシェル。

「バカだな……ほんと」

「誰にも頼ってもらえない情けない男に、つい手を差し伸べてしまうわけでござるか」

「そんなとこかな。ござるとかがエーリィに嫌われるのは妙なところで器用すぎて他人を必要としないところがさみしいからなんじゃないか? あたしにはよくわかんないけどさ」

 つまり、エーリィは男たちに助けてもらっていると見せかけておいて、実は男どもに貸しを作っていたということになる。

「拙者はてっきり、エーリィ殿は相手の見た目で選んでるものとばかり」

「格好をつけて見栄を張ろう、っていう男どもの気持ちにあてられて付き合ってやってただけ、ってーわけね」

 そうして男たちの手綱を握っているのがあの死神にとって居心地のよい立ち位置だというのなら、全ては彼女の持つ魔性のなせるわざとして説明はつくのだが、だとするとエーリィの命を救って逆に恩を着せまくっている黒の魔術師というのは彼女にとっては厄介な存在になってくるはず。

 それなのに、黒の魔術師に対しても他の男たちと同じような、恋する乙女のごとき魔性のまなざしで見つめてくるのはどこかおかしいような気もするのだが。エーリィが黒の魔術師の正体は俺だと知っていて、他の男どもと同じように手玉に取ろうとしていたとすれば、それはそれで辻褄は合うが――いやいや、それはない。

「なるほどな、実際に頼れてしまうマウンテン系の男の隣には自分は必要ないと、エーリィはそう思い込んでしまっているわけだな」

 冬の枯れ枝ほどの耐久性も持たないであろうその腕を組んだ勇者が、誰にともなくうんうんと頷いている。

「まぁ、うん、そういうことにしとこうかな」

 レンナは無責任にも再びジョッキに顔をうずめる。

「そ、そういうことなら仕方ないな!」

 勇者はなぜか、へんに照れながら興奮気味にイスを蹴立てる。

「エーリィがピンチの今こそ、本当に頼れてしまう男が必要ってことだ……べ、べつにオレじゃなくてもいいんだけどな」

 もう、その結論でいいか、面倒だし。

 翌日には、一晩で三回も寝室に侵入されたとエーリィが訴えるかもしれないが、それでエーリィの気分が逆にまぎらわされ、パーティがこの街を離れて“焼き鳥の呪い”の幾分かが解消されるならよしとしよう。

 そもそも、本当に嫌なら一度のぞかれたり進入された時点で決定的な予防策を取ればいいのに、三回やられるまでなにも対策をしない時点で、狙っているか、三回までは許す系のスキルが働いているとしか思えない。

「今日はまかせる、さすがにもうあたしは疲れたよ」

「ああ、エーリィの部屋にはオレが行ってくるぜ」

 さじを投げたレンナに代わって、宿の中庭を抜ける渡り廊下へと駆けていって姿を消す勇者。

 が、やまびこと大差ない速度で帰ってくる。

「大変だ!」

 なんだろうか、まさか仏の顔の死神プリーストが最初から部屋の鍵をかけていたとでもいうのだろうか。

「エーリィが病気だ!」

「知ってるよ、そんなこと」

 平然と言ってジョッキを傾けるレンナ。

「顔が青くて苦しそうだぞ、しかも汗でぐしょぐしょなのに寒そうに震えてる」

 あの一瞬でしっかり触りまくってきたらしい勇者の手がなめくじのようにぬめっている。

「おいおい、ちょっと診てくるわ」

 ウィッチドクターのメイシェルも席を立つ。

 そのツインテの後姿に、不思議そうにこちらを振り向くレンナ。

「なんでござるか、レンナ殿?」

「いや、あれって……もしかして普通の病気なのか?」

「何だと思っていたのでござるか?」

「いや、別に――」

 都合の悪いときに顔を背ける子供そのままにレンナが傾ける、そのジョッキの中身はミルクである。


 レンナと廊下を歩いていくと、ばたばたと部屋の中からあわただしさが伝わってきた。

「おい勇者、着替え出すのはもういいから、なんか空桶もって来い」

「お、おうよ、空桶だな!」

 頼れるマウンテンシーフの勇者が部屋から出てきて、廊下をパシり抜ける。

「おい、もしかしてやばいのか?」

 レンナが青くなって部屋に駆け込む。

 それに続いて俺も部屋に入ろうとすると、

「あーござるは待て、お前は入んなくていいから!」

 部屋の中から俺を制止するメイシェルの声がきこえる。

「なにかできることはないでござるか?」

「ああ、大丈夫だから、そこにいろ……おいレンナ、慌てるなって」

 まずは水より先に空桶、か。

 おそらく食中毒が原因だろう、油断しているとよくあることだ。

 勇者と俺を遠ざけたのも、感染の可能性を恐れてではなく、エーリィの精神面を気づかってのことか。

 だったら俺にできることはなさそうだ。

「なんですか? 騒がしいですねぇ」

「なにかあったの?」

 隣の部屋にいた、怠食の蟲使いロンディちゃんと、後ろから目線ドルイドのアズカが顔を出す。

「エーリィ殿が病気でござる、今メイシェル殿がみてるでござるよ」

「やだ、うつる系?」

 自分への感染を恐れてか、一歩下がるアズカ。

「違うとは思うのでござるが、まだなんとも」

「病は気からといいますし、わちしの気蟲でテンションを上げておきましょうか?」

「いやいや、大丈夫でござるから」

 病気でハイテンションとか後が心配だ。

 ここはメイシェルに任せておいたほうがいいだろう。

「ごめんなエーリィ、あたしのせいで……死ぬなエーリィ!」

 部屋の中では生存フラグを建築するレンナの叫び声。

「だーもうっ、このくらいで死ぬわけないじゃん! もういいから邪魔すんな! レンナは病人食の準備でもしてて」

「わ、わかった!」

 メイシェルに部屋を追い出されたレンナがそのまま走って向かった先は食堂。

 あそこのメニューは屈強な冒険者たちに向けた野性的なスタイルで売っていて病人食とはほど遠いものばかりだし、俺も行っておいたほうが良さそうだ。


 声をたどって追いかけると、食堂の厨房にレンナはいた。

「病人だあ? そんなひよっちい奴に出せるものなんて扱っちゃいないぜ」

「じゃあ余り物の材料もらうぜ、野菜と穀物くらいはあるんだろ?」

「あぁ、あんたらがそう言うんなら、好きにやっていいが……」

 厨房の大将に許可を取るやいなや、その狭いスペースで暴れだすレンナ。

 なんだこいつは。

 鍋や道具を並べる音が楽器のようなリズムで響き、かと思えば少し目を放した隙に、まな板の上では食材がすでに軍隊式に整列している。

 冒険の中で身につけた産物である俺の料理の腕前とは明らかに違う。

 レンナの持った包丁が残像を描き、目測も付けずに放られた角切り野菜は運命の女神に見守られているかのごとく自然と鍋に収まる。

 定められた道具を身体の一部かのように使って的確に具材を捌いていき、同時に足でかまどにまきを蹴り入れたと思ったら、つま先でそのまきを踏んで火の粉を飛ばしながら火力調節までしている。

「おぉ、こっちの嬢ちゃんはやるじゃねえか」

 その手際の良さには、厨房の大将もいかつい風貌にそぐわぬ感嘆の声を漏らす。

「こっちの……とは、どういうことでござるか?」

 俺も厨房の中に踏み込んで、大将の横に並ぶ。

「ああ、あんたも姫さまんとこの冒険者か。ツインテールの嬢ちゃんも武者修行だとかいってここ何日か厨房の端っこでなんか遊んでたんだけどよ、あっちは散々だったぜ」

 俺たちのパーティは領主であるアンティーナ直属の冒険者として特権を持って活動できることになったので、この宿でも好き勝手に振舞わせてもらっているのだが。

 まさか、ここ数日の暇なあいだにメイシェルがそんなことをしていたとは。

 そういえば、さっき飲んでいたときもメイシェルは利き手でないほうの指先をずっと隠していたような気がするが、レンナの言っていた料理のできないメイシェルというのは、もしかしてここ数日の彼女の実像だったのだろうか。

 だとすれば、料理ができるけど作ってくれないメイシェルというのは。

「フタっ、おっちゃんナベのフタどこ!?」

「後ろの棚だよ」

 これならば放っておいても大丈夫だろう。

 しかし、こんなにレンナが料理上手だったとは意外だった。

 雨雲の密林では一切料理をしなかったのは、なぜなのだろうか。

 考えながら中庭の渡り廊下を歩いていると、苦悶のうめき声がきこえてくる。

「くそっ、空桶はどこだ……オレは、まだこんなところで倒れるわけには……」

 冒険者にとっては完全なセーフゾーンであるはずの宿屋の廊下にもかかわらず足を引きずって、自分の限界と戦っているらしき勇者がいた。

「どうしたでござる? 勇者殿?」

「くっ、どうやら柱とすれ違うときに足にサンダーの魔法を受けたらしい……気をつけろ、周囲に悪魔が潜んでいるかもしれない」

 どうやら勇者はあの木製の柱、慇懃無礼に角ばって足元をすくうように曲がったその造形物にサンダルの小指をぶつけたらしかった。


 先ほどの厨房の大将に空桶を借り、悪魔の柱をすり抜けてエーリィグループの部屋に戻る。

 エーリィのいるベッドの上を見ないようにしながら部屋に入ると、足の小指をおさえた患者が床の上に転がっていたが、メイシェルがそちらを意に介した気配はなかった。

「メイシェル殿、空桶はここに置いておくでござるよ」

「ああ、あんがとな」

「ほら、勇者殿も隣の部屋で待つでござるよ」

 転がっていた勇者を引きずって部屋を出ようとしたところで、ノックもせずに部屋へ入り込んできた男に出口をふさがれる。

「失礼いたします、こちらに病人がいらっしゃると聞いたのですが」

 上品な顔かたちと口調でありながら、まるでゾンビから剥ぎ取ってでもきたようなぼろぼろ、いや荒々しい革ジャケットを着こなして、レイピアを挿した若い男。

「薬ならいらないでござるよ、今から患者が着替えるので部屋の外に出ていてほしいでござる」

「いえいえ、お代はいりません。ただ、こちらのパーティには医者の卵がおりまして、これも人助けと思いましてね」

 その装備とは縁遠い優雅な身のこなしでゾンビジャケットの男が横にどき、その後ろにいた少年がおどおどした表情でこちらの様子をうかがってくる。

 三角の編み笠の下に立派なサムライの具足だけをはいて草刈りがまをさげるという奇妙ないでたちの、だがまだ幼さの残る美少年。

 編み笠と具足を取り上げてしまえば、まるっきりスラムの貧乏孤児である。

 互いに親和性のかけらもない風貌の二人で、さっきそこで出会ったばかりといった印象を受ける。

 見たところ、どちらも治療器具や薬剤も持ち合わせてはいないようだし、本当にただの卵でしかなければ、高名なウィッチドクターのいるこのパーティにとっては人助けどころか邪魔なだけなのだが。

「それだったら丁度いいでござる、うちの勇者殿が足の小指に致命傷を受けて立ち上がれなくなっているので、そっちを診てあげてほしいでござる」

 その勇者はといえば、自分の体のほかにつかまる場所を見失った芋虫のような姿勢で丸まって、まだ床に転がっている。

 そんな勇者を一瞥して、吐き捨てるゾンビジャケットの男。

「彼が、このパーティのリーダーだという、あの?」

「そうでござるよ」

「なるほど――まあ、彼は己との戦いの最中のようですし、信じて待つしかないでしょう」

 このゾンビジャケットの男、いちいち口調が貴族ったらしいのだが、これは狙ってやっているのだろうか。

「それで、彼女の症状に見当はついているのですか?」

 ゾンビジャケットはずかずかとエーリィのベッドに近寄りながらたずねてくる。

 爆聴ツインテールウィッチのメイシェルはゾンビジャケットの男を振り返り、不機嫌な表情に溜まったうっぷんをそのままぶつけるかと思いきや。

「いや、わかんね」

 メイシェルが珍しく相手から目をそらしながら、俺の持ってきた空桶を手に持ってどかす。

 おや、てっきり食中毒だと断定して吐かせるために用意した桶だと思っていたのだが、なにか別の症状でも現れたのだろうか。

「これは、もしかしたら、このあたりで多い伝染病かもしれませんね」

 エーリィの額に手を当てて、考え込むゾンビジャケットの男。

 医者の卵だというらしいのは編み笠少年のほうかと思ったのだが、彼はなぜか後ろでじっとしたままだ。

「この女、酒飲んだばっかりだから、しばらく薬はなにも飲ませないでおいてくれ。アタシはちょっと用事ができたから部屋に戻るわ。ござる、この空桶もとの場所に戻しといてくれ」

 空桶を持ったまま先に立ち上がるメイシェル。

 はて、エーリィは酒など飲んでいなかったような気もするが、まあここはメイシェルに話を合わせておけばいいだろう。

「勇者殿、ここは任せたでござるよ」

「うぐおぉ、オレの傷も治療してく……ぐっふ!」

 助けを求める芋虫を踏みつけて部屋を出るメイシェル。

 このウィッチドクターは小柄で体重も軽いのでダメージは少ないだろう。

 それより、これはなにやらおかしなことが起きているようだ。


 廊下を並んで歩き、悪魔の柱をすり抜けたところでそれとなくメイシェルに小声でたずねてみる。

「それで、あの男たちに任せておいてエーリィ殿に危険はないのでござるか?」

「聴こえなくなるほど遠くには離れないって、それよりござる、ちょっとアタシらの部屋に来い」

「は? なんでござるかいきなり」

「大事な話があるって言ってんだよ」

 エーリィを男たちと一緒に部屋に置いておくことには一抹の不安があったが、そこは最低限、残った勇者を信じることにして隣の部屋に入っていったメイシェルに続いた。


「毒だなありゃ」

「は? 毒……でござるか?」

「デビルワッフルだよ」

「ああ、ワッフルでござるか」

 それなら俺だって知っている、わりとどこにでも生えているというか、生えてしまう微毒の茶色いキノコだ。

「あれさ、煮汁を濃縮して安価な触媒と混ぜるだけで、どんなバカでも簡単に無味無臭で透明な毒が作れるんだよ。しかも丸一日は効果の現れないっていう遅効性だから暗殺に向いてる。今更、吐かせたって意味ないってわけ」

「ちょっと、何の話してるのよ!」

「何事ですかそれは、事件ですよね! 間違いなく」

 部屋のすみの席に座ってメイシェルと二人で話していると、先に部屋に戻っていたアズカとロンディちゃんが容赦なく盗み聞きして会話に割り込んでくる。

「騒ぐなって、隣の部屋にきこえるだろ。お前らはこの話、きかなかったことにしとけよ」

「それではなおさら、エーリィ殿をほうっておいてよいのでござるか?」

「ああ、あれは殺そうとして飲まされたものじゃない。うまく分量を加減しない限りはこんな中途半端な症状じゃきかないだろうからな」

 毒として使ったにしては症状が軽すぎる、ということか。

 デビルワッフルなら、子供が興味本位で食べてしまってお腹を下すという話をよく聞いたものだが。

「ライスちゃんでもないでこざるからな、まさかエーリィ殿が毒きのこを拾ってかじったりなどせんでござろうし」

「してないってさ、確認済みだよ。それ以前にエーリィは昨日、一切部屋から出てなくて、食べたのはレンナからの差し入れのリンゴだけだったっていうし」

「では、そのリンゴが毒リンゴだったというわけですね!?」

 興奮気味に口をはさんでくるロンディちゃんの見開いた目が、手にした水晶玉の表面にのっぺりと映っている。

「ああ、でもエーリィだけを狙う方法がないんだよ。飲み水も、部屋で一緒にいたレンナが巻き込まれてないことを考えると違うだろうから」

「エーリィ殿以外を狙ったものとは? ただ別の事件に巻き込まれてしまっただけという可能性はないのでござろうか」

 俺の意見にはアズカが眉をひそめる。

「そんなの現実的じゃないでしょ、そうそう事件に巻き込まれるなんてどこの名探……いや、いいけど」

 否定的な意見ももっともだ。

「アズカの言うとおりかな。虫除けとして使ったものがリンゴに残ってたって可能性のほうが現実的だ、って言い逃れされちゃうだろうしな」

「虫除け、でござるか?」

「まーね、この毒は数日ほど空気にさらしておけば毒性は完全に消えて、虫や鳥への忌避(きひ)効果だけが残るから。だから農業用の薬としても使われてる、むしろそっちが主な使い道ってぐらい」

「ではでは、そのリンゴに薬として使われたものが残っていたと?」

 ますます確信に迫ろうかというロンディちゃんの案を、しかしメイシェルは否定する。

「いーや違う、だからリンゴを選んで毒を塗るんでしょ。そんな頻繁に残留するようなら薬として使えない」

「なるほど、もし毒の存在が誰かにばれても、虫除け薬の残留だったろうと言い訳ができる、でござるか」

「逃げ道を残しておくなんて陰湿な奴ね、犯人は誰なのかしら」

 呪術を得意とする後ろから目線ドルイドのアズカに陰湿さを批難されるというのもひどい話だが、犯人の計画力の高さについては確かに警戒しておくべきだ。

「まあ、毒に対しての知識がある奴のしわざなのは間違いないんじゃないか」

「つまり、犯人はメイシェルさん本人というわけですか」

 どこまで冗談だかわかりにくい調子で合いの手を入れるロンディちゃん。

「言っとけ。で、あいつらについてなんだけど」

「まあ、考えるまでもなく、あの二人が犯人候補でござるな」

「あいつら互いに距離を取ってたし、言葉もろくに交わしてなかったな」

「でござるな」

 ということは、急ごしらえのパーティなのだろう。

「今回のことで共謀しているだけで、狙いはそれぞれ別にあるのかもしれないでござる」

 俺とメイシェルとのやりとりに置いていかれたとみて、話に割り込んでくるアズカ。

「誰の話してるのよ?」

「今エーリィ殿の部屋にきてる別パーティの二人組みでござるよ」

「なにそれ、ちょっと見てくるわ」

「あちしも行きます」

 好奇心に鞭打たれる奴隷となった二人はすぐさま部屋を出ていく。

「エーリィ個人を狙ったんじゃなくて、うちのパーティメンバーなら誰だってよかったって可能性もあるな」

「レンナ殿の取ったリンゴに毒が塗ってあったということでござるか、ほかに手段が見当たらない以上は、そう考えるべきでござろうな……」

「だとすると狙いは、やっぱこれ……かな」

 メイシェルが首からさげていた紐を引っ張って襟元から取り出したのは、先の吸血鬼王令ヴァンパイアオーディナンス事件の功績としてつい先日にアンティーナから授与された、王家直轄の冒険者パーティであることを示した紋章だ。

 この紋章そのものがあらゆる場所での通行証として認められているとともに、王家からの依頼をこなすうえでかかった費用の全ての請求書にはこの紋章を印としておしておくと、その代金は王家持ち――この場合は描かれた旗が示すところである領主のアンティーナから支払われることになる。

 もともとはアンティーナの父王がおさめるこの国の首都の紋章院(もんしょういん)で発行されている有名な紋章なのだが、アンティーナがそこから国旗を抜いて自分の領旗に描きかえたものを城下町にあった分院(ぶんいん)に作らせ、つい先日に城で大々的な授与式が行われたばかりなのだ。

 式典で紋章を受け取ったのはリーダーの勇者だが、人格的な信頼性の問題や、アンティーナからの預かりものだから仲の良いメイシェルに、という程度のなんとなしの感覚で、今はこうしてメイシェルが首に下げている。

 しかし、全国内で通用する紋章から国旗を抜いて別の旗を掲げさせるなんて、これから国に対して反乱起こしますよって言ってるようなものなのだが、分院長も二つ返事で喜んで引き受けたそうだし、むしろこれを見せたときの民衆の反応ときたら、ヴァンパイアを放置し続けてきた憎き国王の紋章が塗り替えられるこの時を待っていましたといわんばかりだ。

 印を押された請求書の換金は冒険者ギルドなどでも受け付けてはいるが、手間がかかるので個人商店では嫌がられるはずなのだが、今は逆に、記念として請求書を取っておくと言って喜ばれるような状態であり、レンナと共に厨房にいるであろう大将なども、新領主であるアンティーナの手先である我がパーティを歓迎してくれている民衆の一人である。

 今だったら、この紋章さえあればなにをやっても許されるような空気が領内に満ちているのだ。

「あの間違えた没落貴族のような革ジャケットの男の狙いはその紋章に間違いないでござろうな」

 殺して奪った、などとなればもちろん大問題であるが、パーティに加入したうえでリーダーが死亡などにより交代したとなれば、王家や冒険者ギルドもそうそう口を出してくるものではあるまい。

「だろーな、単に同じパーティに入りたいだけなら、さすがに毒までは盛ってこないだろうし」

 相応の長期間をこのパーティで過ごすことも視野に入れたうえで奪いにくる算段だと見ておいたほうがいいだろう。そのための足がかりとしてエーリィが利用されており、そこまで一瞬で思い当たったからこそメイシェルはあそこで身を引いたのだ。

 こうシンプルな狙いであれば対処はたやすいだろう。

 事情が気になるのはもう一人、編み笠と草刈りがまの美少年だ。

「あんな子供でも、持つものを持てば危険でござるな」

「ああ、なーに憧れてあんな狂った格好してるにしたって、あっちのガキの狙いはきっと――」

 そして、俺とメイシェルの視線が交わる先には。

「にゃぁ?」

 これだけ怪しげな話をしていても、特に興味を持つでもなくベッドの上で丸まって寝ていた、お魚くわえた剣豪のネコである。

 先ほどからずっと、ヴァンパイアデストロイヤーなる名称をいただいたマサシの刀を抱いたまま寝ている。抱いて寝るというか、(さや)の上に乗っかって寝ている。猫なりに所有権を主張しているのだろう。

 民衆の前でヴァンパイアキングを斬り裂いたあの刀を伝説の武器として城で祭り上げようという動きはあったものの、最終的には冒険者家業から離れるとなったアンティーナの意思によってリテラガーズに貸し与えられたという逸話が早くも民衆に知れ渡っている。

 まさか、猫の下敷きにされているなどとは民衆も思ってもみないだろうが。

 アンティーナもネコも、実際に振るって初めてこの刀の強さに気づいたらしく、それからネコはすっかりこの刀のとりこになってしまっている。ちなみに四足歩行のネコが戦闘中にだけ刀をくわえて歩くのは、いちいち手の届かない背中の鞘にしまうよりそっちのほうが早いからだが、今では意味もなく鞘ごとくわえて宿の中を歩き回っていたりする。

 抜き身のままくわえて歩くことはするなといちおう言ってはあるのだが、鞘をくわえたまま自慢げにこちらを振り返ってきた純粋無垢なドヤ顔には、俺の忠告を聞き入れようという気配など微塵も感じられなかった。

 犬歯を切り落として泣いたって、俺は知らないからな。

 などと野良ネコを観察していると突然、メイシェルが席を立つ。

「あのバカまさか……」

 ツインテの左片方をぎゅっと握ったその姿勢は、メイシェルがなにか聴くにたえない、よからぬ音を聴きつけたときの反応だ。

 そのまま部屋の出口へ向かったメイシェルを追いかけて、俺も廊下に顔を出すと。

「あめだまもらいまふた」

 エーリィと男たちのいる部屋から戻ってきたロンディちゃんが、口の中でなにかを転がしていた。

 ロンディちゃんの頭の上にぽんぽんと手を乗せるメイシェル。

「ああ、よかったな。いい子だからこっちの部屋に戻るぞ」

 ロンディちゃんとその後ろに続くアズカが部屋に戻ってきて扉を閉めた途端、ロンディちゃんのみぞおちにこぶしを回して締め上げ始めるメイシェル。

「てめぇぇ、話きいてなかったのかぁ」

「んびー」

 口を横一文字に引いて抵抗するロンディちゃん。

「吐き出せっつーの」

「んぃやですぅぅ」

 その隣では、後ろから目線ドルイドのアズカもあきれはてた様子で、包装紙につつまれた飴玉を片手の上に転がしていた。

「毒でも入ってたら証拠になるかと思って、いちおうもらっておいたんだけど……」

 まさか食べるなんて、とは言わずに横目だけで語るドルイド。

「ま、まあそういうことなら拙者があずかるでござるよ、あとでメイシェル殿に分析を依頼するでござるから」

 アズカの手の中で少しだけ温まった飴玉を受け取って、手近なポケットに入れておく。

「はあ、はぁ、くそっ……だったら、毒が入ってないか確かめるのに、後で血をもらうからな」

「いいですよー、蟲に吸わせれば痛くないですし」

「なに? そんな便利なものがあんのかよ」

 食指を動かすメイシェルに対して、背中越しに、にやりと笑う怠食の蟲使い。

「代償は?」

「それについては後でだ」

「はいはいです」

 メイシェルは固めをといて、ロンディちゃんを解放する。

 あちらはあちらで取り引きが成立したようだ。

「とにかく、毒を盛ってくる奴らなんて放っておけないからな。逃げられたら厄介だし、本性あぶり出して息の根を止めてやんねーと」

「ですです、誰とは言いませんが」

 メイシェルのうしろあたまを指差すロンディちゃんに悪びれた様子はまったくない。

 まあ、代償とやらに頻繁に“苦い薬”を入れてくる魔女とそれでも取り引きをし続けようという、この小娘のたくましさもたいしたものだが。

「それで、なにか手はあるのでござるか? 相手が尻尾を出さずに持久戦の構えであれば、ただ待っているのは下作でござろう」

 そのとき、エーリィたちのいる隣の部屋のドアを大音でノックする誰かがいた。

「エーリィ! できたぞー、お前の好物!」

 どうやらレンナが隣の部屋に入っていったようだった。

 その直後に、ガラスと木板を打ち破るような音が隣の部屋から響いてきた。

「にゃ?」

 物音に敏感な、お魚くわえた剣豪のネコが耳をぴんと立てて覚醒する。

「もしかして、窓から逃げられた?」

 だとしても追いかけるつもりはまるでなさそうに首をかしげる、後ろから目線ドルイドのアズカ。

「いやいや、レンナさんが倒れて食器が割れた音でしょう」

 怠食の蟲使いロンディちゃんの説を肯定するにしては、今の音は派手すぎる。

「レンナ殿が男を窓に向かって蹴り出した音では?」

「それね」

 俺の言葉にうなずくアズカ。

「そうですかねえ」

 目線が不満そうに床を這っているロンディちゃん。

「にゃあ?」

 とりあえず自分がここにいることを主張するネコ。

「ほら、さっさと片付けに行くぞー」

 その聴覚で仔細を把握していたらしいメイシェルが、気にした風もなく先に立って部屋を出る。

 そうか、気をもまなくても、あのツインテールの地獄耳を使えば奴らの尻尾をつかむのは簡単なことだった。


 エーリィの部屋に入ると、ベッドから身を起こしたエーリィがロングメイスでレンナの持ち込んだ食器の乗ったおぼんを床板ごと叩き割っており、その隣ではレンナが驚いて尻餅をついている。

「ち、違うってエーリィ! あっちじゃない、人に言えないほうの好物じゃないって、ミルク粥のほうだよ」

「あ、そっち……なの……」

 熱っぽい赤ら顔をしたまま、ロングメイスを取り落としてまたベッドへと倒れこむエーリィ。

 男二人は驚いた顔をして間合いを取っているものの、どちらも部屋の中にいるし、窓が割られているということもない。

「ふっふっふ」

 怪しい笑い声と共に、焼き鳥とはなんの因果関係もない勝利の人差し指がこちらに向けられる。

「あちしのひとりがちですね」

「べ、べつに勝負をした覚えはござらんし……」

 くっ、地味にくやしいぞ。

「そ、そうね、代償がどうとかいう話をした覚えもないし」

 俺と同様、すでにいくつかの代償という名の呪いを受けているらしきドルイドも言いながら、つつと部屋の後ろに下がっていく。

「ロンディはよくわかったにゃー」

「はい、エーリィさんの好物といえば、ことに及んでは聞き捨てならない……」

「ロンちゃんやめてっ!」

「はひっ!」

 エーリィの寝言かと思えるような突然の叱責に飛び上がるロンディちゃん。

 しかしエーリィは身を起こす体力もないらしく、ベッドの上で目を閉じて苦悶をこらえながら、もはや耳だけで事態に反応しているらしい。

「ほら、片付けるっつってんだろー、お前らそこどけっつーの」

 既にほうきと雑巾を持っていて、しっしっ、と人払いをするメイシェル。

「まだあるから持ってくるな、エーリィ」

 レンナは再び厨房へ向かうが、ベッドに倒れて荒い息をするエーリィにはそれに返事をする余裕すらない。

「そんで、なんの病気だかわかったのかー?」

 医者の卵だという編み笠少年に、床を拭き掃除しながら語りかけるメイシェル。

「ごめんなさい、わからないんです……もしかしたら、このままじゃ大変なことになっちゃうかも」

 目を赤らめて今にも泣き出しそうな美少年を前にして、深々とため息をついてメイシェルは立ち上がり、ほうきの柄でとん、と美少年の肩を叩いてからそれを手放すメイシェル。

「ほら、掃除まかせた」

 やや驚いてから、救いの光を見たようにメイシェルを見返す編み笠少年。

「は、はいっ!」

 俺の後ろからは、“使えないやつだ”と叱咤するような、ゾンビジャケットの男の舌打ちがきこえてきた。


 隣の部屋に集まって、テーブルを囲んでレンナが作りすぎたというミルク粥の処分を手伝っていると。

「このミルク粥というもの、いまいち難しい味ですね」

 ゾンビジャケットの男が言葉に気をつかいながらその味を表現する。

「だってなあ、これエーリィが美味いって言って食うんだもん」

 作ったレンナ自身も、そう美味しいものだとは思っていないらしい。

「しかし、こちらのビーフシチューの味といったら絶品ですよ、私の人生で食べた中でも指を折れるほどの味です。これを冒険者をこなす女性が片手間に作ったものとはとても思えません」

「はは、あんがとな。それな、実家の店の人気料理なんだ、レシピは教えられないけど簡単に作れるからいつでも……とは、言わないけど……」

 確かに、こっちのビーフシチューは美味いことは美味い、しかし。

「ふん、まだまだ煮込みが甘いでござるな」

「なんだよござる、当たり前だろ、エーリィの体調が良くなった時に食べてもらうために作ってるんだから、嫌ならもう少し待ってろよ」

 俺だったら、誰も見ていなければ時間加速の魔法ですぐにでもこってりとろとろに仕上げてやるのに。

「これだけ料理が得意なら、ござるの代わりにレンナが作ればいいのに」

 とんでもなく余計なことを後ろから目線ドルイドのアズカが口走る。

「べ、べべつに拙者はそんなことだめとは言ってないでござるよ! や、やるならやってみるでござる!」

「なに慌ててるのよ」

 しかし、レンナはすぐに両手を挙げてそれを拒否する姿勢をとる。

「あたしは毎日食事当番なんて絶対やだかんな、店を継ぐのが嫌で冒険者になったんだから」

「ま、そんなところだろうとは思ってたけど」

 すぐに引き下がって話題を放棄するアズカ。

 このあっさりしているのが後ろから目線ドルイドのアズカの良いところである。

 今まで一緒に旅をしてわかった限りでは、黙っていればわりと美人なうえで黙ってるときがわりと多いところを除けば、この女の良い部分というのは、たぶんこれだけだ。

「彼女は、大丈夫なんでしょうか……」

 編み笠少年はエーリィが心配なのか、スプーンを持つ手を止めたまま不安げに白いミルク粥を見つめている。

「まあ、エーリィ殿の看病はしばらくメイシェル殿に任せるでござる。ああ見えて腕のいいウィッチドクターなので心配ないでござるよ」

 俺の言葉に、編み笠少年が驚いたように顔を上げる。

「メイシェル? あの人がですか?」

「なにあなた、知ってるの? それなりに有名だとは聞いてたけど」

 後ろから目線ドルイドのアズカが珍しく自分から見知らぬ男――編み笠少年に話しかけていく。

「はい、もちろん。代々有名な魔女(ウィッチ)の家系で、深窓の魔女メイリーンに始まり、流浪の医神メイフィー、救国の宮廷薬師メイベルに続いて今代で四人目の天才薬学者ですよね」

 有名な魔女の家系だというのは知ってたが、名前まで暗記されるほどとは、どこぞの教科書にでも載っているのだろうか。

「へー、よく知ってるな。前に居たところで“四代目メイちゃん”って呼ばれてたってのは聞いてたけど」

 メイシェルやアンティーナとよく話すレンナにとっては機知のことだったらしいが。

「メイ四世でござるか」

「なんだか貴族みたいだにゃー」

「やめてくださいです、貴族生活のイメージが台無しになります」

 貴族の生活に憧れてでもいるのだろうか、耳を塞ぐ姿勢をとるロンディちゃん。

 確かにまあ、ちょっと宿で落ち着くと、すぐに雑多な研究機材に囲まれてろくに食事もとらずに足を組んだ状態でテーブルに向かい続けるメイシェルの姿を貴族のそれに当てはめたくはないだろうが。

「いえ、貴族の家系で間違いないです。深窓の魔女メイリーンが初めてウィッチクラフトに手を出したのは、ただの金持ちの暇つぶしだったらしいですから。でも、おかしいですね。永遠の医天使(いてんし)メイシェルも母親と一緒に宮仕えをしていて、王城の医局に勤めていると聞いていたのですが」

「永遠の、医天使って……なによ、その二つ名」

「あ、あれが天使にござるか?」

 俺の驚愕からの問いかけにも、あっさりうなずく美少年。

「はい、医局で見た肖像画は、僕の女性としての理想なんです、名前が似ていたという縁もありまして、ウィッチクラフトを始めたのも少しでも彼女に近づきたくて――あっ、あの……」

 悪く思われたと勘ぐってか、慌てて言葉を切っているミハエル。

 まあ、名前がそう似ているとも思えないが、こいつがその医天使さまの熱心なファンだということは伝わってくる。

「でも、実はさっきのメイシェルさんは肖像とはぜんぜん似てないので、本物の永遠の医天使メイシェルかどうかは、僕にはわからないんですが……」

「ふむ、まさかの偽者です?」

 両手で耳を塞いでいるくせにしっかり話が聞こえているらしいロンディちゃんは、ちょっとその展開を期待しているようだったが、しかしレンナがそれを擁護に回る。

「でも、王城にいるんだろ? メイシェルはアンティーナと一緒に城から逃げてきたって言ってたぞ?」

 となれば、プリンセスとウィッチドクターだけで二人旅をしていたことにも納得できる。

「じゃあ、やっぱりメイシェルのことにゃ?」

「永遠の医天使さんで確定かしらね」

「医天使かぁ……くくっ」

 さすがにその二つ名は秘密にされていたのか、含み笑いを漏らすレンナ。

「あの跳ねっ返り具合は、天使というよりは小天使のたぐいでござろう」

 しかし、実際のところ気にかけるべきは“医天使”の部分ではなく、“永遠の”という部分であろう。こういった形容をされるパターンは大別して二種類ある。

 片方は、時間を操ったり、相手を封印するといったような能力を持つ術者を指す場合で、これも極めて強大な力を持つ者だけに対して与えられる称号ではあるのだが、もう片方となればさらに危険な予感をはらんでくる。

 それは人外変異、憑依転生、肉体練成といった禁忌に片足を突っ込んだなんらかの手法において、永遠といえるほどの長いあいだ、その姿形を保ち続けていたり、生存し続けている場合にそう呼ばれることになる。

 それが薬学と医学のエキスパートともなれば、まさかとは思うが。

「むぅ、永遠の医天使、ですか……」

 それに気づいているのか、ロンディちゃんだけは少し神妙な顔つきで笑わずにいた。

「小天使って言えば、魔王軍たち見ないけど、みんなマオの部屋に居るなら呼んでくるか?」

 レンナの言う魔王軍とは、今は別の部屋に引きこもっている魔王グループ、主に育休ロリ魔王のマオと、暇ぶっ潰し理術士と、八つ当たりソーサラーに、役立たずのメイドもどきを加えた連中のことであり、最近メンバーに加わった自称聖女もこれに含まれるだろう。

「呼びました?」

 言ってるそばから、なにもなかった空間にかすみのように現れて、素足で床に着地する小天使的サタンサーバントのルシル。

 その突然の来訪に、すぐに腰を浮かせてレイピアを抜く体勢を取ったのはゾンビジャケットの男。

 編み笠少年は少し口をあけたまま、露出度の高く薄い生地で身を包んだルシルに見入っている。

「呼んでないでござる、気のせいでござるよ」

「いえいえ、絶対に呼びましたよ、聞こえましたから、ほらこれこれ」

 以前にはなかった、自分のサイドテールを指差しているルシル。

「メイシェルさんから貰ったんですよ、耳がよくなるマジックアイテムなんですって、今のところぜんぜん効果ないんですけどねー」

 確かに、メイシェルのツインテールを片方だけ引っこ抜いて脱色してそのまま貼り付けたように見えなくもない。

 この悪魔女の言葉のどこに嘘が混ざってるのかはまだよくわからないが、“効果ない”という発言を率直に受け取れば、俺たちの話はまったく聞こえてなかったということになるが。いや、こうやってこの場所に来ているわけだから、マジックアイテムなんぞなくとも話は盗み聞きしてたってことか。

「じゃあ、なんで聞こえてたにゃ?」

 好奇心という野生は即座にそれを問いかける。

「えへへ、ロンディさんからもらった蟲電話があるので噂はばっちりキャッチですよ」

 ルシルが言った瞬間、ロンディちゃんが不満げな顔で固まった。

「あっ、糸抜かないでっ!」

 なにかを感じ取り、あわててロンディにすがるルシル。

 それを、冬の海のような冷たいまなざしで見返すロンディちゃん。

「なんでもすぐに喋っちゃう、わるくない悪魔には貸し出しません」

「えぇ~っ、じゃあ、どくろ串団子かえしてくださいよう」

「一度契約したのに、後になって代償が返ってくるとでも? あなたほんとに悪魔なんですか?」

「うう~っ、この子ひどい」

 いやまあ、確かにひどいんだが、どっちもどっちというか。

「はは、これは驚かされましたね、テレポートのような高位魔法が使えるお仲間がいらっしゃるなんて、しかもなんという美しさ」

 とうに警戒態勢を解いていて、なごやかに話しかけるゾンビジャケットの男に対して、“どーも、それほどですけど”と頭を下げているルシル。

「あ、あの、どうも始めまして……」

 いかにも奥手そうな編み笠少年に、毒牙を見せてにこりと笑い返す小天使的サタンサーバントのルシル。

 悪魔的な指づかいで美少年の手を取り、自分の胸元に引き寄せる。

「あはっ、かわいい子。よろしくねー、新しいパーティメンバーかな?」

 話、聞こえてたんじゃないのかよお前は。

 いやむしろ、すべて聞いていたからこそ懐柔しにかかっているのだろうか。

 まてよ、だとすると。

「えへへー、でもちょっと可愛いからって、調子に乗ってパーティーに潜り込んで、バカめの女の子を騙して紋章と刀――むぐっ」

 間一髪、俺の突き出したミルク粥のスプーンがルシルのお喋りな口を塞ぐ。

 間に合った、と思いたい。

「んにゃ、なにこれ不快な味がしますぅ……」

「これでも食べて、いくらでも正直な感想を述べているでござる」

「んー、にゃんか人生なめくしゃってる人間が好きそうな味ですにぇこれ」

 スプーンをなぶりながら要望通りに寸評を聞かせてくれる悪魔の舌。

 アズカが俺のファインプレイを褒め称えるようにじっとこちらを見てくる。

 見てるだけじゃなくて、なんかアクションしてくれるともっと嬉しいんだがな。

 ちなみにネコもこちらを見ているが、たぶんそれには好奇心以外の理由はない。

 ひとしきり俺のほうを見終えたアズカは、隙を見て自分のスプーンもすかさずルシルの口に突っ込むと、編み笠少年の手をつかんで悪魔のそれから強引に引き離す。

「そのサキュバスのことは気にしなくていいわ。それより少し、あなたに聞きたいことがあるんだけど」

「あ、はい、なんでしょうか?」

 ルシルから視線を離して、アズカに向き直る美少年。

「んもうっ! なにするんですかっ、ふんっ!」

 器用にスプーンを二本をくわえたままアズカと編み笠少年に背中を向けて、すぐにそしらぬ顔でうそぶくルシル。

「騙すならやっぱり後妻ことエーリィさんですけどぉ、アズカさんもああ見えてさっきから綺麗系の男の子には目がないと見えますし、案外ねらいどころかもしれませんよねー」

 その発言に、アズカは無言のまま立ち上がり、ゴミを漁る虫を見るような表情でルシルに杖を向けて手のひらで呪いの文字を描く。

 描かれた文字を意訳すると――

“災いが黙れ”

 ――なんかへんな呪文だな。

「んぐふっ!?」

 アズカの放ったらしき呪いで、スプーンをくわえたまま口を封じられるルシル。

 呪いといっても、もちろん某焼き鳥の呪いのような任意契約ではなく、物理干渉すら発生させる強烈な拘束呪術のようである。

 呪術の力の根源は悪意、すなわち感情にある。

 さまよえる死霊や悪魔を呼び出して暗示によって対象を呪わせる術者もいるが、後ろから目線ドルイドのアズカは自分自身の感情で相手を呪うタイプだ。

 感情という力に抵抗するにはそれと同類の精神的な力を必要とするため、自分の意志力に暑苦しい自信がないのなら、たとえ古代級(エンシェントクラス)の悪魔といえど、この恨みっぽいドルイドを刺激するべきではないのだ。

「ふひーっ、んーっ!」

 スプーンを抜こうと引っ張りながら鼻息だけを荒げる悪魔だが、その口はまったく開かれようとしない。

 俺の精神干渉の魔法とは違って、この呪術は物理的に口を封じてしまうらしい。

 せめてスプーンを抜いてから呪術をかけ直してくれとでも言いたいのだろうか。木のスプーン二本がゆるい系の悪魔の牙のように伸びた自分の口元を指さしてなにかを訴えているルシルだが、アズカの無視力のほうが強い。

「それで、何の話だったかしら?」

 編み笠少年へ質問しようという、自分で振った流れを無かったことにするアズカに突っ込む人材はいない。

 編み笠少年も空気は読めるタイプらしく、アズカと向き合った姿勢をすごすごと外しにかかる。

「レンナが料理をするっていう話だったかにゃ?」

「戻りすぎだって、あたしはやらないかんな」

「永遠の医天使メイシェルさんについての話ですよ」

 ゾンビジャケットの男がうながす。

「ああ、メイシェルが貴族だったっていう話な、それそれ」

「暇だからって、随分なお金の使い道を選んだものね」

 アズカの批判的な発言に、

「じゃあ、どういう使い方をしたらいいにゃ?」

 ネコの率直な疑問が投げかけられる。

「んんっふーんん? んー!」

“わたしに貢ぎましょう!”とでも言おうとしたんだろうか、この悪魔は。

 口が塞がれていることに気づいたルシルは無念そうに、ゆる牙スプーンを両手で握りしめる。

「やっぱりあれだ、大戦で荒廃した土地に新しい村を作るために寄付とかするんだよ」

 このレンナにして、もっともらしいことを言う意図がわからない。

「いえいえ、辺境の地の恵まれない子供たちに食糧援助を行うべきだったです」

 ジャングルの奥地まではさすがに届かないだろうけどな。

 そんな女たちの感想に、編み笠少年はいてもたってもいられずに口を開く。

「そんな、メイシェルさんたちの研究は十分に価値のあるものですよ、彼女が医天使と呼ばれるのは、その看護姿勢もさることながら、発明による恩恵が世のあまねく人々の役に立っている奉仕的なものであることからきているんですから」

 それだと俺の聞いている話とはずいぶん違うのだが。

「はて、本人に聞いても知人に聞いても、メイシェル殿の一番の発明は“毒だ”という見解で一致していたはずでござるが」

 加えて言うと、二番目の発明も、三番目の発明も、やはり毒だったはずだ。

「それは……確かに毒としても使えますけど、たとえば医療だけじゃなくて、簡単に作れる薬によって農業革命を起こしたりもしたんですよ」

 もしかして、この編み笠少年が語っている薬というのは。

「簡単に作れる、って言うけど、じゃあ、あなたはその作り方を知ってるの?」

 さりげなく誘導尋問を始めるアズカ。

 もとより、そのつもりで編み笠少年にからんでいたのだろう。

「はい、もちろんです。今では僕を含めて恩恵を受けていない果物農家はいませんよ」

「農家? あなた医者じゃなかったの?」

「は、はい、すみません……僕はちょっと農家向けのウィッチクラフトをかじった程度でして……あのっ、僕はみなさんにお願いがあって!」

「待とうかミハエル。まずは我々の身の上を説明しておいたほうがいい」

 ゾンビジャケットの男の制止に、

「そうですね……」

 少年は襟元を正して編み笠を外す。

「僕は、先祖代々の足軽の家系でミハエルといいます」

 うやうやしく頭を下げるミハエル。

「足軽って世襲するようなものなの?」

 懐疑的に値踏みにかかるアズカ。

「もちろんです、半農半兵として安定した生活を送っている者が多いですから、冒険者としてはお見合い業界でも人気なんですよ」

「ほほう、それは毎日、白いものが食べられるということですね」

 足軽ぼっちゃんのミハエルの言葉通り、やや近しい年代のロンディちゃんの反応はそう悪くはないようだ。

「うえぇ、お見合いかぁ、家にいた頃おやじがうるさくて結構行かされたんだよな~」

「ほう、レンナ殿はお見合いの熟練者でござったか」

 とりあえず持ち上げてみるが、そんな気はまるでしない。

「まったくそうは見えませんです」

「にゃ?」

「ほんとかしら?」

 一斉に疑いにかかる女たち。

「ほんとだって、町にいた頃は連戦連勝だったんだからな、男たちはみんな泣いて帰っていったぜ」

「殴ったの?」

「野蛮だにゃ」

「ですです」

「違うって、あたしは限られたルールの中で勝利条件を探してだな……」

 なにやら聞き苦しい言い訳をしているレンナ。

「お見合いというのは確か、勝敗を競うものではなかったと思うのでござるが」

「そんなことないって、だいたい男なんて女を家に押し込めるための論理武装とかいうので攻めてくるからな――たとえば、あたしが料理ができる、と言えばー……」

「家庭的な女性は実にすばらしいですね」

 言葉に詰まったレンナに、となりの席から合いの手を入れてくるゾンビジャケットの男。

「そうそう、だからあたしのカウンターとしては、ほらあれだ――あたしの父と兄たちは強い男でないと相手が務まらないんで、ございますけど、なにか武術の心得は……なさいますか?」

 らしくないゆがんだ笑顔と片言で、逆どなりの席に問いかけを流すレンナ。

 それを受ける、ひ弱そうな足軽ぼっちゃまのミハエル少年は、

「はい、いざ一揆(いっき)というときのために農具武術の訓練には余念がありません。特に鍬術(くわじゅつ)鎌投擲(かまとうてき)の技術には自信があります」

「あーそっか、足軽って“つわものども”だっけな、まあ相手が武闘派のときは様子見だな。えーと、基本の受け手は――結構なご趣味で――だっけか?」

 そんな趣味は結構すぎるわ。

「恐縮です。このたびは、かの王女様が、ばんぱいや悪魔大名の首を取りに城へ単身乗り込んだと聞いて、居ても立ってもいられずに僕も家と土地を売り払ってはせ参じたのですが、どうやら出遅れてしまったらしくて」

 そりゃあ、噂を聞いてから駆けつけても間に合うわけがない。

 荒事の中に職を求めて紛争地域を目指す男たちは、今の時代では珍しくない。

 といっても、モンスターが発生しないような先祖代々の安全な農地を手放してまでそんなことをする者はほとんどいないと思うのだが。

 これはあれか、なにかの信条に近いやつか。

 サムライの魂ならぬ、足軽の魂というものが大暴れしてしまっているのだろうか。

「なんですか、じゃあもう畑は持ってないのですか、大根もないのですか」

 しかし、その魂からの行動に失望したロンディちゃんの言葉にも、魂の足軽ミハエルは首を横に振る。

「いえ、僕の家柄を重んじてくれた豪農の方から、こちらの地でリンゴ農園の管理を任されていますので。しかし、この度のお願いとはそのことについてでして……」

「ぬあーっ!!」

 そのとき、廊下から勇気がちぎれる断末魔が響いてくる。


 念のために確認しに皆で廊下に出ると、やはりというか、悪魔の柱のたもとで縄でぐるぐる巻きにされた勇者が倒れていた。

「ゆうしゃ、だからその柱には気をつけてと言ったのに」

 そのかたわらでは、育休ロリ魔王のマオがしゃがんで勇者の足をなでている。

 そして、その小さな手には、勇者の腰に巻かれた引きずり用の紐がしっかりと握られている。

 ふむ。輸送中の交通事故だったか。

 女たちも毎度のことに、すぐに興味を失って部屋に戻る。

 魂の足軽ミハエル少年とゾンビジャケットの男はその光景に唖然としていたが、日常茶飯事だからと説明して部屋に押し戻す。


 皆が席に戻ると、今度はゾンビジャケットの男が自分の胸の革ジャケットに手を当てて自己紹介を始める。

「私のほうですが、今は冒険者をしております、プリンスのマルスと申します」

「プリンスって、公認かにゃ?」

 きいてはいけないことを即座に口に出す害獣がここにいた。

「いえ……申請はしておりませんから」

 その返事に、なにも答えずにじーっと非公認プリンスのマルスを見つめるネコ。

「な……なにか問題でも?」

 非公認プリンスといえば、自分は貴族ではないがそのふりをしている、と言っているようなものである。レンナの語るお見合いバトルでは実にオッズの低そうな肩書きではあるが、お魚くわえた剣豪のネコがそれを気にするとは思えない。

「雨が来るにゃ……」

「えっ?」

「雨がくるにゃ!」

 叫ぶと、ヴァンパイアデストロイヤーを背負ったまま四つ足で駆け出すネコ。そのままの勢いで部屋を出る――かと思いきやドアの前でよっこらしょと立ち上がって前足でドアを開け、四つ足で廊下に出てから後ろ足で器用にドアをぱたりと閉める、そしてまた廊下をたたたっと駆けていくネコ。

「な、なにか不吉なことでも起きるのでしょうか?」

 うろたえる魂の足軽ミハエル少年。

「いやいや、ネコ殿が雨がくると言っているのだから、雨がくるのでござるよ」

「ちょっと、“しばきのこ”と洗濯物を仕舞ってくるです」

 本日の女性陣の洗濯物担当のロンディちゃんも動き出す。

「あ、あたしもおっちゃん達に教えてきてやんねーと」

 立ち上がったレンナは、厨房の大将たちに任せてきたなべの様子が見たいのもあるのだろう。

 レンナに続いて、そそくさと部屋を出て行く後ろから目線ドルイドのアズカにおいては無言である。

 スプーン牙を生やしたルシルもいつの間にかいない。

 そして――

「じゃ、じゃあ僕もリンゴ畑の様子を見に行ってきてもいいですか?」

 お前もかい。

「やめておかないかミハエル、今はその時じゃないだろうに」

 たしなめる非公認プリンスのマルス。

「あ、はい、そうですね……ところで、あの女の子の言っていた“しばきノコ”、ってなんなんでしょうか?」

「さあ? でござる」

 ロンディちゃんの発言のことだろうが、そんなこと俺が知るわけがない。

「“芝キノコ”でしょうか、聞かない名のキノコではありますが」

「彼女は霊能力者でござるからなあ、霊力に関する怪しい薬の材料かなにかでござろう」

「そうなんですか……てっきり“しばきノコ”とは、のこぎりを改良したまったく新しい農具武器かと」

「ミハエル、そんなものを開発しているのは君だけだからな」

「備えあれば憂え無しです。新領主の時代が始まるとなれば、いつ刀狩りが行われるかわかりませんからね、武器は農具に偽装しておくに限ります。そうだ! せっかくだから僕が彼女たちの武器を農具風に――」

「いいかげんにしないかミハエル、少しは落ち着きたまえ」

「あ、はい……すみません。女性の冒険者なんて珍しいのに、このパーティの方々はその、思いのほか、綺麗なかたばかりでつい、はしゃいでしまいました」

 そりゃあ勇者のオーラで集められた女たちだ、神々のコレクションを前にして興奮するのも無理はない、まったく素直な少年だ――しかし、だから武器を預けてくれ、と言われても素直に応じるわけにはいかない。特に、ネコの持っているあのヴァンパイアデストロイヤーだけは。

 だが、それを止めるのがこの非公認プリンスのマルスだというのはどういうわけか。

 二人は共犯ではないのだろうか。

「そうかな、どれも見たところあの女ども……あ、いや、これは失礼」

 俺のぐるぐるメガネごしの視線を勘違いしたか、口にした言葉を否定しようとする非公認プリンスのマルス。

「いやいや、かまわんでござるよ。女性陣もいなくなって我々男だけでござる、好きなように語ってもらったほうが愉快というものでござるよ、拙者もあの女たちの扱いには手を焼いているでござるからなあ」

 壁越しにエーリィの部屋からこの話を聞いているであろう爆聴ツインテールからの声なき苦情はあるだろうが気にしない。

「そうでしたか、私もよく妹たちの無茶には苦労をかけさせられましたので」

 それより、この二人には、早急にこのパーティから遠ざかってもらわねばならない。

 そう、逃げるようにだ。

「うちの女どもときたらでござる、自分たちの下着の洗濯のほかにはなにもしないのでござるよ、食事も洗濯も、あげく武器の手入れや運搬までも拙者に任せる始末でござる」

「はは、まったく度し難い、女というのは怠け者であることすら美徳としようとするような連中ですからね」

 そのためには、彼らにとっての負い目が必要なのだ。

 爆聴ツインテールウィッチのメイシェルの耳の届く範囲で必要以上に口を滑らせてもらうことは、今後、俺にとっては話を良い方向に進める材料になるだろう。


 場所を食堂の隅っこのテーブルに移して、酒の入った非公認プリンスのマルスの説法は続いていた。

「いいかミハエル、何度も言っているように、女というのはクイーンビーのような生き物なんだ」

 思った以上に、この非公認プリンスの中に潜む女たちへの恨み辛みは根深いもののようだった。

「オスたちを互いにぶつけて争わせ、生き残ったオスだけを自分のものにしようとする。その過程で流れる血の責任なんて全部男に押しつけて知らんふりだ、自分たちがそれを求めておいてだぞ?」

「はあ、クイーンビーってそういうことしましたっけ?」

 これには魂の足軽ミハエル少年もさっきから引きっぱなしである。

「そうは見えないことが問題なんだ、ござる殿は女たちがなんで宝石が好きなのか知ってますか?」

「はて、ブースタージェムに守ってもらいたいからでござるかねえ?」

「いいえ、あの石ころが何の役にも立たないからですよ」

 まあ、役に立たない宝石もあるにはあるが。

「もしあれが石炭なり鉱石だったりの役に立つ石だったとすれば、女たちは途端に見向きもしなくなる。なぜでしょうか? それは――」

 すでに、周りの客にも聞こえる大声になってる。

「何の役にも立たないのに、ただ綺麗だからという理由で重宝され高値で取引される、それがあいつらの願望そのものだからなんですよ!」

 まあ、冒険者の宿だけあって、振り向くのはむさい男の客ばかりなのが救いか。

「女たちは自分がちやほやされることばかり考えていて、人の役に立つことを望んでないんです! 王城にいる女たちを見ればそれがよくわかる」

 さっきから、ちょくちょく“城の女”の話が出てくるのだが、この非公認プリンスは王城コンプレックスかなにかでも持っているのだろうか。だから非公認なのだろうか。もはや酒の席に付き合うことに疲労した俺の思考もネコ並みの疑問しか出てこないようだ。

「だから見た目ばかり気にするんです! この私の着ているジャケットを見てください、これはある本物の勇者から私が授かった最上位の守護能力を備えた神器にして、不屈の勇気を与えてくれるマジックアイテムでもあるのです」

 なんかうさんくせーな。

 それになんというか、どこかで聞いたような言い回しだ。

「ほほー、それはすごいでござるなあ、どうりでオーラが違うと思ったのでござるよ」

「さすがはござるさん、女たちにはこの秘められた力はわからない。きっと理解できないどころか、想像すら及ばないのでしょう」

「はあ……すごい、んでしょうか……僕はオーラとかそういうのは見えないので」

 俺にだって見えねーよ。

「ミハエル、君も男としてもっと研鑚(けんさん)を積むべきだ、いつまでもリンゴの木などを相手にしていては晩成はおぼつかんぞ」

「別に農業しててもいいじゃないですか……それに、男の人たちを争わせるなんて、誰もそんなことしてるつもりはないと思いますけど?」

 やけに反抗的な魂の足軽ミハエル少年。

「そりゃあ気づかないさ、それがあいつらの本質なんだからな。自分がどれだけ歩いたかを気にするのは普段ろくに歩かない人間だけなように、男同士を争わせることが女たちにとって当たり前すぎて、気づくということができないんだよ。戦争の陰に女あり、という言葉があるだろう」

 そりゃあ、戦争してる国の人間が男だけだったらいろんな意味でびびるが。

 それにしても、そろそろ話題を変えておかないと、どこぞで話を聞いているはずのメイシェルがウエイトレスに扮して笑顔で食事を運んできそうだ。もちろん毒入りの。

「そんなの知りませんよ、そんなことを言ってるからマルスさんはいつまでも非公認なんじゃないですか?」

 俺がどうやって話を逸らそうかと思案していると、ミハエル少年がなにを血迷ったか話題に放火する。

「そうやって粋がる前に、名声のひとつも得てみたらどうです。無名なのに、あの永遠の医天使メイシェルさんとご一緒できるなんて光栄なことじゃないですか」

 だが、至極冷静な顔で返す非公認プリンス。

「いや、あれは偽者だよミハエル君」

「えっ、偽者?」

「君の見た永遠の医天使メイシェルの肖像画というのは版画を原本としたやつだろう、栗色の髪の長身の女性が手に白い花を持ったやつだ」

「そう、それです、よくご存知ですね」

「あの絵は王都ではよく出回っていてな、私は本物の医天使メイシェルに会ったことがあるのだが、あの肖像は本人に瓜二つなんだよ」

「え? 本人に会ったことがあるんですか? それじゃあ……」

「本物の医天使メイシェルは肖像の通りの大層な美人だったよ。あんな、髪を両端で結った子供のような格好はしていないぞ、あのような品のない話しかたでもなかったし、だいいち背丈がぜんぜん違う」

 普段からウィッチドクターとしての腕前を見ているだけに、偽者だという言葉だけでは信憑性は感じられないが、仮になんらかの関係性があったとしても、うちのメイシェルがその医天使さま本人であるという確証もまたないのだ。

「ところで、さきほどからの話によるとマルス殿は王都にいたことがあるのでござるか?」

「ええ、わけあって身分は明かせませんが、よく城の馬小屋で番兵を務めていたこともありましたね。まあ高貴な出自だと思ってもらっておいて結構ですが」

 馬小屋の番兵をさせられる程度の高貴な身分、とな。

「高貴な身分の人がそんなことをしてたら兵士長はストリートハラキリものだと思いますけど」

「ふふ、まあいいじゃないか、許してやっても」

 なにがいいのかはよくわからないが、熱気でふやけた髪をかきあげて笑う、非公認プリンスのマルス。

 いい感じに酒も回って舌の滑りも良くなってきたところだし、そろそろ本丸に切り込んでいくとするか。

「マルス殿はお優しいでござるな――ときに、なぜうちのパーティまで助けようなんて思ったのでござるか?」

 人助け、には理由はいらない。

 しかし、嘘とは習慣によって身についてしまうもの、これだけ饒舌になっているのだから、なにかしらの理由は作ってくれるだろう。

 ここで引き出す情報は、必ずしも真実である必要はない。

 彼がその口から語ったということが重要なのだ。

 彼らを追い詰め、自分たちが危機的な状況にあると思い込んでもらうために。

「そうですね……ただひとつ言えるとすれば、私はかつてこのパーティ、リテラガーズのメンバーだったのです、それで見過ごせなかったのかもしれません」

「ほう」

 いきなり大きく出たな。

 それは聞き捨てならない話だ。

「そう、それは私がまだ城で悠々自適な生活を送っていた頃でした」

「悠々自適に馬小屋で番兵をしていた頃ですか」

 魂の足軽少年の冷めた目線にも、絶好調の非公認プリンスが動じることはない。

「王命によって城を訪れたリテラガーズの元リーダー、えーと、名をなんと言いましたか……」

 忘れんなよ。

「ともかく、そのときリテラガーズのリーダーから託された伝説の防具がこのジャケットなのです」

 このパーティが今の名前を持つようになってから、俺と勇者以外がリーダーをしていたことはない。

 そして、勇者がリーダーになってから俺たちがあの城を訪れたことはない、つまり。

「そして彼はジャケットを渡しながらこう言ったのです――離れていても俺たちは仲間だ、もし俺たちが魔王に敗れることがあれば、そのときはお前が世界を救え――と」

 なんで馬小屋の番兵にそんな世界の行く末を託さなきゃならないんだよ、俺はアホなのか、それともそんなに暇なのか。

「当時のメンバーたちは魔王軍を半壊させるのと引き換えに皆、命を落としてしまったそうですね……」

「まあ、そのようでござるな」

 なるほど、かつてのメンバーは全員死んだと思ってそんな嘘をついているようだが、あいにくとそうは見えないが俺という生存者がいるんだなこれが。

「彼らは、自分たちが魔王には勝てないことを知っていたのかもしれません」

 そんなこと夢にも思わなかったよ。

 つーか、魔王軍には負けてねーし。

「それで、その真の勇者たちとはどのような人物だったのでござるか? 勇者といえば、拙者は今の勇者殿のことしか知らないのでござるが」

「はい、彼らはリーダーの他のメンバーも古代級(エンシェントクラス)の実力を備えていたとされ、私が最も力強さを肌で感じたのは“座龍(ざりゅう)の騎士帝”と呼ばれるナイトでした」

 ほう、どこで噂話をかき集めたのかは知らないが、よく調べ上げたものだ。

 あいつがギルドから与えられたクラスネームは、確かにエンシェントナイトのまま止まっている。

 だが、実際の力量はその程度のものではない。

 古代級(エンシェントクラス)よりも上となると、人類にとっては実力の証明や分類など不可能になってくるため、神話級(ミソロジークラス)としてひとくくりにされていて、先のヴァンパイアキングや育休ロリ魔王のマオがここに属している。

 そして、俺たち旧リテラガーズのメンバーはそのさらに上にいる。

 身内では“俺ら級”などと、今思えば大分うざい呼びかたをしていたが、そのレベルの敵に出会うことは最後までなかった。

 そして今の俺も、もちろんまだそのクラスにいる。

 それでも勇者の運命力(オーラ)にはまったくかなわないところからして、その上に“勇者級”を追加する必要があるかもしれない。

「その騎士帝の話は僕も知ってますけど、実際にどんな力を感じたんです?」

「はい、なんと、彼の肉体にはなにも防具が身につけられていなかったのです」

「え? 王城にいたんですよね? むしろ礼儀作法としては普通ではないでしょうか」

 疑問符を顔に浮かべる魂の足軽ミハエル少年だが、それもそのはずである。

 俺らの呼ぶところのソウルアーマーというやつだろう。あいつ固有のスキルで発生させた闘気による鎧はそれが他人からは目視できず、その場所に最初から空間が存在しないかのように視界から外れてしまうのだ。

「これ以上のことは、私の言葉では表現することが困難なのです」

「はあ、みなさん座龍の騎士帝についてはそう言うらしいですよね」

 冷めた感じのミハエルも、噂くらいは聞いているようだ。

 そうやって誰もが表現できないおかげで噂には尾ひれがつき、そのうちに『裸で魔王に挑んだ男』だの『裸でドラゴンよりも強い』だのとでたらめな噂が飛び交ったものだが。

 まあ、後者については実際に下着一枚でドラゴンの巣に突っ込ませて殴り合いさせてみたらその通りだったんだけど。

「もう一人、その力を私に見せたのは、知厳(ちげん)界雷(かいらい)と呼ばれるエンシェントウィザードです、彼もまた私の前でその輝かしい魔力の片鱗を現したのです」

「ほう、それは一体どのようにでござるか?」

「そうですね、例えるなら花火のような、私と勇者たちの邂逅(かいこう)を祝福するかのように、その雷の魔法を空から放ってくれたのです、その力強さたるは、まさに神の意思そのものといったところでしょうか」

 これは不正解だな。

 ヴァンパイアロードを捕まえて頬に十字架の傷を残したり、ロンディちゃんに自白魔法をかけて焼き魚で餌付けしたのもこいつで、行動面は基本的に鬼畜なのだが、あいつは知識欲以外のためには面倒くさがって魔法を使おうとしないのだ。

 まあ、あんまり俺が好き放題やってるとたまに雷を落としてくることはあったけど。

「そして最後に、私にこの神器を授けてくれたあのリーダーです」

 最後に、ね。

 元リテラガーズのメンバーは俺を含めて五人。男三人と女二人だ。

 女性メンバーについては語ろうとしない点からして、こいつの女嫌いは本物のようだ。

「彼の美しい容姿も、鍛錬され尽くした肉体も、表現する要素としては確かに重要なところでしょう、しかし――」

 こいつ、俺のこと知らないからって好き勝手に言いやがって。

「その神秘性の根源はそう、彼でなければ決して切り抜けることのできなかった魔王による死の罠の数々を乗り越えてきたという奇跡! それこそが人々に彼をそのように見せたのです」

 こいつが俺のかいくぐってきた死の罠、つまり勇者のオーラのなんたるかを知っているわけなどないのだが、それでもそう言われると、ちゃんと褒められてる気分になってくるのだから不思議なものだ。

「それほど、でもないと思うでござるが……」

「いえ、彼だからこそできた! 死の運命をくつがえし、生き延びることが!」

 ま、まあ、なかなか見所がある奴じゃないか。

「それで、そんなすごい……方々が、なんでマルスさんなんかにその伝説の防具を託したんでしょうか?」

 当然の疑問を口にする魂の足軽少年。

「そうですね、きっと私が知識の泉で、世界を救うとの神託を受けたことを感じ取っていたからでしょう」

 知識の泉――って、あの怠食の蟲使いめ余計なことを言って――いやまてよ。

「ほほう、それはすばらしいでござるな、あの知識の泉にそう映ったとあらば、たとえマルス殿が馬小屋の番兵といえど無視はできぬのも道理でござろうなあ」

 こいつが本当に知識の泉の攻略者だとするならば、ロンディちゃんを一目見た時点でそれとわかるはずだ、つまりこれも嘘、となればこれも脅迫の材料になる。

 もう少し、あと少しこの二人を追い詰める証拠があれば。

「私もまた、彼ら勇者たちと同じくこの世界の運命を担う重大な役目を持って生まれてきたということなのでしょう」

 おい、さんざん人を持ち上げといて、同じ舞台に乗っかってくるなよ。

「そう、あなたがただけには明かしておきましょう……私の正体は……いえ、これはやはりまだ伏せておくべきでしょう」

「なんですか、もったいぶるほどのこととは思えませんけど」

 まったく煮え切らないな、それだったら。

「それでは、マルス殿としてはその勇者たちの遺志を継ぐために、拙者たちのパーティに加わりたい、ということでござるか?」

「いえ、ヴァンパイアキングと互角に戦い、その力を封じ込めたという誰もその真実の名を知らない新たな勇者――彼のことも、気にならないではないですが」

 いや、真実の名っていうか、その勇者ってのがあいつの本名なんだが。

「やはり私に繋がる運命の糸は彼ら、古き力ある者たちに繋がっていると思うのです、私は彼らの遺志を継ぐ、そして必ずや魔王を討ち果たしてみせましょう!」

 湯気が出そうに酔っ払った赤ら顔で立ち上がり、大声で宣言する非公認プリンスのマルス。

 その言葉を聞きつけたのか、厨房のほうから料理を載せたお盆を運んでいた育休ロリ魔王のマオがこっちを振り向くが、怪訝な顔をしただけでそのまますぐ廊下のほうへと向かう。

「マオなら自分たちの部屋で食べるってさ、ほら、酒の追加だよ」

 テーブルに叩きつける音に驚いて振り向くと、そこにいたのはジョッキを置いたウエイトレス姿のレンナだった。

「な、なんだレンナ殿でござるか」

「なんだよ、この格好、そこまで変じゃないだろ?」

「いや、そうではなくてでござるな……」

 ついに爆聴ツインテールウィッチのメイシェルが乗り込んできたのかと思ったのだが。

「おっちゃんたちに実家の話をしたら、忙しいから少しだけ手伝ってくれって言われてさ」

 ちらほら客も見えるが、まだ満席というには程遠い。

「そんなに忙しそうには見えないのでござるが」

 まだ昼時には少々間がある、そうなった時を見越してのことかもしれないが。

「しらね、面倒な客でもいるからじゃないのか、昼間っから酔っ払って騒いでるようなさ」

 自分のことを言われていると思ってはいないのか、席に座り直してまた恥ずかしげもなく語り出すマルス。

「看板娘というやつでしょう、少しばかりと口車に乗せておいて、滞在しているあいだは店に立ってもらおうという魂胆ですよ。商魂たくましいと思いはすれど、なにもおかしなところはありませんね」

 お前の話はおかしな所ばかりだけどな。

「ま、少しくらいなら厨房貸してくれたお礼だからな、暇だから今日はあたしがやるけど、それ以上続けろっていうんだったら、ほかのみんなにも部屋への配膳とかやってもらわないと筋が通らないよな、宿代をまけてもらってるパーティとしてはさ」

 そんなことをするくらいならちゃんと金を払えと言う女がほとんどだろう。

 でなければ、魔王やら悪魔やら、皿ごと拾い食いしそうな子供やら、両手にモノを持ったままでは歩けない半獣とかしかいない。とてもうちのパーティにつとまる仕事とは思えない。

「そんな面倒な頼みごとを引き受けるお人好しはレンナ殿とエーリィ殿くらいでござろう」

「どーだ? あんたらだったら、誰に部屋まで今晩の食事を運んできて欲しいか言ってみなよ、無理だろうけど頼んどいてやるぜ」

 きっと悪気も悪巧みもないのであろう、にかりと笑ってみせるレンナ。

「レンナ殿もやめるでござる、そんな微妙な話題をほいほいと振るから、勘違いした男性から地元でお見合いの果たし状を受け取ることになるのでござるよ」

 しかも、今ではこういうときの男たちからの返答は大抵が“エーリィがいい”に集中するのだ。

 それを知ってぶーたれることになるとレンナ自身が一番よくわかっていながらもこうした質問をやめられないのが、彼女のさがなのだろう。

「私は結構ですよ、清潔な男性に運んでいただければ」

 静かに言って、新しいジョッキに口をつけるマルス。

「そっか、まあ冒険者と兵士にはそういうの多いからな……あたしはシスターと違って、どうこう言う気はないし」

 またなにか不名誉な誤解をしているらしいレンナ。

 女が嫌いなのと、男が好きなのは別だ。

「ぼ、僕はその……メイシェルさんとなら、少しお話ししたい……かな……」

 ありもしない義務感にでも背を押されたのか、照れながら報告してくれる魂の足軽ミハエル少年。

「おっ、素直だなーよしよし、でもな――」

 笑顔を作って、持っていたお盆を上段に構え、それで足軽少年の頭をぼんっと叩くレンナ。

「お部屋でお話ー、とか、うちそういうサービスやってねぇから」

 自分で変な話題を振っておきながらこれである。

「てか、メイシェルがずっとエーリィの看病してるんだから、お前らも暇なら手伝ってこいよな、さっきからバカ話ばっかりして」

 呆れてため息を残すレンナ。

 まさか、さっきまでの話をすべて聞いていたのだろうか。

 いやいや、そんなことはないだろう、知らん振りしよ。

「それで、マルス殿はどういった女性にならお勤めをお願いできるのでござるかな?」

「そうですね――女性として最低限の謙虚さ、それだけで十分でしょう」

 ほう、最低限とはまた。

 つまり、レンナ程度では女として認められる程度の謙虚さすら持ち合わせていないということか。

「おい、聞けって、あたしの代わりにエーリィの具合を見てきてくれよ」

「客に退店を催促するものではないでござるよ、謙虚さが足りないでござるなぁレンナ殿は」

「そうか、お前ら面倒でも客か……まっ、それもそうだな、じゃあ飲み終わってからでいいや」

 さすがに仕事中の長話はよくないと思ったのか、あっさり引き下がるレンナ、そして去り際に。

「てぃ」

 非公認ゾンビプリンスのマルスの首筋の後ろを人差し指で一突きしていく。

「酔いがすぐさめるおまじないな、他の客に迷惑かけんなよ」

 まったく効果がないことなどわかりきっている。

 首をさするマルスの、なにか昔の嫌なことを思い出したかのような冷めた反応からして、やはりレンナは彼の趣味ではないらしかった。


 一仕事終えて部屋から出てきたメイシェルは、廊下に居並ぶメンバーを眺めて疲れた顔をする。

 俺たちもエーリィの様子を見に来たのだが、パーティメンバーたちで部屋がごった返したので、先ほど全員メイシェルに叩き出されたのだ。

「もう入ってもいいけど、あんまり騒ぐんじゃねーぞ?」

「はいはいです」

「エーリィ元気になったかにゃ?」

 言われた途端に騒ぎながら部屋に入っていく一同。

「おーい、エーリィこれ食べれるか?」

 騒がしい枠筆頭のレンナも、ウエイトレス姿のままなぜかこっちに来ている。

「大丈夫ですか後妻さん? 病気なんてざまぁですね、せっかく弱ってるんだから今のうちに恩を売りまくっちゃいますから、欲しいものとか、して欲しいことがあったらなんでも言ってくださいね? 最強に高くつきますよ?」

 特にうるさいのは、本音が出まくりのルシル。

「あなた、なんで喋れるようになってるの?」

「えっ?」

 アズカに言われてしばし、考え込むようなしぐさをしてから、自分の頭をこぶしでこつんと叩いてみせるルシル。そして遅れて部屋に入ってきた非公認プリンスと魂の足軽少年に向かって。

「逃げてっ、この人たち、あなたたちの息の根を止めるつもりですっ、少なくともウィッチドクターの人はそう言ってましたからっ!」

 なぜかスプーンを両手に持って口に入れ、声の大きさのわりにいまいち緊張感のない必死さで訴えるルシル。

「誰に解呪してもらったの?」

「はぐうっ!?」

 ルシルが返事をする間も待たず、杖を床に突いて、瞬時に呪いを“思い出す”アズカ。

「きっと解呪したのはリゼさんです」

「リゼだにゃ」

 代わりにロンディちゃんとネコが答え合わせをしてくれる。

 あの暇ぶっ潰し理術士に解呪してもらったのなら二度目はないだろう。

 まあ、あの理術士の生態についてはおいておくとして、ともかく、これでしばらくの間はルシルが静かになることが決定した。

 黙らされはしたものの“伝えてやったぞ”と満足げに目を輝かせるルシルのその口には、再び二本のスプーンが生えている。

「息の根を止めるとは穏やかではありませんね……」

 酔って気の抜けた表情ではあるが、その言葉に警戒しているらしい非公認プリンスのマルス。

「まあメイシェル殿も冗談でござるから」

 つい否定はしてしまったものの、これは彼らに退散してもらうための、いい材料になるかもしれない。

「い、いえ……気にしてませんから」

 と言いつつ、その心中の警戒心を表すかのように我々から一歩下がって距離を置く魂の足軽ミハエル少年。

 マルスはまだ酔いが覚めていないこともあってか、ルシルの発言などすぐに忘れてしまったかのようにぼうっとエーリィのことを見つめていた。

 そのエーリィは先ほどから、他の女たちにもてあそばれながらも力ない笑みを返している。

「美しい、な……」

 その非公認プリンスの発した言葉に、毎度のことながら溜め息が出そうだった。

 そして、非公認プリンスのマルスは人だかりの中さらにエーリィへと一歩踏み出した。

「君たち、ここから出て行きたまえ」

 なにを言い出すんだこいつは。

 他の女たちも戸惑いの視線を非公認プリンスに向ける。

「彼女は疲れてるんだ、見ればわかるだろう」

 そりゃわかる、疲れてるのはわかる、でもそれはおそらく病気のせいじゃないんだ。

 おそらく疲れが取れない原因は別にあって、それはきっと、俺たちが紛らわしてやるべきものなんだ。

「彼女のことが気になるのはわかるが、病み上がりで付き合う側の気持ちにもなってみないか、彼女が奥ゆかしいからって、興味本位でいじりまわしていいってものじゃないぞ」

 酔っ払って勘違いをしているだけとはいえ、この善意からであろう言葉になんといってよいものやら、レンナなども言葉が見つからずに口を開きかけたまま目線をそらしてしまった。

 説明するには、少々この死神プリーストのエーリィの業は深すぎるのだ。

「ありがとうございます――」

 普段ならここでエーリィがこう言って終わりだろう、しかし。

「――でも、そう思うんでしたら、男の人のほうがここから出て行ってくださいませんか?」

 なにか、いつもとは違った湿り気のある言葉だ。

「まだ、考えたいことがあるので」

「なぜですか! なぜ男だけ……考え事だったら、なおさら一人でゆっくりしていればいいのに」

「じゃあ、すみません……わたしムーン系列の上級職を目指しているので、むやみに男の人に近づかれると迷惑なんです、出て行ってくれますか?」

 この言葉には、さすがに酔っ払い非公認プリンスのマルスも黙り込むしかなかった。

 月の女神様は男が嫌い、こんなのは冒険者でなくとも常識だ。

「わかりました……行こうミハエル、もう私たちにできることはなさそうだ」

「え、僕――あ、はいっ」

 ゾンビジャケットの後ろに怨念のような沈黙を背負ったまま、マルスは部屋を出て行った。


 ついでに追い出された俺はエーリィの部屋の前でマルスたちと別れてから、隣の部屋のドアをそっと開けると、ベッドの上では不機嫌な背中がこちらを向いていた。

「メイシェル殿ー、いるでござるか?」

「そーゆーのは入ってくる前に言えっての」

 ベッドの上で寝返りを打ってこちらを向くメイシェル。

「で、なに?」

「いやー、あのマルスとミハエルとかいう連中にさぐりを入れてみたのでござるが、それはもうひどいものだったのでござるよ」

「あ、そう」

 再び俺に背を向け、テーブルの上に手を伸ばして皿にあるボールパイを手に取ってしゃりっと食べるメイシェル。

「自分は世界を救う勇者だとか言っていたでござるよ」

「……ん、あぁ、本気でそう思ってるらしいな、昔から」

 本気ではないと思うのだが、まあそれはいいとして。

「それでいて、女は役立たずなのにちやほやされたがるだとか、あげく女どもは昆虫だとか、あそこまで歪んだ男尊女卑の精神はなかなか珍しいでござるなあ、世界を救う前に、まずそこからやめろと言いたいでござるよな」

「ふーん、そかもな」

 言いながら、もひとつ追加でボールパイ。

 おかしい、いつもならこういう話にはすぐに食いついてくるのに。

「そこで拙者、少し彼らを懲らしめてやろうと思うのでござるが」

「へーぇ……あぁアタシはパスな、勝手にやってて」

 ふむ、俺とマルスたちの話を聞いていなかったのだろうか。

「もしかして、メイシェル殿には拙者たちの話は聞こえてなかったのでござるか?」

 ベッドの上であお向けになって、足先をはたはたと上下させるメイシェル。

「いや、聞こえてたけど? 女が宝石を好きなのはそれが自分の理想だから、ってやつでしょ?」

「ひどい話でござるよなぁ」

「そーか? だいたいそんなもんじゃん」

「女性を馬鹿にしているとしか思えない発言でござるよ」

 俺の言葉にしかし、メイシェルの反応は薄い。

「まーなー……役に立つ石ころってことは、それだけ自分の物にして使おうとしてくるやつも多いってことだからな、誰だって面倒事は少ないほうがいいだろ、とくにお上品なところで暮らすにはな」

 どうも俺の知っているメイシェルらしくないというか。

「でござるがなあ……」

「あのさあ、ござる、お前は自分がなんでもできるからって相手の立場を考えてなさすぎ」

「そ、そんなことはないでござる、拙者は無力なメガネでござるゆえ……」

 もしかしたら、レンナから又聞きしただけ、という可能性もあるのではないか。

 そうなると誇張されている話かもしれないと疑うだろうし、だからどうにも気が乗らないというか、本腰になれない。

 だったら。

「永遠の……」

 ぼそりと口の中に隠して呟いてみると、耳の良い医天使さまは、またベッドの上からこちらを向いて。

「てめー、それあんまり口にするなよ、黒のなんとか野郎が……」

 いたくご機嫌ななめな様子である。

 まだ確信というにはおぼつかないが、それでもうちのメイシェルが永遠の医天使本人だと見ておいていいだろう。

 そうなると、永遠の医天使メイシェル本人と会ったことがあるという非公認プリンスの言葉も、やはり嘘だったということになる。

「だいたいさ、あいつのは女嫌いじゃなくて、もっと別のやつじゃん」

「ほほう、マルス殿の女嫌いは演技だ、ということでござるか?」

「いや違う、そもそも女が嫌いな男なんてのは総じて理想が高すぎたりして同姓の中にも嫌いな相手が多いんだよ、つまり他人そのものが全般的に嫌いなだけ」

「ふむ、まあ一理ありそうでござるが」

「もちろん嫌いじゃない人間と出会うこともある、でも異性と関わることの少ないタイプの貴族のぼんぼんだったりすると、これがまた女の中には嫌いじゃない相手が一人も見つからなくて、女全てが嫌いだと勘違いするもんなんだよ」

「ふうむ……」

 もしかして、先ほどもずっと語っていた城の女、あるいは苦労させられた妹たちという存在がマルスにとっての知っている女性の全て、ということなのだろうか。

「そういう男ってのは本質的に女が嫌いなんじゃなくて、自分と気の合う女と出会ったことがないだけなんだよ」

「ふむ、となれば彼が妄想で作り上げた理想の勇者像のように、理想を体現してくれる女性が目の前に現れれば、考えも変わるということなのでござろうか」

「ま、そーなんだろうな」

「それがエーリィ殿だった、ということでござるか?」

「さーね、それはしらない」

 急に投げやりな返答になるメイシェル。

 まさか、レンナの言うように“またエーリィかよ”と心の中で愚痴っているというわけでもないのだろうが。

「ふむ、参考にはなったでござるよ」

 しかし、どうやら罠を張るのにメイシェルの力を借りるのは難しそうだ、そうなるとやっぱり、あの暇ぶっ潰し理術士をなんとかして動員するしかないだろうか。

 そうこう考えながら部屋を出ようと振り返ったところ、ゆっくりとドアが開け放たれ、部屋の入り口で、みのむし系モンスターがみのを失ったかのように不安そうにドア枠につかまる、怠食の蟲使いロンディちゃんがいた。

「あぅ、あの……」

「なんだよ今度は」

 寝転がったまま不機嫌そうに声を上げるメイシェル。

「その、この度はまことに失礼をいたしましたというか……です……」

「誤るならアタシにじゃないだろ」

「いや、その、そっちはぜんぜん大丈夫です、です……」

 何の話をしてるのか俺にはさっぱりだが。

「まあいいや、次からは相手の知識を考えて渡せよ」

「ハイ……それで、なんですが」

 後ろ手の紙袋から、白く輝く大粒のシャンデリアグレープを差し出すロンディちゃん。

 これは、思わぬ高級フルーツが出てきたことに少しばかりメイシェルも驚く。

「くれるのか?」

「ハイ」

「まさか、また蟲がついてたりしないだろーな?」

 ふるふる、と必死で首を横に振って否定するロンディちゃん。

「そっか、悪いな、じゃあそこのボールパイ食っていいぞ」

 シャンデリアグレープを受け取って、テーブルの上の皿を指差すメイシェル。

「あ、ありがとう、です……」

「ひとつだけな」

 言われて、手に取りかけていた数個を皿に戻す怠食の蟲使い。

 ロンディちゃんは猫の仔でも守るようにボールパイを持った手を胸に抱いてさっと部屋を出て、その姿が廊下に消えたと思った瞬間。

「えがぅっ!」

 すぐそこから、苦しみ悶える声とともに、廊下を転がる音が聴こえてくる。

 食うの早いだろ、もっと離れてから食えよ。

 どうせまたメイシェル特製の苦味エキスでも入っていたんだろう。

 しかし、どうやってロンディちゃんが取るボールパイだけにそれを仕込んでいたのだろうか。

 ベッドから身を起こして、シャンデリアグレープを下げておく場所を探しながらも、また同じ皿からボールパイを手に取ってしゃりしゃりと食べるメイシェルは、そんな俺からの視線を。

「ござるも欲しいのか?」

「いや、結構でござる」

 とりあえず、廊下でしびれているらしき、食あたりの蟲使いを水場まで運んでおこう。


「うぐっ……ひどい……」

 鼻頭を赤くしながらも意地でボールパイを全部流し込み、井戸で顔を洗うロンディちゃん。

「わざわざ全部食べなくてもよかったのでござるよ」

「食べ物に毒を潜ませるなんて、物を食べなくては生きていけない全ての生命に対する宣戦布告です」

 それにしても、これだけ食い意地が張っているにもかかわらず。

「あんな貢物を差し出すなんて、一体なにをやらかしたのでござるか?」

「いいえ、直接的にわちしがなにか悪いことをしたわけではないですし、ただちょっと戦況が不利かなと思っただけなのです」

 戦況って、戦いなのかよ、メイシェルとのあれは。

「あの魔女が偽者だと聞いて、本の蟲で少し調べたのですが、ウィッチクラフトマスターのメイ一家は全員が同一人物だという噂があったのです、それどころか――」

 同一人物、となるとやはりあの“永遠の”という異名のとおり、相当の昔から不老の秘薬を完成させていたということになる。

 だとすれば、それが露見したために永遠の医天使メイシェルと呼ばれることになり、それに絡んだ揉めごとを避けるために城から逃げてきた、ということになりそうだが。

「――それどころか、三百年前に偶魔(ぐうま)戦争を引き起こしたとされる邪蟲(じゃちゅう)使いにしてネクロマンサーのメイ・プリムスと同一人物であるとの可能性が高いのです」

 これは、またすごい名前が出てきたな。

「歴史上の可愛い名前の極悪人、で有名なあれでござるか」

 メイ・プリムスといえば、民衆を恐怖と混沌で支配した、その時代の魔王に相当するはずの人物だ、まあ一応は人間なのだが。

「力を封じられて消えたとか、魔界へ乗り込んでいったとか逸話は絶えないのですが」

「ああ、知っているでござるよ」

 だが彼女は死んではいない、それだけがどんな古文書にでもなぜか共通して記載されていたことから、彼女がネクロマンシーによって求め続けていた不死の秘術はすでに完成していたのではないかという説が根強く支持されているのだ。

 しかし、それだとどうしても謎は残る。

 彼女がなぜ消えたのか、そしてなぜ、再び地上に姿を現さないのか。

 大方はどこかに封印されているからだとの結論をみるものだが。

「ウィッチクラフトはいいのです、不死でもなんでもあちしには関係ありませんが」

 この小娘があそこまでおびえていた理由、それはなんとなく俺にもわかる。

「して、メイシェル殿には霊感があるかもしれないのでござるな?」

「……はいです」

 ロンディちゃんの操る不可視の蟲たちは、全て霊力によって生み出され、霊力によって操られるものであるが、その技術は霊感という特殊な才能を持つ人間にしか習得できないとされている。

 そもそも、霊感がないと蟲が見えないのだから、それを操れるわけがないのだ。

 ロンディちゃんもその稀有な才能を持つ者の一人であり、霊感を持たない俺がこの小娘にいいように焼き鳥を貢がされているさまを見ても、それがいかほどの優位性を持つのかは知れようというものだ。

 しかし、霊感というものにもレベルがあって、より高位の霊はそれだけ高い霊感を持つ者にしか見えないとされており、通常の蟲使いには見えないその高位の蟲というのが邪蟲(じゃちゅう)と呼ばれるのだ。

 それが邪蟲と呼ばれる理由は、高位の悪魔だけがそれを使役しうるとされており、人間ではどれだけ霊感を鍛えても邪蟲を見ることはできなかったからだという。

 そう、歴史上ただ一人、そのメイ・プリムスという人物を除いては。

 メイシェルが本当にメイ・プリムスと同一人物だとした場合、ロンディちゃんがパーティメンバー全員につけているという蟲に、さらに邪蟲をつけてその視界を拝借するということも可能になる。

 メイシェルは普段から、ロンディちゃんの蟲に関する話題でも驚くとか気後れするといったことがまったく見受けられないし、今回のように毒盛り合戦でもなぜか優位に立ち続けている。

 それも、ロンディちゃんより高位の霊能力者だったからだとすれば説明がつく。

 普通の人間だったら自分の体の周りを蟲が這いずり回っている光景など見えてしまえば気持ちが悪くて我慢などできそうもないが、それを自分の使い魔として飼っている側ならそうとも言い切れないわけだ。

「そうなってしまうと、メイシェル殿と事を構えるのは少々よろしくないでござるな」

 邪蟲だろうと、ただの蟲だろうと、俺にとってはどうせ見えないから同じようなものだが、ロンディちゃんにとってはそうではない。

 これまでは自分だけができると思われていた全ての覗き見が、実は相手にだけ一方的に可能だったというのだから。

 そりゃあ、この小娘としては早急に貢物を用意したくもなるだろう。

「はい、あちしの絶対的な優位性が……」

「ないでござるな」

「若さしかなくなってしまいました、もうあの三百歳のババアには手を出さないことにするです」

 これだけ言っていられるなら、もう放っといても大丈夫だろう。

 そうなれば俺としても、この三下蟲使いよりもメイシェルとの関係を重視したほうが身の安全に繋がるかもしれない。

 といってもそれは、今もメイシェルが邪蟲使いとして活動しているならの話だが。

 耳が良いのに人の話を盗み聞きするのは嫌だというし、それなら邪蟲が使えてもその能力を封印しているかもしれない。

 むしろ、これまでメイシェルの持ち得ていた情報から照らして見れば、そちらのほうが可能性は高いだろう。

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