避難所のホームレス拒否は「臭い」からではない

台風19号が甚大な被害をもたらす中で、台東区の避難所がホームレスの受け入れを拒否したとして炎上している。これに対して「差別だ」、いや「臭いから迷惑だ」と意見の対立が観測される。だがホームレスが忌避される理由は「臭い」からではない。

f:id:absolute-observer:20191014110231p:plain

例えば、近所の顔見知り程度の人が這々の体で避難所にたどり着き、異臭を放っていたとしたらどうするだろう。洗面所で体を洗えるようタオルや着替えを提供するなど、多くの人が協力を惜しまないはずだ。だが同じ状況でホームレスに手を差し伸べるかといえば疑問が残る。ホームレスはムラの外から来た存在だからだ。

 

ムラの外といっても観光客や外国人はお客さんであり、不便な思いをさせたとなれば世間体に関わる。だがホームレスは客ではない。このご時世、誰しもホームレスになる可能性はゼロではないが、ホームレスであり続ける人は行政の支援を拒否するなど、社会に復帰する意志がないと見なされる。ムラを拒絶する人をムラは受け入れないのだ。

 

しかし日本国憲法にはムラの掟ではなく基本的人権が定められている。行政はホームレスが避難所に入ることを直接的には拒否できない。生存権はたとえ極悪非道の犯罪者であっても保障されるので、税金を払っているかどうかを受け入れ拒否の口実にするのは筋が悪い。

 

命の重さは法の下に平等だが、荒川の堤防は江戸川区側のほうが低く設計されている。江戸川区を水没させて都心を守るほうが復旧にかかる費用は低く、経済合理性があるのでこの高低差は正当化される。同様に、全員を収容する避難所を作ることが不可能である以上、運用の現場では避難所に適格な者と不適格な者を選別しなければならない。

 

例えば公園では、ベンチに肘掛けを付ける事例が増えている。ベンチの真ん中に肘掛けがあると肘を置けるので便利だし、ベンチに寝転んで占有する人がいなくなるので、より多くの人が座れるようになる。もちろん公園のベンチに肘掛けをつけてはいけないという法律はない。

 

台東区の場合は、避難所の入り口で住所の記入を徹底した。住所を記入させることは安否確認や防犯上の理由から必然性があり、快適で安全な避難所運営のために有用だ。だが住所を持たない人にどう対応するかという視点が偶然にも抜け落ちていたのは残念であり、今後は改善を前向きに検討してもらいたい。

 

台東区にホームレス排除の意図があったかは定かではない。公園のベンチの例でも、地面にダンボールを敷いて寝る人は排除できない。例えばホームレスが他人の住所を勝手に記入すれば避難所に入れたかもしれない。ただ、「避難所にホームレスは来てほしくない」という民意があることに変わりはない。「法が許しても俺が許さん」とばかりに行動を起こす人は後を絶たないだろう。

 

これから先、日本が貧しくなればなるほど、法で定められた建前と現実の運用は乖離していく。ネットでは「これは差別だ、人権侵害だ」と正論を振りかざすことで情報強者として振る舞えるかもしれない。だがリソースは常に有限だ。まずはその配分競争に参加しなければ、分け前が少なかったとしても文句は言えまい。