(cache)<196>新築と、記憶のない日々 | 朝日新聞デジタル&w(アンド・ダブリュー)
東京の台所

<196>新築と、記憶のない日々

〈住人プロフィール〉
(女性)編集、ライター・46歳
持ち家・4LDK+パントリー+ロフト ・西武新宿線 小平駅(小平市)
入居6年・築年数6年・夫(46歳、会社員)、長女(7歳)、長男(5歳)との4人暮らし

カフェふうを目指したはずが現実は……

 長女を出産してまもなく、夫が急に家を建てようと言い出した。会社員の彼女は育休をとっていたものの、産後で頭はボーッとしている。初めての育児に手がかかり、設計も細かいところまでタッチできず、ほぼ工務店と夫任せ。望んだのは台所が隔離されないオープンカウンターで、カフェのようなおしゃれな空間に、というくらいだった。

 ところが引っ越し目前に第2子の妊娠が判明。それから今日までの6年は、「パンク寸前で、ところどころ記憶がない時期もあります」。

 出版社にフルタイムで勤めていた。二子とも0歳から保育園に預け、会社員の夫と育児をやりくり。校了時は保育園の迎えを夫に託して夜遅くまで残業することもあった。

「2歳と0歳。台所はカフェ風のおしゃれ空間を目指したかったのですが、高齢出産で2歳差の育児と仕事の両立は予想以上にきつくて。仕事で関わる料理家のような、使い勝手のよいきれいな台所に憧れていたのに、実際は毎日毎日、積み残した家事が次の日に繰り越され、せっかく建てた家も汚部屋化……。コントロールしきれる分量にものを減らしたいのに、100均で便利グッズを見つけるとつい衝動買いしてしまうのです」

 料理雑誌に長く携わったので、「半端に」料理の知識はある。そのため、「食事はこうでなければならない」「子どもたちには手作りのものを食べさせたい」と、志だけは高くなっていく。

「味噌作りとか、梅仕事とか、ジャム作りとか。ところが現実にはとてもそんな余裕のない自分がいる。保育園のお迎えがあるので夕方会社は出ますが、仕事を持ち帰らないと終わらない。寝かしつけたあとパソコンに向かう毎日で 、毎日走り続けているような、精神的にも肉体的にもギリギリな状況でした」

 2017年。もっと子どもと関わりたい、働くことは好きなので、出版関係でなくとも自分のペースで続けられる仕事を探そうと、退社をした。

「じゃあ、これ書いてくれない? と、元同僚らからライティングなどを頼まれまして。なんとなくフリーの編集ライターとしての仕事が始まったのです」

 ところがまもなく、彼女はもっと厳しい修羅場を体験することになる。関東近郊にある実家の父ががんに倒れ、母は肺炎に。母が回復するまで一人娘の彼女が父を預かることになったのだ。

台所の助っ人

「じぃじが裸で玄関にいるよ」

 娘の言葉に慌てて1階に降りていくと、薬の影響で意識障害を併発した父が、玄関を風呂場と間違え、全裸で立っていた。
 夜は眠れず何度も起きて外に出ようとするので、玄関ドアに鈴をつけた。昼夜問わず寝起きは、急にわけのわからないことで怒り出したりする。
 眠る父の横で原稿を書きながら、牛乳1本買いに行くこともできない。

「家事育児に協力的な夫と二人三脚でとりくみましたが、それでも子育てと仕事と父の看護で、日常がまったくたちゆかなくなった。本当にパンク寸前でした。仕事のコントロールもできなくなりかけて、結果的にはたった1週間ほどだったのですが、今でもその時の記憶があまりないんです」

 見かねた包括支援センター職員の助言で、まもなく父はケア施設に一時入所。今度は、父の見舞いとともに、母の手伝いで自宅と実家を往復する生活が始まる。

「会社員時代から、ときどき義母に家事の手伝いに来てもらっていたのですが、そのうち曜日を決めて週3日助けてもらうことに。私は週4作って、金曜日はカレーと決めるなどして、なんとかのりきりました。とても一人では無理でしたね」

 もちろん最初は台所道具のしまい方一つも違い、小さなストレスもなくはなかった。だがそんなものは、とるにたらない些末(さまつ)なことですぐに吹き飛ぶ。

「子どもや自分の口に入るものを作ってくれるだけで、むちゃくちゃありがたい。それから、私は一人っ子で、母には言いにくい弱音やもやもやを、夫以外のだれにも言えずにいたので、義母に聞いてもらって、どれだけ支えられたかわかりません。へこんでいると、私の友達にもこんな人がいてね、とさりげなくヒントをくれるんです」

「私がお留守番しようか?」

 2018年10月、父が亡くなった。その後も死後の様々な手続きがあり、母のサポートも含め、故郷を往復する日々が続いている。
 家の新築、妊娠、出産、退職、独立、父母の介護と死。この6年にたくさんのことがありすぎた彼女はしかし、得たものも大きいとまっすぐ前を見て語る。

「会社員時代は地元につながりがなかったのです。でも、退職を見据えて参加していた地元のNPO主催の講座で、友だちができました。セラピストのその友人は、父を自宅で面倒みていたとき、足湯のマッサージに来てくれて。そのとき、たまたまどうしても仕事で家を空けなければならないんだけど、家政婦センターでも人が見つからず、困っていたら、“私で良ければお父さんとお留守番しようか?”と。涙が吹き出ました」

 また、退職後に地元の仕事で知り合った別の友人からは
「買い物に行くから、欲しい物あったら言って」と、声をかけられた。
 ふだんなら遠慮をするが、「じゃあ、もう」と思い切って甘えた。
 友人は自転車で、頼んだ食料品を届けてくれた。代金を払うと、甘酒を差し出し「これは私からの差し入れ。おいしいし元気が出るよ」。

「私も疲労で寝込んだり、本当に心が折れそうだったので、うれしかったですね。そのとき飲んだ甘酒が本当にすごくおいしくて、今も買い置きを切らさず、毎朝の習慣になってるんですよ」

 核家族の子育て。離れて暮らす両親の介護。共働き。亡くなったあとも、葬儀、役所関係、法事、墓、寺、お金周りのさまざまな手続きがあり、老親ひとりでは判断できないので担った。

 彼女だけが特別ではない。記憶がなくなるほどの負担と苦悩は、誰もが背負う可能性がある。

 子どもが5歳と7歳になり、彼女は、「これから少しずつ自分の生活を整えていきたい」と語る。いまは100円ショップの器ばかりだけれど、もっと整理したいし、いいものを厳選していきたいんです、と。
 
 仕事柄、たくさんの素敵な台所を見てきたことだろう。忙しいなりに夢を託して、家を建てた。それでも思うようにはいかないことが、人生にはままある。
「好きなものだけに囲まれて暮らすって、簡単に言うけれど、ものすごいぜいたくなことですね。私にとっては夢のまた夢です。だって、今の台所、ときめかないグッズだらけですから」

 その日はいつかきっと来るなどと、安易に言うまい。
 私はただただ、今を生きることに精いっぱいでありながら、それでも本連載に応募するだけの小さな余裕ができたことと、週3食事を作ってくれた義母、同士のような夫、甘酒や足湯の友人たちの存在に今、小さく安堵(あんど)している。

 彼女の体験から、遠方の親の介護に今後必要なものは、真に包括的な制度、つまりはマンパワーであると、あらためて強く感じた。

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     ◇

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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<195>煮物のような味噌汁から始まった彼女の恋

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