ブラタモリトレース・二子玉川(その2) [散歩会]
2018年6月17日(日)取材
同7月6日(金)アップ
次に、ショッピングセンター(高島屋)の、開発時のニュース画像やこぼれ話などが披露されましたが、この間、建物内で番組は進行し、ブラタモリトレースとしては、取り上げにくいので割愛いたします。
次に、タモリさん一行は、多摩川の河原にやって来ました。ここで、二人目の案内人が登場しました。
#14、多摩川の河原にて(二人目の案内人=向谷さん登場)
※向谷さん:画面左
◆向谷さんのプロフィール
戸田恵子ナレーター:「向谷さんは、二子玉川出身のミュージシャンで、フュージョングループ カシオペアのキーボード奏者として活躍してきました。大の鉄道ファンでタモリさんとは鉄道仲間です。
実は向谷さん生まれも育ちも二子玉川なんです。」
◆「二子玉川」という名称の誕生のいきさつ(説明:向谷さん)
久保田アナ:「なんかニコタマ、ニコタマってしごく最近よく聞きますけど」
向谷さん:「ニコタマとはそんな昔言ってなかったですね。(僕は、ここの出身なんですが)ニコタマって最初聞いてなんだソレって・・・。
僕 出身が二子玉川小学校なんですけど二子玉川って地名はなかったんですよ。だいたいこの辺は玉川何丁目って言ってたんですけど、この川を渡った神奈川県に二子村(現・川崎市 二子)って言うのがあったのかな?。こちらが玉川村で(現・世田谷区 玉川)それが一緒になって二子玉川っていう、ま~一つの俗称?ということです。」
◆向谷さんの「二子玉川」という名称の誕生のいきさつは、音声ファイルでもお聞きください。
%03.音声ファイル:二子玉川という名称の誕生のいきさつ
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
#15、多摩川河原(きたろう実写)
※本写真は、地点C1から撮影。タモリさん一行は、この画面よりもっと川寄りの方でお話をしていました(地点C2)。
#00、ブラタモリトレース行程図
◆タモリさん一行は、河原から、市街地のほうへ移動(地点Dへ)
#16、川から約50m離れたところにある謎の土手
※本画像右側約50m先が多摩川(河原)。画面奥が、二子玉川駅の方面です。
◆謎の土手発見
久保田アナ:「これ土手なんですか?」
タモリさん:「これは昔っからあった?」
向谷さん:「そうですね僕も子供の頃からもうここに土手ありましたね。」
タモリさん:「これおかしいよね?」
久保田アナ:「でもここ道路ですよね?」
タモリさん:「これなんだろう?自然堤防でもなさそうだよね」
久保田アナ:「ですね、階段もついてますし・・・」
#17、謎の土手上で、土手の吟味は続く
タモリさん:「なんだろうねこれは?」
向谷さん:「多摩川、結構多いですよね、長いから、あっちの下の方にもあるし、こっち
にもあるし」
久保田アナ:「ちょっと土手らしくピクニックされている方も、いらしゃいますし(笑)」
タモリさん:「もっと川沿いにあるなら話はわかるけど。なんだろう これ?」
向谷さん:「ちょっと謎ですね」
久保田アナ:「いざという時役に立たないですよねこれ」
向谷さん:「そうですね(苦笑)」
#18、謎の土手上から(きたろう実写)
※地点D=玉川3-5-3(画面左端の紺色の看板の店(居酒屋)の住所)
#19、俯瞰撮影・・・多摩川と謎の土手との間にマンションが立ち並ぶ
#20、大正13年の地図
◆謎の土手が出来た理由
戸田ナレーター:「多摩川沿いにはマンションが立ち並んでいます。土手があるのは川からおよそ50m離れたこの場所。これじゃあ川が氾濫した時水に浸かってしまいますよね~
不思議な土手ができたわけ、それは大正13年の地図の中にありました。現在マンションが並ぶ一角を見てみると料亭街が広がっています。
氾濫の多かった多摩川沿いにはこの様に堤防を作る計画が持ち上がりました(古地図、川沿いの赤の線)。
しかし川の景観を売りにする店からは反対の声も多く挙がりました。」
シャリ~~ン(効果音)
「その結果、この様に堤防は川から離れた現在の位置に(緑の線)造られる事になったんです。」
この説明は、音声ファイルでもどうぞ・・・
%04、音声ファイル:謎の土手が出来た理由(戸田ナレーター)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
◆次に、タモリさん一行は、一軒だけ残っている、老舗の料理屋にやって来ました。
#21、一軒残る老舗の料理屋(やなぎや)
#22、やなぎや正面入口(きたろう実写)
※やなぎや・・・玉川3-25-15
◆タモリさん達は、女将に出迎えられ店内に入りました。
#23、和のスイーツセットを食すたもりさん達
右端・・・女将:西尾順子さん
女将は、このスイーツをお茶菓子と称していたが、実際は、多摩川をイメージした10数種から成る、和スイーツの豪華な盛り合わせであった。
◆女将は、昔の写真をタモリさんたちに披露した。
#24、昔のやなぎやの写真
※この、写真が何時頃かの説明(テロップも含め)はなかった。
◆女将から土手に関する話を聞く
タモリさん:「創業何年くらいになるんですか?」
女将:「天保2年(1831年)でございます。これ、昔の古い写真なんですけど・・・」
久保田アナ:「うわぁ~貴重なものですね!」
向谷さん:「これ川沿いだ、本当に。」
久保田アナ:「舟を浮かべて・・・」
女将:「そうですね、舟遊びをされていたようです。」
久保田アナ:「どういう方がいらっしゃるんですか、お客様は?」
女将:「そうですね~、天保年間の時には徳川様がお見えになりました。」
久保田アナ:「あの徳川様!」
向谷さん:「他に徳川様はいない。」
一同笑い
久保田アナ:「ここに来る途中に道路の真中に土手があったんですが(あれは、何なんですか?)」
女将:「土手ですね、ほんとはもっと川側に造らなければいけないんですけど、お料理屋さんの景観が悪くなってしまうのでお料理屋さんが皆さんで料理屋の外側に土手を造ってくれという事で、もう私達はどうなってもいいから・・・・」
一同笑い
#25、古写真・・・料理屋から多摩川方向眺める女性二人(芸者?)
女将:「私たちは水で流されてもいいから、この景観を残しておきたいという事で・・・」
タモリさん:「結局、料理屋は流されたことはないんですね?」
女将:「流されたことはございません、(他の料理屋さんは)みんなお辞めになりましたけど・・・」
久保田アナ:「あ~~~」
◆「女将から土手に関する話を聞く」は音声ファイルでもどうぞ・・・
%05、音声ファイル
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
#26、現在の多摩川河原(ストリート・ビュー)
(続く)
同7月6日(金)アップ
次に、ショッピングセンター(高島屋)の、開発時のニュース画像やこぼれ話などが披露されましたが、この間、建物内で番組は進行し、ブラタモリトレースとしては、取り上げにくいので割愛いたします。
次に、タモリさん一行は、多摩川の河原にやって来ました。ここで、二人目の案内人が登場しました。
#14、多摩川の河原にて(二人目の案内人=向谷さん登場)
※向谷さん:画面左
◆向谷さんのプロフィール
戸田恵子ナレーター:「向谷さんは、二子玉川出身のミュージシャンで、フュージョングループ カシオペアのキーボード奏者として活躍してきました。大の鉄道ファンでタモリさんとは鉄道仲間です。
実は向谷さん生まれも育ちも二子玉川なんです。」
◆「二子玉川」という名称の誕生のいきさつ(説明:向谷さん)
久保田アナ:「なんかニコタマ、ニコタマってしごく最近よく聞きますけど」
向谷さん:「ニコタマとはそんな昔言ってなかったですね。(僕は、ここの出身なんですが)ニコタマって最初聞いてなんだソレって・・・。
僕 出身が二子玉川小学校なんですけど二子玉川って地名はなかったんですよ。だいたいこの辺は玉川何丁目って言ってたんですけど、この川を渡った神奈川県に二子村(現・川崎市 二子)って言うのがあったのかな?。こちらが玉川村で(現・世田谷区 玉川)それが一緒になって二子玉川っていう、ま~一つの俗称?ということです。」
◆向谷さんの「二子玉川」という名称の誕生のいきさつは、音声ファイルでもお聞きください。
%03.音声ファイル:二子玉川という名称の誕生のいきさつ
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
#15、多摩川河原(きたろう実写)
※本写真は、地点C1から撮影。タモリさん一行は、この画面よりもっと川寄りの方でお話をしていました(地点C2)。
#00、ブラタモリトレース行程図
◆タモリさん一行は、河原から、市街地のほうへ移動(地点Dへ)
#16、川から約50m離れたところにある謎の土手
※本画像右側約50m先が多摩川(河原)。画面奥が、二子玉川駅の方面です。
◆謎の土手発見
久保田アナ:「これ土手なんですか?」
タモリさん:「これは昔っからあった?」
向谷さん:「そうですね僕も子供の頃からもうここに土手ありましたね。」
タモリさん:「これおかしいよね?」
久保田アナ:「でもここ道路ですよね?」
タモリさん:「これなんだろう?自然堤防でもなさそうだよね」
久保田アナ:「ですね、階段もついてますし・・・」
#17、謎の土手上で、土手の吟味は続く
タモリさん:「なんだろうねこれは?」
向谷さん:「多摩川、結構多いですよね、長いから、あっちの下の方にもあるし、こっち
にもあるし」
久保田アナ:「ちょっと土手らしくピクニックされている方も、いらしゃいますし(笑)」
タモリさん:「もっと川沿いにあるなら話はわかるけど。なんだろう これ?」
向谷さん:「ちょっと謎ですね」
久保田アナ:「いざという時役に立たないですよねこれ」
向谷さん:「そうですね(苦笑)」
#18、謎の土手上から(きたろう実写)
※地点D=玉川3-5-3(画面左端の紺色の看板の店(居酒屋)の住所)
#19、俯瞰撮影・・・多摩川と謎の土手との間にマンションが立ち並ぶ
#20、大正13年の地図
◆謎の土手が出来た理由
戸田ナレーター:「多摩川沿いにはマンションが立ち並んでいます。土手があるのは川からおよそ50m離れたこの場所。これじゃあ川が氾濫した時水に浸かってしまいますよね~
不思議な土手ができたわけ、それは大正13年の地図の中にありました。現在マンションが並ぶ一角を見てみると料亭街が広がっています。
氾濫の多かった多摩川沿いにはこの様に堤防を作る計画が持ち上がりました(古地図、川沿いの赤の線)。
しかし川の景観を売りにする店からは反対の声も多く挙がりました。」
シャリ~~ン(効果音)
「その結果、この様に堤防は川から離れた現在の位置に(緑の線)造られる事になったんです。」
この説明は、音声ファイルでもどうぞ・・・
%04、音声ファイル:謎の土手が出来た理由(戸田ナレーター)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
◆次に、タモリさん一行は、一軒だけ残っている、老舗の料理屋にやって来ました。
#21、一軒残る老舗の料理屋(やなぎや)
#22、やなぎや正面入口(きたろう実写)
※やなぎや・・・玉川3-25-15
◆タモリさん達は、女将に出迎えられ店内に入りました。
#23、和のスイーツセットを食すたもりさん達
右端・・・女将:西尾順子さん
女将は、このスイーツをお茶菓子と称していたが、実際は、多摩川をイメージした10数種から成る、和スイーツの豪華な盛り合わせであった。
◆女将は、昔の写真をタモリさんたちに披露した。
#24、昔のやなぎやの写真
※この、写真が何時頃かの説明(テロップも含め)はなかった。
◆女将から土手に関する話を聞く
タモリさん:「創業何年くらいになるんですか?」
女将:「天保2年(1831年)でございます。これ、昔の古い写真なんですけど・・・」
久保田アナ:「うわぁ~貴重なものですね!」
向谷さん:「これ川沿いだ、本当に。」
久保田アナ:「舟を浮かべて・・・」
女将:「そうですね、舟遊びをされていたようです。」
久保田アナ:「どういう方がいらっしゃるんですか、お客様は?」
女将:「そうですね~、天保年間の時には徳川様がお見えになりました。」
久保田アナ:「あの徳川様!」
向谷さん:「他に徳川様はいない。」
一同笑い
久保田アナ:「ここに来る途中に道路の真中に土手があったんですが(あれは、何なんですか?)」
女将:「土手ですね、ほんとはもっと川側に造らなければいけないんですけど、お料理屋さんの景観が悪くなってしまうのでお料理屋さんが皆さんで料理屋の外側に土手を造ってくれという事で、もう私達はどうなってもいいから・・・・」
一同笑い
#25、古写真・・・料理屋から多摩川方向眺める女性二人(芸者?)
女将:「私たちは水で流されてもいいから、この景観を残しておきたいという事で・・・」
タモリさん:「結局、料理屋は流されたことはないんですね?」
女将:「流されたことはございません、(他の料理屋さんは)みんなお辞めになりましたけど・・・」
久保田アナ:「あ~~~」
◆「女将から土手に関する話を聞く」は音声ファイルでもどうぞ・・・
%05、音声ファイル
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#26、現在の多摩川河原(ストリート・ビュー)
(続く)
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