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ジャーナリスト?津田大介

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」が中止になった問題の検証委員会が中間報告を出した。

検証


全文94頁に及ぶ「大作」である。ヒアリングなどを通じて明らかになった問題点を網羅的に明らかにし、再開に向けた方向性を示している。

私は、芸術監督の津田大介氏に対する糾弾ともいえる激しい批判にいささかびっくりした。詳しい経過を知っていたわけではないが、「やはり、そうだったのか」という思いである。

以下はその部分の全文である。

・芸術監督は以下の諸点において学芸業務の最高責任者としてふさわしくない行動や言動、情報発信を行ったといえる。
(1)本来業務に関する判断、あるいは組織運営上の問題点
①不自由展実行委員会のかたくなな姿勢は早くからわかっていたにもかかわらず、自らの個人的関心を優先させ、交渉上、組織としては通常ではありえない判断と譲歩を続け、結果的に展覧会の開催を強行し、中止の事態に陥り、関係各方面に多大な損害を与えるとともにあいちトリエンナーレ及び、愛知県庁に対する県民や協賛企業からの信頼を大きく失わせる事態を招いたこと。
②不自由展実行委員会に展覧会のキュレーションを委ねてしまい、結果としてあいちトリエンナーレの期待水準に達しない、また「芸術の名を借りた政治プロパガンダ」と批判される展示をみとめてしまったこと。
③(①に関連して)、企画段階からの専門キュレーターの参画を得ず、また最高責任者としての権限を行使して担当キュレーターを配置しなかったこと。
④展示に加えてパネル討議やディスカッションなどの併催 企画が必要な難易度の高い企画と認識していたにもかかわらず、時間不足と資金不足に陥り、結果的にその準備に至らなかったこと。
⑤大型作品の搬入や海外からの作品搬入に伴うスペース不足やコスト増をあらかじめ想定できず、予算の不足を招き、また予定していた協賛金の手当てができなかったこと。
⑥芸術監督という多忙な職務にあるにもかかわらず、不自由展にアシスタント・キュレーターをつけずに自ら一部作家との交渉や不自由展の実行委員会との準備に多大な時間を費やしたこと。
⑦芸術監督はインターネットに精通した専門家であり、展示作品の断片映像がSNS上で拡散される事態とそれがもたらす激しい抗議をある程度、予見し得たはずである。それにもかかわらず早くからその危険性を事務局や会長に警告しなかったこと。さらに展示開始後、一部の作家から写真映像のSNS拡散の禁止はおかしいと抗議を受け、当該作家だけに対し「作家発ならよい」と回答してしまい、結果として他の2作家の追随を招き、ひいてはルールの不徹底に対して来場者からの抗議や混乱を招いてしまったこと。
(2)背信とのそしりを免れない行為
⑧本来は不自由展実行委員会が自ら用意すべき展示作品の詳細説明を無償でかって出て、自らが経営する会社のサーバーに用意したこと、また不自由展実行委員会が本来、負担すべき訴訟となった場合に発生する費用等の経費を個人で負担する覚書を出していたことは、業務委託先との不適切な関係(いわゆる公私混同)に値する。また、私益を追求した訳ではないが、芸術監督に求められる業務委託先や出品者の公平な扱いの原則から逸脱し、最終的にはあいちトリエンナーレの公正かつ透明な運営に対する県民や協賛企業からの信頼を失わせる行為である。
⑨大浦氏の新作映像の内容を知り、またその出品を5月27 日に正式決定したにもかかわらず、作品リストに掲載せず、またその事実とそれがもたらす混乱の可能性やリスクを事務局やキュレーターチーム、会長に一切伝えない まま展覧会の開催日を迎えたこと(「善管注意義務の重大な違反」あるいは「悪意ある不作為」とのそしりすら免れえない)。
(3)ジャーナリストとしての個人的野心を芸術監督としての責務より優先させた可能性
⑩2015年の不自由展の拡大版を「あえて今回公立美術館で開くことに意義がある」と不自由展実行委員会と当初から合意していたが、これは人々が公的機関に期待する役割から逸脱したものであり、いくら芸術祭であるといっても、県民からの理解がたちどころにはえられるとは思われない。また、このことはプロのジャーナリストとして当然、想定し得たはずだが、それにもかかわらず、芸術監督は無理に無理を重ね、キュレーターチームや事務局からの懸念を振り切り、愛知県美術館での展示を強行した。このことはジャーナリストとしてはもしかすると 長い眼で見た時にひとつの業績になりえるかもしれない。しかし、税金でまかなわれる県の施設を使用する芸術監督に求められるべき当然の分別、あるいはINTEGRITY (高潔さ)を著しく欠いた行為であり、違法ではないが到底、県民の理解はえられない。
⑪2019年4月には芸術監督の地位にあるにもかかわらずインターネットの番組内で今上天皇に関し「2代前だから燃やしてもよい」と受け取られても仕方がない発言を行い、その映像が広く流布された。この発言は後の大浦氏の新作映像の出品をあらかじめ知ったうえでしたものではないとの弁明があったものの芸術監督としては軽率かつ不適切であり、のちにSNS上で同作品の映像が流された際に想定以上の激しい抗議を誘発する一つの原因ともなった。


「背信とのそしりを免れない行為」「ジャーナリストとしての個人的野心を芸術監督としての責務より優先させた可能性」「税金でまかなわれる県の施設を使用する芸術監督に求められるべき当然の分別、あるいはINTEGRITY (高潔さ)を著しく欠いた行為」など実に手厳しい。

「ジャーナリストとしての個人的野心」という表現が少し気になる。私は津田大介という人が「メディア・アクティビスト」といった肩書で仕事をしていたことは知っていたが、いつから「ジャーナリスト」と名乗っているのだろうか。

一介の「ジャーナリズム史研究者」ではあるが、気軽に「ジャーナリスト」と名乗ってほしくない気がする。

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プロフィール

toku1947

Author:toku1947
ジャーナリズム史研究者。新聞社に33年。2003年4月―2017年3月、法政大学社会学部・大学院社会学研究科教授。「ジャーナリズムの歴史と思想」などを担当。毎日新聞客員編集委員

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