先にとりあえずだけど、宗教はクソ、そう書いておく。

それが私の考え方。


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今朝
彼女が話したことを思い出した。
「神様に ありがとう」

ん・・
「神様の力」は信じてはいないが、
「神様の存在」は幽霊のようで信じている。


苦しい時に、みんな神様に頼る。

みんなが助けてと願うが、その願いは自分自身のことばかり。

 

私は、その時、彼女のことを思い悩みながら、そこにいた。







タバコをふかして、

検査結果を見て、元気に仕事をしているんだろうか。

 



彼女のことで
次第に動きがあったのは、

8月に入ってからのこと。


とても暑い日だった病院にいった帰り。8月頭。
毎月 境内でタバコを2,3本吸っては、ぼーっとした時間を過ごしている。

 

弁財天の神様に、場所を借り、つかの間の休息のお礼に
誰も掃除されない祠を掃除をしていた。

盛り塩、ほうきでの清掃、水での洗い。
お金ではなく、きれいにして恩義を返そう。
ただそれだけだった。


そこは賽銭箱はそもそもない。

近くに阿佐ヶ谷の立派なお金のかかった弁財天はあるが、
そんな立派でもなく、どこどこの宗派の流れなどそういったもののない、

みすぼらしくて、台風なら吹き飛びそうな、
本当に、本当に 草の根の小さな小さな祠


頭がパンパンになっていた時に、

タバコを2,3本吸いながら、ぼーっとした時間を過ごす。

1時間も真夏に外出すればたちまち体力は奪われていく。

しかも病院では待ちづかれ。

木陰で休ませてもらった。

そもそも神様のランクなの?
立派な建物、お金のかかった施設装置。
これってそもそも俗人がやってるだけで、神様がやっているわけでもない。
神様自身は賽銭箱など置かない。

立派な建物でも、
賽銭箱があることでも、
どこどこの宗派の流れの歴史あるなどといったブランドでもない。
小さな祠


弁財天さん
もし、あのときの私の悩みを聞いてくれていたのなら、
とても感謝しています。

 

一人の人間が考える機会を与えることができた かも しれませんね。


また通院の帰りに、
タバコでも吸わせていただいて、休ませてくださいな。


祠を直したり、掃除したり、ご恩返しさせてくださいな。

 

 

 

力を頼りにしたいのもあるけど、

話を聞いてもらうだけで、神様ならばほっとする。