父親は英語が好きでした、大学時代加熱しきっていた学生運動を無視してアメリカでインターンシップをしたり、日本での会社勤めも海外との取引や出張がある部署に所属し、私が物心ついてから大病を患った後も変わらず英語を熱心に勉強していました
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BBCだか何かが見られるチャンネルを契約し、電車ではその録音を聞き、夜は洋楽を聴き、ナショジオを読み、また我が家では映画は吹き替え禁止だったので私はテレビで放映されがちな定番洋画を軒並み知らないまま育ちました
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定年まであと数年ゆえ英語力の向上が仕事に役立つとも言えず、子供が4人いて末の子はまだ子供、海外旅行をする余裕なんてなかったはずで、なぜ父が英語の勉強にそれほどまでこだわるのかわからなかったし、それを聞きそびれたまま私が13の時に父は死にました
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父は英語を勉強していたけれど、外国にかぶれるわけでもなく、むしろ日本の古い父親像に近い気質だったと思います、気難しく、寡黙で、パーティーの類からはすぐ帰りたがりました、子煩悩とは縁遠く、私の記憶の中の父はいつも後ろ姿でした
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父親が死んだ後、色んな人が色んなことを私に言ったけれど、多くは「お父さんはあなたを愛していた」「お父さんは亡くなったけどあなたを見守っている」といったことでした、でも私は心からそれを信じることができなかった
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私は歳をとって、困った大人になりました、どこかに行ってしまいたいと常に思っていて、たまに旅をしました、でも旅が終わると少しずつ、潮が満ちるみたく、どこかに行ってしまいたくなる、そして友人達が仕事をし、子を作り、家を買うのを見ないふりをして、また旅に出ました
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ちぎれるきっかけは確かにありました、父親を亡くした友人が「子供のエコー写真が死んだ父親の顔に似ていた」と、春の光の中で笑ったのを見て、もうここにはいられないと思いました、私はその写真が、喉から手が出るほどその写真が欲しかった、そして次の日に日本を出るスケジュールを立てました
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日本を離れてしばらくして、とある女性に会いました、その人はムスリムで、私にこう言いました、「死んだ父は信仰にしたがって写真を残さなかった、でも私は写真が無くてもいつでも父や、父の愛を側に感じられる」
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ずっと願っていた「どこか」に来たのに、私はなにひとつわからなくなりました、写真が欲しいのかいらないのか、父が何を考えていたのか、自分が父に何を求めていたのか、なにもわからなくて、誰もいない灰色の海の横で、冷たい風にびゅうびゅう吹かれながら、知らない、つまらない道をただ歩きました
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犬を散歩させている人とすれ違って、私達はお互いにハローと言いました、そして私は突然気付きました、父は「どこか」に行きたかった、でもそれが叶わないことを知っていた、それでもいつか「どこか」に行けると信じるための装置が、英語を勉強することだったんだ、と
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父親も人の子なので自分の妻や子らをそれなりに慈しんでいたんだろうけれど、たぶん本質的には愛していなかった、淡々と働きながら、どこかに行くことを願って、そしてどこにも行けないまま死んでいった
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やっぱりそうだった、父の魂は私の側になんていなかったんだ、愛なんて感じられなくて当たり前だ、だって父はどこかに行きたかったんだから。どこかに行きたいと願う厄介な血は私の中に流れていて、私はどこかに行くことができた、これからもできる、父の写真が手に入らないことと引き換えに。
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犬は小さな毛長で、モジャモジャと汚くほつれていました、今日のことをずっと覚えていようと思ったけれど、挨拶をかわした男性の顔はすぐに忘れました、お願いだから、灰色の海のことだけは、もう少し覚えていさせて
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