ノーベル文学賞の二年分の受賞者が十日に発表された。発表を見送るという昨年の異常な事態を受けた措置だが、違和感をぬぐえない。世界で最も権威のある文学賞は、果たして再生できたのか。
ノーベル文学賞は毎年、芸術家や学識者らの会員からなるスウェーデン・アカデミーが選考に当たってきた。だが二〇一七年、アカデミーの会員(女性)の夫で著名な写真家が、少女たちに性的な暴行を働いていた醜聞が発覚した。
後に起訴され、裁判で有罪となったこの写真家については、事前に受賞者の名前を外部に漏らしていた疑惑さえも持ち上がっている。
問題への対応を巡って一八年、アカデミーの事務局長や会員が相次いで辞任。アカデミーは機能不全に陥り、一九四九年以来、およそ七十年ぶりに受賞者が発表されないという事態を迎えた。
賞の権威の失墜を招いた上、閉鎖的な体質が厳しい批判にさらされたアカデミーは、選考に外部の作家や批評家らを招くことなど改善策を決定。こうして今年はオーストリア出身のペーター・ハントケ氏らの受賞が発表された。
混乱はひとまず収束したようだが、「二年分をまとめて発表」という大ざっぱな対応は、アカデミーとこの賞の改革を大きく前進させるものとは言いがたい。
賞の選考の過程が明かされるのは、規定により半世紀も後だ。仮にその時代の人が過去の記録を見たら、見かけ上は二〇一八年も例年通り、順当に受賞者がいたことになりはしないか。とすれば、世界の文学賞を代表するこの賞の「負の歴史」を糊塗(こと)し、問題を告発しようとした人の努力も覆い隠すことになるのではと懸念する。
むしろ堂々と「二〇一八年は受賞者なし」とした方が、賞の再出発にはふさわしかったかもしれない。アカデミーは今回の問題を未来への重い教訓として、さらに信頼の回復に努めるべきだろう。その動向を引き続き注視したい。
異例の状況とはなったが、受賞が決まった二人はいずれも評価の高い書き手だ。日本でもこれを機に、二人の作品が盛んに読まれるとともに、さらに多くの優れた海外の文芸家らの文学を紹介する機運が高まってほしい。
また今回、日本人の受賞はならなかったが、作家たちが日本の現状や問題点などを鋭敏な感覚で描き出す創作が海外でも共有されるよう、出版社などは翻訳出版にさらに力を入れるよう望みたい。
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