オタクにとってTwitterはヲタ活動の必需品である。Twitterは凄い。クリエイターに直に感想を送れるし、同志が良いツイートを回してきてくれる。凄い。時間が無限に欲しくなる。
でも、俺はTwitterを使いこなせなかった。FF外から失礼できなかった。FFでもふぁぼするだけの関係になってしまった。どうでもいい呟きが並び続けるノイジーなタイムラインを眺められなかった。絵や漫画に付くリツイートとふぁぼを同時押しするイラストにイライラした。そのくせ自分から発信できるコンテンツも無かった。
なんだこれ、Twitterやらなくていいじゃん、俺…
結局俺は気になる人のツイートとか、追ってる作品のハッシュタグとmin_faves:100とか付けた検索結果を他ツールに通知させてるだけで満足してしまった。俺にとってTwitterは二次創作や作品を収集するだけの検索エンジンとなり、そこに会話は無かった。
Twitterを本拠地としないオタクも勿論居る。ブログをコツコツ書く人も居れば、掲示板に住み着いてる人も居る。彼らは彼らで凄いと思う。媒体は違えど発信が出来る人種なのだ。俺も彼らになろうとしたが、やはり駄目だった。というか、やはり発信ができない人種は、媒体に限らず発信ができないのだ。嗚呼。
話が逸れすぎている。もちろん俺は今の状況が良いと思ってない。作品を見て、二次創作や感想を漁って、自己完結する事はそれなりに楽しい。でもやはり発信したくなるのがオタクの性なのだろう。それゆえTwitterに適応できないのがイライラするような、心が沈むような感じがするのだ。
さて、Twitterで発信できないなら、やはり挑戦するべきはブログだろう。なぜ俺は発信できないのか?それは単純で、まともな感想文が書けないからだ。Twitterでなら気軽に「ここすき」と鳴き声の如く書いていただろうが、俺はFF外からも引用RTも出来ない人間なのでここで八方塞がりだ。残念。
感想文を書くことは、それはそれは難しいことだ。夏休みの読書感想文のことではない。あれは文字数を稼げばいい文章の宿題だろう。俺が言いたいのは、作品を見て感じた、ときめきや尊さを表現することはとても難しいってことだ。加えて作品のどこに感動したか、それを書こうとすると作品のあらすじがうまく説明できないときた。表現したい気持ちはある。でも自身の表現も、ストーリーを纏める技術もまったく追いついてこないのだ。これに悩んで感想文は完成文にはならない。途中でゴミ箱行きになる。
感想文をしっかり書く技術が欲しい。しかし何を鍛えればいいかも分からずとりあえず感想を書き、捨て、書き、捨てている。そんな苦悩を心の片隅に感じつつ、今日も自己完結するオタクとして過ごしている。
なんで周りに倣えする必要あるの? オタクっていうからにはなにか好きなものあるんだろ? それだけみてればいいじゃん。
自分は非公開の壁打ちアカウントにリストを作って気になる人を入れてるよ
オタクってただの消費者なのに、「発信すること」にやたらこだわるよね。 クリエイターにコンプレックス持った人多すぎ。 音楽も映画もただ見てる人が大多数なんだから、ただ見てる...
うんち
今そうやって増田で発信出来てるじゃん
感想文は難しいから批評を書くといいよ
こういう人って何を発信したいのかよくわからない。 創作したかったら創作するべきで、ただ作品を見てるだけなんだから発信できるわけない。
俺もTwitterに最近嫌気が差して前からやってた個人サイトで発信したい事を消化するようにしたよ。 以前と同程度にアクセスがある。Twitter外にも人がいて同志もいるんだ。