アジア諸国の中でもデジタル・トランスフォーメーション(以下、DX)が一向に進まない国として知られている日本。そのような中、テクノロジーとノウハウを組み合わせ、ユーザー企業の求める最適なシステムを構築するSIerの役割は大きいはずなのですが、一方で、従来通りのやり方が通用しなくなっているのも事実です。
企業の「本質的なIT化」が喫緊の課題となる中、SI産業にとってDXの進展は何を意味するのでしょうか。また、SIerが今後も企業のIT部門にとって欠かせない存在であり続けるためにはどのような姿を目指し、どのような関係を築いていけばいいのでしょうか――。
本特集「なぜ、日本企業のIT化が進まないのか?」では、普段、SIerの顧客側としてユーザー企業内でシステム企画に携わる情シス部長を聞き手に、エンタープライズ業界を取り巻く問題の本質を探るとともに、IT化を成功に導くための情シスとSIerの関係を考えます。
1本目の本記事では、長年、エンタープライズ業界に関わり、現在はSIや経営層向けのIT研修を通じてこれからの企業とITの在り方を説くネットコマース代表取締役の斎藤昌義氏に、日本企業のIT化が進まない理由をさまざまな角度から俯瞰して語ってもらいます。
「デジタルトランスフォーメーション」「データ経営」「デジタル革命」――。これらの用語は連日、メディアを賑わせており、至るところで「ITを積極的に活用した企業経営」の重要性が喧伝されている。
しかし一方で、日本は諸外国と比べて、「ITの活用が極めて遅れている」という指摘も絶えない。特に近年、日本企業は欧米の先進企業にIT活用で大きく水を開けられたばかりでなく、アジアの新興企業にも遅れをとっているというIDCの調査結果も出ている。
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日本企業のIT化が進まない理由として挙げられるのが、諸外国とは異なる「日本特有のSI業界の産業構造」だ。国内のIT人材をSIerが一手に抱え、ユーザー企業はそのSIerにITシステムの企画・構築・運用を発注する――。日本ではすっかり常態化したこの産業構造だが、実は海外ではこのようなやり方は必ずしも多くはない。そしてこの産業構造は、過去には有効に働いていた時期もあったが、現在では非効率な面が目立つようになってきている。
この問題を深く考察し、執筆や講演活動を通じて長らく指摘し続けているのが、ネットコマースの代表取締役を務める斎藤昌義氏だ。同氏の目には、果たして現在の日本のSI業界はどのように映っているのか? また、これから日本企業がDXの実現を通じて成長を遂げるには、何が求められるのか――。
日本のSI業界の問題点についてメディアを通じて積極的に発信しているAnityA 代表取締役の中野仁氏を聞き手に、斎藤氏に大いに語ってもらった。
本当にITの価値を理解している経営者はほとんどいない?
斎藤氏 私は普段、ユーザー企業の経営者の方とお話しする機会が多いのですが、皆さん口をそろえて「ITは重要である」「これからはITの時代だ」とおっしゃいます。しかし、残念ながら、その言葉を実際の行動に移している経営者はほんのわずかです。
中野氏 「人が大事だ」「これからはデータの時代だ」というのと、まったく同じですね(笑)
斎藤氏 経営者が自らITの価値を理解しようとせず、単に“世間でそう言われている”から「自分もそう言っておかないと格好悪い」というだけなんですね。ただ、「ITは重要らしい」ということは何となく感じているので、「ITは難しくて分からないから、後は任せたよ!」と、部下やSIerに丸投げしてしまう。いわば「意識のアウトソーシング」とでも呼ぶべきことを行っているわけです。
中野氏 以前から、「日本経済が浮上するためには、ITに対する経営者の意識を変えていかなくてはならない」と言われ続けてきましたが、実際にはなかなか難しいですよね。
斎藤氏 個人的には、そうした旧態依然とした経営者の意識を変えるのは無理だと思っています。年を取ると、どうしても過去の成功体験に依存しがちになりますし、他人から「意識を変えろ!」といわれて「はい、分かりました」と、そうそう簡単に意識をガラリと一変させるようなことは、残念ながらほとんど期待できないでしょう。それこそ、会社が倒産の危機に直面したり、自身の立場が危うくなれば別かもしれませんが。
中野氏 そうした経営者が率いる会社は、残念ながらこれから淘汰されていくのかもしれませんね。あるいは、古い考えに凝り固まった経営者が引退するのを待つしかない。
斎藤氏 ITを導入すれば「どんな課題も立ちどころに解決する」と誤解している経営者も、相変わらず多いですね。実際には、ITの導入は経営戦略を実現するための手段の1つにすぎないのですが、世の中のトレンドに合わせて最新のIT製品を導入していけば「きっと何かいいことが起きるだろう」と、根拠のない期待を抱いてしまう。つまり、「システム導入が目的化」してしまっているんですね。
例えばERPパッケージにしても、本来の導入の意義はパッケージとテンプレートに実装された「ビジネスのベストプラクティス」を導入することで、ビジネスそのもののスピードと精度を向上させることにあります。しかし、そうした本来の目的を理解せず、「スクラッチ開発より安く上がるから」と、安易にERPパッケージを導入した結果、既存の業務プロセスに合わせてカスタマイズを重ねることになり、結果的にむしろ手間もコストもかさんでしまうケースが散見されます。
中野氏 確かにシステムはビジネスのための手段なのですが、逆に、手段がビジネスの制約になることもあり得ます。特に最近では、クラウドサービスなどコモディティ化したITサービスを利用することが多くなってきましたが、そうしたシステムは柔軟性に欠ける面もありますから、自社のビジネスにそぐわないシステムを導入すると、ビジネス全体の足を引っ張ることになりかねません。
従って、経営者も最低限のITトレンドについては知っておく必要があると思います。軍の指揮官が、戦車や軍用機の能力をまったく知らずに作戦を立てられないのと一緒です。もちろん、技術者と同じレベルで知る必要はまったくないのですが、少なくとも「このビジネス上の目的を達成するには、どんなテクノロジーが役立つのか」という程度の知識は必要だと思います。
ただ、実際には、経営者はIT以外にもさまざまな経営課題に取り組む必要がありますから、CIOや情報システム部門が経営者を適宜サポートする必要があるでしょう。
斎藤氏 実際には、情報システム部門が経営者に直接進言するというのは、なかなか難しいですよね。そこでSIerが間に入って、企業の経営者や事業部門の先生役として外部からさまざまな指南をするのが最も現実的だと思います。SIerも、そうやって企業の経営者や事業部門と一緒に会社全体のIT戦略を企画・実行することを通じて、より価値のあるサービスを提供できるようになるはずです。
情シスの「丸投げ体質」が自らを弱体化させている
斎藤氏 私はSIerだけでなく、企業の情報システム部門の方ともお付き合いがあるのですが、残念ながら多くの企業の情シスは、本来の役割を果たせていないように見えます。そもそも、現在、自分たちの部署が社内で置かれている状況や、どんな課題を抱えているかということに対して、あまりにも無自覚な情シスが多いような気がします。
以前から行ってきた業務のやり方を、ただ単に粛々と続けているだけで、新たな技術を習得しようという意欲にも乏しい。自ずと技術も身に付かないので、結局はSIerに頼り切って全てを丸投げしてしまうんですね。
中野氏 丸投げ先のSIerも、自分たちがやりたいことに合わせて業者を選ぶのではなく、単に「昔から付き合いがあるから」というだけでずっと同じところに頼み続けることがほとんどですね。その結果、SIerの提案内容を吟味し、評価する能力すら失われてしまう。
SIerは往々にして自分たちができる範囲や、自分たちにとってビジネス上のメリットのある提案しか出せませんから、ユーザーにとって本当に価値があるソリューションは本当はユーザー自身が探さないといけません。それなのに、提案された内容をそのままうのみにして高額の投資を決断してしまうというようなことは、本当はあってはならない話だと思います。
斎藤氏 そういえば、今年(2019年)の3月に、セゾン情報システムズのCTOからクレディセゾンのCTOに転身された小野和俊さんがブログに書いていたのですが、クレディセゾンに着任してまず手掛けたのが、内製のエンジニアリングチームを立ち上げることだったそうです。その目的は何だったかというと、必ずしも社内の開発案件を全て内製するためではなく、外部のベンダーやSIerの「提案やスキルをきちんと精査」できるよう、自分たちの技術力や開発力を磨くことにあったそうです。これはまったくもって正しい発想だと感銘を受けた覚えがあります。
中野氏 北米の企業では、システム開発は内製が基本ですが、それでもアウトソーシング業者に作業を依頼することはあります。ただし彼らは、開発工程の上流部分や、テクノロジーのコア部分は内製して、絶対に外に出しません。あくまでも一時的に人手が足りなくなった時に、それを補うために作業を国外の安価なアウトソーシング業者に依頼するだけです。
ところが日本では、上流工程やコア技術も含めて全てSIerに丸投げしてしまう。これでは自社内にスキルやノウハウはたまりませんから、自ずとSIerの提案も精査できなくなりますし、結果的にベンダーロックインの状態に陥ってしまうのは当然の帰結だと言えます。
斎藤氏 全くその通りですね。内製化というと「自社で全てを開発して外注を行わない」というイメージを持つ方が多いのですが、これから企業のデジタル活用がますます進む一方で、IT人材不足も深刻化していきますから、全てを内製するというのは到底不可能です。内製化の意義はむしろ、ユーザー企業の情シスが自ら開発することで、ITに対する正しい評価や判断ができるスキルやノウハウを身に付け、SIerに仕事を依頼する際も自分たちがきちんとイニシアティブをとれるようにすることにあるのです。
ITは今後「Before DX」と「After DX」に分かれていく
斎藤氏 最近、DXという言葉が流行っていますが、その真の価値や意義についてきちんと理解している人は案外少ないように思います。このあたりを深堀りすることで、企業やSIerが来るべきデジタル時代に進むべき道が見えてくるのではないかと考えています。
DXが求められるようになった背景には、まず「不確実性の増大」というビジネス環境の大きな変化があります。市場環境や顧客の嗜好が移り変わるスピードは年々早くなり、業界の垣根を越えて新たに参入してきた企業があっという間に市場を席捲する時代です。
こうした不確実な要素が増え続ける時代にビジネスを維持し、成長させていくためには、企業は環境の変化にいち早く対応できるよう、ビジネスのスピードを圧倒的に速めるしかありません。
つまりDXとは、デジタル技術を駆使することで、この「ビジネスの圧倒的なスピードアップ」を目指す取り組みにほかなりません。高頻度・多接点でデータを収集し、システムのUIやUX、製品やサービス、ビジネスプロセスなどを高速・高頻度で改善していくことで、ビジネス環境の変化に即応できるようにするのです。
ただし、企業が利用するITシステムが将来、全てこのような姿になるということでは必ずしもありません。ここで企業やSIerが考えなければいけないのが、DXの「Before・After」です。
中野氏 「DX以前のIT」と「DX以降のIT」ということですね。
斎藤氏 その通りです。DX以前のIT、つまり「Before DX」のITというのは、生産性向上やコスト削減、期間短縮などを主たる目的としていて、それらに対するIT投資はコストや経費として扱われてきました。当然、常にコスト削減のプレッシャーにさらされますから、自ずとシステム開発は安価な外注に頼るようになります。
一方で「After DX」のITは、変化への即応力や破壊的な競争力、新たな価値の創出などを実現するためのものです。自社の競争力の源泉となるシステムですから、自ずとシステムも内製することになります。
中野氏 一言で「IT」と言っても、この両者の性格は自ずと違ってきますよね。
斎藤氏 そうです。ただし、Before DXのITが今すぐなくなってしまうということではありません。これからもそうしたシステムは必要とされ続けます。しかし、今後ますますDXの重要性が高まるにつれ、企業のIT投資の比重はAfter DXの方に寄っていくでしょう。
そうなるとSIerは、これまで企業の情シスを相手に専らBefore DXのシステムを扱ってきたビジネスモデルから、After DXにふさわしいビジネスモデルへと転換を迫られることになるでしょう。
具体的には、SIerにとっての顧客は企業の情シスから事業部門へと変わり、仕事の内容も外注でシステム化案件を丸ごと請け負うのではなく、顧客企業の内製化支援がメインになります。また、ビジネスゴールも、なるべく多くの工数を受注することではなく、顧客とともに事業の成功を目指すことになります。
こうした新たなユーザーとSIerの関係やビジネスモデルのことを、世間では「共創」もしくは「協創」と呼んでいます。こういったビジネスモデルを実現するには、SIerはこれまでのKPIを根本から見直す必要もあります。例えば「売り上げ」「利益」といったKPIだけでなく、「どれだけチャレンジしたか?」「どれだけ失敗したか?」といったAfter DXに適した新たなKPIを取り入れる必要が出てくるでしょう。
お客様は誰か?
「社内の評価」ではなく「社会の評価」を重視すべし
中野氏 ただし、ほとんどのSIerは残念ながら、企業の情シスと一蓮托生で生産性向上や効率化のためのIT、つまりBefore DXの発想から抜け出せていませんよね。
斎藤氏 そうですね。多くのSIerは、これまでの仕事のやり方に安住したがっているように見えます。現状維持は居心地がいいですし、楽ですからね。そういうメンタリティの下では、どうしても変化に対して消極的になってしまいます。外部から変化を求められても「実績がない」「予算がない」「自分たちだけでは判断できない」という言い訳がどうしても先に立ってしまう。
でも、これからの時代は、そうしたメンタリティでは生き残っていくのが難しくなってくるのではないでしょうか。内向きの視点から脱して、これまで自分たちが常識だと信じてきた価値観を世の中一般の基準と照らし合わせながら、「このままではいけない」「旧態依然としたSI業界の文化から脱しなければ」という危機感を多くのSIerが持つべきではないでしょうか。
そのためには、社内に閉じこもるのではなく積極的に外に出て、さまざまな人とのつながりを通じて「機会を増やしていく」ことが大事だと思います。
中野氏 同じようなメンタリティは、企業の情シスにも見られます。特に、社内の業務システムの構築や運用を担うエンタープライズ系のエンジニアは、内向きの傾向が強いですね。私はもともとメーカー企業の情シスでエンタープライズ系の仕事に従事していて、その後Webサービス企業に転職してその業界のエンジニアたちと一緒に仕事をするようになったのですが、両者のメンタリティやカルチャーのあまりの違いに驚きました。
Webサービス系のエンジニアは積極的に会社の外に出て、勉強会などを通じてどんどん社外の人との交流を図りますし、そこで得た人脈を通じてどんどん転職します。新たな知識やスキルの習得にも貪欲ですし、変化にとても柔軟に対応できる人たちです。
一方でエンタープライズ系のエンジニアは保守的で、あまり外にも出ませんし、新たな技術の習得にもどちらかというと消極的です。普段から減点主義で評価されているので、致し方ない部分はあるのですが。
斎藤氏 その違いの根本にあるのは、「評価者の違い」ではないでしょうか。エンタープライズ系のエンジニアの評価者は、社内にいます。日本企業の文化の根本にあるのは「組織の安定を維持すること」ですから、社内の評価はどうしても減点主義になりがちで、成功はあまり評価されません。従って、頑張ってシステムを安定稼働させてもまったく評価されずに、障害が起こったときだけ「何をやっているんだ!」と怒られる。そうした環境に長く置かれていれば、どうしても成長を阻むメンタリティが根付いてしまいます。
中野氏 そういう情シスと付き合っているSIerも、自ずと同じようなメンタリティに陥っていきますよね。お客さんのやり方に合わせなければ仕事になりませんから、どうしても情シスの内向きのメンタリティに引っ張られてしまう。
斎藤氏 一方で、Webサービス系のエンジニアの評価は「社会からの反響」なんですね。「サービスを通じてどんな価値を社会に提供できたか」が評価基準になるので、そういう環境の中で働く人は自ずと成長を加速するメンタリティが育まれることになります。
中野氏 とてもよく分かります。私も自分のチームのメンバーには、常日頃から「社内の評価よりマーケットの評価の方が優先度が高いので、積極的に外に出よう」「外に出て話して、外でつながりを作ろう」「場合によっては他社の採用面接もどんどん受けて、どんな条件を提示されたか教えてほしい」と言っています。Webサービス企業なんて、ほとんどがどうせ10年ももたない企業ばかりですから、社内の評価を気にしてもあまり意味はありません。それより、自身のキャリアを最大化したいと思うなら積極的に外に出ていって、コミュニティーでの評価を高めた方がいいんです。
斎藤氏 一方、企業の中で出世して経営層にまで上り詰める人というのは、大抵が社内での自身の評価を高めることに全力を注いできた人たちばかりだから、皆、社内のことしか知らない。外部のことを知らないので、多様性に欠けるんですね。そんな人たちの評価を気にしていては、いつまでたっても新しいことには踏み出せません。
こういった議論は、ガートナーが提唱している情報システム特性の「モード1」から「モード2」へのシフトチェンジが重要とも繋がります。もし、新しいことに取り組みたいのなら、社内の価値観や評価基準の外に飛び出して、社会の価値観や評価基準に沿って自分自身を一度客観視してみることが大事でしょうね。
日本SI産業の構造問題は「IT人材の流動性の低さ」が一因
中野氏 ちなみに、エンタープライズ系のエンジニアは転職することも少ないので、人材の流動性もWebサービス系のエンジニアと比べると低いですね。Webサービス系のエンジニアは、面白そうな仕事や働きやすそうな環境を求めてどんどん転職していきますから、企業側も優秀なエンジニアを雇用するために待遇を厚くしますし、自ずと給与も高くなります。
一方でエンタープライズ系のエンジニアは社内の業務しか知りませんから、ほかの会社の業務や待遇のことになかなか目が行きません。そうなると、雇う側も足元を見てエンジニアを買いたたくんです。事実、エンタープライズ系のエンジニアもWebサービス系に負けず劣らず技術的には高度なことをやっているにもかかわらず、両者の待遇には明らかな差が生まれています。従って個人的には、エンタープライズ系のエンジニアもどんどん転職して、人材の流動化を進めるべきだと考えています。
斎藤氏 面白い発想ですね。「IT人材の流動性を高める」ことは、日本のSI産業の構造改革を考える上で極めて重要な論点だと思います。例えば、日米のITエンジニア構成の配分を見ると、日本では、ITエンジニアの約7割がSIerやITベンダー側に所属している一方で、米国では社内でその多くを抱えています。このように日米で逆転してしまっているのは、人材の流動性に違いがあるからです。これにより、北米の企業はITの内製化でDXを進められるだけでなく、流動性が高いからこそプロジェクトで人員が必要になったときに雇って、プロジェクトが終われば解雇することが可能なのです。
ただし日本の雇用慣習の下ではそれができませんから、仕方なくIT人材の流動性をSIerが担保しています。つまり企業側は必要最低限の人員だけを雇用しておいて、要員の変動部分はSIerがプロジェクトに投入する人員の増減で吸収しているわけです。
中野氏 日本では法規制によって雇用が守られている分、北米のような人材流動性が生まれにくい側面があります。そうした日本固有の事情を鑑みると、SIerに人員が集中する現在のSI業界の産業構造は、ある意味当然の帰結といえるかもしれません。しかも日本では「正社員至上主義」のようなものがあって、フリーランスや業務委託のような立場はどうしても下に見られる傾向があります。これもまた、人材の流動化を阻む一因かもしれません。
斎藤氏 個人的には、日本の企業社会にべったり根付いている「転職は悪である」という刷り込みが、実は最も影響しているのではないかと感じます。組織への忠誠心を重視するあまりか、副業や兼業、転職を悪いことであると見なす文化が、日本企業ではまだまだ根強いですね。
中野氏 「転職するやつは裏切り者だ!」というメンタリティですね。新卒至上主義が根強いのも、根本は同じでしょう。大手企業の経営陣は大抵、「新卒で入社してその会社一筋」という人がずらりと並んでいますから。
斎藤氏 そうやって「ずっと社内ばかりに目を向けてきた人たち」に多様性を求めるのは、やはり無理があると思います。実際、そういう古い体質の経営がまかり通っているSIerからは、最近優秀な人材がどんどん流出しています。
この傾向が続くと、いずれは新しくて魅力的な会社にどんどん優秀な人材が集まり、一方で古い体質から抜け出せないSIerは今度淘汰されていくことになるでしょう。個人的には、こうした人材の流動化は極めて健全な傾向ではないかと思います。
中野氏 そうですね。IT業界で働く人たちにとって、これからは「この会社のこの部門に所属している」という感覚よりも、むしろ「この業界のこういう分野に従事している」「こんなテクノロジーのコミュニティーに所属している」という感覚の方が、よりリアルになっていくのかもしれません。
斎藤氏 私もそう思います。逆に言えば、優秀なIT人材を獲得したいと考えている企業は、優秀な人が「この会社で働き続けたい」と思わせるような環境やカルチャーを提供する必要があるでしょうね。特に、優秀な人材が「この会社で自分は成長できる」と感じてもらえるかどうかが重要です。
その会社にいることで、自身のスキルや感性をバージョンアップしていけるかどうか。会社がそういう場を与えてくれるか――。そういうニーズに応えられる会社なら優秀な人材が集まるでしょうし、そうでない会社からは逆に人材が流出していくことなるのでしょう。
最近では、IT人材に高い給与を保証することを前面に打ち出す企業も出てきましたが、必ずしもお金だけの話ではないんですよね。「成長できるかどうか」「エンジニアとして本来やりたい仕事に打ち込めるかどうか」といった観点が、エンジニアの側にも、彼らを雇うSIerやユーザー企業にとっても、今後は重要になっていくのだと思います。
ネットコマース 代表取締役 斎藤昌義氏 (写真左)
ネットコマース代表取締役。1982年、日本アイ・ビー・エム入社。生産系、販売系、工場の工程管理などのコンサルティング営業に従事、マーケティング部門にて新規事業開発を担当。1995年、同社を退職し、ネットコマースを設立し現職に就任。IT・通信関連企業新規事業立ち上げのプロデュース、ITベンダーの営業力強化研修やコンサル、講演やイベントのファシリテーション、雑誌、Webメディアの記事寄稿など多数。近著に『未来を味方にする技術』。
AnityA 代表取締役 中野仁氏 (写真右)
国内・外資ベンダーのエンジニアを経て事業会社の情報システム部門へ転職。メーカー、Webサービス企業でシステム部門の立ち上げやシステム刷新に関わる。2015年から海外を含む基幹システムを刷新する「5並列プロジェクト」を率い、1年半でシステム基盤をシンプルに構築し直すプロジェクトを敢行した。2018年、AnityAを立ち上げ代表取締役に就任。システム企画、導入についてのコンサルティングを中心に活動している。システムに限らない企業の本質的な変化を実現することが信条。
(取材・TEXT:吉村哲樹 PHOTO:Inoue Syuhei 企画・編集:AnityA・野島光太郎)