新企画【オヤジンセイ】笠井信輔〜前編〜「フリーは甘くない、でも退路を断たねば説得力ない」
フジテレビュー!!のオープンに伴い、新企画『オヤジンセイ~ちょっと真面目に語らせてもらうぜ~』がスタート。このコーナーは、さまざまな世界で活躍しているダンディーなおじさまに、自身の人生を語ってもらうというもの。
年を重ね、酸いも甘いもかみ分けたオトナだからこそ出せる味がある…そんな人生の機微に触れるひと時をお届けする。
その記念すべき1回目は、9月30日でフジテレビを退社し、フリーアナウンサーとなった笠井信輔が登場。フジテレビに入社して32年、一貫して情報・報道番組を担当し、フジテレビの人気アナとして活躍。朝の情報番組『情報プレゼンター とくダネ!』は、20年間担当した。
笠井アナにロングインタビューを行ったのは、退社前日の9月29日。その前の日から自分のデスクを片付けていたら時間がなくなり、会社の宿泊室に泊まってしまったという。「アナウンス室で若者たちに“何やってるんですかー”と笑われちゃったよー」と登場した。
定年退職まであと4年。なぜ今フリーの道を選んだのか?今の心境や退社を決めた理由、今後の活動、少年時代からアナウンサーになるまで、局アナ時代の思い出などを聞いた。アナウンサー・笠井信輔の人生を前編・後編に分けて送る。
『とくダネ!』で20年 自分の居場所があったことが誇らしい
振り返ってみると、もう32年も働いたんだな、と。そのうち20年ですよ、『とくダネ!』が。今は、番組の寿命が短くなっているので、同じ番組が20年以上続いているのは素晴らしいことで、そこに自分の居場所があったことはステキなことでした。そんな貴重なアナウンサーになれたことが非常にうれしいし、誇らしいです。
ただ、今はいろんな作業に追われていて、感慨に浸れないですね。むしろ、『とくダネ!』に出演した最終日が、20年間をしみじみ味わった時間かもしれません。最後は、出演者とスタッフに笑顔で送り出してもらえて、自分はいい番組にいたなとつくづく思いました。
スタジオには、フジテレビアナウンサーから弁護士になった菊間千乃さんや、今はベトナムで働いているかつてのプロデューサーなど、以前の仲間が駆けつけてくれました。15年くらい前に一緒に番組のコーナーを担当していたADチームだった連中は、プレゼントと寄せ書きをくれました。人と人との絆が強くて、とても温かい番組だと思います。
フジテレビを辞めた理由
フジテレビも『とくダネ!』も本当に大好きで、あと4年もすれば定年なのに、なんで今辞めるのかと、みなさんに聞かれます。
それは、『とくダネ!』において、自分はある一定の役割を終えたなと思えたことから考え始めました。昨年4月から、伊藤利尋アナと山﨑夕貴アナが若いパワーで番組を盛り返してくれています。伊藤アナの働きを見ていると10年、15年前の自分とそっくりなんですよ。そういう姿を見ると時代も世代も変わってきている今、若い世代に番組を預けて、自分は自分の道を考えた方がいいと思ったんです。
それまでは、MCの小倉智昭さんと『とくダネ!』とともに、東京オリンピックをと考えていたし、会社には『とくダネ!』が終わらない限り自分は辞めない、終わった瞬間には辞めるかもしれないということを伝えていました。それほど、僕の中では『とくダネ!』=会社という気持ちがあって、『とくダネ!』を取ったら、自分はフジテレビにいなくてもいいと思うくらいでした。
そういう中で、『とくダネ!』の新たな形が見えてきたときに、フジテレビの中では自分の限界があるし、新天地を求めるためにはフジテレビの枠を出るしかないなと。じゃあ、自分は何ができるんだろうかと思った時、いくつか選択肢を考えたんです。
①このタイミングで辞める。
②東京オリンピック後に辞める(フジテレビにいれば、いろいろなうま味がある)。
③『とくダネ!』が終わった時に辞める。
④定年まで勤める。
この中で、みんなが一番驚くのはどれだろうと考えた時、やっぱり①だったんですよね。
退路を断たなければ説得力がない
その一方で、会社を辞めても、あわよくば『とくダネ!』は続けてもいいなと思ったこともあって。フリーになっても『とくダネ!』を続けられれば、ギャラが入るから生活は安定するなと考えたこともありました。
だけど、フジテレビ辞めます、『とくダネ!』は続けますでは、見ている人には何も変わらないし、まったく説得力がない。
小倉さんからは、残る道もあるのではないか、と言っていただきましたが、1週間考えて「やっぱり辞めます」と言ったら、理解してくださいました。退路を断つことと、今のタイミング。それが一番インパクトがあって、「笠井信輔、本気なんだな」と思ってもらえると思ったんです。
目指す新天地は“しゃべることができる”場所
小倉さんと軽部真一アナには、1年以上前から相談していました。小倉さんは師匠、軽部さんは先輩だけど親友です。2人とも「気持ちはわかる」と。でも小倉さんと僕の妻は同じことを言いました。「5年遅い」って。フリーになって儲けるつもりならね(笑)。5年前っていったら、僕も『とくダネ!』で「どれだけ番組に貢献するか」しか考えていなかったですからね。
でも今は、そこじゃない。自分はしゃべっていたい、伝えていたい。そういう欲求がものすごく強いんです。テレビに出たいというのもあるけど、とにかく人前でしゃべっていたい。今まで32年間、テレビカメラの前でしゃべってきたけど、外に出ればラジオもイベントも講演も、もっといろんなものがあるじゃないですか。
とにかく、自分がたくさんしゃべれる新天地を求めてフジテレビを辞めるということです。コロンブスですよ、アメリカ大陸を捜しているんですよ(笑)。
というより、何もない中、大海原に飛び込むような感じですから。「浮き輪はどこ?」みたいな(笑)。人前でしゃべっていたいから、飛び込むしかない。泳いでいれば、どこかに浮き輪があって、それにつかまって泳げば、どこかに海水浴場があって、海水浴場に着けばお客さんがいるから、そこでしゃべればいい。そんな感じですよ(笑)。
だから、僕がメディアに出なくなって、結婚式の司会だとしてもしゃべり続けますから。そこまでやる覚悟です。まあ、結婚式の司会、大好きなんですけどね(笑)。
マネージャーからピシャリと言われたひと言は…
今後は、ラジオやバラエティーのゲスト、映画会社のイベント司会などのオファーがいろいろと来ています。結構、いい感じに仕事が来ていると思って、マネージャーに言ったら、「会社を辞めた直後は絶対に来るので、このようなことで一喜一憂しないでください」って言われました(笑)。
会社を辞めたら来るのは当然で、その1回使った時に、「この人、面白い!」と思ってもらえるのか、向こうの求めていることにちゃんと応えられるのか、そこからが勝負だと。そう言われて、「ああ、そうだな」と思いました(笑)。
初めから毎日仕事があるなんてありえないから、とりあえず何かの番組に出始めてからが勝負みたいです。今は、来た仕事は何でも受けるつもりです。激辛料理でも何でも、体だって張りますよ(笑)
僕は、年間に150本の新作映画、100本の演劇を見ます。小倉さんにも「それがお前さんの武器なんだから」と言っていただきました。19年間続いている軽部さんとの映画紹介番組『男おばさん』は、今後も続けていきます。
なぜ、笠井が車掌スタイルに?その理由は、後編に続く−−。
思い出の品・裁断機「僕のアシスタント」
アナウンサー・笠井信輔を語る上で欠かせないもの、それはアナウンス室の“裁断機”。
映画のイベントや記者会見などで司会を務める時、必ず持参するのがオリジナルの手持ち台本。ディレクターから送られてきた台本の原稿を打ち直し、色分けして、自分だけの手持ち台本を作るのだとか。その際、愛用しているのがA5のハードクリアファイル。プリントアウトした紙を、ファイルに収まるようにキレイに切るために裁断機を使うのだそう。
10年ほど前から手持ち台本を作っているが、アナウンス室で裁断機を使うのは、笠井ただ一人とか。使う時にちょっとコツが必要だが、それも熟知して手に馴染んでいる相棒だという。
「手持ち台本を作る時、裁断機で切るのがルーティーン。でも、“切って、入れて、よし!”っていう感じだから、フリーになって、これがないとうまくいかなくなったらって心配です。イベントの司会をする上で、僕のアシスタントですからね(笑)」
裁断機にとっても、ご主人様がいなくなったあと、その運命やいかに!?