【鈴木貴博】ペイペイ、大規模キャンペーンでも「人気いまいち」な意外すぎる理由 スマホ決済の真実
ペイペイで「227円」のビールが「147円」になった
8月中旬、都心のプールを借り切ってプライベートなパーティを開くことになり、私が食材の買出しを担当することになりました。「経済評論家がガチで買出ししたらとてもお得にあがる説」を実証するためにいろいろと張りきりました。
その際にビールの買出しである工夫をしました。大切なゲストを呼ぶパーティなので「お得にあげる」といっても食材のクォリティは下げたくない。ビールはワンランク上のプレミアムモルツで揃えます。でもビールは税率が高いので安く買おうとしても普通のやり方だと限度があるのです。
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プレミアムモルツの350ml缶はコンビニなら税抜きで227円(税込み245円)、スーパーで12缶入りを買うと1缶あたりは183円。このうち77円が酒税なので、普通に買えばこの部分は安くならない。
ここが普通の買出しの限度ですが、工夫として昼の11時から14時の間、つまり昼休みに会社を抜け出して近所のオーケーストアに買出しに出かけたのです。
実はソフトバンクグループのスマホ決済サービスのペイペイ(PayPay)ではこの8月、ランチタイムのコンビニ、一部の飲食店、一部のスーパーで10%ポイント還元のキャンペーンを行っています。オーケーストアはこのキャンペーンに参加していて、さらにソフトバンク携帯ユーザーなら還元率は20%になります。
このキャンペーンを利用することでプレミアムモルツは実質で1缶147円(税込み158円)と大幅に安くあげることができました。パーティの会場代はスポンサーのご厚意で無償だったことで会費は1000円のみに設定したのですが、それでゲストがビールを6缶飲んでも主催者としては赤字にならない。経済知識を活用すると世渡りはローコストで収まります。
さて、今回の記事はお買い物自慢ではなく、経済合理性の謎の話です。
「一物一価」は成立しない
古典経済学ではすべての消費者は経済合理的な行動をとるために商品の価格は一物一価になることを前提にしています。たとえば近所でプレミアムモルツが147円で買える場所があるならばわざわざ別の店で80円も高い227円で買う消費者などいないはずだという仮定を置きます。
今回のペイペイ(PayPay)のキャンペーンに参加してみて「それにしてはみんなが経済合理的に買い物するわけではないシーンが多いのはなぜだろうか?」と疑問がわきました。少しずつ順を追って説明していきましょう。
そもそも大きなくくりで見れば一物一価は成立しません。私たち経営コンサルタントはこの価格形成についての経験則やデータをたくさん持っています。たとえばブランドです。
味の素のマヨネーズが特売で248円、キユーピーのマヨネーズが324円で売っていたとします。私なら安いほうを選びますが、高くてもキユーピーを選ぶ人は結構いるはずです。
市場シェアの高いブランドには固定客がいるものです。この価格差ですが、一物一価の議論とは違う、二つ違う物を比べた結果、消費者の行動も違うのだと捉えます。その人にとってキユーピーのほうがブランド力が上だったから高いほうのマヨネーズが売れたわけです。
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「安売りしている商品は品質が低いかもしれない。なるべく高いほうの商品を買うことにしている」という心理が働く人もいます。
マヨネーズに棚にはプライベートブランドのマヨネーズが178円で売っているかもしれません。でも品質が違う商品だと消費者が認識しているから価格が高い商品を買っていく人は当然たくさんいらっしゃいます。
同じ商品でも説明がしづらいへんな現象が起きます。
「自販機で150円のコーラ」を買うワケ
スーパーの出入り口によく飲料の自動販売機が置かれていてコーラが150円で売っています。同じブランドの同じコーラがお店の売り場では税込み89円で売っています。
これだけ価格差があってもなぜか自動販売機で150円のコーラを買っていく人がたくさんいるのです。
スーパーで買い物をして「さあ駐車場で荷物を積み込んで家に帰ろう。疲れたな」というときに目の前に自動販売機があったので冷えたコーラを一本買う。
行動経済学的にはそういうことですが、売り場に戻って同じように冷えた89円のコーラを買っても同じ便益がより低いコストで得られるはずです。
でも多くの人が自動販売機で高いコーラを買う。
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その理由は時間コストにあると説明されます。もう一度売り場に戻ってコーラを手にとってレジに並びなおすのは追加で多くの時間を費やすことになる。そのコストを考えれば、コインを入れてすぐに買える自動販売機のコーラが60円高くてもそのほうが合理的だという考え方です。
これも「すぐに買える高いコーラ」と「買うのに時間がかかるけど安いコーラ」というふたつ違った商品なので価格が違う。ここまでは行動経済学的な解釈をしてもまだ「大多数の消費者は経済合理的な行動をとる」という説明に変わりはありません。
さて、そこでお昼の時間帯のオーケーストアの話をしましょう。
この8月にペイペイ(PayPay)が行っていた「対象の飲食店・スーパー・コンビニでランチタイムなら最大20%戻ってくる!キャンペーン」ですが、コンビニの場合はセブンイレブン、ファミリーマート、ローソン、ミニストップ、セイコーマート、ポプラと大手コンビニはすべてが参加しています。
しかしスーパーの参加企業は少なく、私の近所に限っていえばオーケーストア以外には参加スーパーはありません。
オーケーストアで「起きたこと」
そもそもオーケーストアは平常時の価格でもかなり価格が安いスーパーとして知られています。それがランチタイムの11時~14時ならばさらに安くなる。普通の人は10%オフ、ソフトバンク携帯かワイモバイル携帯の所有者なら20%オフと大きな差が出ます。
私の場合でいえば日ごろはなかなか手を出せないカルピスバターや、コストコでしか手を出さないジョンソンビルのソーセージ、A5黒毛和牛のロース肉(肩ロースではなくです)など、いつもなら買わない高級品をついついショッピングカートに入れてしまいます。計算してみると20%オフならそれらはすべて普段の生活予算で買うことができるわけです。
それで私は興奮しながら、この2ヶ月(このキャンペーンはオーケーストアの場合、7月、8月と名前を変えて同じサービスが行われていた)、週末になるとオーケーに出かけていたのです。
ところが私にとっては不思議な現象が目の前で繰り広げられます。
朝10時45分ぐらいに到着して1時間ほど買い物するのですが、なぜか到着した時間帯でもレジには長蛇の列ができているのです。数えてみたら30人以上の人がこの時間にレジに並んでいます。あと15分待ってペイペイ(PayPay)で決済すれば20%安くなるのに、気にしていない。つまり「同じ商品が20%安くならなくてもかまわない」という買い物をしているひとが非常にたくさんいるのです。
そして私が会計をする11時台でも変な現象が起きます。実はペイペイ(PayPay)のようなスマホ決済ができるレジは3箇所しかないのですが、開いているレジ5箇所に均等にお客さんが並んでいるのです。つまりこの時間帯に4番レジと5番レジに並んでいるお客さんは20%オフにならなくても気にならないお客さんなわけです。
「経済合理的」に行動しない人たち
さらにびっくりしたことは、スマホ決済のレジでも現金で買うひともいますし、スマホ決済を使っているお客さんの約半数がLINE Payで支払っているのです。
LINE Payでは前月までの利用金額でその人のLINEスコアが決まり、そのスコアの良い人は最大で5%の還元を受けられます。さらに8月後半にはオーケーストア限定の200円割引のクーポンが送られていて、その日は多くの人がLINE Payで支払いをしていました。
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しかし経済合理的に考えてみるとこの行動は疑問です。私は5000円の買い物をペイペイ(PayPay)で決済して1000円分を節約しました。しかしもしこの日、LINE Payだったら200円割引でかつ5%オフですから450円しか得をしない。
にもかかわらず同じような金額の買い物をする人たちが目の前でLINE Payを使っている。まったく経済合理的な行動をとっていないという現実に直面したわけです。
計算をしてみたのですが、前述の買出しの分を除いた、純粋に私の家計目的でのオーケーストアの買い物はこの1ヶ月半で計4回、3万円ぐらいの出費になっていました。20%オフ分を計算すると、ソフトバンクの孫さんから私に6000円分のお小遣いをいただけたのと同じです。
そしてレジで私の周囲にいたひとたちは経済合理的に行動すれば同じくらいのお小遣いが手にはいったはず。でもこの時間帯、PayPayで決済している人の比率はざっと目視確認をした範囲で言えば約2割。大多数のひとたちは経済合理性の面で正しくない行動をとっているわけです。これは行動経済学的に考えても謎といっていいのではないでしょうか。
そこで私なりにこの理由を説明することにしました。
ペイペイ(PayPay)はこれまで100億円あげちゃうキャンペーンなど大規模なキャンペーンを続けることで、わずかな期間で700万人を超える会員を獲得してきました。知名度もスマホ決済では1番高いブランドのひとつです。
なのに結構多くの人が、あと15分待てば20%引きになる時間帯に会計をしたり、20%引きになる時間帯に現金で支払いをしている。
コンビニでも同じです。11時になったら20%引きなのに、10時50分にレジで会計する人が普通に多い。その理由を経済理論的に一番わかりやすく説明できるのがキャズム理論です。
「キャズム」という壁
世の中には新しい商品やサービスにまっさきに飛びつくイノベーターといわれる消費者、そしてその次に使い始めるアーリーアダプターといわれる消費者がいて、このふたつの消費者層を合計すると全体の16%に相当します。そしてペイペイ(PayPay)の場合はちょうどこのふたつの層にサービスが浸透しはじめた段階です。
経営理論ではそこの先にキャズムと呼ばれる、越えなければならない断崖があると教えています。
その向こうにはまだペイペイ(PayPay)を利用していないアーリーマジョリティやレイトマジョリティといったたくさんの消費者群がいて、その人たちが使い始めなければサービスは広がらないのです。
そして重要なことはアーリーアダプターまでが使い始める理由と、その先にひかえるアーリマジョリティが使うようになるきっかけやインセンティブは違うのです。
ペイペイ(PayPay)は簡単に決済できて便利だし、なによりキャンペーンの還元率がめちゃくちゃ高くて早く始めれば始めるだけ儲かった気がする。これが現在、アーリーアダプターまでの利用者がPayPayにのめりこんでいる理由です。
ところがキャズムを越えた先にいる、まだPayPayを始めるのに躊躇しているアーリーマジョリティ層はそれだけでは動かない。彼らを動かす最大のレバーは「安心感」にあります。
その安心感に納得しないと、これだけお得な条件を提示されていてもアーリーマジョリティはペイペイ(PayPay)を使い始めない。これが今、ペイペイ(PayPay)が直面している壁だと私は考えます。
「お得」より大切なこと
振り返ってみると、これは実はペイペイ(PayPay)の失策とは言い切れないのですが、ペイペイ(PayPay)の開始当初にクレジットカード詐欺団が盗んだクレジットカード情報を用いて、ペイペイ(PayPay)でそのセキュリティコード情報を解明するという事件が起きました。それであたかもPayPayを使うと危険があるかのようにニュースを見て感じた人が結構な数存在します。
さらに7月に入ってセブンイレブンのセブンPayに登録した人が、システムの脆弱性を狙われてクレジットカード詐欺団に巨額のお金を盗られてしまう事件が起きました。結局セブンPayはサービスを終了する決断を下します。
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これらの事件もあり、消費者全体で見ればスマホ決済自体に安心感をもてない空気がものすごく広がっている。ないしは消費者の受け止め方が二極化していると言っていいかもしれません。
ITリテラシーが高いユーザーは「ペイペイ(PayPay)が危ないという噂」は間違っているということに気づいていて、ひたすらお得なキャンペーンを繰り返し利用している一方で、安心できない残り84%の消費者は、経済合理性的には滅茶苦茶お得なキャンペーンが繰り広げられているにもかかわらずその波に乗ろうとしていない。
これはまとめてみるとペイペイ(PayPay)のマーケティング戦略の失敗です。今、目の前の新規ユーザーが手に入れたいのは安心感なのに、会社としてはお得感を提供する還元キャンペーンだけに力を入れている。こうしてキャズムの前でサービスは伸び悩む一方で、私のようなアーリーアダプターはお得にビールを買って帰る、そんなアツい夏の日のひとこまが繰り広げられていたわけです。
ちなみにペイペイ(PayPay)の9月のキャンペーンでは還元率は5%から最大10%に変更になりましたが、参加スーパーマーケット数は増えています。そして10月以降もさまざまな形での還元キャンペーンを継続しています。念のため。