2004年にベストセラーとなった「洞窟オジさん」(小学館)をご存じだろうか。当時13歳だった少年が家出し、57歳で発見されるまでの43年間、人知れず洞窟や森の中で過ごした日々を描いた1冊である。
廃坑となった洞窟で雨風をしのぎ、腹が減れば狩りや採取、魚釣りで食料を調達。少年は人間が作り出した便利なシステムから遠くかけ離れたところで自然と格闘し、命をつないできた。
長い野宿生活の中で、彼はいったい何をどうやって食べ、生きてきたのか。究極のサバイバルライフは十数年前になぜ終わりを迎えたのか。73歳となった現在、どういった暮らしをしているのか。「洞窟オジさん」こと加村一馬さんに話をうかがった。しばしの「家出」にお付き合い願いたい。
かつての住処だった洞窟は今
加村さん:岩山の上に立って、砂利道の道路を見てたんだよね。そしたら「仙人がいる」って噂が立っちゃってよ。消防団とかみんな来て、山狩りされたんだよ。だから逃げた逃げた。
60年近くも前のことを加村一馬さんは、つい最近のことのように話した。
加村さん:家を飛び出してから3回冬を越した後だったかな。そのころになると着てきた学生服はすりきれてたし、髪は肩まで伸びてたね。
▲「当時は山全部、木が生えてなくて岩がむき出しだったんだ」と加村さん
加村さんと私が話していたのは、栃木県西部、かつて足尾銅山があった山の中。
道のすぐ横には、飲めそうなほどきれいな渓流(写真下)が5〜10メートル下に流れている。
▲透き通るほど清らかな水が流れる渓流
加村さん:あれが最初に住んでた洞窟の入口だよ。
川の対岸の緑に目をこらす。するとコンクリートで四角く覆われた坑道の入口(写真下)が見えた。
▲画面中央部が黒くなり、その左側にグレーの柱が見える。これこそが加村さんの住んでいた洞窟の入口だ
親の虐待に嫌気がさして家を飛び出した
その後、群馬県東部の福祉施設まで戻ってきた。ここは現在、彼が住んでいる場所。洞窟から施設まで、車で小一時間の距離だ。
自分で育てているというブルーベリー畑、その脇にあるあずま屋で、加村さんに話をうかがった。まずは生い立ちについて。
加村さん:生まれたのは昭和21年(1946年)の8月。群馬県の大間々(おおまま)というところ。今の施設があるところとそんなには遠くないね。食べ物もろくに買えないのに、子供が8人もいる貧乏な家だった。両親はなぜかオレだけイジメてたんだよ。木の枝に逆さ吊りにされたり、雪の降る真冬にお墓にくくりつけられて一晩放置されたりね。オレだけメシをくれなかったりしたんだ。
そんな生活に耐えかねた加村少年は、昭和34年(1959)の夏の終わりのある日、30キロ以上先にある足尾銅山を目指して、家出した。
加村さん:銅山のことは社会科の授業で習ってたから知ってたんだ。そこなら洞窟がたくさんあって、誰にも見つからなさそうだしね。家を出る前に大量の干し芋と塩、醤油、マッチ、ナタ、ナイフ、砥石を通学カバンに押し込んだ。そしてスコップを手に家を出たんだ。
それから加村さんは、国鉄足尾線(現在のわたらせ渓谷鐵道)の線路を伝って足尾銅山へと向かって歩いていった。
加村さん:さっき洞窟まで行った後で(自分が住んでいる)施設に帰ってきたわけだけど、車だとあっという間(片道小一時間)だっただろ。当時は歩いて7日ほどかかったのかな。ほとんど寝ずに線路伝いに歩いたね。汽車が通ると脇に避けて、通り過ぎたらまた歩き出すって感じで。疲れて頭が朦朧となりながら歩いてたよね。
▲加村一馬さんがかつて歩いた線路
愛犬シロとともに山の奥深くへ
孤独と疲れがピークだった少年を救ったのは、彼の「相棒」だった。
加村さん:家出して2日目かな。聞き慣れた犬の鳴き声が聞こえてきたんだよ。まさかと思って後ろを振り返った。するとそのまさかだった。シロが追いかけて来てくれたんだ。あのときは嬉しかった! 嬉しくてボロボロ泣いたよね。もしシロがいなかったら、オレは今生きちゃいねえよ。
シロは秋田犬の雑種。家族の中でもシロを一番かわいがっていたのは加村さんだった。
元気づけられた加村さんはシロとともに、どんどん歩いて行く。
加村さん:線路ばっか歩くのが嫌になったんだよ。だから途中、左に曲がって川沿いの砂利道を上っていったんだ。見つかって家に連れ戻されたら、親にまたこっぴどく殴られちゃうからな。人目になるべくつかない穴を探して、奥へ奥へと歩いて行ったよ。
▲60年前、加村さんがシロと歩いたかつての道。この橋は当時もあったのだそう
▲周囲には現在も銅山関連の史跡が残っている。ときにはクマの出没も
そして洞窟生活が始まった
歩き始めて1週間後、加村さんは山の中腹付近にある、ひとけのない洞窟を寝床と決めた。安心したのか、洞窟内に入ってすぐ、加村さんはシロを抱いたまま、眠り込んでしまう。
目を冷ました加村さんは、すぐに〝家づくり〟に取りかかる。穴を封じるように木やツルを集めてドアや天然の寝床を作ったり、薪を集めてマッチで火をおこしたり、燠(おき。赤くおこった炭火のこと)が常に絶えないようにしたりした。
▲最初に住んだ洞窟を描いてみる。左からコウモリ、ヘビ、シロ、ベッド、加村さん、たき火、スコップ、そして出入り口。出入り口の反対側へ洞窟が続いていたため、たき火をしても煙は奥へと抜けた(以下イラスト/西牟田靖)
ところがその後ほどなくして、加村さんはぐったりしてしまう。
加村さん:洞窟に辿り着いてほっとしたのかな。熱出して、寝込んでしまったんだ。川の向こう側に人がいてオレは川を渡っていこうとする夢を見てたら、耳が猛烈に痛くなった。あまりに痛すぎて、しまいには目が覚めちゃった。シロがオレの耳をかじってたんだよ。ありゃ痛かったよ。でももし、あのときシロがかじってくれなかったら、きっとオレは三途の川を渡ってた。
意識のない状態から脱した加村さんは、這々(ほうほう)の体でなんとか川まで下り、ボロ布を水で濡らしてから、洞窟に戻った。再び横になると、ボロ布を自分の頭の上に置いた。
加村さん:するとそれを見てたシロは、あとでボロ布を川の水で濡らして、熱を出してるオレの頭にかけてくれたんだ。あの犬はほんとうに利口だったんだ。頭に載っけてくれた濡れたボロ布は泥だらけだったけどな(笑)。
木の実やキノコから、アリやコオロギまで
翌日、やっとの思いで起きあがると、今度はミミズを焼いて煮た汁を作って飲んでみた。熱を出したときに効くという。そのことは家で親たちが作っていたのを見たことがあったので知っていた。
加村さん:近くの廃坑で拾っていた缶詰の缶に入れてさ。それが熱冷ましになったのかな。熱はさーっと引いたな。だけど、すごくまずかった。熱に効くってことで飲んだんだけど、いやー臭くて飲めたもんじゃねえよ。泥臭くてよ。変な臭いがしたもん。
▲足に竹が貫通したときはヨモギで手当てをし(左)、高熱のときはミミズ汁を作って熱を冷ました(右)
加村さん:懐中電灯なんかあるわけねえからな。今もそうだけどよ、暗くなれば寝る、明るくなれば起きるという生活をしてたね。季節にもよるけど、時間でいったらだいたい午前6時に起きて夕方6時半に寝るって感じだな。
突如始まった野宿生活で、彼は完全狩猟採集による生活を送ることになる。それはいったいどんなものだったのか。
加村さん:(家から持ってきた)干し芋ばかり食べるわけにはいかないからね。食べられるものを探したり、捕まえたりして、なんでも食べてたよ。
手っ取り早く食べられるのが、そこらじゅうに自生している植物や菌類だ。
加村さん:木の実、山菜はよく食ったね。小さい梨みたいな実や柿とか。柿はそのままだと渋いから全部とっておいて洞窟の中にしばらく置いておくんだ。すると熟れて食べられるようになる。キノコは毒があるかどうか見分けて食べたよ。小さいころ、親が採りに行ってたキノコを見てどれが食べられるのかわかってたから。でも松茸は食べられるって知らなかった。「でっかいキノコがあるなぁ」と思って蹴っ飛ばして歩いてたよ。今考えるともったいないことしたよな。
お手軽なインスタントフードという意味では、洞窟や森に住む虫たちも同様。貴重なタンパク源となる。
加村さん:カタツムリはたくさんとってそのまま焼いて醤油をかけて食べたりしたな。サザエみたいな味がしてすごくうまいんだよ。殻が容器代わりになるので楽だし。アリもさんざっぱら食べたな。山に入ると、こんなでっかい(1cmほど)のがいるんだよ。赤いのが。捕まえて食おうとしたら噛んでくるんで、頭をとって頭以外を食うわけ。お尻の方に蜜が入ってるから甘くてうまかった。あとは洞窟の中によくいた便所コオロギ(カマドウマ)。これイナゴみたいな味がして、香ばしくてなかなかなうまかったよ。ナメクジも試しに食べてみたけど、あれは気持ち悪かった。あれはな水ばっかりなんだよ。食っても何の味もねえ。焼くとなんにもなくなっちゃうしよ。
ワナや弓矢で「ごちそう」を仕留める
植物や昆虫やカタツムリ、植物は見つけてつまみ上げさえすれば、比較的簡単に食べられるが、育ち盛りの少年にとってそれだけで腹が満たされるわけがない。そこで加村さんは、ごちそうとなる獣を仕留めるべく、知恵を絞った。
加村さん:イノシシは最初、落とし穴を作ったよね。深さ1.5メートルぐらいの穴を掘ってさ。底に竹を三本刺してワナを作って、イノシシを誘い出したんだよ。すると、こっちの方に向かって突進してきたので、とっさに走って逃げて作っておいた穴をぴょんと跳び越えたんだ。するとイノシシはまんまと穴に落っこちてる。あのときは嬉しかったよね。だって狙ったとおりに仕留められたんだから。重すぎて持ち上げられなかったから穴の中で解体したけどな。
▲イノシシ用の初期型ワナ(左)、山鳥用のワナ(右上)、ウサギを捕まえる様子(右下)
ほかにも試行錯誤しながら、さまざまなワナを試したそうだ。
加村さん:いろいろ作ったよね。竹のしなりを利用して、下の横棒に触れると上の横棒がガシャンって落ちるようにしてた。二本の棒の奥に餌を置いてな。するとその餌欲しさに山鳥がひっかかるんだ(下のGIF動画参照)。さっき言ったイノシシも2回目以降は山鳥用のワナを大きくしたものを使って捕まえてたな。