さらりと著書にサインし、「はい、どうぞ」といって本を手渡す。様になるとはこのことを言うのだろう。2019年10月9日にノーベル化学賞の受賞者として世界の研究者の歴史に名を刻んだ吉野彰氏に、2005年にインタビューさせていただいた時のことは、今でも鮮明に覚えている。

 インタビューに際し、同氏が著した「リチウムイオン電池物語」(シーエムシー出版)を購入して「読んできました」と私が伝えると、吉野氏は私の手から本を取ってペンでお名前を書いて下さったのだ。その一連の動作は実にスームズでムダがなく、取材慣れされているのだなと感じた。そう、その時はもう吉野氏はリチウムイオン2次電池の発明者として知られる「スター研究者」だった。

 取材のテーマは「悩める技術者の幸福論」(「日経ものづくり」2005年5月号特集)というものだ。当時は、職務発明と相当の対価をめぐり、技術者と企業が対立していた時代。「技術者は報われない」「文系出身者は出世するが、理系出身者は割を食う」などといった言葉がマスコミで飛び交っていた。企業に在籍していながら、企業に対して不満の声を上げるのは不幸だと感じた私は、技術者にとって何が幸福なのかを考える材料を提供したいと考え、このテーマを企画。取材対象として、研究者として抜群の実績を持っていた吉野氏にお声掛けをしたというわけだ。

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吉野氏へのインタビュー記事
「日経ものづくり」2005年5月号特集「悩める技術者の幸福論」に掲載した。(出所:日経ものづくり)

企業研究者は市場性を見るべし

 インタビュー後の率直な感想を述べさせていただくと、吉野氏は「現実主義者」だと感じた。悪い意味ではない。吉野氏は企業に在籍する研究者(以下、企業研究者)だ。企業は利潤を追求する使命を負う。企業研究者は、その名の通り企業に勤めている社員である。そうであるからには、研究者といえども企業の利益の捻出に貢献しなければならない。事実、吉野氏はリチウムイオン2次電池関連の特許によって莫大なロイヤルティー収入を、当時在籍していた旭化成グループにもたらしていた。従って、企業研究者は利益に貢献し得る研究か否かを見抜く力が必要だと、吉野氏は語っていた。

 「事業に結び付かない研究は遅かれ早かれストップがかかる。その際に、研究者は継続したい一心で、市場や技術の優位性をでっち上げたい気持ちに駆られることもある。だが、そうしたところでうまくいくものではない。だからこそ、できる限り早い段階で対象となる研究の将来性を見極めることが大切だ」(吉野氏)。

 吉野氏のこの言葉は、大学などに在籍し、直接お金にはならない基礎研究が大切だと主張する研究者とは対照的だ。だが、企業研究者の置かれた立場の厳しさを正面から受け止めた、正直な言葉だと私は感じた。

 吉野氏がこうした率直な言葉を述べたのは、若手の企業研究者のためだ。吉野氏に続き、優れた研究成果を若手に出してほしい。しかし、企業研究者であるからには、市場性を見極めておかないと、その研究を続けることができなくなる可能性があるぞと、先人としてアドバイスしたのである。

[1]市場性を見極めるべし

 これが、吉野氏から学べる企業研究者としての成功条件の1つではないかと私は感じている。実は、同氏のノーベル賞受賞の一報を聞いた直後から、「企業研究者には成功の条件があるのではないか」と私は考えるようになった。これまでの取材で得た情報を振り返ると、それらしきものが幾つか頭に浮かんできたからだ。それらを読者である若手企業研究者に伝えたいと思い、この原稿を書いている。

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