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【放送芸能】

通好み、愛された53年 「有楽町スバル座」20日閉場

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 東京都千代田区の老舗映画館「有楽町スバル座」=写真=が二十日、閉場する。一九六六年にオープン、独自性ある作品の上映館としてもファンに愛された老舗。銀幕ファンに惜しまれつつ、五十三年の歴史に幕を閉じる。 (竹島勇)

■先駆け

 スバル座の前身は終戦直後の四六年大みそか、米映画「我が心の歌」で開場した洋画専門館「丸の内スバル座」。「ガス燈(とう)」(四四年米)などをロードショー上映して映画ファンに親しまれた。一定期間独占的に上映する「ロードショー(当時の呼称)発祥の劇場」とされたほか、全席指定を取り入れ、落ち着いて鑑賞できた。五三年九月に火災で焼失したが、六六年四月に有楽町駅前の有楽町ビルの二階に一スクリーン、二百七十席の「有楽町スバル座」として復活した。

■ヒット

 最大のヒットは七〇年に上映が半年続いたアメリカン・ニューシネマの代表作「イージー・ライダー」(六九年米)。延べ十八万人が来場、映画館の周囲にバイクが集結したという。夏休みシーズンはスヌーピー作品が人気を集めた。

 閉場について、同館を運営するスバル興業の加藤和人さん(45)は「十数年前から郊外型シネコンの増加で、都心で見る観客が減った。施設も老朽化した」と説明。同社は映画館事業から撤退する。

 閉場を控え、メモリアル上映が始まっている。十二日午後三時から「太陽がいっぱい」(六〇年フランス・イタリア)、十三日午後三時から「駅馬車」(三九年米)などを予定していて、二十日午後二時半からの最終作は「花筐(はながたみ)/HANAGATAMI」。大林宣彦監督のあいさつもある。

 今後についてビルを所有する三菱地所は「有楽町がさらに活性化するよう利用法を検討中」という。

有楽町スバル座のロビーで思い出に浸る小堺一機

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◆小堺一機が思い出「ここで大人になった」

 都心の老舗館として、独自の輝きを放った有楽町スバル座。同館で何度も鑑賞し、無類の映画好きとして知られるコメディアン小堺一機(63)は「スバル座がかける作品はちょっと選定が違う。大流行作ばかりじゃない。ここで見ると自分が大人になった気がした」と思い出を語る。

 スバル座のロビーに腰掛けた小堺は、周囲をいとおしそうに見回し「ここでは1月に『世界一と言われた映画館』を見ました」と語る。「世界一-」は観客を楽しませることに徹した山形県酒田市にあった映画館を描いたドキュメンタリー作品だ。こんな渋い名画、通好みの作品も折に触れ、上映してきた。

 小堺は千葉県市川市で小学2年まで過ごし、その後都内へ。映画好きの親は銀座や日比谷、有楽町の映画館に連れてきてくれた。「興奮しましたね。ふかふかのじゅうたん、いい香りのするもぎり(チケット改札)のお姉さん、大きなスクリーン…。大宮殿に感じました」

 映画鑑賞の環境の激変で、都心の老舗館も影響を受ける。「今は(配信などで)一人で見られるでしょ。でも映画館は数百人が一緒に反応しながら見る楽しさがある。映画館ってずっとあってほしい。映画と映画館に人生を教わりましたから」

 小堺の映画愛は著書「映画はボクのおもちゃ箱」(社会思想社)にもつづられている。映画専門チャンネル「ムービープラス」の映画紹介番組「プレミア・ナビ」にレギュラー出演している。

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