書評
『幸せではないが、もういい』(同学社)
タイトルにぐっときた。そもそも幸せとは何だろうか、とつきつめて考えてみれば、これが、あなた、なかなかつかみどころがない。結局、幸せな人間などどこにもいないのではないか。禍福は糾(あざな)える縄のごとしと言うけれど、幸福の条件を数えたてるほど不幸の影もくっきりと浮かび上がる、人の生はそのように宿命づけられているのではないか。だとすれば、いっそ「幸せではない」自分と向き合い、なおかつ「が、もういい」とうなずく人の姿を、わたしは美しいと思ってしまうのだ。
これは、ヴィム・ヴェンダース監督作品『ゴールキーパーの不安』や『ベルリン・天使の詩』の脚本を書いたことでも知られるドイツ語圏における最も重要な現代作家の一人、ハントケが、五一歳の若さで自殺した母親について書いた内省的な文学作品だ。「〔素材に対して〕あくまで外側に身を置き、即物的に向き合っている。ついに、みずからを回想と表現の機械と化してしまうまでに」という姿勢で創作と向き合ってきたハントケは、母の自殺というショッキングな出来事に対しても、それを貫こうと試みる。ところが、そうした対象との距離感を重視する作家が、こと母親には「うまく距離がとれない」。母は「生き生きとして自立した、少しずつ曇りがとれて透明になっていく作中人物」にはなってくれず、「カプセルの中には納まりきらず、捉えきれないままにとどまり、文章は闇の中へ失墜し、紙上にただ入り乱れて散らばるばかり」。作家は起こった出来事と言葉の間で宙ぶらりんの状態に置かれてしまうのだ。
勉強することは許されず、愛する男とは結婚できず、夫と子供たちの世話をするだけの齢を重ねていくかつてはざらに見られた女たちの一人だった母。ハントケはその凡庸ではあっても、本人にとっては比類なき人生を、ナチスの軍靴に踏みにじられたヨーロッパの歴史に重ね合わせようと試みる。が、それはよく出来た“お話”のようにうまくは運ばない。思考は立ち竦(すく)み、言葉は立ち眩(くら)み、そして作家は「のちに、このすべてについて、もっと正確なことを書くとしよう」と筆を置く。ささやかな望みを抱きながら、しかし、人生に望みがないことに気づき、「もういい」とうなずくのではなく、首を横に振って自ら終止符を打った母の精神の佇まい、その輪郭を描く途上で。「幸せではないが、もういい」。意訳ではあっても、これが作者の意図を汲み取った素晴らしい邦題だということが、読み終えて実感できるはずだ。
【この書評が収録されている書籍】
これは、ヴィム・ヴェンダース監督作品『ゴールキーパーの不安』や『ベルリン・天使の詩』の脚本を書いたことでも知られるドイツ語圏における最も重要な現代作家の一人、ハントケが、五一歳の若さで自殺した母親について書いた内省的な文学作品だ。「〔素材に対して〕あくまで外側に身を置き、即物的に向き合っている。ついに、みずからを回想と表現の機械と化してしまうまでに」という姿勢で創作と向き合ってきたハントケは、母の自殺というショッキングな出来事に対しても、それを貫こうと試みる。ところが、そうした対象との距離感を重視する作家が、こと母親には「うまく距離がとれない」。母は「生き生きとして自立した、少しずつ曇りがとれて透明になっていく作中人物」にはなってくれず、「カプセルの中には納まりきらず、捉えきれないままにとどまり、文章は闇の中へ失墜し、紙上にただ入り乱れて散らばるばかり」。作家は起こった出来事と言葉の間で宙ぶらりんの状態に置かれてしまうのだ。
勉強することは許されず、愛する男とは結婚できず、夫と子供たちの世話をするだけの齢を重ねていくかつてはざらに見られた女たちの一人だった母。ハントケはその凡庸ではあっても、本人にとっては比類なき人生を、ナチスの軍靴に踏みにじられたヨーロッパの歴史に重ね合わせようと試みる。が、それはよく出来た“お話”のようにうまくは運ばない。思考は立ち竦(すく)み、言葉は立ち眩(くら)み、そして作家は「のちに、このすべてについて、もっと正確なことを書くとしよう」と筆を置く。ささやかな望みを抱きながら、しかし、人生に望みがないことに気づき、「もういい」とうなずくのではなく、首を横に振って自ら終止符を打った母の精神の佇まい、その輪郭を描く途上で。「幸せではないが、もういい」。意訳ではあっても、これが作者の意図を汲み取った素晴らしい邦題だということが、読み終えて実感できるはずだ。
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