[書評] バンクシー 壊れかけた世界に愛を(吉荒夕記)
英国時間で3日、サザビーズで『Devolved Parliament(退化した議会)』と題されたバンクシーの絵画が約990万ポンド(約13億円)で落札されたことが国際的なニュースになった。一つには、ストリート・アーティスト作品としては過去最高額だったことだが、もう一つには、描かれている内容、つまり、チンパンジーが議員として出席している英議会のようすが、現在の英国議会の本質をよく表しているという、皮肉な批評にもなっている点だ。
ただ、この作品自体にそれほど芸術性があるのかというと、すでに芸術的な評価が安定しつつあるバンクシー作品だが、私にはあまりピンとはこない。浅薄な批評だなという思いが先立つ。だが、私は同時に、この作品が2009年のものであることを知っている。10年前である。この年に開催されたブリストル市立博物館・美術館で行われた展覧会に公開されものだ。その展覧会の様子は、本書、『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』に、詳しく描かれている。
この作品は、この10年間の英国議会を描いたものだ。そして単に英国議会だけではなく、この間の先進諸国における議会の堕落をも描いてきた。つまり、すでに歴史の証言でもあり、その評価なのだと捉えるなら、驚く落札額ではないだろう。
本書は、ブリストル市立博物館・美術館で行われた展覧会の説明を含め、バンクシーの登場から、主要な事件と作品をわかりやすく解説した、入門・解説的な書籍である。著者は現代のストリート・アートも体系的に捉えている専門家なので、その点でも安心して読める。バンクシーとは何者か? なぜ話題なのか? 知りたければ、本書を読めばいい。私もそうした思いで読んだ。
バンクシーの芸術活動で、本書が重視している視点は、「美術館とは何か?」という本質的な問いかけである。芸術は美術館で展示されるべきものなのか。美術館に展示されなければ、あたかも表現の不自由だとも言うのだろうか。そうした疑問に答えていくというのも、バンクシーの活動の意味である。
そして、それがバンクシーというラベルから離れて、一般的に美術と市民の関係において、あるいは、バンクシーが本質的に問いかけてきた地点において、日本の社会に問いかけることはなんだろうか? そう考えたときに、ある絶望的な不在のようなものも感じさせられる。
I don’t do proper gallery shows. I have a much more direct communication with the public.
--- Banksy
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