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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

09 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

日本で大ヒットした60年代の元宣教師の『西洋占星術』の世界連邦、原子力、宇宙、結社、地震についての未来予想=予定表。FGOの月蟹の優遇理由はロックフェラー、フォード、ルソーが蟹座(月と女神属性)だから 

朗報、今回の記事は短いよ(参考資料を除く)。

そのうち公開する、霊性進化論者の船井幸雄などが登場する、
労道ス島疝気(カルト資本主義)もよろしく!
現実だからロードス島戦記より地獄(リアル)だよ!

今回の本の著者は船井幸雄の大先輩みたいな感じがする。

西洋占星術―あなたを支配する宇宙の神秘 (カッパ・ブックス) 単行本 – 1966/6
門馬 寛明 (著)

昭和41年 初版1刷発行。
100刷を越えているほど売れた。

昭和20=西暦1945年なので
41年=西暦1966年

60年代なら戦後における
西洋スピ思想の流布にかなり貢献した。
西洋占星術で何読むか迷ったので
型月とかが影響を受けてそうな本を探したら見つかったのがこれ。
三輪氏とかなら読んでいるだろう
この人の弟子の一人の酒井氏が師匠を否定しまくっているのが興味深い。


占星術小説作家@酒井日香
‏ @nichika_sakai
4月1日
占星術のお師匠様は「門馬寛明さん」。日本に西洋占星術を広めた第一人者、と言われている人ですが、
太陽星座占いを日本で初めてベストセラーにさせた立役者でもあります。
研究熱心でしたがそれゆえ先鋭化した占星術になりがちで、占星術の光と闇を体現したような人生でした☆彡

2012年10月27日
いや、イルミナティ占星術はアンタ、名前はふざけてるけどバカにしたもんでもねぇだよ。
あの占い界の重鎮、門馬寛明さんから教わった禁断の「ハーモニック」で分割したエリア分け、ゾーン分けだから、
生まれた日でわけてるけどちゃんと占星学上の意味があるんだよ。



西洋占星術が絶対ではないことに注意。
体系が変われば内容ががらっと変わるのに
西洋占星術が不変の真理を示すってのはおかしい。
ギリシャ神話での星座の解釈が万人にあてはまることはないでしょ。


作者はこんな人。元宣教師。


”門馬寛明(もんま かんめい、1921年1月18日 - )は、日本の占い師、占星術師。
経歴

1921年1月18日6時12分に樺太にて出生、宣教師として活動していたが占星術に出会い研究を積みプロとして活動を行うようになる。 占星術研究家として活動し執筆などを行なった。 日本占星学協会会長などを務めた。
著書

『西洋占星術 あなたを支配する宇宙の神秘』光文社カッパ・ブックス 1966 のち文庫 
『ジプシー占い あなたの明日を、ランプが予言する』光文社カッパ・ブックス 1968
『恋をつかむ相性占い』ベストセラーズ ワニの豆本 1977
『LOVE占星術 あなたは、だれとピッタリか』(カッパ・ブックス)1979
『西洋数秘術入門 あなたを支配する数の神秘』東邦出版社 1980
『複式西洋占星術 サン・サインと12宮による細密星座占い』永岡書店 1980
『ときめき細密占星術 仕事・恋愛・お金・健康・レジャー 毎日ドキドキ!』JICC出版局 宝島星座ブックス 1986”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E9%A6%AC%E5%AF%9B%E6%98%8E

「かどま」じゃなくて「もんま」

鏡リュウジ
‏認証済みアカウント @Kagami_Ryuji
2015年4月8日
もしかしたら日本は「星占い」先進国かもしれない。作曲家の山田耕筰が星占いに想を得たであろう占い本『生まれ月の神秘』を出したのが1925年。米国で事実上の星座占い本の大ヒットはグッドマンのもので1968年だけれど、日本ではそれに2年先駆けて門馬寛明『西洋占星術』がヒットしている。



(”占星学は世界的な伝統に立ち,
多くの歴史的有名人が修得していることを思えば,
学びもしないで無視することは愚ではなかろうかと思う。”)


(占星学入門の序文を書いたのが
武者小路実篤。
ちなみに
日本の公用語をフランス語にしようと言った極悪人は
志賀直哉。



鏡リュウジ
‏認証済みアカウント @Kagami_Ryuji
2014年12月14日
英語圏で星座占いを一気に普及させたのはリンダ・グッドマンの星座占い本。これは1968年。一方、日本の星座占いのベストセラー、門馬寛明氏の『西洋占星術』はなんと1966年。出版メデイアだけに限ると見方によっては大衆レベルでの星座占いの普及は日本のほうが早かった?

鏡リュウジ
‏認証済みアカウント @Kagami_Ryuji
2014年1月8日
返信先: @mahashriさん
名著ですね。“@mahashri: はじめての占い本は、小学生のころとーちゃんの書棚にあった門馬寛明先生の「西洋占星術」だった。占いの興味というよりなんか大人の秘密をのぞいたわみたいな感じがして。「あなたを支配する宇宙の神秘」ですwhttp://www.amazon.co.jp/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93%E2%80%95%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%82%92%E6%94%AF%E9%85%8D%E3%81%99%E3%82%8B%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E7%A5%9E%E7%A7%98-%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E9%96%80%E9%A6%AC-%E5%AF%9B%E6%98%8E/dp/4334002358/ref=sr_1_11?s=books&ie=UTF8&qid=1389181797&sr=1-11&keywords=%E9%96%80%E9%A6%AC …”

西洋占星術―あなたを支配する宇宙の神秘 (カッパ・ブックス) 単行本 – 1966/6
門馬 寛明 (著)

占星術つぶやきメモ《ヘリオセントリック》
‏ @pneuma_2007
2015年9月16日
【本当は恐い水星逆行】あるとき、国境近くの小さな村に着いた私に、ひとりの老人が、「水星が止まった。あなたは日本に帰らないと災難にあう。」と言うのです。村が匪賊に襲われて全滅したのは、
私が帰国のため、馬でモンゴルを横断していたときです。(「西洋占星術」門馬寛明著:光文社)




夢然堂
‏ @valet_de_coupe
2015年4月11日
門馬寛明氏のインタビューは中島梓さんの『あずさのアドベンチャー’80』にも。この本ではかのウラヌス星風氏にも取材に行ってますが、門馬&ウラヌス両氏ともいずれ劣らぬクセのあるお人柄であることが読み取れます(^_^;>RT

占星術小説作家@酒井日香
‏ @nichika_sakai
2012年7月28日
もともとホロスコープの大家・門馬寛明の弟子だった私は、ホロスコープ慣れしているせいか、中国系占術のあのカビくさい感じが苦手・・・。でも、私の生涯の研究テーマである「宗教と占いの比較文化論」を考察していくためには、算命とか気学とかを知らなきゃならんわけな。



西洋占星術―あなたを支配する宇宙の神秘 (カッパ・ブックス) 単行本 – 1966/6
門馬 寛明 (著)

メモ開始

・推薦文

作家 高木彬光(たかぎ あきみつ)

日本ではじめての
権威ある入門書

占星術は、西洋でひじょうに普及している占いである。
生まれた日を支配する星座の影響によって
容貌、性格、一生の運命の変転がかなりの程度まで正確に占えるというのは、
欧米人のあいだでは常識になってる。
このように有力な興味深い占いでありながら、
日本ではこれまでその研究が等閑視され、、
日本語のやさしい入門書などは、
ほとんど見られなかった。
私なども、むこうの原書で、
やっとその概要をつかんでいたくらいだが、
この本は、長年の、
私の期待を満たしてくれた。
平易で、しかも権威ある解説書といえるだろう。

(なぜ権威あるとわかる?


・本文

p.16
14世紀になると、占星術は恐るべき勢いでヨーロッパ全土に広がりました。
王侯、貴族は、競って高名な占星術師を召しかかえ、
自分自身の運命はもとより、政治、外交、戦争、天災地変、まで占わせました。
この状態は今日までも続いています。

(2019年現在も続いている)


p.21
ケプラーがドイツの天文学者であり、占星術師であったことから想像できるように、
19世紀までは、ドイツが世界占星術の主流でした。
しかし、20世紀に入って、第一次世界大戦の大立て者ウィルヘルム二世は、
戦局悪化におよんで、ドイツに不都合な予言をする占星術師をすべて追放しました。
第二次大戦でもナチス・ドイツ総統は、コミュニスト以上に、
ベルリン陥落を予言するすべての占星術師やその書籍を憎み、
側近にいた数人の顧問占星術師まで、
死罪と追放に処してしまったのです。

その結果、20世紀の世界の正統占星術は、完全にイギリスに移りました。

(酒井氏はこの鏡氏を批判し出版社に嫌がられた。




五千年の長い占星術の歴史の締めくくりとして、
現代イギリスの正統占星術師セファリアルの
歴史的大予言の恐るべき的中例を参考にしてみます。

セファリアルは、スコットランドに生まれ、
正統占星術を研究、かたわら、
英語のほかにヘブライ語、サンスクリット語、
中国語、イタリア語とフランス語のベテランで、
広く世界の占星術を研究、予言科学者として
20世紀のヨーロッパに偉大な貢献をした人です。

セファリアルの『マニュアル・アストロロジー』1912年版で
ドイツ皇帝ウィルヘルム二世への予言をつうじて占った
ドイツの運命は、みごとに的中しています。

第一次大戦は1914年7月に宣戦布告され
1918年11月に終わりました。
ところが、これに先立って、
20年前の1898年にセファリアルは
著書の序文でつぎの予言をしていました。

「この皇帝は、じつに宿命的な運命の配置である。
かならず、彼がドイツ帝国を統治している期間に、
いままで予想もしなかった転倒の危険にあうであろう。
皇帝の運命は、彼の領地のほとんど全部が失われることを示している。
彼は、安全な皇帝ではありえない。
火星が天頂にあって、連続的な争闘にふさがれた人生を示し、
国際的な彼の権力ははぎとられ、
妻をもとつぜんうばわれるだろう。
ドイツの領土は、フランスとロシアの手に渡ることになる。
少なくともこの二大強国は、
皇帝が保有するには無力な帝国領を競うことになる。
皇帝は急死である。
宿命の病原は心臓である。
おそらく、1905年以前は敵の所領であったドイツが問題となり、
その全部を失うであろう。」

まさに、そのとおりになったことは、歴史が示すとおりです。

(支配層から予定を聞いたのだろう。
占いは天体の動向だけを見るものではなく
自身が持つ情報、知識などを総動員して行う。
支配層が教えてくれた情報が正しい保証はないし。
支配層から予定を聞かなくても
政治情勢、心理学、歴史に詳しいなら当てられるでしょ。
的中した内容だけでなく的中率が知りたい。
当たった場合だけ占いを公開すれば的中率100%にできる



一部では、科学万能といわれる現代にあって
もっとも非科学的なものという非難をうける西洋占星術が
じつは一見科学的にみえるどんなものにもまして、
正確な判断方法をもつとは、なんと皮肉なことでしょう。

いやしかし、これは、かえって占星術の科学性というものを、
強く一般に訴えることになるのかもしれません。
フロイトの弟子として有名な心理学者ユングも、
つぎのように語っています。
「人間個人の特色を読むのには、
ロールシャッハ・テストのごとき性格診断法よりも、
患者の星座を見て行なう判断のほうが確実である。」

(また宗教じゃありません、科学ですよアピールか。
しかも挙げた例が一つだけでしかも、内部情報を得ているだろう人。
それなりの地位にないとそんなに勉強する時間がとれないし。

誰誰がこう言っているを引用するとき引用元を書かない著者)


牡牛
おうし座 tauras
4月21日- 5月21日生まれ
(メスではなくオスの牛)

牡牛座は1月下旬の優雅、南の中天に見える星座。
うつむいている牡牛の姿。
ひときわ明るい星がアルデバランという一等星で牡牛の右目にあたる。
ギリシア神話によると
牡牛は、川の神の娘イオがゼウスに近づいたとき、
その妻ヘーラの怒りから身を守るために、ゼウスによって変身させられたもの。

牡牛座の守護星は金星、ビーナス、美の女神。


蟹座
cancer
6月22日-7月23日生まれ


蟹座は3月下旬の夕方、頭上南寄りに見える星座。
きわだって明るい星はないが
中央に四つの星が四角形を形づくり
その周囲に数個の星が点在し
全体で蟹の甲羅と足をかたどっている。

ギリシア神話によると
この蟹は自分の領域を守らんとするあまり嫉妬の権化となった女神ヘーラの使い。
太陽がこの星座にやどる期間に生まれた人は
われとわが党を守り、わが身、わが社、わが国を愛する民族精神をもっている。


蟹座のシンボル♋は母性の回転を意味し
子宮を守る卵巣の形、そこから生まれる保護と保育の精神、
強烈な防衛本能を表している。
守護星は女性の代表「月」(ディアーナ)。

母性的な防衛本能からくる、
排他的な衝動とヒステリックな自己主張にも
人一倍激しいものがある。

蟹座の期間の太陽は夏至の季節をつくり蟹座の人に強い生活力をあたえました。

蟹座の人は
ロックフェラー、
フォード、
「自然に帰れ」と叫んだルソー、


「オールド・ブラック・ジョー」など多くのホーム・ソングを残した
ステファン・フォスター、

『大地』を書いたパール・バック、
ヘレン・ケラー、

二宮尊徳、
石川達三、
獅子文六、
倍賞千恵子、
藤圭子など。


FGOでムーン・キャンサーのBB(ブラック・ブロッサム、黒桜、ビッグブラザー)が
大変優遇されている理由は
蟹座はロックフェラー、
ルソー、
フォード
(キリスト教の伝統=ユダヤ陰謀論の流布に協力。素晴らしい新世界の暦)、
月=左目系の星座だからだろう。
型月の重要天体は月で12星座は蟹。
12星座に限らないならオリオン座や竜座など沢山ある。

ヒカルの母登場。

FGOで超優遇されているカルナ(アーリア白人)の相棒のジナコがガネーシャとしてムーン・キャンサーとして追加された。
月蟹の属性は桜メント、ビッグブラザー、クトゥルフ(宇宙人教)、
カルナ(太陽神の息子)の相棒、バラモン・ヒンドゥー。

ギリシア神話によるととあるが、それが万人にあてはまるわけないでしょ。
インド占星術など別の体系では違うことを言っているんでしょ?)



長いあいだ異性との接触がなく寂しい思いに悩まされることがあるが
いちどこの人と思って好きになったら
とことんまで何年間でも忍耐強く恋の炎を燃やし続ける。
しかしそれだけに愛が実らなかったときのショックは強烈で
地獄の思いを深くさまよう。
若きウェルテルが人妻ロッテに捧げた愛こそ蟹座の愛の姿。

(完全にフェイトの桜属性じゃねーか。
BBは桜シリーズの一人)


山羊座
capricorn
12月23日-1月20日生まれ
9月下旬の夕方、
南の中天に見える星座。
大きな三角帽をさかさまにしたような配置の
右はしに並んだ二つの星がヤギの角
左はしが尾。
下半身は魚。
神話によると山羊のもとの姿は牧神パーン。
アポローンと腕比べをするほど音楽好きな彼が
神々の宴席で牧笛を吹いていたとき
怪物ティフォンが現れたので
パーンは、動物の姿に身を変えて川に飛び込んだが
急なことだったので陸を走るための山羊の姿と
魚の姿が半々に現れてしまったという。

守護星は土星(サターン。悪魔のボス)。

山羊座生まれの人には
くじ運やギャンブルの運がまったくない。

山羊座生まれの人は
狂犬病の予防ワクチンを発明したパスツール、
ニュートン、
ベンジャミン・フランクリン、
チェリストのパブロ・カザルス、
シュバイツァー、
バイオリニストの巌本真理、
クリスチャンで政治家の河上丈太郎、
詩人の西条八十、
福沢諭吉、
少女時代から天才的予言能力を発揮した藤田小女姫(こととめ)。

著者の門馬も山羊座。

(ギリシャ神話の星座が元と言いながら
キリスト教の悪魔が混ざっているのが西洋占星術。

メイソンの大物フランクリンは山羊座。
メイソンの大物ニュートンも山羊座。
山羊座生まれの人はギャンブルの運がまったくありませんw
ニュートンはバブルの語源となった南海泡沫事件の株で大損。

ギャンブル運がなくても内部情報で勝率100%なら問題ないな!




長いから引用は参考資料にて。




(↓著者も結社員だろうから予定を聞いたのだろう。
  どれくらい当たったか検証してみよう!

  世界連邦と原子力と宇宙と結社と地震関連が気になる)

政治経済占星表
現代占星術の粋を集めて、世界と日本の三十年を予言する


1973年
月を媒介として太陽のエネルギーを地球上で利用する方法が開発される。

1974年
世界的に自由恋愛のムードが高まり、
婚前性交はあたりまえのこととなる。
海洋開発に画期的な進歩。
太平洋に「宇宙港」設けられる。
日本における地価の高騰はストップ。


1975年
原子工業上の大事故、

世界的要人の暗殺などが起こるおそれがある。

1976年
海底開発に関し、国際的論争が生じる。
日本には、地底都市の構想が生まれる。

1977年
地上の交通機関にも、直線コースが一般化する。
女性、子どもを守る施設が完備する。

1978年
一般人の宇宙旅行を可能にするための技術が進歩する。
と同時に、「宇宙条約」締結。


1979年
国際結婚が流行する。
砂漠のオアシスが、国際的な一大娯楽センターとなる。

1980年
日本では、雇用関係の紛争が頻発。
財界の要人の病死が相つぎ、国庫の相続税は増収。

1981年
経済上、国境の問題で国際紛争発生。
日本も間接的に関係があるが、
かえって軍需景気を招く。
電気、爆発などのショック死が増加。
日本では、政府高官の死亡や辞職が相つぐ。

1982年
地球開発進み、山頂の利用価値増大、交通の要所になる。

1983年
世界一周旅行が一般化する。
日本の国際的発展はめざましく、世界列強の一つとなる。

1984年
救貧運動がさかんになり、病院や慈善事業への寄付がふえる。


85年
国際法の研究の成果が、「国連憲章」を「世界憲法」にまで高め、
法律の面から「世界連邦」樹立への動きが起こる。
原子力による光学器械の発明があり、
銀河系の神秘が解明される。


86年
海底に人間の住居第一号ができる。

87年
世界的に宗教各派の抗争。
日本では、政党間の抗争激化、議会の分裂や政変を招く。

88年
二十世紀後半最大の芸術家が世に出る。
侵略と内政干渉による国際紛争が起こる。
日本も友好国から無法な損害を受けやすい。

89年
法規による束縛がゆるむ傾向があり、
そのために道徳の退廃、無政府的な混乱が起こる。
また、学校、教会などに災害が起こりやすい、
南極大陸の開発進み、極地都市の構想誕生。

90年
地震が頻発し、国土を捨てねばならぬ国民も出る。

91年~92年
宇宙開発が行き詰まる。
各種の秘密結社ができ、思想や宗教的理念が原因で、
戦争が起こりやすい。
テロや大量殺戮、原因不明の火災なども起こる。


93年
徐々に国家間の対立が解消。
宇宙船や航空機の炎上消散事故が発生。

94年
世界的金融恐慌が起こる。
日本では、政治的陰謀による政変を生ず。

95年
1970年と比較して、一人当たりの所得は約50倍になる。
鉄道は消えはじめる。
サラリーマン人口より、自由業の人口が多くなる。

96年
錬金、錬鉱、鉱石術などが発達し、
宝石、貴金属の価値が変わる。
自由主義と社会主義が融合して、新しい融合国家が現われる。
教育、レジャーがビッグビジネスになる。

97年
中国、インド、オーストラリア、ブラジルが大国になりはじめる。
財政や商業、選挙法などに一大論争が生じる。
日本は、世界の政治に偉大な主役を演じるまでに成長する。
ソ連に思想革命起こる。

98年
音や線、空気の研究が進歩する。
楽観主義が世界を被(おお)う。
中間国家の数はますます増加。

99年
地球連合を唱える国が出はじめる。
世界的に大地震。
外国の諸地域に紛争や戦争。

2000年
国家間の交流は自由化。
日本に大地震起こる。
日本は地域紛争に進駐する。


2001年
米ソの支配力は弱まり、国外任務、
あるいは居住の自由化、国境開放法ができる。

2002年
言語差を解消する「テレトランス・コンピューター」の受信、発信が行なわれる。

2003年
大国首脳の地球連邦会談が開かれ、中国と日本が主要な役割をする。

以上メモ終わり。





紅林 直
‏ @naokure
6月11日

Amazonの社長の弁でもあるけど

変わらない物、
普遍的なテーマがFF7にはあり
クロノ・トリガーにもある。
ニアにもある。

命はどこから来て
どこへ向かうのか?

それがFF7が長く愛されてる理由だと思う。






参考資料

2018.01.28
開発秘話
フリーメイソンの成立事情を巡る対話:レン・ニュートン・ラムゼー
純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授
https://www.insightnow.jp/article/9880


/フリーメイソン(自営石工)のブルーロッジは、中世、さらには古代にまで遡る。だが、近代になって、各地のロッジを統括し、政治利用しようとするゼネコン連中や投資家連中が、その上にレッドロッジ(グランドロッジ)を作り、その支配権の争奪を始める。/
ガーター騎士団とロンドン復興

「それにしても、ずいぶん貴族っぽいお集まりだな」「いや、だってメイソンは騎士ですから」「そうなの? メイソンなのに石工職人じゃないの?」「……」「もともとフリーメイソンは、独立自営の石工の親方なんだから、みな同格。そのそれぞれの親方のところの徒弟たちが、準会員。でも、ルネッサンスのころ、工房が大きくなると、もはや親方の徒弟ではないものの、独立自営の工房を興せるほどではない中堅職人たちが出てきた。それで、メイソンの位階は、親方、同輩、徒弟の三階層になった」「それ、ブルーロッジでしょ。私たちは、その上のレッドロッジなんです!」

「でも、自由・平等・友愛をうたう水平主義のメイソンなのに、そんな高層の垂直身分制って、おかしくないか? そもそも、いかなる世俗君主の支配からも解放された自由ギルドであることが誇りのフリーメイソンなのに、上位階層が、ロイヤル・アーチ・チャプター(王認首座参事会)って、何なんだよ? それをロイヤルと認めた王って誰だ?」「それは……」

「知らないのか? 話は遡って十四世紀だ。一三〇七年、イングランド王・アンジュー伯家のエドワード一世が亡くなると、カペー王家とカトリック教会は、聖堂騎士団を異端として逮捕処刑を始める。ところが、一三二八年にはカペー王家の方も断絶してヴァロワ伯が継ぎ、これにイングランド王アンジュー伯家エドワード三世が異議と唱えて、一三三七年から百年戦争。そのエドワード三世が、四八年、自分を含め、ウインザー城に集まった長男のエドワード黒太子以下、総勢二六名で結成したのが、ガーター騎士団」

「聖堂騎士団の主力残党は、東北ドイツやイベリア半島に逃げて、チュートン騎士団やキリスト騎士団になったんですよね。二六名だけのガーター騎士団って、なんの意味があったんでしょうね?」「さぁ。聖堂騎士団を引き継ぐ気だったのは確かだけれど、いまじゃ、ナポレオンが捏ち上げた、救院騎士団の角が一つ多いフランスのレジオン・ドヌール(名誉軍団)勲章と同じように、他国君主への外交上のバラマキネタだからねぇ」「おやおや、先生、なんか知ってるんでしょ。もったいぶらずに教えてくださいよ」「もともとは、百年戦争のための出資ファンドだったんじゃないのかな」「つまり、百年戦争で現状のフランス西半だけでなく、ヴェロア伯の抑えている東半も取ったら、それをやる、ただし、そのための戦費をまず出資をしろ、ということかな」
「ああ、多ければ多いほどいいはずの騎士団なのに、
人数を制限しているのは、後での分け前を前提としているからですね」

「一五五五年のアウグスブルクの和議で、領邦単位の宗教選択ということになると、面の領邦国家にとって、その中に点在している中世的な商人貴族の自治都市の存在がじゃまになった。
で、領主たちは、傭兵と建築と演劇で、これを解体していく」「ほう、おもしろい見方ですね」「薔薇十字友愛団の到来を告げ知らせるパンフレットが出回ったのが、一六一四年。
書いたのは、テュービンゲンの神学者アンドレーエ。まだ二八歳。ところが、イングランド、ロンドン市には、医師、じつはパラケルスス派のホンモノの錬金術の大家ロバート・フラッド四〇歳がいて、すぐその翻訳解説を出した。
翌一五年には、イニゴー・ジョーンズ四二歳も、イタリアからパッラーディオ様式を学んで戻り、
王室建設局測量設計師長に任命されている」

「それで、彼らが薔薇十字友愛団を創った?」「そう簡単ではないよ。一八年、頑迷なカトリックのフェルディナント二世がボヘミア王になり、プロテスタントのプラハ市の商人貴族たちが、これと対抗するために、新旧両教領主連合の盟主と目されていた冬王プファルツ(宮廷)選帝伯フリードリッヒ五世を担ぎ上げたせいで、ねじれを生じた」
「三十年戦争ですね」「フリードリッヒ五世はイングランド王の娘婿。難しい立場に立たされ、一六二〇年には、領主連合計画に失敗した大法官フランシス・ベーコンが五九歳で失脚。政界から引退して、密かに『新アトランティス』で科学の理想郷を描き出す。一方、四八歳のイニゴー・ジョーンズは、三一年、国教会創設で廃止された修道院の跡地にローマ風の商業モール、コヴェンドガーデンを創っている」「市内の古い商人貴族たちの既得権を打破するために、ロンドン市の西郊外に新興商人たちのための新しい市場を開いたんでしょうね」

「ただ、三七年にホンモノの錬金術師ロバート・フラッドが六三歳で亡くなってしまった」「おや、また薔薇十字友愛団が遠のいてしまった」「でも、四四年、二八歳の博学者ジョン・ウィルキンズが、二七歳のカールルイスの専属牧師となっている」「カールルイス?」「「冬王」プファルツ選帝伯フリードリッヒ五世の息子、つまり、国王ジェームズ一世の孫。ドイツだと、カールルートヴィッヒ。戦争を避け、イングランドに亡命していたんだ。で、そのジョン・ウィルキンズが、
グランドツアーでガリレオ・ガリレイに学んだアイルランド貴族ロバート・ボイル十七歳ら、
好事家たちを集めて、ロンドンの酒場で、ほんとうに薔薇十字友愛団のようなものを結成したんだ」「あ、「見えない大学」か」

「四八年の三十年戦争終結で、カールルイスはプファルツ伯位を取り戻し、マンハイムに戻ってハイデルベルク大学を振興。一方、王室建設局測量設計師長の老イニゴー・ジョーンズ七六歳は、四九年の清教徒革命で失脚。ジョン・ウィルキンズ三五歳らの見えない大学も、ロンドン西北の大学町オックスフォードに避難。
数学生クリストファー・レン十七歳らとも合流」「で、国際的な科学交流ですか」「一般には、このグループは純粋に科学的な集まりのように見られているけれど、もともと政治的な匂いもする。だいいちレンは、ただの数学者じゃない。彼の父親は、一六三五年から五八年まで、ロンドンの西、ウインザー城司祭長」「え? つまり、ガーター騎士団事務総長?」「そういうこと。清教徒革命のさなかに、ばりばりの王党派だ」「その息子が数学者? 百年戦争はダメだったけれど、なにかまだ資金運用してたんですかね」

「だろうね。同じころ、東のケンブリッジ大学に、気鋭の数学者アイザック・バロー二五歳がいて、教授候補に挙がったが、王党派としてクロムウェル革命共和国への忠誠を拒否。五五年から五九年まで、パリ、フィレンツェ、ローマ、イスタンブール、ヴェネツィアと、大陸にグランドツアー」「そんなに金持ちだったんですか?」「いや、ふつうの商人の子」「じゃ、だれかがカネを出した?」「反革命の外交工作だろうね。西のオックスフォード大学の数学者レンも、財政逼迫でクロムウェル体制が傾き始めた一六五七年には、二五歳で、早くもロンドン大学に教員として潜り込んでいる」「となると、たしかに見えない大学というのは、学術団体というより、反革命知識人組織という印象ですね」

「六〇年の王政復古とともに、レンは、かつてイニゴー・ジョーンズがつとめていた王室建設局で測量設計師(サヴェイヤー)に就き、ジョン・ウィルキンズ四六歳は、好事家ボイル三三歳や、そのオックスフォード以来の実験助手フック二五歳とともに「ロイヤル・ソサエティ(王認協会)」を建て、その王認協会があったグレシャムカレッジに三二歳のアイザック・バローを教授に就けている」「クリストファー・レンが造ったリンカーンズイン広場の東のところですね」

「もとより「大学」の名も「科学」の名も無い、ただの「王認協会」だぜ。それも専門研究者だけでなく好事家や外国人もおおぜい入っている。それも、インドや新大陸を巡る英蘭戦争のさなか」「まさに第二ガーター騎士団ですね。ロンドン市はもちろんインドや新大陸の巨大利権の山分けが目標でしょうね。そう言えば、ネーデルラントが東岸中心のマンハッタン島に建設した「ニューアムステルダム」を奪取し、王弟ヨーク公ジェームズ二世にちなんで、
「ニューヨーク」と改称したのって、六四年ですよね」

「その戦争捕虜から、イングランドでペストが大流行。おりしも、ロンドン市は六四年冬から六五年夏にかけての大寒波、大熱波。市内だけで七万人の疫病の死者を出した。くわえて、六六年秋にはロンドン大火で「シティ自治区」を焼失。グランドツアーに出でていたレンが戻ると、六九年、三七歳で王室建築局測量設計師長になって、オックスフォード以来の親友の実験家フックとともに、ロンドン大改造を始める。このとき、大火を理由に、一般家屋も木造を禁止。教会や城塞の建築の減少で仕事にあぶれていたブリテン中の自営メイソン(石工)がロンドン市に集まり、市民も、インドや新大陸の貿易で得た富を建設に注ぎ込んだ。こうして、現場作業の複数のフリーメイソンロッジに、王認協会というロイヤルサヴェイヤーロッジが乗っかったんだよ」「ほら、やっぱり、ガーター騎士団由来だから、ブルーロッジの連中は職人でも、レッドロッジのメンバーは騎士なんですよ」「はいはい。ま、そういうことかもね」


アヘン中毒のニュートン

「疫病も、火事も、建設も、ぜんぶ仕組まれたみたいな話ですよねぇ」「当時から、そういうウワサが絶えなかったんだよ」「王認協会は疑われなかったんですか?」「怪しいと思われても、王政復古直後の王認協会だからね。それに、焼失した「シティ自治区」は民間に任せ、自分たちは西郊外、旧教修道院領のウェストミンスター地区の開発から手がけていった」「巧妙ですね」

「ただ、数学者のバローがね」「なにか問題が?」「グランドツアーで、彼は、イスタンブールから面倒な習慣を持ち帰ったんだ」「?」「チェーンスモーカー、と言っても、新大陸のタバコなんかじゃない、中東のアヘンだ」「それは、まずい」「その後ケンブリッジ大学に戻ったんだけど、六七年、弟子の二人が階段から落ち、もう一人も発狂。残ったのは、赤貧給仕学生上がりの二五歳のニュートンだけ」「呪われているみたいですねぇ」「いや、みんな、アヘン中毒だろ。バロー自身、六九年には、教授のポストを二七歳のニュートンに譲って事実上の引退。その後、四七歳で早死にしてしまう。
一方、ニュートンは、七二年一月、三〇歳で王認協会の会員になった。その後、『プリンキピア』、いわゆるニュートン力学大系をまとめていくが、教授としてはオカルトマニアの支離滅裂。学生も寄りつきもしない」「オカルトというより統合失調が疑われていますね」「いや、やつもおそらく恩師譲りの重度アヘン中毒だ。パイプが手から離せず、姪の指を樹脂と間違えて刻もうとしたくらい、幻覚がひどかった」「ろくに仕事しなくても、大学はクビになりませんからね」「それ、イヤミか」「いえ、自虐ですよ」

「同じころ、同年代の哲学者ライプニッツも、面倒に巻き込まれていた。ルター派の盟主、ザクセン選帝公国のライプツィヒで生まれ、同地の大学を出たばかりのライプニッツ二二歳は、六八年、マインツ大司教ヨハンフィリップ六三歳に仕えることになった」「あれ? ザクセン選帝公国出身ということは、ルター派ですよね」「マインツ大司教の方が純粋なカトリック側ではいられなかったんだよ。もともとヴュルブルク司教で、三十年戦争末の四七年にマインツ大司教を兼任したんだけど、マインツの街はフランス支配下で、同じカトリックなのに、明け渡してくれなかった」「それでドイツの新教勢力を頼ったというわけですか」「ライプニッツは、パリ市へ行って、ルイ十四世と交渉を重ねるのだけれど、うまくいかない。そして、二七歳のとき、七三年には大司教が亡くなって、こんどはカルヴァン派のブラウンシュヴァイクハノーファー公の下に。ただ、赴任地はハルツ銀山で技術改良、八五年からは図書館で家史編纂。典型的な閑職だ」「ああ、つらい。宮仕えだと、言われたところに行って、言われたことをやるしかないですからね」「でも、マインツやパリで交友は広がったし、ハルツや図書館で自分の研究の時間も取れた」

「ニュートンの方は?」「彼の入会と入れ替わりに、王認協会の中心となっていたジョン・ウィルキンズが、七二年十一月、五八歳で亡くなってしまった。とはいえ、王認協会は、実験家フック三七歳が事務長として手堅くまとめていたし、彼自身、グレシャム大学教授として幾何学や生物学など広範な研究成果を上げていた。一方、その親友のレンは、七三年、四〇歳でオックスフォード大学の教授職も辞して、ナイトの爵位を与えられ、王室建設局測量設計技師長に専念、いよいよ旧市街シティの中心、聖ポール大聖堂の再建に取りかかる」

「順調じゃないですか」「そうでもないよ。王弟ヨーク公ジェームズ二世が旧教カトリックに改宗していたことが発覚して、議会は態度を硬化させ、七三年の「審査律」で官僚官吏を国教徒に限定。
七八年、イエズス会を追放されたタイタス・オーツという男が、
清教徒革命からロンドン大火まで、すべて旧教イエズス会の隠謀だ、と言い出した。そんな話、最初はだれも信じなかったが、彼が訴えた治安判事が暗殺され、王弟妃がフランス宮廷と連絡を取り合っていたのが露見すると、市民たちが恐慌に陥って、旧教徒数十名を惨殺。王弟ジェームズ二世をはじめ、多くの旧教徒が、海外に亡命しなければならなかった」

「疫病や大火なんて、ほんとにイエズス会がやったんですかねぇ?」「疫病や大火はともかく、この時期にウラでいろいろうごめいていたのは事実だろうね。おまけに、この反カトリックヒステリーは、チャールズ二世の跡継ぎ問題に波及した」「ああ、正嗣がいないままだったんですよね」「それで、カトリックの王弟ジェームズ二世が継ぐ可能性が出てきて、清教徒らが反対して「ホィッグ(謀反人)党」と呼ばれ、国教徒らは「トーリイ(山賊)党」と呼ばれるようになった」「王認協会のメンバーは、みんな王党派だから、また面倒なことになりそうですね」「それだけじゃないよ。アヘン中毒のニュートンが、事務長のフックに絡んで、ぐっちゃぐちゃ。おまけに、王党派国教徒トーリイ党だらけの王認協会にあって、偏屈なニュートンはユニテリアンのホィッグ党寄り」「そりゃ面倒だ」
ヘッセンカッセル方伯国

「国王チャールズ二世は、議会そのものを開くのを止めて、カトリックのフランス太陽王ルイ十四世に支援を仰ぎ、八五年二月に死去。問題のカトリック王ジェームズ二世がイングランド・スコットランド合同王に即位。十月、フランスのルイ十四世は、フォンテーヌブロー勅令で、一五九八年にユグノー戦争を終結させるためにアンリ四世が出した、個人の信仰の自由を認めるナント勅令を破棄。新教徒は拷問で、むりやりカトリックに改宗させた」「イングランドとフランスがともにカトリックになれば、逃げ場もあるまい、というところですか」「いや、フランスの新教徒、それも新興産業の担い手、十数万人が、ネーデルラント共和国やスイス連邦、プロシア選帝公国、ヘッセンカッセル方伯国に逃げた」

「ヘッセンカッセル方伯国?」「新教の盟主国だよ。もともと一五二四年にルター派に一番乗りし、一六〇五年にカルヴァン派に乗り換えたが、一六一四年の薔薇十字友愛団事件でも、イングランドからハプスブルクまで、北半ヨーロッパを横断する反カトリック領主連合を画策していた中心だ。その後、三十年戦争の混乱、財政疲弊、親族戦争で、停滞が続いていたが、「博学」モーリッツ方伯の曽孫、若いカール方伯二九歳が、フランスを追われた新教徒、四万人を免税特典で積極的に迎え入れ、フランス語の学校や教会まで作って、一気に近代的な産業力を獲得した」

「フランスは、バカなことをしたもんですねぇ。しかし、半世紀も放漫財政だったカッセル方伯に、よくそんなカネがありましたね」「フランスの新教徒って言ったって、みんながみんな新興産業の熟練技術者なわけがないだろ。カール方伯は、その他の無骨な大量の新教徒フランス人移民で常備軍を作って、八七年、ヴェネチア共和国の対トルコ戦争に傭兵として送り出し、それで外貨を稼いだんだ」
「移民のためのカネは移民に稼がせたというわけですか」

「イングランドの方でも、八八年六月、長男ジェームズ三世が生まれ、この後もカトリック政権が続きそうだということになると、清教徒のホイッグ党と国教徒のトーリイ党がともに反発。十一月、娘婿のネーデルラント総督ウィリアム三世が二万の兵とともに上陸、強引に王位を移譲させた。これが名誉革命。それは、長年、アジア貿易で争ってきたネーデルラントとの、事実上の和解と連合でもあった」「追い出されたジェームズ二世は、どこに行ったんですか?」「フランスに亡命して、ルイ十四世の支援を受け、カトリックのアイルランドを足場に王位奪還戦争を起こした。くわえて、ルイ十四世も、総督が留守になったネーデルラントや、ちょうど伯が亡くなったプファルツ(宮中)選帝伯領に対し侵略戦争を起こした」「成功したんですか」「いや、九一年にアイルランドは鎮圧。大陸側も、皇帝レオポルト一世とともにブラウンシュヴァイクハノーファー公エルンストアウグストが抵抗」

「ブラウンシュヴァイク公国って、そんなに強かったんですか?」「ヘッセンカッセル方伯と並ぶカルヴァン派の盟主国で、エルンストアウグスト公は、三十年戦争で担ぎ上げられて失敗した「冬王」プファルツ(宮中)選帝伯の娘と結婚していたんだ」「つまり、自分にも相続権がある、と?」
「ま、結局は、バイエルン王に近いノイブルク公が継ぐんだが、エルンストアウグスト公も、この戦功に加え、
ちょうどライプニッツが家史を整えて伝統と格式を示したこともあって、九二年、皇帝からプファルツ(宮中)選帝伯と同じ、九番目の選帝侯位を賜る」「実力で三十年戦争の後に八番目の選帝侯に入り込んだバイエルン王がさらに力をつけるくらいなら、自分ももう一人、追加するぞ、というところですか」


「とはいえ、プファルツ継承戦争は、まだ終わったわけじゃない。三十年戦争のときから、マインツ大司教領で、本来のプファルツ選帝伯領に隣接するライン川の要衝、西岸マインツ市まで、フランスに占領されっぱなし。
ここに、新教徒フランス移民の常設軍を持つヘッセンカッセル方伯カールが戦陣に立って、九三年、西岸ラインフェルス要塞を橋頭堡にフランス軍を撃退」「ライン下りの名所、ザンクトゴアール城ですね」「こうして、カール方伯の指揮の下、ヘッセンカッセルもまた、ブラウンシュヴァイクハノーファー選帝公国とともに、ふたたび新教の盟主に返り咲いた」

「カール方伯は、ドイツの中でブラウンシュヴァイク公と張り合う気ですかね」「いや、彼がめざしていたのは、もっと大きく、三十年戦争より前、曾祖父「博学」モーリッツの北半ヨーロッパ領主連合の野望じゃないのかな」「カトリックに対抗する薔薇友愛団の夢ですか」「それで、カール方伯は、旧教の盟主、ルイ十四世のヴェルサイユ宮殿に対抗して、新教の復興を象徴するような、より壮大な建設を計画」「鏡の間みたいな大宮殿ですか」「いや、ヴェルサイユ宮殿でもっともすごいのは、一六八八年にできた噴水だよ。もともと、あんなところは、荒れ地の狩猟場にすぎなかった。そこに水上庭園を造れたのは、セーヌ川から連続式の水力油圧ポンプで丘の上、一五四メートルの高さまで揚水し、そこから長大な石積水道橋でミロワ貯水池まで大量の水を引き込んだから」「十キロ以上ありますよね。いったい誰が造ったんですか?」「レンキン・スワレム」「誰?」「ベルギー、リェージュ炭坑のエンジニア」「ハルツ銀山のライプニッツと同じですね。メイソンですか?」
「ここは、旧シトー会系修道院の鉱山だから」「一一四七年の第二回十字軍を呼びかけたクレルヴォーのベルナルドゥスの? でも、あれ、失敗ですよね」「だからこそ、旧シトー会は、技術を持ちながら、聖堂騎士団みたいに政治ににらまれることなく、生き残ったんじゃないかな」

「しかし、そんな大水路を越える壮大な建設となると、いったい……」
「ヘッセンカッセルは、ヴェルサイユより百年近くも前、「賢明」ヴィルヘルム四世や「博学」モーリッツの時代に、すでにフルダ川に水上庭園を造っている。そして、八六年にヴェルサイユに、石とガラスがふんだんに使ったオランジェリー、つまり、オレンジのような南半ヨーロッパの植物が育つ温室が建てられると、カール方伯は、カッセルの水上庭園にも、より大きなオランジェリーを建てた」

「後追いで大きいだけでは」「いや、カール方伯は、平坦なヴェルサイユでは造りえない、もっとすごい画期的なアイディアがあったんだ。カッセルの街の西の高台から、丘の下まで滝と噴水がいくつも連なるバロック公園だよ。水圧式のラッパの響きとともに流れ出し、最後の噴水は、高さ五〇メートルにも噴き上がる。もっとも、予算の都合で、彼が生きているうちには、その半分も出来上がらなかったが」「なんにしても、それはすごい。でも、アイディアはともかく、方伯本人が施工したわけじゃないでしょ?」「一六九九年、カール方伯が四五歳にもなってグランドツアーでイタリアを訪れ、ローマからジョヴァンニ・グエルニエロという三四歳の建築家を連れ帰ってきた。そして、その丘の頂上には、八角城を建て、これに載せた尖ったピラミッドの上に、九メートルを超える巨大なファルネーゼ・ヘラクレス像を置いた」

「十字軍要塞型の八角城の上にファルネーゼ・ヘラクレスとは、これまた、いかにもメイソンらしい。でも、水はどうしたんです? フルダ川から八角城の中の井戸からポンプで汲み上げた?」「ポンプなんか使っていないよ。森がある裏山の上の溜池から、密閉水道のサイフォン原理で、この丘の上まで水を引き上げている」「じゃ、八角城は?」「三階建ての回廊があるだけで、中は空っぽだよ」「ロトンドですか」「それも丘の上で尖塔付きだ。ブロンズ(青銅)製のファルネーゼ・ヘラクレスは、それ自体が通電性の避雷針になっているし」「オーロラや雷から電磁気エネルギーを取り出して、回廊コイルのコンデンサに電気を貯め込むつもりだったんですかね?」
「実際、当時、ハレーやニュートンが必死にオーロラの研究をやっている。そうでなくても、この長大な斜面の水流庭園そのものが、水力発電装置っぽいんだよね」


ニュートンの王認協会支配

「そうそう、イングランドの方は、どうなったんですか? カトリック王が続く可能性が出て来て、清教徒のホィッグ(謀反人)党」と、国教徒の「トーリイ(山賊)党」が対立したんですよね」「ホイッグ党の方が、上手だった。
革命に批判的な人々を、敵国フランスに味方する裏切り者として「ジャコバイト(ジェームズ派)」とレッテルを貼って、議会から追放していき、九四年には政権を執る」「えぐいですねぇ」
「このホイッグ党政権の恩恵をもっともうけたのが、じつはニュートンなんだ。ケンブリッジ大学での弟子、チャールズ・モンタギュー三五歳が、ホイッグ党政権で大蔵大臣になって、イングランド銀行を創設。九六年には、五三歳のニュートンを造幣局長に」「どうせ何にもしないんでしょ」「それが、そうでもないんだよ。
ニュートンは、自分が錬金術にどっぷり染まっていたから、ニセ硬貨なんか、一発で見抜けたんだ。偽造団を一網打尽にして、処刑台に送り込んでる」「妙な才能ですね」

「それだけじゃないよ。ただでさえ王党派が多い王認協会の中で、あいつはジャコバイトだ、って、気に入らないやつを攻撃し、しだいに自分の勢力を拡大」「恐怖政治ですね」「アヘン中毒のせいで、本気で疑心暗鬼の妄想だらけだから、かなり始末が悪い。このころ、ブラウンシュヴェイクハノーファー公国のライプニッツと、双方の友人たちを巻き込んで、微積分法の先取権争いを派手にやらかしている。それで、ライプニッツの方は、ハノーファー選帝公国から、大量にフランス人新教徒を受け入れて拡大したルター派プロシア選帝公国フリードリヒ一世のベルリンに遷り、ニュートンが支配するロンドンの王認協会に対抗して、一七〇〇年、自分が会長になって「選帝公アカデミー」を創る」
「ニュートンもたいがいですが、ライプニッツも性格が悪そうですね」

「でも、ライプニッツの方がうまく時代に乗っていたかな。
ちょうど、一七〇一年に、スペイン継承戦争が起きて、ハプスブルク家皇帝はフランス王ルイ十四世とまた戦わなければならなくなった。これに乗じて、プロシアは公から王への格上げを要求。すんなり認められ、
ライプニッツの選帝公アカデミーも、国王アカデミーに格上げ。
これは、ニュートンの王認協会と違って、科学だけでなく、芸術や人文学をも含み、新時代の文化の中心となっていく」

「時代からすれば、ニュートンも、ケンカなんかするより、ライプニッツと連携した方がよかったのに。新大陸、新発明、とにかく情報を集めて乗っていかないと」「それで、新聞や雑誌、それらを置いてあって人が集まるコーヒーハウスが人気になった」「実際、そういう儲け話で一山当てた新興の小金持ちたちがいっぱいいて、次のネタを探していたんでしょ」
「でも、ほんとうのいい話は、やっぱり口コミだろうね」
「ああ、それでフリーメイソンか」「このころ、ロッジには、石工だけでなく、いろいろな工事関係者や事業実業家も参加するようになっていた」「ヴェルサイユやカッセルにオランジェリー(温室)ができたように、大きなガラス窓が普及したのも、このころですよね」「石炭窯と鋳型圧延で一六六八年に板ガラスが作れるようなったから」


「たとえば、ロンドンだと、どんなロッジがあったんですか?」「イニゴー・ジョーンズが作ったコヴェントガーデン内のタヴァン「リンゴの木」、その東北、同じくイニゴー・ジョーンズが手がけたリンカーンズイン広場に連なるパーカー通りのエールハウス「王冠」、そして、ウェストミンスター運河筋、現サマセットハウスあたりにあったタヴァン「酒杯にブドウ」、そして、クリストファー・レンが手がけていた聖ポール大聖堂の前のエールハウス「ガチョウに焼き網」」「まさにジョーンズとレンのロンドン再開発の足跡のままですか」

「ただ、みんなが儲け話に浮かれていると、荒唐無稽な事業を名目に人々からカネを巻き上げて逃げるだけの「プロジェクター」と呼ばれる山師連中も湧き出てきた」「そりゃそうでしょう」「それで、ロッジは、しだいに厳格な会員制になって、信用のおける仲間しか入れないようになる」「会合の時間や場所も秘密というわけですね」「とくに、この時代、変なやつと関わって、ジャコバイトの一味だ、なんて言われたら、もう社会的に抹殺されてしまう」「結局のところ、ジャコバイトって、ほんとうにいたんですか?」
「薔薇十字友愛団と同じような妄想かもね。それでも、ジェイムズ二世が亡くなった一七〇一年には「王位継承法」を立てて、その係累の王位継承権を正式に否定している」「議会の方も、よほど後ろめたかったんでしょうね」

「でも、「ジャコバイト」叩きでのしあがったホイッグ党の天下も、長くは続かない。ネーデルラントから呼んできたウィリアム三世が一七〇二年に亡くなり、妻の妹、つまりジェームズ二世の次女アンが継いだが、これが国教徒。それでトーリイ党が政権を奪還。しかし、あいかわらず議会ではホィッグ党も強く、ひどく不安定な政治に」「国王制と議会制と、まだ折り合いがよくわかっていない時期でしたからね。でも、トーリイ党政権になって、王認協会も安心でしょう」
「ところが、創設以来、協会の中心となってきた事務長のロバート・フックも、〇三年に、六七歳で亡くなってしまったんだよね」
「じゃぁ……」「そう、いよいよニュートン六一歳の独裁。みずから会長になり、ラィヴァルのグリニッジ天文台のフラムスティードも蹴落とし、百人そこそこの協会を、自分の子分たちと、一般の名望家たちで埋め尽くしていく」「やっぱりロンドンの王認協会なんて、ベルリンの国王アカデミーと違って、科学とさえ関係なさそうだ」


「一七〇七年五月、イングランドが実質的にスコットランドを吸収して、大ブリテン王国となり、スコットランドに残るジャコバイトの芽を叩き潰した。このころ、大ブリテン王国は、フランスのルイ十四世と、スペイン継承戦争で争っていた。しかし、その年の夏、フランス南東岸のトゥーロン包囲戦に失敗、おまけにその帰途、霧の中、艦隊がブリテン島南西沿岸で座礁し、四隻、千五五十名も失う大惨事となってしまった。
ここでまた出て来るのが、王認協会のニュートン六五歳。議会から経度委員会を任され、国家事業として海上での座標確認方法を探求し始める」「ニュートンって、そんなに愛国心があったんですかね?」
「違うよ。経度委員会には、時計から測量器まで、とにかくありとあらゆる新発明のアイディアが独占的に集められたんだ。人よりそれを先に知っていれば、投資で大儲けできる」「かつて、王認協会事務長フックのところに世界中の最新情報が集まってきているのを、ニュートンはきっととってもうらやましく思っていたんでしょ。出来の悪い子分や、ぶらさがるだけ名望家ばかりになってしまった王認協会では、もうロクな話なんか集まらなかったでしょうから」


「ただ、ニュートンが頭がおかしくなってしまっていたからね。そもそもすでに九九年に超高給取りの造幣局長官になっていて、毎年、使い切れないほどのカネが入ってきていたから、〇一年には大学も辞めてしまっているし、〇三年に王認協会の会長になり、〇五年に念願の騎士に叙せられ、〇七年に経度委員会委員長。どのみち家族もいないのに、なんのためのカネ儲けなんだか」「でも、あって困ることはないでしょ」「いや、回りが困るんだよ。本人が一七一〇年にウェストミンスターのオレンジストリートに豪邸を新築して、部屋中を薔薇色のビロードで飾り立てた豪奢な生活をするだけならともかく、同じく一七一〇年には、王認協会も、グレシャムカレッジから引っ越して、その南のクレーンコートに独自の建物を新築。路地の奥の入口では、銀の紋章つきの儀仗を持つ衛兵まがいが出迎え、会員は長テイブルの両側の指定席に着き、その上座に会長ニュートンが神々しく現れるや、会場は静まり返り、彼の開会の宣言が厳粛に響きわたる、というようなありさま」

「クレーンコートの王認協会館は、一七八〇年に協会がサマセット館に移って壊されてしまいましたけど、ニュートンの豪邸の方は、よく知ってますよ。ナショナルポートレートギャラリーの裏で、今、図書館ですよね」「そうそう」「こう見えても、私も美術史家ですから」「あぁ、そうだった。すっかり忘れていたけど」
「あの家、典型的な新古典主義のメイソン建築ですよね。正面の窓が三つ、それが三階」「あれとそっくりの建物が、ヘッセンカッセル方伯のオランジェリーの西側にあるよ。これもカール方伯が建てたんだが、ニュートンハウスと同じ大きな建物なのに、中は総大理石張りで、回廊の中心に小さな水浴槽があるだけなんだよ」「奇妙ですね。ロトンドになっている山上の八角城と同じような実験装置でしょうか」「大理石は、装飾ではなく、電気的な絶縁体だろう。回廊に電線を巻いてコイルにすれば、巨大な誘導器になる」「ニュートンハウスも、中は同じような実験装置になっていたんでしょうかね」「その可能性はあるよ。それくらいのものを自腹で自宅に造れるくらい、カネを持っていたからね」
「じゃあ、ニュートンもメイソン?」「それは微妙だね。ニュートンは、自分でソロモン神殿の設計図の復元なんかやっているけど、自分はメイソンみたいな労働者連中とは違う、あくまで騎士なのだ、と思っていたんじゃないかな」「育ちに劣等感を持っている人は面倒ですねぇ」

ルター二百年目の大ロッジ結成

「逆もまた真だよ。女王アンも一四年に、跡継の無いまま亡くなってしまって、かといって、王位継承法でもうフランスに亡命中の、ジェームズ二世末子、ジェームズ三世二六歳が継承することはできず、曾祖父のジェームズ一世まで戻って、例の三十年戦争のきっかけになった冬王妃の孫のジョージ一世が即位」
「孫ったって、冬王妃の娘が嫁いでいたのは、カルヴァン派ブラウンシュヴァイクハノーファー選帝公家で、ジョージ一世は、英語ができなかっただけでなく、ロンドン市にも居着かなかったっていう不在王でしょ。一方、ヘンデルは、ハノーファー選帝公の宮廷楽長だったのに、一二年からロンドン市に居着いてしまって、帰国命令も無視していたら、ジョージ一世の方がブリテン王としてロンドン市に来ることになって、あわてて『水上の音楽』を作って歓迎したとか、しないとか」

「なんにしても、ブラウンシュヴァイク公家のジョージ一世は、カルヴァン派だ。ルター派のプロシア選帝王フリードリヒ一世やヘッセンカッセル方伯カールと並ぶドイツ新教徒の中心。
反カトリック反フランスで、スペイン継承戦争には、神聖ローマ帝国軍の元帥として最前線で戦っている。そんなのが、ブリテン王国の王になったものだから、ブリテンのカトリック連中は、フランスの支援を受けて、その引きずり落としを画策」「つまり、ジェームズ三世を王位に就けようとするジャコバイトがまたぞろ、うごめき始めたんですね」

「困ったのが、一般の国教徒。プロテスタントの清教徒ではないとはいえ、カトリックのジャコバイトのテロリストなんかと間違えられたくない」「あ、それでメイソンか」「一七一七年六月二四日、木曜、洗礼者ヨハネの日の夜、聖ポール大聖堂広場のエールハウス「ガチョウに焼き網」に、他の三つのロッジのメンバーを併せて総計七〇〇名も集まり、「ロンドン大ロッジ」を発足させた」「自主的に?」「創設者は、レン卿、八五歳」「大火後のロンドン市の再建を主導したレン卿が言い出したとなれば、だれも異論はないでしょうね。でも、八五歳で?」「実際の中心は、デザギュリエ、三四歳。王認協会の事務長」「つまり、黒幕は、王認協会会長のニュートン?」「ほら、さっき話したように、ニュートン本人は、横並びに平等なメイソン親方の一人になんか、なりたくなかったんだよ。それに、彼はもともと国教徒ではなく、プロテスタントのユニテリアンだったから、わざわざ大ロッジに身分保証してもらわなくても、カトリックのジャコバイトと疑われる心配もなかった」

「じゃ、誰?」「ニュートンのさらに背後にいたのは、おそらくヘッセンカッセル方伯カール六三歳。同年九月二七日に、息子のヴィルヘルム八世とザクセン選帝公分家筋の娘との結婚式を挙行している。このザクセン選帝公の娘の母は、プロシア選帝王フリードリヒ一世の娘。つまり、この結婚で、ヘッセンカッセル方伯、ザクセン選帝公、プロシア選帝王の三つのドイツ新教国が結びついた。そして、その祝典として、同年十一月三〇日、ファルネーゼ・ヘラクレスを載せたカッセルの八角城と水流庭園を完成させ、さかのぼって七月十七日を、その創設日にした」「しかし、ヘッセンカッセル方伯が、なぜロンドンの?」
「すべては一五一七年十月三〇日、万聖節の前の晩、つまりハロウィンに、ザクセン選帝公国のルターがローマの中世的カトリック支配に異を唱えたことに始まる。それから百年目、イングランド王国のフランシス・ベーコンやヘッセンカッセル方伯国「博学」モーリッツらが薔薇十字友愛団として、北半ヨーロッパ領主連合の構想を打ち出した。そして、一七一七年は、反カトリック二百年記念の年だった。そして、これが、現代のEU統合へとつながる」

「でも、一七年にできたのは、しょせんロンドン市内の四ロッジだけの合同ですよね」「いや、一九年には、デザギュリエ本人が大ロッジ総長(グランドマスター)に就任し、次々と地方ロッジも吸収していくんだ」「抵抗しなかったんですかね?」「嫌がったところもあっただろうけれど、加盟すれば、経度委員会の老ニュートンが持っている新技術新発明の情報のおこぼれにあずかれる。でも、加盟しなければ、テロリストの「ジャコバイト」が謀議している、なんて密告される」

「たしかに、カトリックは、徹底してメイソンを嫌っていますね」「メイソンが国教会型の立憲君主制ないし大統領制をめざして、カトリック教会の大ヨーロッパヒエラルキー(神聖管理)と対立するからだろ」「いや、もっと根本的な問題ですよ。ある意味で、メイソンは、根本からキリスト教とは対立しているんです」「なんで? メイソンは、無神論でさえなければ、なんでもいいんじゃないのか?」「無神論でなければいい、というのは、神や仏法を信仰する、ということです」「そうだろうな」「ところが、キリスト教というのは、イエスを救世主として崇拝している。メイソンから言わせれば、それは人間崇拝であって、一種の無神論です」「えっ、そうなの? イエスって神なんじゃないの?」「もとは神かもしれませんが、人間として十字架に懸けられたから、人間の原罪が贖えた、って言うんでしょ。でも、人間を神と崇めるなんて、どうかしてますよ。まして、聖人ペテロから天国の門の鍵権を受け継いだというカトリックの教皇崇拝なんか論外です。それでいいなら、ローマ帝国の皇帝崇拝とどこが違うんですか?」

「ああ、マクダグラス教授は、いわゆるユニタリズム(神一主義)というわけか。
ニュートン以前に、デカルトやパスカル、ロック、ヒューム、スピノザ、ライプニッツなんかも、みんな、ユニテリアンどころか、もう仏教と同じような汎神論、理神論だもんなぁ」「そう。神は、全世界と一体の、宇宙法則のような無機的なもの。中世カトリックのキリスト教が説いてきたような、怒ったり、喜んだりする擬人的な神なんて、古くさい原始人のための神話ですよ。至高至善の神に、父だの、子だの、そんな人間くさい親子関係があるわけがない」「まあ、それが啓蒙主義なんだろうね」

「いえ、キリスト教の最初からですよ。知ってのとおり、イエスの時代から、イエスが何なのかは、大きな議論になってきた。ある人に言わせれば、生き神、また、ある人に言わせれば、神の言葉の預言者、反ローマの革命家、大言壮語の詐欺師。イエスが処刑されても、この問題はなにも解決しなかった」「当初は、それぞれの分派がかってにイエスの名を騙って好き勝手にやっていたみたいだね。だけど、パウロが出てきて、イエスは救世主だ、神そのものだ、って、やって、キリスト教ができたんだろ」「それは、カトリック教会が後から作った歴史ですよ。当時は、パウロだって、イエスの名を語る数多くの分派のひとつにすぎなかった。各地に教会ができる時代になっても、諸説がいりみだれたままだった。ところが、最初のキリスト教徒皇帝コンスタンティヌス一世が、三二五年に第一ニカイア公会議を開いて、パウロ系アタナシウス派の三位一体説を正統として、ユニテリアンのアリウス派を異端にしてしまった」

「でも、ユニテリアンは無くならなかった」「そりゃそうですよ。三位一体なんて、イエスの言葉じゃない。旧約聖書にだって出て来やしない。
二〇〇年頃のティルトゥリアヌスが『ヨハネ福音書』を継ぎ接ぎにして捏ち上げた図式ですよ」「まして『ヨハネ福音書』じゃなぁ。ルターなんかは大好きだったらしいが、
ありゃ、他の三つのまともな共観福音書とはまったく別の、トマス派と対立するヨハネ派独自の思想書だもんな。まあ、新約聖書の編纂で、『トマス福音書』をはじめとするトマス派文書が排除され、ヨハネ派文書が大量に割り込んだことからして、ニカイア公会議なんて言ったって、最初からだれも議論なんかする気は無くて、ただアリウス派を最終的に排除するためだけのものだったんだろうなぁ」「トマス派は、もともとユニテリアンで、教会を介さないグノーシス(直接認識)派でしたからね」


ラムゼーのフレンチ・ジャコバイト

「いずれにせよ、一七二〇年に株式会社ブームのバブルが崩壊して、メイソンブームも下火になってしまったんでしょ? 巨万の富を怪しげな株式に投資していたニュートンも、そうとうに損を出してしまっていたみたいだし」「それが逆なんだよ。バブル崩壊で、いよいよ身元保証が必要になって、メイソンでもなければ融資も投資も受けられないようになったんだ。くわえて、老ニュートン七九歳とその番頭デザギュリエ三八歳は、二一年、教え子で大蔵大臣だったモンタギュー卿の息子三一歳をロンドン大ロッジ総長に迎え、いかにも、メイソンが重商主義の政府と密接な関係にあるかのように装い、また、牧師アンダーソン三七歳、他十四名に教義としての憲章を作らせ、メイソンリーの格式を高めた。こうして、メイソンは、わずか五年にして、「天地創造以来の悠久の伝統と神聖な格式を持つ驚異的な」社交クラブに」

「それで、さらに他の地方ロッジも吸収したんでしょうね」「いやいや、カトリックの方だって、巻き返しを図る。ちょうどスペイン継承戦争で、ジェノバ市国のコルシカ島、スペインのサルディニア島やシチリア島が奪い合いになり、南仏西部トリノ市に神聖ローマ帝国の子分のサヴォイア公国が活躍して、最終的に一七二〇年、サヴォイア公国がサルディニア王として地中海の覇権を握った。このサヴォイア・サルディニア王は、十字軍時代の救院騎士団系のラザロ騎士団を継承管轄していて、これがカトリック側の組織拠点になった」「そりゃ騎士団と言えば、カトリックの方が本家ですからね」

「スコットランドのパン屋の息子で、ジャコバイトでカトリックのアンドリュ-・ラムゼーという三七歳の神秘主義者が、二三年、このラザロ騎士団に入り、翌二四年、ローマで教皇の下で保護されていた「王太子」チャールズ三世の家庭教師になって、ジャコバイトとカトリックの連絡係になった。そして、まず熱狂的カトリック国のアイルランドで、二五年に別の「アイルランド大ロッジ」を立てる。当然、これはカトリックのメイソンロッジだ。この後、ラムゼーは、パリ市で、モンテーニュやエルヴェシウスらが集っていた中二階クラブに出入りし、人脈を固めていく」

「中二階クラブ(クラブ・ランターソル)って、このすぐ裏のヴァンドーム広場西角七番地の? 神秘主義者が啓蒙主義者たちと交流?」「中二階クラブは、株式会社バブル後も変わらない政府の素朴な重商主義を批判して、いわば工業主義を模索していたんだ」「ただ売り買いして差額を儲けるのではなく、技術で付加価値を付けるということ?」「当時からすれば、付加価値なんて神秘主義みたいに思われていたんだろうが、それこそまさにメイソンの思想だよ」「粉から作るパン屋の生まれだから、モノの付加価値って、実感があったでしょうね」

「この中二階クラブ時代の二七年に、ラムゼーは『キュロスの旅』という本を出して、これがベストセラーになっているよ」「古代クセノフォンの『キュロスの教育』を模したものですか。それにしても、古代ペルシアの初代の王キュロス二世が主人公とは」「どのみち寓話だよ。ただ、クセノフォンのが普遍的な帝王学の教育論であるのに対して、ラムゼーのは、あくまで当時のヨーロッパ情勢の批評と政治経済の理想で、それをキュロス二世に仮託して語らせている。
だから、クセノフォンよりフランシス・ベーコンの『新アトランティス』に近いかな」「話を聞いていると、ニュートンなんかより、メイソンらしい人物ですねぇ」

「実際、株を転がすだけで儲けようとする老ニュートンが二七年に死ぬと、
ラムゼーは、二九年、王認協会に迎え入れられ、三〇年にはオックスフォード大学から名誉法学博士の学位を授与された」「『キュロスの旅』に対する評価ですかね。でも、絶対王政の重商主義の時代に、政治学や経済学を論じるなんて、どうだったんでしょう?」「案の定、パリ市の中二階クラブは、国王ルイ十五世ににらまれて、危険思想として三一年に閉鎖させられている」「ほらね」「なのに、ラムゼーは、あえてそんなパリ市に戻って、ブイヨン公家の家庭教師に」「この対岸のシメイ館、今の国立美術大学校の北側のところですね」「それよりブイヨン公家だよ」「あ、十字軍時代の初代イェルサレム王、ゴトフロワ・ブイヨンの末裔!」「一七一九年にジェームズ三世の妃になったのが、カトリック国ポーランド王の孫のマリア・クレメンティーナ・ソビエスカ。その妹マリア・カロリーナ・ソビエスカが二四年にブイヨン公シャルルゴトフロワと結婚し、ラムゼーがその公子ゴトフロワ五歳を教えることになった」

「ポーランド王の孫姉妹で、ジャコバイトと旧聖堂騎士団が結びつき、その仲介役がラムゼーだったんですね」「ただ、ポーランドも奇妙なことになっていたんだ。二人の祖父ヤン三世が一六九六年に亡くなった後、当然、オーストリア・ハプスブルク皇家の支持も得ているソビエスキ王家の二人の父ヤクプが王に選ばれるはずだったんだが、これにバイエルンやフランスが介入して妨害し、結局、ザクセン選帝公アウグストが王位に就いてしまった」「え? ザクセン選帝公国って、それこそルターのいた、宗教改革の原点でしょ」「いまさら、宗教なんて、どうでもよかったんだよ。ただ、三三年、そのアウグストも死去して、また各国が介入。泥沼のポーランド継承戦争に」「つまり、ソビエスカ姉妹も、国を追われたジェームズ三世と似た立場だったのですね」「ジェームズ三世もジェームズ三世で、国も持っていないのに、存在しない領土と爵位をうさんくさいジャコバン連中に授けて、勢力を固めていく。ラムゼーみたいなのも、三五年に準男爵(バロネット)に叙されて大喜び」「準男爵なんて、もともとジェームズ一世が軍資金集めに売り出した爵位で、貴族の数には入らないのに」

「こういう状況で、三六年には、むしろジェームズ三世をブリテン王国に迎え入れようとするジャコバイトの「スコットランド大ロッジ」もできる。そして、ラムゼーは、三七年、騎士団大広報官ラムゼー著『フリーメイソン入会式での講話』なんていうのを出版する」「清教徒の国王に反意の無いことを示す国教徒のロンドン大ロッジに対して、アイルランドやスコットランドでは、露骨にカトリックでジャコバイトの大ロッジとは」「ここからが引き抜き合戦だよ。ジャコバイトが支持するスチュワート家が贅沢好きで放漫財政なのは、昔から有名だった。そのうえ、背景には、イングランド・スコットランドを、アイルランドとともにカトリックに戻したい法皇が絶対担保付きの出資者として付いている」「つまり、当てにならない政府財政に依存しているロンドン大ロッジなんかより、ジャコバイトのアイルランドやスコットランドの大ロッジに入った方が、手っ取り早く儲かるぜ、って話ですかね」

「ラムゼーは、聖堂騎士団って、フランスとスコットランド、ポーランドを繫ぐのに都合のいいネタだと思ったんだろうね。ところが、まぬけなことに、この講話が出版されると、スコットランド大ロッジの方が、ラムゼーの聖堂騎士団末裔説を、ウソっぱちだ、と、完全否定してしまった」「いや、だって、石工の団体なんだから」
「スコットランド本国の大ロッジのメイソンは、ジャコバイトとはいえ、平民の中小企業のおやじみたいな連中だ。ラムゼーのことは、昔から知っている。パン屋の小せがれが、インチキ貴族に成り上がって、なにバカ言ってんだ、って。言って見れば、メイソンなんて、もともと飲み屋で建設会社のおやじたちが仲良く飲み食いしてただけなのに、その儲け話に一枚かもうと寄って来た部外者たちみたいなもの。最初のうちはエプロンだのハンマーだの、今風に言えばヘルメットに首タオル、ロングニッカに安全靴みたいな建設業者独特のかっこうをして、連中に溶け込み、仕切談合の儀式につきあっていたけれど、そのうちに、自分たちは現場労働者じゃない、騎士だ、貴族だ、なんて言い出して、組織を乗っ取ろうっていうんだから、そんなの、許せるわけがない」「そりゃ、みんな、怒るでしょうね」

「ところが、奇妙なことが起こるんだ。フランスで聖堂騎士団と言えば、それは、国王と教会の悪辣な陰謀によって壊滅させられた組織のこと。それがメイソンとして復活したのであれば、それこそが反国王・反教会の拠点にちがいない、って。それで、フランスの自由主義貴族や新興企業家、ユダヤ人やトルコ人、
百科全書派のディドロのような啓蒙主義の無神論者など、反国王・反教会の連中がごちゃごちゃ集まって来て、三八年、一気に「フランス大ロッジ」ができてしまった」「フランスのメイソンたちを集めて、絶対王制主義のジャコバイトがカトリック教会と組むつもりだったのに、聖堂騎士団なんて言ったせいで、王制にも教会にも反対の連中が集まってしまったわけ?」「そういうことだな。自分がラムゼーにフランス大ロッジを作らせたくせに、ローマ法皇クレメンス十二世は、この予想外の結果に驚いて、すぐメイソン禁止令を出し、メイソンすべてを異端として破門にした」


※『悪魔は涙を流さない』からの抜粋


(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)
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Angeliqua@nap master@Ripple1975
すみわけって大事よ?
オカルトは怪しいからこそのオカルト。ボーダーをあえて決めてるからこそ安全でいられるの。住民が妖怪の棲む森をとりしまろうとしても無駄なこと。
妖怪が街中に出てきたら困るんじゃない? オカルトと非オカルトは区別されてるからいいのです。

とはいっても、妖怪の棲む森(つまりはオカルト界隈ね)は無法地帯でよいわけはないから、オカルトの頭領がその辺厳しくなくてはいけないかもしれない。

占いは予知とは違うから、現在の状況整理のために使うものかも?
卜というのはつまりはホーラリーだから、
状況判断とソリューションを考えるためのツールでしょうね。

予測がそんなに的確だったらみんなくじひいて大金持ちですw

見えざる要因を探り、これを分析するためのツールね、占いというのは。



暗袋のなかを手探りするもの。それが万能であるはずも無い。

通常の分析と予測っていわば開かれたカードを見て行うもの、一方で占いは閉じたカードも考慮するものなの。この点が異なってるので分析の補助として使うとわたしは考えています。あくまでも限定的だから万能なわけは無いです。

そうね、たとえていうならば占いって影絵をみて中を当てるようなものだからです。


障子の中を突き通す目を霊感と呼ぶのでしょうね。
それはある意味で訓練されたイメージング能力によって裏読みをする能力と言ってもいいかもしれない。

それはひとの能力の一部を拡張してるだけのことでそんなに不思議なことではないのです。心のスポーツするようなものとわたしは考えてる。

オカルトっていえば大衆はそこに不思議さを求めてるけどね。

バッファーは広くなるはずなんですけどね、占いに慣れてくると。
見えないパズルをしてるようなものだから広大なワークスペースが必要なの。3Dの演算するようなもので。



騒々しい霊? 静かにしないとこのお菓子あげないわよ? ってテーブルにおけば、きっと静かになるはず。食べることに夢中になるから~。
イメージとしてはあれ、子供たちがご飯を待ちきれなくてフォークとナイフもってテーブルの上をどんどんしてる感じ?

大体そういうのってコミュニケーションもとめてるんだから、適切なコミュニケーションをてこちらがイニシアティヴをとれば問題は解決します。

で、よびかけのときは合図として必ずベルをならの、ハンドベルをね。

さもないと誰にお話してるのかわかんなくなっちゃうから。

ベルが手元に無いときは杖などで促音、つまりノック。
ノックに規則性を持たせてあげるのです。ある意味でモールス信号。


などと儀式手順をとりいれてみたり。

名前の前後に十字をきるのだってある意味で規則性であり、周囲にいる霊に対して警告を与えるもの。

霊能者さんは周囲にいる霊を浮遊霊だといい、わたしはそれを心の各要素と考えます。でもまぁ、実際はどっちでもいいの。やろうとしてることとその効果は一緒だからです。

日本だとこういうのよくやらない? 拍手を打つこと。それは霊への警告に違いないからです。ハンドベルを鳴らすのとそんなに変わりはありません。

霊がいるかどうかという問題については誰にも永遠にわからないと思うの。けれど、どうすればいいのかについては結構明確な答えが出ています。それがどこの国であれ、基本的なやり方はそんなに大きく違わないからです。対象をなんであると思ってるのかについては違ったとしても。

方法として実質的に使えるのなら何でもいいの、少なくともわたしにとっては。霊界があるかないかもあまり関係なくて、ただ心にあることが起こったとき、どうすればいいかさへわかってるのなら。

魔法は宗教と密接に結びついてるけど宗教そのものではないという理由。それが実用主義的観点を持つからです。

霊界があるに違いないと信じたとき、
それはもうある種の宗教に入り込んでますからね。魔法使いはそこで断言しないものです。

オカルトは半信半疑でちょうどいいと思う。どんなに経験をつんだとしても。




素材はブラス、意匠はフクロウさんです。

ベルは瞑想の終了を告げるるときも使うのだけど、
その場合は音と音量に注意してね。あまり大きな音が出るものは使わないように。

実用主義的という意味では医学も厳密に言えば科学ではないのかも知れない。こんなこというと医学のドクターに怒られちゃいそうですけどね。応用科学という言葉はあるけれど、場合によっては(緊急時は)厳密に臨床結果を待てない場合もありますから。例えばパンでミックが起こりそうなとき。

科学的知見は大切ですし、第三者敵検証も必要でしょう。けれど、
目の前で泣く子供がいたとしたら? たとえおまじないであってもないよりはマシという場合はきっとあるの。

その点は薬学もそうでしょうね。民間療法としてまだ検証されてない薬草は山ほどあって、だからといって臨床でその効能と副作用を完全にわかるまで待つというのもどうなのかなってところがあるから。勿論、そういうのは注意深く用いなくてはいけないけど。






































泉【見える子ちゃん単行本4/22】
@izumi000
4月14日
いろんな出版社とやり取りして、著作者人格権を行使しないみたいな文言しれっと入れてたり、
直しは無償で何回でもみたいなのを分かりにくく書いたりしてるとこあるんだけど、
大体「何これ、削除して」って言ったらススっと消す。昔は適当だったけど契約書はちゃんと見るようにしてる

いしなゆむ@ishina_yum
返信先: @izumi000さん
契約書に一方的に自社に有利な項目入れまくるのは割とどこでもやってきますからね。
印鑑を押す前に指摘されたら引っ込める前提なので、ガンガン言って大丈夫です。
と言うか、ガンガン言いましょう。

(契約書は呪術のお札だから心して読み
致命的な呪詛は抗議して回避しないといけない。)


(本書の著者の弟子の人の記事は占いだけでなく出版の話も面白いのでオススメ。
こんな感じ)

ところでラノベは何部売れるのか?
https://ncode.syosetu.com/n3296cr/2/
”「ぶっちゃけ、こういうラノベってどれくらい売れるものなのですか?

 と聞いてみたわけですが……。


 実はそれって、秘中の秘、個人情報中の個人情報だから、出版社が簡単にそれを暴露すると裁判沙汰になっちゃうんだそうな……。


 でも、「売れてる」部類の人でさえ、最近は3000部程度の初版である、というお話。


 それは置いておくとして、実はワタクシの本業は占い評論家ですから、いろんな新興宗教のところや、霊能者、超能力者、宗教家などに取材で会いに行くんですが、ある宗教サミットに行ったときに、同席した方が作家さんでした。


 あの有名なM出版の、BL専門文庫で書いている人らしいのですが、初版どのくらいですか? と聞いたところ、やはり3000部だそうです。


 ところがこの作家さん、3000部出したはいいのですが、実売数はそれの6分の1だったと言います。つまり500冊です。

 なんでこの人の本の実売数がわかったかというと、それが出版業界のオソロシイところ。実は、すべての本は、実売が何部だったのか、すべてオンライン管理されているのです。
金融業界の信用保証チェックと同じで、著者一人一人の信用情報が、すべての出版組合で共有されています。


 あたしはこのときすでに、桃源舎カンブリアと揉めており、あたしの出版のひどい有様はブログにぜんぶ書きつづっておりました。あとでなんだか、この作家さんがあたしに妙につっかかってくるので、それで、いったいなんでこんなに悪意を持たれなきゃならないのだろうとあれこれ関係者に話を聞いたところ、自費出版だったあたしの


 「VICE-ヴァイス-孤独な予言者」


 と、売れた部数がほぼ同じだったので、商業作家としての矜持が揺らいでしまったらしいのです。そうか、それで、あんなに敵愾心をあたしに燃やしていたんだなとわかりましたが、実際は、3000部作ってもだいたい返品率は4割で優秀な部類です。3000部刷って、1800冊売れれば「大成功」なのですね。。。多くの商業出版は、このBL作家さん同様、返品率は倍以上です。しかもそれらは著者も知らないところでオンラインデータベース化され、
生涯、知らないうちについて回ります。著者にはそういう数字があることを絶対に出版社は教えません。



本を買うのは実は、意外な人物だった!!
https://ncode.syosetu.com/n3296cr/3/
”答え あなた自身


 です。


 ね? 意外な答えだったでしょ? ( ´艸`)


 でもこれ、別におかしなことではありません。私が昔、原稿を書かせてもらった季刊誌を発行していた出版社の社長さんが言っていましたが、そこは昔から大学教授や研究者の単行本を手掛けているのですけれども、著者である先生自らが本を購入したり、自分のゼミの生徒に教科書として配ったりするので、本の売れ残りが普通の出版社より少ないのです。かなりの優良出版社さんです。手堅い商売をしています。

 あたしに単行本の企画が来るようになったのも、あたしがイベントをやったり講演をやったりして直接、読者に販売できる機会があるから、そこを見込まれての出版企画だったりします。そこがなかなか覚悟が決まらないので、現在原稿のリライトが遅々として進まないという状況があったりします。


 逆にいえば、みなさんも自分で自著を売りさばける目途さえあれば、出版企画は意外と簡単に通るということです。小説作品も例外ではありません。

 しかし、小説作品は、そんな取り決めをしなくても売れるのです。

 それはなぜかというと、小説家という人は見栄っ張りで、自己顕示欲が異常に強く、完ぺき主義の性格の人がやたらと多いからです。出版社の編集者は百戦錬磨ですから、そういう人間心理を冷静にすべて読んでいます。

 あたしが桃源舎カンブリアで本を出して一番驚いたのは、この「自著の自己買い」がびっくりするほど当たり前に行われ、ランキング操作されていたことです。

 それで、そんなの事前に説明がなかったし、そもそもそういうシステムだったら自費出版などしなかったわけで、だまし打ちみたいにしてウソを並べて契約に持ち込んだので、あたしは桃源舎カンブリアにぶち切れることとなり、自分のアメーバブログで桃源舎カンブリアのひどい契約内容を書き綴っていたら、それをある日突然


 「名誉棄損である」

 とされて、弁護士事務所名義で内容証明が送り付けられてきたわけですね。最近話題の
 「SLAPP訴訟」
 の手口です。企業を批判するユーザーに対して、弁護士の圧力を用いて言論を封殺するというやり方。企業はだいたい弁護士事務所と年間顧問契約を結んでいます。おカネのない個人にとって、
裁判沙汰にされて毎月裁判所に出頭し、自分も弁護士を雇ったりするのは大変な負担です。そこを見越してわざと

 「訴えます、訴えます、訴えます」

 と、記事を取り下げるまで言い続けるんですね。あたしはまぁ、そういうことをされました。それだけあたしのブログ記事が向こうには痛手だったのでしょう。(実は今でも桃源舎の人は私を恐れているみたいで、ときどき桃源舎の中の人っぽい人から妨害工作みたいなことをされます☆)


 とにかく、本を一番買い込む最大のお客は、著者自身です。評論やビジネス本は、そこを最初から著者・出版社双方の協議の上で発行部数を決めたり、刊行スケジュールを組んだりしますが、小説というジャンルはそんなことをしなくても売れるときは売れるのです。作者自身や、作者の身内が必死こいて買って、いかにもアマゾンランキングで売れているかのように偽装するからです。


 桃源舎カンブリアでは実は、こういう心理的追い込みを受けた著者さんが、自殺騒ぎを起こすという事件がありました。編集者に自分を見つけて欲しい、桃源舎から本当のプロ作家ということで、再刊行しなおして欲しい。


 そう考えた作家志望の人が、自著がうれているように見せかけて桃源舎の編集に気に入られようとして、びっくりするほど自著を買い込んだ。ところがある日それをネットで指摘されて、この方のガラスの自尊心が割れてしまいました。この方はそれ以来メンタルを患い、入退院を繰り返していると聞きます。


 もともと小説家と精神疾患患者は紙一重のところがあって、誰もが自意識の病であると言えます。人に羨望のまなざしで見られたい。だから、表現をする。しかし、ある程度その心理をコントロールできるようにして、どこかで諦める心理を持たないと、この著者さんのように何百万も自著を買い込んだあげくに自我だけおられて、ますます精神病になってしまう可能性がないとは言えません。


 精神疾患の根底にあるのは、常に「肥大化したエゴ」です。自分が、自分が、私が、私がとなりやすい人ほど、表現をしたがる。本来はその認められない自意識の病をいやす、単なる


 「セラピー」


 にすぎないのが、小説を描くとか、歌を歌うとか、絵を描くとかいう行為で、それ以上でもそれ以下でもないのですけれども、人は往々にしてそこを見失い、評価至上主義に陥ったり、自己承認だけでは満足ぜきずに、他者承認ばかりを追い求めるようになる。それで、「みんな自分を評価してくれない」と勝手に怒るのです。


 それが強烈に渦巻いた世界の一つが、出版だとあたしは思います。プロになりたいとか、作品で名誉やカネや地位が欲しいと思うと、そういう人は確実にいずれ潰れるでしょう。その傲慢さを食い物にするのが、出版社だからです。


 さて、だいぶ夢のない話になってしまいましたが、しかし、これは真実であります。


 そりゃあ、自己買いなどしなくても、売れる著者さんはいます。

 でも、そういう人はやっぱり、その人の「人気」という形での販売力があるのです。自分はそこまでの水準なのかどうか、ちょっと考えてみるだけで、罠に陥る確率はぐっと減るし、長い作家生活をどうやって生き抜いていくかという心構えにもなるでしょう。”





鏡リュウジ
‏認証済みアカウント @Kagami_Ryuji
5月2日
返信先: @valet_de_coupeさん
モーツァルトの蔵書に!




鏡リュウジ
‏認証済みアカウント @Kagami_Ryuji
5月2日
返信先: @valet_de_coupeさん
まさにジェブランの時代ですもんね、、メスマーがジェブランも治療したり、




夢然堂
‏ @valet_de_coupe
5月2日
メモ。1769年ザルツブルクで、カードゲーム狂の大司教のために『世界劇場としてのタロット』なる劇が上演され、
登場人物たちはタロットの絵札に扮した。この劇にはモーツァルトの幼馴染たちも出演しており、当時13歳のモーツァルト自身これを観劇した可能性もある由。


「ミスター星占い」M氏
https://ncode.syosetu.com/n7247de/3/
”恥ずかしながら、占い嫌いの私は、実は12年ほど前まで人気占い師でした。

 私の占いのお師匠様だったM先生は、
「日本における西洋占星術鑑定の第一人者」と言われた人です。あの文豪、澁澤龍彦さんとも親交があったそうで、澁澤さんはその著書「黒魔術の手帳」の中に、私のこのお師匠様――、M先生の占星術のことを書いていたりします。知る人ぞ知る先生なのです。


 そのM先生は確か、ご自分は1921年1月の、やぎ座生まれであると言っていたので大正10年ですか。今、お元気だったとしてもかなりのご高齢ですね。


 そのM先生が、日本における西洋占星術の第一人者であるということは、少なくとも彼が現れるまでは、日本にはほとんど「かに座」だの、「いて座」だのは無かった、ということになります。太平洋戦争が終結したのは1945年(昭和20年)。M先生が24歳くらいの青年だった頃です。

 私の占いのお師匠様――、M先生は、旧制中学在学中から英語を習うため、外国人が多くいたキリスト教会に通い始めました。そこで、満州での宣教師が足りないという話を聞き、自ら志願して牧師として満州に渡るのですが、実はその満州の教会に、ラテン語の参考書として置いてあったのが「テトラビブロス」だったそうです。



 「テトラビブロス」とは、今から2千年ほど前、AD1世紀頃に書かれた占星と天文の書のこと。


 西洋と東洋を結ぶ交易の中心地、エジプト・アレキサンドリアの港町には前3世紀頃「古代図書館」が作られ、さまざまな文献が集められました。以来、アレキサンドリアには天文学や錬金術、数学、建築、医学などの研究者が集まるようになり、学術と哲学の都として大いに栄えたのです。


「テトラビブロス」は、その古代図書館で学んだ数学者・天文学者の「クラウディウス・プトレマイオス」によって書かれたのですが、それが後のローマによるエジプト支配でイタリアに持ち込まれ、ヨーロッパの神秘家たちに広く読まれるようになり、ルネッサンス期から近代にかけて大量に本として刷られました。M先生が満州で見た「テトラビブロス」は、そうした流れでやってきた本だったはずです。現代でもいまだに「占星術の入門書」として世界中で読まれている、恐るべき書物です。


 しかし、この「テトラビブロス」。M先生が翻訳したノートを見せてもらったことがありますが、内容はほぼ「お天気占い」であります。気象学に「観天望気」という言葉があります。文字通り、空を観測して未来の天候を知る、という意味なのですが、このテトラビブロスもおおむねそんな感じ。月の影に木星が入ると王様が死ぬとか、日の出の頃の太陽に二重の輪がかかると洪水がやってくるとか、金星と火星が接近して木星が逆行すると、国中の物価が乱高下するとか。


 占星術は、錬金術と並んで「現代科学の母」と呼ばれています。大昔の占星術は、洋の東西を問わず、国の未来を予測する「ビッグデータ」だったのです。それを個人の生活に当てはめるようになっていったのは、実はルネッサンス時代以降のことです。


 聖書は、現存している写本のほとんどがラテン語。だからM先生も、聖書を読むならラテン語がわからないとならなかったらしいのですが、彼は次第に、聖書そっちのけで、ラテン語の参考書だったテトラビブロスの世界に魅了されていったそうです。余談ですが当のキリスト教・ユダヤ教は占星術も他の占いも、霊能者も大嫌いで、そういうことをしている者がいたらはっきりと「処刑されなければならない」と明記しています(申命記13―5 他)。


 M先生はキリスト教をどう解釈していたのか。先生のお弟子だった頃に、なぜ聞いておかなかったのか、今となっては悔いが残りますが、その頃のM先生は内モンゴルに近いところを布教のためにさすらって、町村で教えを説く日々。


 見上げると、乾燥した高地の夜空には、落ちてきそうな星空――。「ああ、これじゃあ昔の人が、人間は星に支配されていると考えたとしても、無理ないや」と思ったそうです。そして敗戦。引き上げ船に乗り日本へ戻ってきてから、いっとき新聞社へ就職した時期もあったそうですが、すぐに嫌になり独立を考えるようになった。そこで思い出したのが、満州で読みふけったあのテトラビブロスだった。


 ちょうど時代は戦後の混乱真っただ中。みんな、見えない明日に不安と期待を膨らめていました。そういった人たち相手の商売をするために、復員者や寡婦などがいくらか、池袋駅周辺の闇市あたりで露天占いを始めていたそうです。


 1947年(昭和22年)、家族を失って夜の街で放浪せざるを得なくなった女性の、新聞投稿から生まれた「星の流れに」という歌が、菊池章子さんの歌唱でレコードリリースされました。M先生はこの歌が好きだったようです。


♪ 星の流れに身を占って  どこをねぐらの今日の宿


 というフレーズで始まるこの歌。ここに歌われている歌詞は、まぎれもなくテトラビブロスの世界――。そうだ、俺は、星の占いをやろう。星の占い師になろう。


 そうして警察に行き、池袋の路上で商売をやるための鑑札を受け、占い師を始めたのが、この歌がヒットし始めた1949年(昭和24年)頃のこと。


 と、いうことは、今の日本の星占いは、日本が戦争に負けてから4年後の、昭和24年あたりから始まった、ということになりますね。

 その後M先生は、日本の高度経済成長の波に乗り、1957年(昭和32年)に「占星学入門」を、1966年(昭和41年)に「西洋占星術」を、相次いで上梓しています。


 特に1966年(昭和41年)、光文社のカッパブックスから刊行された「西洋占星術」は、
なんと平成6年で114刷、350万部を超えるスーパーベストセラーになりました。この本が世に出たおかげで、今の日本人のほとんどが、自分の生まれ星座を知ることになり、雑誌やテレビの12星座占いが定着したと言っても過言ではありません。


 私がこのM門下生になったのは、1997年(平成9年)頃、25歳くらいのときのこと。M先生はすでにご高齢で、齢80は超えておられました。不肖の弟子ですが学ばせていただいたことはとても大きく、今でも大変感謝しています。



 宗教学者の島田裕巳さんは、学研のブックス・エソテリカ「新宗教の本」の中で、「景気はよくなるときのほうが、新宗教への入信者が増える。世の中全体が期待に溢れているときは、人の心も宗教に近づいていく」と述べていますが、これは宗教のみならず、宗教と同じく不可知的世界であるところの、占い・スピリチュアルも同じでしょう。好景気のときはカスミみたいなことにも、気軽におカネが使えます。生きることに必死なとき、人は占いも宗教も気になどしていられません。占いやカウンセリング、宗教が受けられるということは、それだけゆとりがあるということでしょう。M先生は、バブルの頃は、それは儲かったと話していました。しかし、そのおカネは、占星術研究のためにほとんど使ってしまったそうです。


 高度経済成長の頃と、80年代から始まるバブル経済の頃は、社会全体が「頑張れば夢は叶う」という期待感に満ちていました。占いブームはこの辺で絶頂期を迎えます。
東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に「平凡パンチ」が創刊され、1970年(昭和44年)には「アンアン」が、1979年(昭和55年)には日本初の少女向け占い雑誌「マイバースデイ」が刊行されました。そのお姉さん的な占い雑誌「MISTY」も、翌年の1980年(昭和55年)に創刊。世がバブル経済になり始めた1988年(昭和63年)には、学研から占い専門誌「エルフィン」が創刊され、占い業界は花盛りを迎えます。


 これらの雑誌は創刊当時、占い好きでもなかなか手に入れられない、秘伝的な占い技法を多く紹介していましたが、占いオタクに合わせすぎると逆に、それが難解であるという読者の声も増え、もっと気軽なおまじないや、開運や、パワーストーンを紹介して欲しいという要望も強くなっていきます。


 時代はバブルからデフレへ。ロストジェネレーション世代は就職難で、神頼みでもするより他はありません。次第に難しい占い学理を重視する方向よりも、安・近・短の牛丼屋みたいな、すぐに効果が現れる「開運」に人気が集まるようになり、ディープな占い好きは雑誌から離れてネットに住処を移していきました。占い雑誌はますます「開運路線」が強くなっていき、そこから神社参り、パワースポットという言葉が生まれ、現在のスピリチュアルブームと、それに乗ってブレイクした江原啓之さんに移っていくのです。


 現在、占いは、世間的な要望である「安・近・短」に合せるように、M先生のような小難しい学問型の占いはすっかり流行らなくなりました。今の占いトレンドは自動でおみくじみたいに答えをくれるウェブサイトや、ワンコインで簡単に占ってくれるサイトです。そうすると神社のおみくじとも感覚が近くなり、スピリチュアルや開運神社路線と、占い学理はますます融合して曖昧になっていくでしょう。占い研究家の中には、この傾向に危機感を募らせる人もいます。”


西洋に駆逐される日本古来の占いと宗教
https://ncode.syosetu.com/n7247de/4/
"占いの「おみくじ化」で花形なのは、タロットカードに代表されるような「カード系占い」です。昔は「易占い」がこれに当たりましたが、今や「易」なんて女のコに鼻で笑われる世界。「坤為地」とか、「山水蒙」とか言っても、「漢字、難しくてワカンナーイ☆」です。ダイレクトに描かれた絵を見せられるタロットカードのほうが、視覚効果もあって女性心をくすぐるのでしょう。


 そんなわけで現在、日本でも広く用いられるようになった「タロットカード」ですが、あんな、そもそも日本に居そうもない「エンジェル」とか、「女教皇」とか、「悪魔」なんかは、いったいどこからやって来たのでしょうか。


 それは先ほども概観したように、昭和24年あたりに始まり、高度経済成長期からバブルにかけての雑誌創刊ラッシュの中に、ひとつの端緒を求めることができそうです。西洋占星術が、我が師匠のおかげで昭和24年頃から少しずつ多くの人に知られるようになっていったのと同様に、タロットカード占いも、ほぼ同じころに日本人に広く知られるようになったようです。


「パタリロ!」などの作品で人気の漫画家、魔夜峰央さんがカードのイラストを描き、山田美登利さんが解説を書いた「タロット占い」(白泉社・刊)によれば、山田さんがタロットを始めて手にしたのは、M先生が池袋で西洋占星術をやり始めた頃とほぼ同時期の、昭和25年のこと。知人の恩師がトルコから持ち帰ったものだったと書かれています。


 敗戦後、日本には信じられない勢いで欧米文化がなだれ込んできました。戦争とともに急速に発達した物流と、情報の交流の中で、津波のように西欧の精神文化が無批判なまま、日本に押し寄せたわけです。それがM先生の西洋占星術ブーム、タロット占いブームに見て取れます。


 私は東洋占いの代表格である易経のファンですが、東洋の占いと、西欧の占いでは味わいがだいぶ違うのです。東洋の占いのほうがより曖昧模糊としていて、とらえどころのない答えである場合が多く、それがかえって「自分で考えろ」と言われている気がするのです。自分自身が、自分の生きる意味を決めて良い余地が多分に残されている。


 対して、西洋占星術や、タロットカードに代表されるような西欧系占い文化は、どうも言い切り、断定が多すぎて、良くも悪くも自己暗示にかかりやすいのです。東洋占でも、戦後の欧米占いの悪しき感化で、曖昧さは嫌われるようになり、変に断定、断言したがる占い師が増えました。宗教思想や、心理学から占いに入った人たちは、そういった問題点にいち早く気が付いたようです。この頃は東洋的無為自然観や、仏教の「空」の境地をカード占いで表現しようと、「OSHO禅タロット」や「神様カード」「オラクルカード」など、あまり具体的に決めつけたり、吉凶をはっきり断定してしまうカードの絵柄から、心を落ち着ける瞑想道具としての絵柄・意味づけへと、ここ20年ほどでずいぶん変化していきました。


 むしろ戦後にブームとなったタロット占いは、今やもう「旧世代のカルチャー」になってしまった感じさえします。仏教伝来以来の日本人のクセが、占いにもありありと出ています。日本人というのは、まずは一挙に外国文化を吸収したあと、自国の精神文化になじむように巧みにアレンジしていくのです。


 さて、実はしかし、敗戦後間もなく津波のように押し寄せたこれら西欧のオカルティズムですが、その前兆となるさざ波は、18世紀頃にはすでに、日本の岸にたどり着いていたのでありました。それを知ると、GHQや日米安保とともにどっと押し寄せたタロット占いも西洋占星術も、科学だとかアートだとかファッションだとか、気軽に言えないような、実に「心霊的」なところから始まっていることが理解できるはずです。"

日本の戦後占いブームの源流は、とある「霊界通信」だった
https://ncode.syosetu.com/n7247de/5/
"1870年(明治3年)に、明治新政府は、太政官布告第745号(天社神道禁止令)を発令し、陰陽道や、深く仏教と混交していた天社神道を禁止しました。続く1872年(明治五年)には、平安の昔から連綿と続いて来た陰陽寮も廃止されました。陰陽寮とは、宮廷の祭祀や暦作り、占いによる助言、自然観測などを行う専門機関のことです。


 それまで陰陽師、安倍晴明を始祖とする土御門家の独占事業であった測量、造暦、天体観測の仕事はすべて大学の研究室や、海軍に振り分けられました。中国経由で伝わってきた日本の伝統的な占い・呪術・信仰はここに壊滅的な被害を受けることになります。


 日本が千年以上の歴史の中で育んできた、中国から来たさまざまな道教系占いは、この「陰陽道廃止政策」を境に衰退し、代わりに舶来のハイカラなタロット占いや、星座占いが注目され出したのです。明治期に日本人が書いたタロット指南書、占星術書が、そう数は多くありませんが何冊か存在しています。それが戦後のブームの下地になっていたのは間違いないでしょう。


 日本の暦はもともと、月のサイクルを元にした太陰太陽暦でしたが、欧米ではグレゴリオ暦が一般的だったため、今後の富国強兵政策とも鑑み、明治政府はおどろおどろしい旧来の迷信と呪詛に満ちた暦を、なんとかしたかったようです。改暦は強引に行われ、明治5年12月3日は明治6年1月1日になってしまいました。それ以降、日本のカレンダーは、今日の私たちが良く知る世界基準のカレンダー、グレゴリオ暦になったわけです。そしてそれは西洋占星術による12星座に、たいへん馴染みやすいカレンダーでした。


 その明治改暦が起こる20数年前のこと。遠く海を隔てたアメリカ・ニューヨーク州ハイズビルで、今日の占いとスピリチュアリズムを語る際に外せない、有名な「フォックス姉妹事件」が起こります。


 フォックス姉妹とその家族がベッドで休もうとすると、誰もいないはずの壁の向こうからノックの音がする。あんまり毎晩音がするので、家族で話し合い、姉妹が霊媒役となってノック音の主と交信することにした。YESは1回、NOなら二回、ノック音を鳴らして答えてもらう。


 交信を繰り返すうち、ノック音の主は、この屋敷で殺された行商人で、金500ドルと行商用のブリキ缶を奪われたあと、この家の地下室に埋められたと言い出すのですが、その後、本当にフォックス家の地下室から、ほぼ人間一人分の人骨と、ブリキの缶が出てきた。それをボストン・ジャーナルが記事にしたため世界中に話題が広がり、科学者や好き者の間で詐欺だ、真実だと、喧々諤々の大論争に発展。その後、この事件がきっかけとなって、あらゆる不可思議現象を検証するべく、オカルト研究の秘密結社「神智学協会」が発足しました。明治7年のことですから、日本人にとって、改暦の衝撃もさめやらぬうちです。


 その後、魔術師のアレイスター・クロウリーがいたことで有名な「ゴールデン・ドーン」や、クロウリーがゴールデン・ドーンを脱退してから作った「東方聖堂騎士団」、「薔薇十字団」など、霊や魔術や秘儀を大真面目に追及する秘密結社が続々と結成されていきます。そしてこれら秘密結社は、日本の新宗教、新・新宗教の指導者たちにも計り知れない影響を与えました。


 先年大旋風を巻き起こしたスピリチュアリストの江原啓之さんも、この神智学協会の系譜にある霊媒師の元で学んだそうです。幕末の頃のトピックスが、今日の私たちの有名人にまでつながっていると考えると、マンネリ気味の女性誌のスピリチュアル特集も、どことなく感慨深いものがあります。


 しかしこの、江原啓之さんも少なからず影響を受けたであろう神智学協会や、それを模倣した秘密結社はまた、ありとあらゆるオカルティズムの総本山でもありました。霊媒、降霊術のみならず、タロット占いにカバラ、ヨーガ、禅、UFO、占星術にチベット死者の書、エジプト研究、臨死体験、LSD、未確認生物、生まれ変わり調査など、今日の「占い・スピリチュアル・超常現象のごった煮」的な存在だったのです。


 この神智学協会を始めとする秘密結社が発信するムーブメントが、はるばる海を越えた日本までやってきたのが、明治時代全般、大正時代全般です。彼らが発するオカルト情報は、学術調査的な意味合いが非常に強く、各秘密結社ともまるで、大学でもあるかのように権威的にふるまったため、受け手の盲信・狂信を産みやすいものでした。


 M先生はこの毒気の中で西洋占星術に触れた世代です。終戦後間もなく占いブームを巻き起こしていった人たちは、みんなこの、神智学協会や、その他の結社が見せる権威的な姿勢に、すっかり感化されてしまった人々だったわけです。"


占いがアカデミズムだった昭和
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"M先生はよく、「占星術は本当は、占星学と言ったほうがよく、一つの立派な学問だ。僕は星の科学だと思っている。外れることもたまにあるけれど、それでも6割は当たる。その辺の霊媒術や、オカルトとはわけが違う」と言っていました。


 一昔前までは、こういうことを言う占い師が本当に多かったのです。そのため、占い師のいいなりになる人が続出で、たくさんの悲劇が生まれました。占星術でよくない子どもだと言わたことを気にして、中絶してしまった若い女性もいたし、占星術で見て、病弱な父親の健康によろしいと出た鹿児島県に無理に移住して、かえって一家離散になってしまった不幸な家族もいます。


 算命学という、中国道教の流れを汲む東洋系暦占いの大家だった故・和泉宗章さんは、1978年(昭和53年)に、算命学で言われている不運年、「天中殺」という概念を全面的に打ち出した著書「算命占星学入門」を、翌年の1979年(昭和54年)に「天中殺入門」を上梓して、空前の「天中殺ブーム」を産みだしました。


 こちらの著書は、二つ合わせて300万部を超える大ヒット。実は和泉宗章さんが算命学の手ほどきを受けたT先生は、私が教わったM先生とはライバル関係にあり、よく、お互いの占術のネガティブキャンペーンが行き来する間柄でした。


 M先生から見れば、中国占術など子ども騙し。的中率も低いし、男尊女卑で、いまだに古臭い理屈をふりかざしている、カビの生えた学問であると。


 片やT先生からは、Mは生徒からカネを巻き上げ、うわべだけの論理しか教えていない、ハートのないヤツだという談話が伝わってきました。


 T先生ご本人が言ったかどうか定かではなく、あくまで又聞きの又聞きみたいな感じですが、それでも、占い師同士がバッシングし合うというのは、この業界では珍しいことではありません。M先生もT先生も、勉強熱心というか、「占い学」に対する執着が並々ならぬ研究者だったため、どちらが理論としてより完璧なのかを、競い合う意識が強かったようです。


 そして、そんな学究肌のT先生に手ほどきを受けた和泉宗章さんも、すっかり毒されて、算命学は厳然とした学問なのだと思い込まされてしまったのでしょう。


「算命占星学入門」の冒頭で無謀にも、当時読売ジャイアンツの監督を務めていた長嶋茂雄さんが、昭和55年(本が刊行された翌年)は天中殺に当たるから、その年のペナントレースは勝てない、55年の節分までには監督を辞任するだろうと、言い切り大予言をしてしまったのです。


 かくして、それに眼をつけた日本テレビ「11PM」が、大々的に天中殺特集を行いました。けっきょく和泉さんの占い通りには行かず、週刊読売には「天中殺破れたり」と、大見出しつきの記事が載ってしまって、和泉さんは易者を廃業してしまったのです。


 それ以降、和泉宗章さんは一貫して、占いを学問化させて凝り固まることの恐ろしさ、占いの危険性を訴えていますが、M門下としてM先生の言いきり系占星術を目の当たりにしてきた私は、この和泉宗章さんのおっしゃることが、痛いほどよくわかるのでした。


 この、陰陽道廃止と明治改暦から大正時代にかけてが第一次占いブーム。
続く第二次占いブームが、M先生が占い師を始めた1949年(昭和24年)頃から、
オウム真理教事件が起こった1995年(平成7年)まで。

第三次占いブームが、江原啓之さん、細木数子さん他、占い番組ブームだった
2000年(平成12年)から2010年(平成22年)にかけてという風に、私は分類しています。



 研究者によっては明治期はカウントせず、大正期から終戦までを第一次、
終戦から高度経済成長までを第二次、
オウム事件から元オセロ、中島知子さん問題までを第三次占いブームと見る人もいます。
しかし明治期に起こった海外の「秘密結社ブーム」を考慮しないまま、日本の占い・スピリチュアルを見ることは、私には大事な部分の欠落のように感じられます。


 いずれにしろまったくの下火になったのは、オウム真理教事件から江原啓之さんブームが起こるほんの4~5年間と、江原啓之さんがBPOの審議にかけられ、元オセロ・中島知子さんの洗脳騒動があったここ最近だけで、あとはずっと、テレビに占い番組が無かったことはありません。占いブームとは、なんと生命力の強いものなのでしょう。


 近い将来、第四次占いブームがやって来ることは間違いありませんが、それはやはり、故・和泉宗章さんが私たちに見せてくれた失敗、教訓のように、占いを一種のアカデミズム化させてきた従来の在り方を、根底から壊すものになるはずです。


 占いは、科学的な学問なのか、それとも、信仰の一種なのか。


 この戦後70年ほどで、この問いには一定の答えが出ていると言って差し支えないでしょう。占星術ブームも、タロットブームも、天中殺も細木数子さんも終わりました。もうこれから先の占い師たちには、M先生や細木数子さん、和泉宗章さん等が経験したような大ブレークはないでしょう。タロットは、占いではない心理カウンセリング的な道具として扱われることが多くなりました。


 最近考案された新しいエンジェルカードとか、オラクルカード、OSHO禅タロット、マヤの暦で占うニューウェイブの星座占い、カラフルな二層のボトルのオーラソーマ、カラーセラピー、フラワーエッセンス、瞑想、心理手法など、「スピリチュアル」という単語は今や、占いはもちろん、心理学や精神医学、宗教さえも取り込んで、巨大な精神世界市場を統合するキーワードとなっている。


 そう――。このスピリチュアルブームこそが、「占いは、単なる信仰にすぎない」という答えを出てしまっているのです。日本人の多くが、これまでの占いブームを経て、占いは当たらない、当たるとするならばそれは、危険なマインドコントロールの一種なのだと気づいてしまった。


 だから、間もなくやって来る第四次占いブームは、正確には、もはや占いという文言さえなくなって、単に「第四次スピリチュアルブーム」と呼ばれることになるでしょう。


 占いはその中の小さなひと区画に過ぎない存在にまで、追い込まれてしまうはずです。どんどん心霊の世界に統合されていくので、M先生が言ったように「占いは科学だ」などということは真っ先に否定されるでしょう。でも、もともと神智学協会での占星術とか、東洋占いの扱いは、そういうものだった。統計的に価値ある科学だなんて、そもそも誰が言いだしたのですかという感じです。「占いは科学だ」というセリフは、自らの権威を願い、夢と野心と好景気に名を売ることを考えたあまたの占い師たちが作り上げた、大きな幻想にすぎないのです。"


占いは漫画と同じ
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"占いには決まった読み方というのが存在しないので、まるで操作性の良いペイントツールみたいに、占いのシンボルや、そこに付与された性格的特徴を「モチーフ」にして、のびのびとクリエイションすることが出来ます。


 心理分析にも同様のことが言えますが、ここに、創造性を持て余した芸術家肌の人々が惹かれるのですね。それで、絵や音楽などでは満たせない「表現欲」を、占い・スピリチュアルを媒介にして満たそうとする。


 だから占い師や心理家、ヒーラーといった人たちは、その割合の多くが「表現系を志したけれど上手くいかなくて流れてきた負け犬」です。


 私もまさに、その一人でした。


 そのうえ、占い師は周囲から「先生」などと呼ばれてしまう。そうすると、現実には他の仕事がロクに勤まらないだけの、単なる社会生活不適応者なのに、本人は「自分はすごいのだ!」と勘違いするようになる。どんどん傲慢になって、他人を見下す心理が生まれ、自分の世界に凝り固まって、人格障害者さながらの醜い人間になってしまいます。


 そういう、有名になってちやほやされ、おカネまで儲けたいという、山っ気のカタマリみたいな人間ばかりなのが、占い業界なのです。一番やりたかったはずの「何か」になれなくて、でも、創造欲と名誉欲だけは満たしたい。そういう心の人がわーっと「占い師化」してしまうという、この皮肉。占いを利用する側の人も、このあたりの背景をきちんと把握しておくことが重要なのかも知れません。

 占いはけしからんという人も世の中には多いですが、占いは上述のように、自由な創造性を満たせる世界なので、小説家が小説を描く、あるいは、漫画家が漫画を描くのと精神構造としては何ら変わりません。創作物がまったくの虚構でありながら、人の心を掴むのと同じで、占いも大昔から続いて来た完全な創作世界、アートの世界なのです。アートなのですから「ハマる」ことさえできればそれで良いわけで、だからこそ、占いはエンターテインメントとして根強い人気を保っているのです。


 ところが、占いの虚構は、漫画や小説の虚構とは明らかに違う点が一つだけあります。


 それは、主人公が他ならぬ、自分自身であるということです。



「あなた」はふたご座、「あなた」の守護星は石門星、「あなた」は霊合星人、「あなた」はAB型……。占いの物語は、常にそこから始まります。


 これはもう心理的トリックです。占いのシクミ、意味づけそのものは、完全な人間の創作物、アートでしかないのですが、文脈を「あなた」にしてしまうという心理手法を用いているがゆえに、占いは、漫画や小説よりも強烈にハマることができるのです。それだからこそ盲信してしまい、何でも占いのお告げに従ってしまったりとか、星座の性格分析を人に押し付けたりする「占い依存症」という人々が続出するのです。


 いったい占いは、依存症を産みだす危険なドラッグなのか。はたまた、単なる娯楽に過ぎないのか。私はプロ占い師でいる間中、そのことばかりを考え続けて来ました。


 でも実は、占いの本質は、そのどちらでもなかったんだ! というのが、この本で一番訴えたいテーマであります。漫画的妄想ファンタジーとしてではなく、また、エンターテインメントでもない占いの第三の道。テレビ番組製作者も、占い師本人たちも、占い本を乱発してきた編集者たちも、誰も今まで知らなかった、すごい占いの活用法があったのだ!! ということです。


 この本はそれを解説するために書いたものなのですが、しかし、当時の私はやっぱり、制作会社と同じ感覚で、「占いはエンタメ。だから、占い師になれば、自分の創造欲が満たせるかも知れない」と思って、表現ツールの延長で占いを扱っていたのでした。"


「スピリチュアル」が強く求められた2000年代
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”ところで、私は時代遅れの浦島太郎だったのでした。


 25歳、97年頃にプロの占い師デビューした私でしたが、占いの現場ではすでに、私のように伝統的占い術をしている人よりも、「霊感系」が幅を利かせていたのです。その感覚は年々強まっていきました。


 星占いはどんな雑誌でも需要があって、ライターデビューしやすい占いジャンルだったはずなのですが、この頃はもうスピリチュアルに押され気味で、小難しいホロスコープには、なかなか興味を持っていただけません。


 世は空前の「江原啓之さんブーム」。原稿や企画書を持って雑誌社回りをしても、占星術というとあまり気乗りしてもらえませんでした。「ああ、今はスピリチュアルだから」と言って、なにかプラスアルファ、もう少し神秘的な感じ、霊界とか、エンジェルみたいな感じが欲しいと、どこの雑誌でも言われました。


 占いとは、きちんと学理を学び、それなりにしっかりと裏付けのようなものがあって初めて、人様にお伝えしていいのだと思っていた私には、幅を利かせる霊感の先生たち、そこに集まるお客さんたちが、少し理解できませんでした。


 どうして、霊だの前世だの、荒唐無稽なことを言わなければならないのか?


 どうして、お客さんは、現実的なアドバイスよりも、ズバリ透視、みたいなものを嬉しがるのか?


 まだ若かった私は、そこがどうしても納得いきませんでした。占いダイヤルの社長から、「ただの占星術や、タロット占いだと人気が出ないから、霊感ホロスコープとか、霊感タロットとか、とにかく“霊感”とつけて」と指示されたときには、空いた口が塞がりませんでした。でも、実はここに、「占いの正体」を掴むための、大きなヒントがあったのです。


 最初は、スピリチュアルを標ぼうする人々が大嫌いでした。だってズルいでしょう。「私は霊感を持っているが、あなたたちは持っていない。だから私の言うことを否定できないだろう」だなんて。


 私たち、伝統的な占い術をしている者は、専門書を何冊も読み、先生の元で何年も勉強をします。しかし、霊感の人はそういう部分をいきなりすっ飛ばして、人気鑑定師になっていたりする。どうして世間の人は、そんなまやかしにごまかされるのだ、霊能者なんてただのハッタリトークじゃないかと。


 しかし、世の中には、占いなんか飛び越えてしまうような「能力者」が本当に居るのだということを、私は皮肉にも、占い批判をするようになってやっと知りました。こういった力は、実証は大変難しいのですが、しかし、割りと身近なものでもあるのです。実は誰にでも発現可能な能力です。あなたにだって、眠っているのです。


 私も、ホロスコープ鑑定師として、ホロスコープを読み続けているうちに、霊能者さながらの「不思議な能力」を発揮するようになっていきました。占い師なんかやっているくせに、父の影響で、霊とか、非科学的なことは大嫌いな人間だったこの私が、です。”


「霊能力」とは何か
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”なぜ、非科学的なことが大嫌いなはずのこの私が、ホロスコープを読むという占い行為を繰り返すうちに、超能力めいたものを身に着けてしまったのか?


 占いを繰り返すと、おぼろげながらも、多少の透視能力というか、直観力というか、シックスセンスというか、そういうものが強くなるというのは、私自身の実感としては持っていました。


 占い師を何年もやってそういう感覚が強くなると、もうホロスコープやタロットカードなど用いなくても、人と会っただけで、その人がどんな問題点を抱えていて今、何に悩んでいるのかが、パッと掴めてしまうのです。


 人はそれを見て「酒井さんは霊能力があるんですね!」などと、気軽に言う。


 ん? 霊能力?



 ちょっと待って。うーん、上手く言えないけど、そういうことじゃないんだよなぁ……。自分では、別に霊能力なわけではなくて、長年「ホロスコープ」という特殊な図形を透かして人を読むことをやってきたおかげで、人を見ぬく「カンどころ」が掴めてきただけ、というか。人間の悩みなんて所詮は数種類だけしか無いんだから、その分類で読めばわかっちゃうだけであって、別に御大層な「霊能力」ではないんだよ……。


 霊能者に取材しながら私がそう話すと、霊能者はみんな口をそろえて「いや、酒井さん。それがまさに霊能力なんですよ!」と言う。



 霊能力とはもっと摩訶不思議な能力であるに違いないと思っていた私は、え? 霊能力ってこういうことなの?! と、びっくりしたのです。


 だって、ホロスコープというのは、簿記と同じなのです。簿記の貸借対照表を見て行けば、企業や団体の「今」を類推・推理することができます。ホロスコープという記号の描かれた図形も、意味合いとしては会計士にとっての貸借対照表と何も変わりません。その図形のデータを元に、あれこれと「想像・連想・推理」していくだけなのです。しかし……。


「だから、その想像・連想の思いこそが“霊能力”なんだってば!」


と、霊能者たちはみんな言うのです。


 ええ? 想像や連想の“思い”こそが霊能力だって? そんなバカな!


「それじゃあ、この世の全員が霊能力者だということじゃないか」 と私が反論すると、霊能者たちは口をそろえて「そうだよ! この世の全員霊能力者だよ!」と言う。


 うーん……。意外です。霊能者とは、江原啓之さんやタレントの三輪明宏さんみたいな、ユリ・ゲラーやエスパー清田のような特殊な人だと思っていましたが、とってもありふれた、ツマらない能力だったのですねと私が言うと、大物霊能者は「こいつめ」という顔で苦笑していましたが、でも、そういうことですよね……。

「霊能力」とは実は、きちんと言語的に説明が可能な、人類共通の体験なのではないだろうか。それについて書かれた資料は無いものか。それを求めてさまざまな文献を読んでいくうち、一つの手がかりになったのが「ヨーガ」に関する文献でした。”

霊能力の源 「クンダリニー」
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”霊能力とは、「想像・連想」の力である。

 霊能者はみんな異口同音、そう言っていた。


 想像・連想とはすなわち「イメージング能力」だと言うことです。この人間の「イメージング能力」について、古くから研究してきたのが、古代インダス文明発祥よりも以前からあったと言う「ヨーガ」の世界です。


 ヨーガは、「ヨガ」とも呼ばれ、日本では単なる健康体操程度に思われています。それほどオカルト色の強いイメージはないかもしれません。しかし、元々はサンスクリット語で“(牛馬などに)くびきをかける”という意味の動詞「Yuj」から来ており、「統御」「結合」という意味です。この制御しがたい心を、いかに制御するかということを追及していくのがヨーガです。


 このヨーガについてパタンジャリという名の学者が、今から1600年くらい昔に書き記したとされているのが、今日でも広く読まれている「ヨーガ・スートラ」です。この本のいくつかの節は「ヨーガの副産物として得られる超能力」について言及しており、心を統御することにより、何らかの超自然的な力が得られるということが書かれています。


 心を統御する――。 


 この言葉……。どことなく、みなさんが日常で体験する、「何かを読み込んでいる感覚」や、「集中している感覚」を連想させる表現ですよね。


 私は、ホロスコープという、オカルトめいた図形をたくさん読むうちに、直観力が強められていった。だとするならば、占いに限らず、何かに集中して、読み込んで、熱中し、イメージング能力を駆使している人は、みんな全員もれなく「霊能力者」だとは言えないでしょうか。ヨーガが言わんとしていることは、そういうことではないかと、私はパタンジャリの著書「ヨーガ・スートラ」の現代日本語訳を読むうちに、強く思うようになっていったのです。


 ヨーガの究極は「死を体験する」ことです。


 死とは、人間にとって避けられないものであり、かつ、また、究極の未知の世界でもある。その「死」を直視することで超自然的な能力が身に付くとされているのですが、中には生まれつき「死の恐怖」とともに生まれている人もいるようです。


 今、「ネクロフォビア(死恐怖症)」という病が注目されていますが、物心ついたときから、まだこの先の人生が存分に残されているにも関わらず「ああ、僕は死ぬんだ」と絶望して、生きることに向き合えない精神病理を抱えた人が増えていて、霊能者や占い師という人たちを見ていると、みんなどうも、そういうものを抱えた人々なのではないかと思えてなりません。物心ついたときから死の恐怖があるのならば、なぜ、死から遠い子どもが死の恐怖を感じるのか。


 それを、現代のトランスパーソナル心理学分野では、「(過去世から受け継いでいる可能性も充分考慮した上で)死の傷」と呼んでいます。


 人は時として生まれながらに「死の傷」を負っているのではないか。なにか、生まれる前の世界があって、そのときの恐怖が色濃く潜在意識に残っている人もいるのではないかという考え方をする学者が増えてきています。アメリカの代表的心理学者ケン・ウィルバーもその一人です。


 その「恐怖」が、心霊や霊能力や、社会的成功の原料になっているのだと。


 その「恐怖」が、見えないものを見せ、聞こえないものを聞かせ、まだここにない道具やサービスの夢を見せるのだと。その「恐怖」を忘れたい一心で、人は山に登り、海を探検し、文字を綴り、道具を発明し、仕事に打ち込んできたのだと。


 そういえば元ライブドア社長の堀江貴文さん著「ゼロ」を読んだとき、堀江さんが働くのは「死の恐怖を少しでも忘れたいからだ」と書いていたのが印象的でした。


 人はみんな死が恐ろしく、死を忘れたい。しかし、その思いこそが仕事の原動力になっていく……。それが「霊能力」でもあると……。


 だとするならば、「死」のど真ん中に敢えて切り込んでみるというヨーガが、霊能力を産みだすことは何の不思議もありません。また、ホロスコープやタロットや、あるいは会計士が読み込む貸借対照表のようなものでも、そういったものに「集中」することそのものが、霊能力開発であるのかも知れない、という、仮説が成り立ってしまうわけです。


 そして実はこの仮説を裏付けるように、中国では昔から、占い師はみんな医術や体術、瞑想などをセットで学ばなければならない伝統があります。古来中国では、占いの思想系統の頂点にヨーガを据えており、ヨーガと占いは互いに補い合う思想と考えられているのです。


 ヨーガと占いが関係し合っているのなら、占いと霊能力も関係し合っているということになり、占いは、精神の統御そのものである「ヨーガ体系」の中の一つであると言えなくもないのです。


 しかし私は恥ずかしながら、このことに、現役占い師時代には気づくことが出来ませんでした。気づいたのは占い師を廃業した後です。


 34歳で占い師を廃業したあと、作家に転身した私は後に、占い好きと大部分のところでは利用者が共通しているだろう「新興宗教」に興味が湧き、取材を始めました。その過程で出会うことになった元オウム真理教の信者だった人たちから「クンダリニー症候群」の話を聞く機会を得ました。



 クンダリニーとは、ヨーガ・スートラにも登場する言葉です。

 別名「炎の蛇」とも呼ばれています。



 通常は尾てい骨付近にとぐろを巻いて眠っているのだが、この蛇が何らかの事情で、自覚がないまま発動している人たちがいるのだと。そういう場合は、幻覚や幻聴が始まったり、霊能力のような、特殊な能力を発揮することも多々あるのだが、コントロールしないで放置してしまうと、次第に現実と妄想の区別がつかなくなり、ついには重篤な精神疾患になってしまうと言うのです。


 それを「クンダリニー症候群」として、近年、原因不明の心身の不調と関連付けて考えられ始めてきています。オウム信者たちを映したニュース映像には、お尻で床の上をぴょんぴょん跳ねる修行をしているものがありますが、元幹部の上祐史浩さんに伺ったところ、あれは霊能力・超能力を得るために、わざと尾てい骨を刺激して、尾てい骨を折る修行をしていたのだとおっしゃっていました。


 しかし、そんな痛そうな修行などしなくとも、生まれつきクンダリニーという不思議なエネルギーが、体の中で目覚めている人もいます。麻原彰晃という人は、そういう人物だと周囲に思わせるのが上手くて、ヨーガファンの注目を一身に浴びてしまった人です。


 しかし、この「クンダリニー」とは、言い方が違うだけで、これこそが「イメージング力」で、「霊能力」なのではないか、という気がしてしまうのです。同じモノのことを言っているのだ、と。


「その通りです。それが暴走すると殺人犯にでもなり、独裁者にもなる。一方では悟り・解脱の力にもなります。危険な危険な、諸刃の剣なのです」


 と、上祐史浩さんは語ってくださいましたが、確かにホリエモンと麻原彰晃には、どこか共通点がある気がします。堀江さんは麻原ほどではないにしろ、自身の「才能」という名のクンダリニーに振り回され、天国から地獄へ突き落されたという点では、非常によく似ています。


 常に考えずにいられない「心」そのものが「霊」であるならば、心の病や痛み、辛さはすべて「霊現象」だということになりはしないでしょうか。


 そして、近年の増加するうつ病、統合失調症などの精神疾患や、犯罪心理などは、これも現実の「心霊現象」だと言えないでしょうか。そしてそれは何かを生み出す「才能」の素でもある――。


 現代の先進国では、こういった「霊現象」が、マグマのように噴出していています。先進国である日本に住む我々は、確かに餓えの苦しみからはかなり解放されました。


 しかし、その反面、認められない孤独、社会的格差、テレビや雑誌が煽るきらびやかな生活とは無縁の労働者の苦しみや、崩壊する家族関係の中で、どうにもならない心の苦しみを抱える人は、増えている気もするのです。そういった人々に発現してしまう精神的危機のことをひとくくりに「クンダリニー症候群」と言うのだそうです。


 アメリカの心理セラピスト、ボニー・グリーンウェル女史はその著書「クンダリニー大全」の中で、クンダリニー体験についてこう述べています。



 (クンダリニー体験とは)修行やスピリチュアルな実践を行ったり、呼吸法や他の激しいセラピーの結果として、臨死体験や他のトラウマといった出来事に続いて起こったり、不可解なことに理解できるような理由がまったくなくとも、もしこのエネルギーに目覚めることがあれば、あなたは進化する、スピリチュアルなエネルギーとつながっているのです。これらのエネルギーはそれとともに意識をもたらし、人によってはスピリチュアルなハルマゲドンに相当するようなことを引き起こすのです。そこでは自己同一性を含んだ境界線が押し開かれ、新たな可能性が現れます。(「クンダリニー大全」P17 佐藤充良 訳)





 クンダリニーが象徴する霊的能力は確かに、麻原彰晃や、堀江貴文さんのケースを見ると、グリーンウェル女史が「ハルマゲドン」とたとえているように、人間性の健全な発達にとってしばしば脅威です。


 普通の人には見えないものが見えたり、感じたり、普通の人にはできないくらい足が速いとか、頭がいいとか、絵が上手いとかがあると、そこから来る疎外感・優越感などから「自己特別視」しやすくなり、どんどん傲慢、横柄な人間になってしまったりとか、逆に劣等感のカタマリになってしまったりしやすくなります。


 オウム信者たちの多くは、もともとそういった霊的な悩みを、大なり小なり持っていたところにオウムと出会い、その精神病理をオウムで初めて「霊性が高いがゆえに起る不調和」であると認められて、自信を取り戻していった。自信を取り戻すだけならまだしも、そこから「自己特別視」にまで発展してしまい、あのような大変な盲信・狂信のテロ事件を起こしてしまったわけです。


 オウム信者たちと同様、見えないものが見える、感じないものを感じられるがゆえの「自己特別視」は、霊能者や占い師にも共通の精神病理であります。いや、占い師や霊能者だけの問題ではなく、才能面で独特の存在感を築く人は皆、この「自己特別視」という病にかかりやすいと言えます。


 占いとはある意味、「普通では知ることが出来ないことを、技法によって知れるようにする」という営みです。


 そこでは、占いができて未来を知れる「賢い」人間と、知ることができない「愚かな」人間の境界線が生まれます。占い師の心に、未来が見えない者に対する奢り、優越感、支配的万能感が目覚めても、何ら不自然はありません。しかしそれは、今まで繰り返されてきた悲惨なカルト事件、宗教対立と、根本的には同じ心理構造なのです。”


クンダリニーが発動しやすい条件
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”クンダリニー症候群発症のきっかけとして多く報告されているケースは、仙骨部への強い衝撃や、瞑想のやりすぎ、極度の緊張と集中、向精神薬の服用、臨死体験、あるいは、出生時のときの産道記憶に由来している説などですが、生まれつきクンダリニーが発動している人もいます。オウム真理教ではわざとそこに怪我をつくり、意図的に霊的体質に作り替えていたのです。


 実は私は、元オウム信者の人たちの話を聞くまで、すっかり忘れていた「幼少期記憶」がありました。私もどうやら生まれつき、クンダリニー体質だったようなのです。上述の条件のうち「生まれつき」と、「仙骨部への強い衝撃」が、私には当てはまりました。


 私の生まれ育った伊豆下田の家は、とても霊的な家でした。家の庭には古めかしい、大昔からの狐塚があり、母と祖母はその狐塚に毎朝、お供え物を欠かしませんでした。


 母親の家系はもともと霊能狂い一家で、神ごとが大好きな人々でした。父親は当時最先端だった、有名私大法学部を出たインテリです。とても合理的で、科学的なものの見方をする人でした。中卒で神狂いの母親と、大卒で非科学的なことが大嫌いな父親に挟まれて育った私なのですが、昔から不思議な記憶が胸に焼き付いていたのです。


 それは、3歳頃のこと。


 私には当時、寂しい時、いつでも現れて遊んでくれる「手だけおじさん」というお友達がいました。「手だけおじさん」は、いつも真夜中、私の足元に現れては、素晴らしいマジックを披露してくれるのです。それから、ジャンケン遊びをしてくれたり、影絵を見せてくれたり、時折は頭を撫でてくれることもありました。


 本当に、手だけおじさんが、私を触る感触まで覚えています。体温もかすかにあって、人間の手そのものでした。


 それから、ある朝、眼を覚ましたら、世界が全部真っ赤に染まってしまっていたこともありました。赤一色の世界――。祖母に一生懸命「お婆ちゃん、なぜみんな赤いの?」と尋ねても、祖母は首をかしげて微笑むだけ。私は恐怖から、当時はよく錯乱していたらしく、後に母親にも「あなたはなんで3~4歳の頃、あんなに気難しかったのか」と言われたことがあります。


 見るものすべてが赤く変わる世界――。あの気持ち悪さ、吐き気のするような恐ろしい情景が、今も深層意識の奥底に眠っていて、実はこのイメージにずっと導かれるまま、霊と存在の秘密について探究してきたような気がします。


 さらに「仙骨部の強い衝撃」というのも、私には当てはまります。私は実は、小学4年生のとき、遠足中に高い岩から滑り落ちて、尾てい骨付近を強打し、入院したことがあるからです。


 思い返せば、その時、我が家の母の霊能狂いは最高潮を迎えていました。私は母に連れられて、あちこちの巫女や霊能者の元へ行き、いろいろなことを言われたように思います。


 それに呼応するように、小学4年生から6年生までの心霊体験はひどいものがありました。子どもの頃、撫でてくれたり、マジックを見せてくれていた「手だけおじさん」が再び現れたのですが、今度は、私を殺そうとして首を絞めて来るのです。


 これは本当に怖かった! ある夜、伊豆の山間にある自宅の2階で、一人寝ていると、夜中に突然誰かが障子の向こうのガラス窓を叩くのです。


 恐怖に固まった私が、布団をかぶって震えていると、今度は誰かが階段を上ってくる音がする――。毎夜のように霊に怯えていた私を案じて、母親が見回りに来てくれたのかと思って、「お母さん!」と階段のほうへ続く扉を開けると、真っ暗な空間があるだけで、誰もいません。急に背筋が冷たくなって、ゾッとしていると、バリッ! という破裂音のようなものがしました。恐る恐る振り返るとなんと――。


 障子を突き破って、窓の向こう側から、人間の手が飛び出ている!!


 もう、それから先は記憶がありません。母親の話によると、夜中に錯乱しながら彼女の寝床に、私が飛び込んできたそうですが――。


 翌朝、太陽がすっかり登ってから、母と2階の部屋を確認しに行くと、鍵がかけてあったはずのガラス窓は開いていて、私が目撃した、手が突き出ていた障子の部分が、本当に腕を突き通したような形で破れていたのです。母と二人、ゾッとして震えてしまいました。張り替えたばかりで、今までまったく破れてなどいなかった障子ですからね……。


 霊能狂いの母は、それから間もなく亡くなりました。私が15歳のときのことです。


 しかし、心霊を絶対に認めない厳格な父親の影響が、母が亡くなったことで、次第に私の中で強くなって、いつの間にか私も、そういった怪奇現象の数々は、胸の奥底に仕舞いこんでしまっていました。元オウム信者の取材をするまで、すっかり忘れていました。


 しかし――。その霊たち、「自分自身」である可能性が否定できないのです。”


自分の暗部が実体化している可能性
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「いや、酒井さん、それはね、外部的なモノノケではなくてね、自分の中にいる、認めたくない自分が、実体化していただけのようにも思えるのですよ。私の体験とも合わせてですけどね」


 そう言ってほほ笑んだのは、元オウム真理教信者、現在は「ひかりの輪」というサークルで、指導員をしながら暮らしている作家、宗形真紀子さんです。


 宗形さんは、たまに霊に苦しめられる私とは違い、想像を絶する心霊体験に苦しみ続けてきた人です。心霊の苦しみは、なかなか周囲の理解が得られない、とても辛くて孤独な問題なのです。


 私の場合は母親が最大の理解者だったおかげで、自殺や精神錯乱まで至らずに済みましたが、父親にそんなことを話そうものなら、父は激怒して殴る蹴るをするので、私も父には言えず、母が亡くなってからはじっと一人耐え続けてきたのです。西洋占星術に手を出したのも、霊能狂いの母親と、論理的だった父親の両方に対する、自分なりの「折衷案」だったと今では理解しています。


 宗形さんは、子どもの頃から深刻な「心霊体験」に悩み続け、とうとう、21歳のときに悪名高き「オウム真理教」に出家してしまいました。それから、一連の大事件があり、彼女自身も一度逮捕され、自分自身の人生を振り返らざるを得なくなったとき、ある一つの事実に気づいた、というのです。


「どうやら私、自分で自分が嫌いになったり、人に迷惑をかけたりしていたたまれなくなって、私なんかいなければいいと強く思ったときに限って、霊体験していたかも知れないと、思い出したんですよね……」


 宗形さんは、そういってほほ笑んでいました。詳しくは宗形真紀子 著「二十歳からの20年間」三五館 刊 に、盲信から自覚へと至ったプロセスのすべてが詳細に綴られていますので、ぜひともそちらを読んでいただきたいのですが、この宗形さんの話には、大いに共感できる部分があったのです。


 確かに、私が霊体験したときは、親から認めてもらえないストレスで、とても寂しかった気がします。もともと、我が家は四つ年の離れた兄ばかりが褒められ、私は反対にムードメイカーというか、おどけ役でした。


 両親も出来のいい兄には大いに期待しましたが、私にはなんの期待もかけてくれませんでした。それがだいぶコンプレックスになっていたようなのです。親に「日香もすごいんだね」と、一度でいいから言われてみたい。そういう気持ちを持ちながら、いざ親を前にすると、悪ふざけで、おどけたピエロを演じてしまうわけです。


 この私の「みんなのムードメイカーにならねば」という、身に染みついた強迫観念は、今も根強く残っていて、こんな中年になっても周囲をハラハラさせる原因になっているようです。


 精神的に弱いところのあった私の父は、のどかな伊豆の田舎町であるにも関わらず、大卒であるという自分のプライドだけで生きているような人で、母に扶養してもらっていたようなところがありました。それを指摘されたりすると、酒を飲んでもいないのに殴る、蹴るの家庭内暴力をします。また、学歴や経歴至上主義者でしたから、学校の成績が悪ければ殴るし、成績が良ければ上機嫌なのです。子どもたちが賞を獲ったとか、名誉を得たとかに、ものすごく敏感な男でした。父自身のコンプレックスと弱さが、そこに現れていた気がします。


 兄はそういう点で、私よりすべてが優れていました。彼は優しい人なので、たぶん私よりももっと、人の無言の雰囲気に敏感だったことでしょう。親や周囲の過剰な期待に押しつぶされそうになりながら、とても努力していたと思います。今はありのまま、等身大の人生を静かに楽しんでいる平凡な父親ですが、私たちの父が生きていたら嘆いたかも知れないとも思います。私たちの父はとにかく、人より抜きんでていること、他者よりズバ抜けていることを重んじる男で、平凡な家庭とかパート労働とかを、鼻で小馬鹿にするようなところがありましたから――。


 私は才能も、容貌も優れていた兄とは正反対で、スポーツも勉強もまるでダメ。いじめられっこで、暗くて、ずんぐりむっくりの色黒で、決して美人とは言えず、いつも劣等感だらけです。唯一褒められることがあるのは、歌や絵が上手いこと、朗読をしたり文章を書いたりすること。県内の作文コンクールで優秀賞か何かを一度だけ取ったことがある程度で、他には何も華々しいことはありませんでした。


 それでも両親に認めて欲しい一心で、絵を描いたり、歌ったりしてみたけれど、結局親は「お兄ちゃん」ばかり。私は変わり者の烙印を押されて、いつも家の中で孤独でした。父の家庭内暴力が強くなり、小学校高学年の頃は、親戚をたらいまわしにされていたこともあります。見かねた学校の先生が、職員室に私をかくまってくれたことさえありました。


 私は本当は、芸術的なことがとても好きで、絵を描いたり、音楽をやったりしたかった。でも、親が褒めてくれなかったので、傷ついてしまって、そういう才能が自分には無いのだと思い込んでいたのです。


 しかし、「オバケが見える」と言った時の、母の反応ときたら――。


 母親が霊能狂いで、神がかりなことを言うと喜ぶ人なのを肌で感じ取っていて、それで、「不思議なものが見える」とさえ言えば、母が私を特別視してくれるから、いい気になって霊の姿を自分自身が作り出していた――。


 確かに、そう考えると、とても腑に落ちます。私を苦しめた霊は、実際に障子を破ったり、窓ガラスを開ける力がありましたが、その「強さ」も、自分の思い込みと比例した強さだったかも知れません。


 それに、霊現象が頻発していた頃、酒井家は確かに、父の精神病が悪化して精神科に入院していた時期だったり、父の暴力が一段と激しかった頃とどうも、一致している気がするのです。このままではいつかこの男に、自分や母が殺されるのではという恐怖で、身も心も縮こまっていました。その代償として、顔の無い、しかし男性であるとはっきりわかる「手だけおじさん」を、作り出していた――。


 世間一般のような、優しい父親像に餓えていたのかも知れません。その手だけおじさんがいつも、クレイジーな父のかわりに、私の頭を撫でてくれていた気がするのです。


 表現者を志して、新聞奨学生をしてまで音楽学校に入ったものの、またしても挫折感を抱き、けっきょく占い師になってしまったのだって、幼少期にさんざやってきた「芸術では認められないが、霊能力で認められる自分」の、再現だったのです。そう考えるととても腑に落ちます。


 私のブログにはしばしば、霊が見えるという子どもさんを持つお母さんからメッセージが来ることがあります。


 宗形さんとの語らいの中で、また、私自身の経験として、プロ霊能者さんから聞いたこととして、総合的にそういった母親たちにアドバイスするのですが、聞いているとどうも、子どもの自信を挫くような、そういう空気感がもともと、そういう家庭にはあるなぁというケースが多いです。


 まだ小学2年生なのに、義父に性的ないたずらをされたことを誰にも言えず、その悩みがどうも、霊現象に転化していたり。


 誰かに著しく傷つけられて、その相手を恨んでいるのだが、その本人には立ち向かえないために幻聴・幻覚に苦しめられてしまうケースとか。


 恥をかいたり、名誉を傷つけられたり、存在の危機にさらされると、どうもそれらが霊の姿になって、ありありと心霊現象を形づくることがあるようです。


「24人のビリー・ミリガン」というサイコ小説がベストセラーになったことがあります。多重人格障害の主人公の話ですが、多重人格障害も心霊現象と似ていて、虐待やショック、恐怖から自分を守るために、自分自身でどんどん別人格を作り出していく。それがあたかも、本当にそういう人間に変わってしまったかのごとく、ありありと振る舞うのですから、周囲からすると本当に何かが憑依したように見えてしまいます。


 でも、こういった現象を本人は「霊の仕業だ」と思い込んでいますが、もしかしたら障子に穴をあけたのは、私自身で、窓を開けたのも私自身かも知れません。


 しかし、確証はない。霊の世界は他者と自己の境界がぼやけて、融合する世界です。自分自身が「あれは霊の仕業だ」と思えば、それが真実になる。殺人犯がよく、「殺せという悪魔の声が聞こえた」とか、「自分でもなんでこんなことをしたのかわからない」と言いますが、それはほかならぬ自分が、自分を守るためにしたことだということを、どこかで本人が認めたくないのです。被害者でいたほうが、周囲の同情が得られ、有利だからです。そういう「こずるい感覚」「あざとい感覚」も、子どもや犯罪者の幻聴・幻覚・霊現象にはどこかつきまといます。


 しかし、そういう子どもを、親が幻覚だと決めつけて、叱ってしまうと、子どもはますます萎縮して、ついには本当に精神疾患になってしまう。


 ただ霊が見えるだけの健全な子どもが精神科病棟に入院させられて、薬漬けにされているケースは、実は、みなさんが想像する以上に多いかも知れません。今、活躍している現役霊能者や、超能力者の方が、子どもの頃や若かりし頃に実は精神病院に入れられていた、というケースを、私はこの本の取材をするうちに何例も聞きました。霊能者の彼らを救ったのは医療ではなく、ほとんどが同じ霊能者です。霊能者の先輩に初めて「ああ、それは霊の苦しみですよ」と教えられてようやく、自分は精神病ではなかったんだと気づかされる。そうして、霊の学びをしていくうちに、自分もまた霊能者になると。


 精神病の多くは、向精神薬よりも、もしかしたら「霊の学び」や「トランスパーソナル心理学」のほうが有効なのかも知れません。厚生労働省と医者、向精神薬で大儲けしている製薬会社は認めないかも知れませんが。


 この間も、私が喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、急に「元占い師の酒井さんですか?」と、声をかけてきたお母さんがいました(そのときは数日前にテレビ出演して、占い師の手口を暴露したばかりだったので、私の顔に気づいたようです)。


「実は、子どものことで少し……」と、おっしゃるので、ついでにお話を伺うと、「うちの娘は霊が見えるらしいのです。どうしたらいいのでしょう」と言う質問でした。とっても難しい質問です。


 過度に否定してもいけない。また過度に肯定しすぎてもいけない。


 全否定してしまえば、その子には拠りどころがなくなってしまうでしょう。誤解している人がまだまだ多いのですが、「霊」という存在はいる、あるのに決まっているのです。


 世界のどの宗教でも、死後の世界を否定する宗教は一つもありません。親や祖父母が死ねばいいところに行って欲しいと素直に願い、墓前に手を合わせます。親しい人が事件や事故に巻き込まれたら仇を取ってやりたいと思う。世界中、この世の誰一人、霊の存在を否定している人がいるでしょうか。


 訳知り顔のジャーナリストや、えせ学者は、「霊なんて錯覚です」といいますが、そういう連中に限って人災で人が死ぬと、かわいそうだの、浮かばれないだの言うのです。本当に霊を否定するなら、もう死んでしまった人などさっさと忘れて、死んだ当日には「そんな人居ましたっけ?」と驚くほうが自然です。


 東日本大震災の追悼イベントなんか、やる必要もない。でも、みんな毎年、3月11日には黙とうするし、しつこいくらいに、故人を忘れないのです。オカルト嫌いの科学者だって、追悼式典の場で「霊なんかマボロシです」なんて言う者はいません。そんなことを言えば、袋叩きにされるのをわかっているからです。死んだ人の「こころ(霊)」に、畏怖の念がある証拠です。


 そしてその畏怖は理屈や言語を越えた感覚です。その「理屈や言語を越えている世界」こそが、霊と存在の真実の世界ではないでしょうか。私は長い占い師生活を経て、どうも、そういう思いを抱いてしまうのです。


 しかし、だからといって全肯定でもいけません。全肯定してしまうと、「自分はすごいのだ! 神様と通じる神の子なのだ!」と思い込んで、どんどん傲慢になってしまう。そうすると、こういう子に勉学やスポーツを教えようと思っても、大人はてこずります。まともな社会性が身に付かなくなる。だって先生は、神様の声が聞こえないじゃないか、誰が明日死ぬかわからないではないかというわけですね。


 2世紀頃に書かれた古い聖書の外典に、「トマスによるイエスの幼時物語」というのがあります。神と自在に通じることのできるイエスに、教師も、街の人も、父親のヨセフも困り果てるお話ですが、霊が見えることはそういった人格的不健全さも含んでいることを、忘れてはなりません。


 じゃあ、どうしたらいいのかというと、お子さんが「霊」を産みだしている原因を、お母さん自身が振り返ってみるしかないですね、とアドバイスしました。するとやはり、お母さんが、ここ数年、お子さんをないがしろにして、自分の仕事ばかりに駆け回っていたのを思い出してくれたようです。子どもを存分に抱きしめますと、明るい顔で私に礼をいい、喫茶店を出ていきました。


 結論から言ってしまうと、占い師や霊能者の多くが、もともとは表現者志望だった人とか、または、別のなにかになりたかった人であるという真理は、大勢の人を振り向かせたいとか、親に振り向いて欲しいとか、自己存在をないがしろにされた代償を求めるその欲望が、霊能力の原料であることを示唆するものです。


 また、表現の世界を心ざす人にも、人生が子どものころから順調だった人は一人もおりません。表現の世界も触れることのできない心的世界ですから、これも一種のサイキック能力なのです。


 霊能者が霊を見ている感覚と、画家が白紙のキャンパスに、これから描く名画を見ている感覚は、完全に同じはずだと私は考えます。いじめられれば誰だって、いじめられない自分を思い描くでしょう。ないがしろにされている人は、敬われている自分を思い描くはずです。憎いヤツがいるなら、そいつが泣いて詫びている姿を思い描くのです。そして現実に詫びさせようとして、相手を殺してしまう。


 だから霊も、なにか、みたされないものがあって、それを補てんするために本人が思い描いているのです。


 霊能力とは、単なる「イメージング能力」に過ぎないのか。


 「イエス」と私は答えます。


 霊能力とは完全なるイメージング能力であり、霊が見える人はやはり、何らかのイメージを自分で作り出しているのです。霊能者さんの中には、それを指摘するとムキになって否定する人もいますが、それは、その霊能者さん本人が、霊と存在の秘密についてまだまだ、学びの途中だからでしょう。ある程度学びの進んだ人ならば、私の言わんとすることは理解していただけると思います。


 霊視・霊能とは、単なる空想的イメージング能力に過ぎないのですが、しかし、だからといってそれがいんちきだ、妄想だとは言えないのです。


 受け手にとってそれが意味のあることで、受け手の霊的世界と、霊能者のイメージングが合致したときに、奇跡のような体験をすることはよくあることなのです。何百年も前に死んだ音楽家の作品を、今を生きる者が聞いて感動する。それとまったく同じことです。リスナーのイメージング世界と、その死んだ作曲家のイメージ世界が合致して、その受け手にだけは意味のある世界が生まれる。


 霊魂の世界とはこのように「超多次元世界」です。地球の人口と同じ数だけ「霊界」がある。送信側の「霊界」と受信側の「霊界」がどこか、重ならなければ、感動も癒しも、恐怖も生まれないので、霊能者の霊能力は当然、万人に通用するものではありません。宇宙が合わない人にはまったく歯が立たないのですが、万人に適用できない法則だから、現象として認めないなんていうほうが、非科学的です。


 死霊が人を苦しめたりするケースでも、それは、死んだ死霊の力だけで起こることではありません。死霊が残した強い「残留思念」と、霊能者の「それを見たい願望」が合わさって初めて、超常現象が発現するのです。いかに平将門レベルのスーパー怨霊であっても、それを怖がったり、ことらさ驚いたりしない人には、化けて出ることも叶わないのです。


 そして、この「イメージングの力」こそ、成功を引き寄せる魔力なのでした。鉄道も、飛行機も、ロケットも、スマートフォンも、みんな昔は人間のイメージ世界にしかありませんでした。子どもが思い描く「霊」が、具体的な力を持つ場合があるのも、そういうことなのです。


 霊能力とは単なるイメージングに過ぎないのだが、しかしそれは、成功と開運の源泉でもあり、物質を顕現させる脅威のエネルギーでもあり、癒しの力でもあり、宇宙と時空を超えた存在の秘密すべてでもある、ということは、これからの私のお話を楽しむためにも、みなさんもまず、押さえておいてください。



イメージング能力は諸刃の剣
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”さて、そんな素晴らしい「イメージング能力」なのですが、それが良くない方向に向かうと、どんどん大言壮語の傾向、虚言傾向が生まれてしまう、ということを解説しなければならないでしょう。


 なぜなら、イメージング能力は基本的に「自分の見たいもの、自分に都合のいいもの」ばかりを見たがるという本質があるからです。


 父の激しい暴力に悩まされていた私が産みだした「手だけおじさん」は、私にとっては圧倒的存在感でしたが、このイメージに支配されてしまうと、もしかしたら私のほうが「手だけおじさん」のせいにして、父を殺していたかも知れません。


 でもそれは、ずるくて、あざといことなのです。霊のせいにして、自分の殺したい欲望をごまかしているだけ。そのずるさ、あざとさに気づけたとき、人は、悪霊と縁が切れて、よき波動、高級な霊世界と出会うのではないでしょうか。


 あの頃の私にはどこか、自分のあざとさが、なんとなくわかっていたのではないか。だから、かろうじて父を殺さずに済んだのではないだろうかと、大人になって振り返ると、そう思えて仕方がありません。


 性欲が我慢できない人は、異性の裸ばかりイメージする。そして現実に体が反応して、射精やオーガズムに至る。これもイメージングが現実世界に顕現した一つの事実でしょう。


 アル中の人が、酒のことばかり考える。そうすると、夢遊病者のように酒を探し回って、結局は本当に酒を入手してしまう。これもイメージングが現実に顕現する具体例です。


 働くことを嫌悪し、ラクな生活ばかりを望むと、霊が働いて一見、優雅でリッチな生活をもたらすでしょう。しかし、そのおカネはカードローンで作ったものかもしれない。夫と家族を泣かして、家庭を壊したおカネかもしれない。強盗殺人で作ったおカネかもしれない。


 同様に、「世界中の人が自分の作品に酔いしれて、大喝采を浴び、テレビやニュースで連日報道され、かつてのいじめっ子まで自分を見直しているイメージ」などを抱いて、そればかりを考えるようになってしまうと、どんなウソ、誇張を集めてもいいから、それらしい人間が出来上がるよう、霊が働き始めてしまいます。


 全聾の作曲家を騙った佐村河内とかいう男がいましたが、あれも私に言わせれば、イメージングの力の恐ろしさです。彼は365日、地球ぜんぶの人が、自分に酔い痴れる誇大妄想を繰り返してきたのではないでしょうか。


 しかし――。自分が賞賛を受けるにふさわしいかどうかは、自分より少し高い位置にいる、メタ認知的自分――、心理学的にはハイアーセルフと言いいます――、が、自分自身よりもはるかにわかっているのですね。自分がそんな賞賛を受けるに値するのか否か。または自分自身の空しさについて。あるいは、自分自身の言い訳についても。


 愚かな自分よりも、一段高い視点にいる自分……。ハイアーセルフ……。これを、インドのサーンキャ哲学やスーフィズムなどでは「真我」といいます。本当の自分自身は、そっちなのですよ、という意味ですね。霊や妄想を産みだす自分自身のあざとさ、ずるさ、欲望を制限できない怠惰な本質を、真我はいつも見つめている――。


 表面的な成功だの、名声だの、欲望に振り回されているのは、真我の未熟な子どもです。サーンキャ哲学では「プラクリティ」といいます。この世は、真実で普遍の自分である「真我」が、わがままし放題の「プラクリティ」を眺めている世界なのだと。あなたの本質は、欲に溺れる子どもを眺めている親の視点にこそある。


 だから、イメージング能力には、真我からやってくるものと、プラクリティからやってくるものと、2種類あるのです。芸術だってそうです。真我からやってきたイメージは、作者の死後も残ります。なぜなら、それには厳然とした普遍性があるからです。いつの時代の、どんな国の、誰が触れても「ああ、わかる」と感じるのです。


 しかし、真我の子どもであるプラクリティ(一見、こっちのほうがその人らしいのだけど)が作る歌や、作品は、「売れればそれでいい」「売れた者勝ち」です。だから消える。あっという間に。そんな芸術など、1年経てば誰も覚えていない。


 殺人犯だってそうです。真我で人を殺したのか、それとも、真我のバカ息子にそそのかされて殺したのか、ほかならぬ本人が一番知っている。


 学生運動世代のお父さんたちが居酒屋で、思想のために殺人を犯した人を美化することがありますが、その思想でさえも、真我なのか、真我のふりをしたプラクリティなのかは、おのずとわかるものです。真我から来る思想ならば、たとえ敵であっても、相手を殺すという手段を取るでしょうか。命はみんな繋がっていて、敵こそわが身であるとすでに知っているのが真我です。理由はどうであれ、殺すという手段である以上、それはプラクリティの巧妙な罠でしょう。


 だから、いつもいつも、自分が思い描くイメージや、理想の姿が、真我から来ているのか、それとも、真我のふりをした、偉そうなバカ息子のプラクリティなのか、人は絶えず自己反省をし、自問自答し続ける必要があるのです。真我から来るイメージは、普遍です。普遍ですから揺るがない。腐りもしない。焦る必要もない。そして迫真の輝きをもって他者の胸にも迫る。しかし、真我のふりをしたプラクリティが見せるイメージは、一時的で、すぐに腐敗し、流行り廃りに簡単に飲まれて、最終的には破滅と破壊をもたらしてしまう。


 古今東西、自分の信念で人を殺す者はあとを絶ちません。それは、殺人者から見れば、自己の信念はいかにも「真我」からのメッセージに思えるからです。もしも彼らに、真我のふりをして絶えずそそのかしてくるプラクリティを見破る力があれば、不幸な結末にはならなかったでしょう。


 今だって殺人犯、犯罪者の多くは、刑務所に入れられてもなお、「俺の主張は正しいのだ」と言い続けている。本人がそれを「いや、本当はプラクリティに騙されただけだった。自分があざといだけだった」と認めると、すべてが崩れてしまうのです。


 死ぬとき人を裁くのは、その人自身の真我です。真我にはもう、本人のうそも言い訳もぜんぶわかっている。生きているうちは、肉体でそれをごまかすことができても、死ぬときに真我をごまかすことはできません。結局、プラクリティに騙されてしまうと、騙された自分のあざとさ、ずるさ、愚かさを認めるまで、永劫にそれが許されることはなくなってしまうのですね。だから、殺人犯はやはり、死刑になんかしなくても、のたうちまわって苦しむのです。


 そうならないように、プラクリティをしっかり真我が、コントロールしましょう! というのが、ヨーガの考え方です。宗教の学びや修行も同じです。


 開運は、あざとい手段を使ってでも、自分だけがよければそれでいいと考えれば破滅であり、プラクリティに騙されない心からの叫びや、死をも賭けた悲痛な願いであるならば、やがては必ず実を結ぶのです。ただし、本人が存命中にその「果」がやってくるとは限りませんが――。


 それでも構わない、自分の死後に誰かが見つけてくれるのでもいい、それに賭ける、という思いならば真我です。でも、今生で成果が得られないなら嫌だと思うのであれば、それはプラクリティでしょう。スピリチュアルや霊的世界は、他と我の区別がなくなる世界で、それが本当の霊的真実ですから、自分の成果にのみ拘る人はまだ、学びが浅いと言えます。


 でも、真我にしろ、欲まみれのプラクリティにしろ、どちらにしても、まずはイメージがありありと思い描けなければなりません。願望達成は、イメージの豊かさにかかっているわけです。殺人犯が本当に殺人を行えたのは、あれは、何度もすでに殺している自分をイメージしているからです。殺人犯ほど願望達成力のある者はいません。普通はあんなことできないのですから……。


 イメージ能力が豊かであればあるほど、現実にイメージが顕現してくるスピードが速くなります。また、具体的な量や数字も、イメージ豊かであればあるほど大きくなるのです。


 だから、霊能という、「イメージの源泉」を目覚めさせることは、夢をかなえる第一段階なのです。占いが用いる星や、タロットの図形や、曼荼羅などは、そのイメージ能力を増幅させることを目的とした「装置」だったのです。それを、占い師本人たちが知らないで、装置そのものに意味があると考え、シンボル解釈だの、惑星の意味だのを振りかざす誤った使い方をしてしまっている。それが現代日本の占い事情なのです。


 ヨーガの世界では大昔から、そういう占いの使い方は間違いであると看破していた。それを日本の占い文化は、今までわかっていなかったのです。中国の道教ではそれを知っていて、占い師は最終的に呼吸法や瞑想、精神統御を学ぶそうです。しかし、道教の本場、台湾や香港でも最近は、興味本位、遊び半分で占いに手を出す者が増え、修行の伴わない低レベルの占い師がごまんといるのだとか。


 ヨーガには「古典ヨーガ」と呼ばれる、最初からイメージを捨てて精神を無にするヨーガと、反対に曼荼羅やシンボルを多用して、そのイメージングの力を借りて無を目指していく「ハタ・ヨーガ」の、二つの系譜があります。しかしそのどちらも、目指す究極は「イメージの死滅」です。


 古典ヨーガは最初からそれを目指すのですが、ハタ・ヨーガは逆に、意味深な曼荼羅や図形や、シンボルを一心に唱えたり、神仏を思い描くことで最終的に「イメージを死滅させる」ことを目指します。古典ヨーガが説くような、「王者のヨーガ」は、初心者には難しすぎる。そこで、イメージに強く没入することで逆にイメージから離れるヨーガ、「ハタ・ヨーガ」の流派が生まれました。こういった観相、呪文の詠唱、イメージを思い浮かべる修行を「タントラ」といいます。


 占いのあの、意味深な絵や、惑星の記号や、もっともらしいホロスコープなどはぜんぶ「タントラ」の一種だったわけです。


 だとするならば、占いはアドバイスではありません。


 ヨーガの教えで考えれば、本当のアドバイスは私たちの中の「真我」にしかできないのです。占いとはただ、人々が幸せに願望達成できるように、眼に見えない精神エネルギーを上げてやりさえすればいい。そして、真我の存在に眼を向けられるよう、お客さんに気づかせればいいのです。当たるとか当たらないとかは、単なる方便に過ぎません。


 私の占い師人生とはまるごと、このことに気づくためだけにあったのだと、今では思います。


 以下に、私が「占いとはもしかしたら、ヨーガの霊能開発システムなのではないか」と疑いを持つようになった、個人的体験をお話ししましょう。”

占い中の私の体験
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”現役占い師だったとき私は、相手の顔を見た瞬間、その人のホロスコープがどんなものなのか、先に思い浮かんでしまって、あとで実際のその人のホロスコープを作ったら、自分が予想したものと非常によく似たホロスコープであった、という体験を何度かしました。


 またあるときは、鑑定中に妙に感覚が冴えわたり、バシバシお客さんの状況を言い当てていたら、お客さんがホロスコープに興味を持ったようで、見せてくださいと言う。素直にお見せしたのですが、そうしたらなんと、今まで「すごい!! 当たってる!!」と震えていたのに、ホロスコープの1点を指さして「私の生まれ星座はやぎ座なんですけど、どうしてこれはかに座になっているのですか?」と、おっしゃったことがありました。


 よくよく見ると、最初にお伺いした生年月日と、実際のホロスコープの生年月日が、違っているではありませんか!「1」と「7」を見間違えていたのです。この方は本当は、1月生まれのやぎ座なのに、私は7月生まれの、かに座のホロスコープを作っていたのでした。


 にもかかわらず、この方は「当たっている、当たっている」と大騒ぎ。いったいどういうことなのでしょう。本人の正しい生年月日ではないホロスコープでも、私はこの方の大手術した左足を言い当てたし、手術した年も言い当て、現在の職業まで言い当てたのですが……。


 こういうことは、長いこと鑑定師をしていると、何度かありました。生年月日の聞き間違いは特に、本当によくあるミスでした。にもかかわらず、そういうときに限って、お客さんの隠していた過去を言い当ててしまう。特に占い師生活を始めて6~7年目くらいから、このような症状は強くなっていった気がします。


 また、タロットカードでも同じで、5回連続で最終結果に同じカードを出せたときがありました。お客さんは当然ビビるのですが、私は特に強く念じたわけでも、集中したわけでもありません。なぜだか日に何回もタロット占いをやっていると、カードの出目をいくらか、自分が操れるようになっていくのです。


 占いがこのように、「イメージング能力(霊能力)」を目覚めさせ、増幅してしまうのならば、それは、今までテレビや女性雑誌が煽ってきたような、「占いを聞いて、気をつけましょう」なんて、子供だましの軽い意味ではありません。


 占いとは、実は、占い師本人の願望達成のためにこそある道具だった! ということになります。


 また、占いはアドバイスでもありません。イメージング能力(霊能力)をまず占いで刺激し、目覚めさせたのち、今度はそのイメージ力をコントロールして常に真我とつながり、人の役にたちなさいということです。そして、その副産物としてのみ得られる開運招福・願望達成を手にしなさい、という、気の遠くなるような仕組みになっていたのです。今までそれを占い文化の担い手である占い師たちこそが、あまりにわかっていなかったということです。


 もしもこのシクミが真実であるならば、逆に、占いを占い師のものだけにしておくのはもったいないのです。社会人研修の一環として、成功を学ぶ実践哲学として、誰でも気軽に占い師ごっこをやったほうがいいことになる。ただし、それはその後の真我とプラクリティの戦い……、「果てない人格向上という山」に、踏み込んでしまうこととセットなのですが――。


 だからこそ、「山に登る気もないのに、やたらとタロットだとか、12星座占いなんかやりなさんな」ということですね。山に登るつもりのない者が、好奇心で占星術に手を出したり、タロットめくりしたりするから、いつのまにか薄着で深山幽谷に迷い込んでしまい、迷妄と混乱との間に生きることになるのです。かつての私のように――。”


占いを学ぶと幼稚な人格に
https://ncode.syosetu.com/n7247de/18/
”ところで、私が10年も続けた占い師を廃業した決め手は、何だと思いますか?


 実は、同業者の非常識な言動が引き金になっています。


 私が33歳の頃のことです。占い師デビューを果たしてから、すでに9年の月日が流れていました。先述したように、占いに疑問が膨れ上がっていましたが、現実には皮肉にも、占いライターとして少しずつ軌道に乗り始めていた頃のことでした。


 一応はメジャーな全国的女性誌に書かせていただけたということで、M先生の門下生たちから一目置かれるようになっていた私は、占いスクールの授業の合間に、他の生徒さんたちに占い学のことを教えるようにもなっていきました。M門下生はみんな、極度の占い好きです。集まる場所はいつも、M鑑定事務所近くのファミリーレストラン。世代はさまざまでしたが、とにかくもっと占いの話がしたい。占いマニアは普段、好奇の目に晒されやすいですが、占いスクールならみんな同好の士。遠慮なく濃密な会話が楽しめるので、私はしょっちゅう他の生徒さんから、教室のアフターに誘われました。


 みんな有名雑誌の表紙に、バーンと名前が出た私のことを、羨望のまなざしで見ています。内心は彼らも、占いで生活したいし、有名になりたいのでしょう。


 私はこのまま占いライターとして地位を確立しようと考えていたので、常にネタ帳を持ち歩いていました。同じ星占いでも、アプローチの仕方によって加工法はさまざまなのです。電車の中や街中で、思いついたことはすべてメモをしていました。自分がM先生から特別に教わった、外国で盛んな技法などもすべて詳細なメモにしていて、それをアレンジしたオリジナル占いを編みだし、そのオリジナル占いがようやっと、企画として通りそうな情勢になっていました。


 そんなときのこと。いつもファミレスで勉強会をし合っていた仲間の二人が、私のノートを見たいから、しばらく貸して欲しいと言い出したのです。


 私はどちらかというと人がいいほうなので、彼女たちの勉強になるならと気軽にノートを貸しました。私のオリジナル占術のレシピもたっぷり書いてあったノートです。ノートは1か月ほど彼女たちに貸し出され、翌月手元に戻されましたが……。


 その2か月後。なんと、私が通そうとしていた、私オリジナル占術の企画は、このときノートを貸した二人組に奪われてしまったのです。


 しかも同じ出版社の、同じ雑誌――。私が一生懸命努力して作った人脈まで、私には内緒で利用していたことも、火に油を注ぎました。彼女らに仕事を根こそぎ奪われた挙句、その内容は私のオリジナル占術のパクリなのですから、怒るなと言っても、若かった当時の私には無理でした。


 別に、オリジナル占いのレシピを使わせてあげないわけじゃないのです。こんな、隠れてコソコソと人のお株を奪うようなことをせずに、ちゃんと堂々とネタを貸して、と言ってくれれば、応援したし、自由に貸してあげたのに。それから、裏であなたたちがコンタクトしていた人にだって、私がちゃんと紹介してあげたのに。なんでこんな、泥棒みたいなことをするんだと、彼女たちを問い詰めたのですが――。


 そのとき言われた言葉が実は、私が占いに冷める直接のトリガーになりました。


 彼女たちは、事件を問いただす私に向かって、しれっとこう言ったのです。


「そんなに怒ることじゃないでしょう。そんなに怒るのは、あなたの月がおひつじ座で、火星と角度が悪いからです。酒井さんは火の星座が強いため、気が短くて怒りっぽい性格だから、勝手に怒っているだけ。自分たちは優しい水の星座が多いホロスコープだから、人と言い争うなんてできません」


 ですって!!


 なんとすべては、星のせいだという彼女たちの主張なのです! これがどんなにおかしな論理なのか。考えなくても、子どもにだってわかることです。この論調で行けば、殺人事件をおかしても「私のホロスコープ中の火星のせいです」と言えば通るということです。歯を食いしばって忍耐しても、努力しても、それさえ全部星のせいということになり、人間には自発的な行為は何もないということになってしまいます。


 この瞬間、私はもう怒りも呆れも通り越して、「ああ、これが占い病の恐ろしさなんだ」と、憑き物が落ちたように感じました。万事占いのせいにしてしまえば、自分が世間的な常識も道理も守れない、ダメな人間であっても、それを改善できるかできないかまで、星が与えた宿命次第ということになってしまう。人と上手くいかないことがあっても、それを反省したり教訓に生かすこともしないまま、相性が悪かったの一言で片づけてしまう。つまりは、占いのせいにすることで、自分の性格上の問題点と、向き合わなくてもいいということになるのです。


 同じ感覚は前々から、M先生本人や、M先生を取り巻く高弟たちにも感じていました。私がちょっと、占いビジネスを続ける上でのアドバイスとか、他の門下生とのいざこざなどを相談しようものなら、M先生とその周囲の人は、具体的な回答をせずにすぐホロスコープを持ち出しては、「あの人はうお座で、天王星が強いからそういう性格なんだよ」とか、「酒井さんはさそり座だから、今は良くない。辛抱しなさい」とか、そういうトークばかりなのです。


 そういうことじゃない、こういうビジネスをする場合、業界の慣例はどうなんだとか、先生からあの人たちにひと言言ってやってくださいよ、とか、現実的なアドバイスを求めているのに、結局はいつも占いで煙に巻かれてしまうのです。


 そういえば――。


 私は、もう一つ思い当たることがありました。ライター交流会で、とある有名占術家の門下生たちだという、東洋系占いサークルの人たちと出会ったときのことです。


 みんな占い好きなので、当然、挨拶もそこそこに、生年月日を聞かれてしまうのですが、私が素直に自分の生年月日を答えると、みんなしきりと首をかしげるのです。どうして? と思い、理由を尋ねてみたら、私は東洋の占星術で見ると陰の水の気が強いホロスコープで、とてもこんなにおしゃべりであるはずがない、と、サークル全員で頷き合っているのです。


 はぁ? と、正直、そのときの私は思いました。どうして、目の前の私と言う人間を見ようとせず、占いの象意と違うことを悩まなければならないのか。占いのほうが生きている人間に合せるのが筋というものです。私は星占いを体現するために生きているわけではありません。星のほうが、ありのままの私に譲るべきことです。


 タロットでも同様のことがあります。ある男性占い師さんの話ですが、ネットサーフィンをしていて、同業の女性占い師が主宰している、趣味のフェイスブックコミュニティを見つけた。さっそく交流を持とうと友達申請したら、「今、タロットであなたのことを占ったら、最終結果が悪魔のカードでしたので、お断りします」と言われたそうです。ナンパと勘違いしたのだとしても、どうして嫌なら嫌と、正直に言わないのか。その男性占い師さんはそういって怒っていました。


 不動産屋さんでも同様の話をよく聞きます。あるタロットマニアが、部屋を借りようとして、不動産屋に現れた。担当者は良さそうな部屋を案内するのですが、いちいちタロット占いで決めるのだそうです。そして終いには選べなくなって、帰ってしまうとのこと。いったい何がしたいのかと首をかしげていました。


 占いにのめり込み過ぎて、占いに頼り始めるとこのように、「周囲に迷惑をかけてしまう」可能性があるということは、心に止めておかねばならないことでしょう。


 また、占いで何でも決めたり、人間関係のもつれまで「星や血液型などの相性」のせいにしてしまうと、周囲からはなんとも幼稚で、頼りない人間に見られてしまいます。開運のためのツールであるはずの占いにハマりすぎ、熱中しすぎるせいで、現実には社会的評価を下げてしまっている人のケースが多々見られます。これでは開運と逆です。占いの本来の使い方を間違えると、こういう奇妙な占いマニアになってしまいます。”

開運祐気取りで死んでしまった人も
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”M門下生だったころ、M鑑定事務所の別の教室に通う、50代後半の男性の生徒さんがおりました。この方の通っていた占い教室は地方なので、東京在住の私は直接お会いしたことはなく、周囲からの伝聞なのですが、その方は、M先生の元で西洋占星術を学びながらも、もう一方で九星気学の「祐気取り」に熱中しており、なんと、その祐気取りが原因で死んでしまったそうなのです。


「だから東洋占いはダメなのよねぇ」と言って、M鑑定事務所の占い講師は笑っていましたが――。いやいや、西洋占星術だって、立派に狂気ですよ! 


「祐気取り」とは、その時の吉方位に出かけて、そこにある神社のお水とか、空気、砂、落ち葉などをもらってくるという、おまじないのようなものです。一般的にはその御神域から出る湧き水をいただきます。


 この生徒さんは、インスリン注射が必要な糖尿病患者さんであり、元々は、その糖尿病を直そうとしての開運祐気取りだったそうです。


 ある年の大寒の頃のこと。その生徒さんは奥様と二人、北関東の山深い神社へ祐気取りに出かけました。朝一番、誰もいない澄み切った空気の時間帯を狙って、神域の御水を頂こうとして、夜に家を出発、未明近くに現地に到着したそうなのですが、残念なことに入口には鎖がかけられていた。御神域を荒らされないよう、夜間は管理者が、水場への入口を閉めてしまうらしいのです。


 仕方がなく車内で暖房を焚き、朝、管理者が来るまで待つことにしたら、それが原因で夫婦ともども、一酸化炭素中毒死してしまいました。糖尿病を直すどころか、逆に死んでしまったのですから本末転倒です。


 こういうタイプの占い好きのことを、私は大変申し訳ないのですが、軽蔑的な意味を込めて、自分のブログ内では「星ヲタ」、「タロヲタ」「方位ヲタ」と呼称しています。占いを学ぼうとする人はくれぐれも「ヲタ」にならないように注意するべきでしょう。それは霊能力のダークサイドにもつながるからです。


 第一章でも紹介しましたが、かつて「天中殺ブーム」を巻き起こしたのち、占い師を廃業し、占い批判家に転向した算命学の大家、故・和泉宗章さんはその著書「和泉宗章の占い告発」(読売新聞社 刊)の中で何度も「易源病」というフレーズを書いておられました。


 易――、つまり、占いが元になっている病害、という意味です。







 占いは、ちょっと見には大変に「面白い」ものです。私にも経験がありますが、その面白さ故に多くの人が占いに関わっているのだ、と思います。ただ、この「面白さ」のウラには、「麻薬」のような危険が潜んでいることをぜひ覚えておいてください。(和泉宗章 著「和泉宗章の占い告発」P225より抜粋)







 なんと、故・和泉宗章さんは、占いは「麻薬」と同じだというのです!


 麻薬患者が、薬理作用で得られる一時の快楽に溺れて、人格を破壊されていくように、占い学全般もまた、自分が努力して克服しなければならない人格的な弱さを、「星になすりつける」ことで得られる、一時的な安心感に溺れて、問題を先延ばしする性格が身に付くことで、麻薬のように人生や、人間関係をめちゃくちゃにしてしまう恐れがあるということです。


 やはり、占いにも、占いをしたいと思う心が真我から来た欲求なのか、それとも我欲のプラクリティなのかによって、結果はまるで違うわけですね。占いの世界観にどっぷりハマって、現実をなんでも占いで解釈してしまうのは、すでにその人が、プラクリティに騙されているということでしょう。


 実は、この故・和泉宗章さんのフレーズと、まったく同じ内容を、私のインタビューで答えてくれた宗教団体があります。静岡県伊豆の国市に本拠地を持つ、宗教法人ワールドメイトです。


 ワールドメイトのインタビューは後ほどご紹介しますが、それを読んでみなさんが、占いというものをどう考えるのか。答えは一人一人の中にあります。”


占いが心理学であるならば
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”鏡リュウジさんという占い師さんを、皆さんはご存じですか。



 鏡リュウジさんは、私のように占星術を学ぶ者なら、一度は著書を読んだことがある占い師ですが、この人こそ、占いとスピリチュアリズムを融合させた功労者に他ならないと私は考えています。ちなみにもう一人の功労者は、江原啓之さんです。このご両人が女性雑誌をひっきりなしに彩り、その読者たちが占い師化、ヒーラー化して、第3次占い・スピリチュアルブームを牽引していったのは間違いのないことでしょう。



 鏡リュウジさんは、ユング心理学の研究家でもあり、占星術を占いとして楽しむのではなくて、無意識のイメージの遊びと捉えよう、と提唱する人です。



 そう……、さきほど私が指摘した「クリエイター心を刺激する占いの創造性」を、そのまま提案している人なのが、鏡リュウジさんなのです。



 ハタ・ヨーガの世界でさんざ「占いとは、瞑想道具なのですよ」と、数千年も前にすでに看破していたことを「ユング心理学」という言葉で再発見して言っている人なのです。ただしハタ・ヨーガは決してこのイメージを「遊び」などという生易しいものとしてとらえてはおらず、生きるか死ぬかの、究極の修行であると見ているのが、鏡リュウジさんとの決定的な違いですが――。



 しかし鏡さんご本人は占星術を「占い」としては当たらないし、役に立たないと折にふれ評価しておられます。



 この主張は正しいのです。なぜなら、先ほども申し上げましたように、結局、どんなにすごい占星術の先生に学び、すごい専門書を読みふけったとしても、占いが当たる確率はどこまでも五分五分、丁半ばくちでしかないのですから。



 ならばなぜ、人はホロスコープとか、タロット占いなど見たがるのだ?

 どうせ五分五分ならば、占いなどない人生でも同じ結果ではないのか?



 私は次第に、そう考えていくようになりました。



 でも、そうなのです。別に占星術でなくとも良いわけだし、いっそ占いに一切近寄らない人生を選んでも、運命に差などないことになるのです。占いで不幸を避け、幸運を掴むみたいな話は、こういう風に合理的に考えていくと、まるで意味がないのです。



 鏡さんがよく持ち出す、カール・グスタフ・ユングという高名な心理学者は、まさにこのことを研究した人でした。人が、単なる「絵」に過ぎないタロットのシンボリズムを見て、自分でなにがしかの意味を見出す。占星術の惑星記号や、星座記号の並びに、何かの意味を見出す。



 この「見出す」という行為こそ、占いの正体に他ならないと、ユングは説明しています。



 だとするならば、なぜ、ホロスコープやタロットを見て「そう思うのか?」「そう解釈したいのか?」という、そこにこそ光を当てていかなければならないはずで、それはとりも直さず「心の世界」であります。



 ハタ・ヨーガが、占いを「自己との究極の対峙」と見ているのは、その「解釈」こそが、あなたのどうしようもない欲だ、弱さだ、直さなきゃいけないところだと突き付けてくるからなのです。ユングはヨーガの研究にも功績があります。東洋思想に精通した人でしたから、鏡さんが占星術を擁護しようとして、計らずも言っていることはハタ・ヨーガに近くなるのは、ユング心理学が本来内包している思想のせいでしょう。



 そして、占いが「心の世界」ということは、それはそのまま霊魂の世界なのです。人の「こころ」こそが霊魂だからです。その霊魂の世界ということは、つまりは占いは、「スピリチュアリズム」の1つであり、統計学でも、科学的な学問でもないということになるでしょう。だから、スピリチュアル業界と占い業界が混ざり合うのは当然のことだったのです。霊感タロットでいい、霊感ホロスコープでよかったんだ! ということです。とにかく「霊感」と名刺につけて、と言ってきた占い会社の社長とか、占い雑誌に腹を立てた私のほうこそ、わかっていなかったということです。



 また、占いがスピリチュアリズムで、スピリチュアリズムが宗教の断片であるならば、気軽にテレビや雑誌で大衆にバラ撒いて良い性質のものではありません。宗教観というのは言うなれば「思想」です。しばしば、その思想の相違から、人は戦争まで起こします。マスコミが占い・スピリチュアルといった一種の宗教を、ファッションとして垂れ流すことは、社会のあちこちで要らぬ誤解を作り出すということなのです。



 占いを提供する側、受け手の側もきちんと、教義内容を理解したうえで接する必要があります。私が、今の占い・スピリチュアルの在り方がおかしいな、と思うのは、まさに、マスコミとの関係においてです。個人個人の鑑定の現場では、志の高い占い師さんもたくさんいるし、皆さん頑張っておられるのですが、こと、テレビや雑誌となると、どうしても過剰演出、制作意図、宣伝などが乗っかってしまって、正しく扱えているとはとても思えません。占いこそ、心であり、霊であり、思想であり、宗教そのものなのですから――。



 もしも、朝の情報番組の終わりで、たとえば極右、極左や、宗教団体の特定教義などの情報を流していたら、みんな戦時中か何かに戻ったようで、びっくりしますよね? でも占いというのは、一つの立派な思想体系ですから、それをカジュアルに仕立てて良いものではないのです。ちゃんと内容を吟味し、咀嚼した人しか体得できないものです。



 朝のワイドショーで12星座占いとか、おみくじ占いとかを気軽に流す日本のメディアは、そういう感じでとても変なのです。”

「占いなんて要らないよね」で、読者に叱られた私

2016/03/16 11:42
http://ncode.syosetu.com/n7247de/22/
”ここまで読んだ方は正直、「酒井日香の論調は、真我だとか、プラクリティだとか言っているけれども、その実、占いなど必要ないと言っているようだ」とお思いになるかも知れません。



 まぁ、残念ですが、結論を先に言ってしまうとそういうことなんです(笑)。占いは、もう手にしてしまったなら仕方がないけれど、触らなくて済むならそのほうがいいのです。占いなんかに頼らなくても、気付きを得たり、開運したり、心身を強化する安全な方法は他にいくらでもあります。



 正直な話、私も占い師を廃業した直後は「占いなんてもの自体が、ロクでもないじゃないか。こんなもの地球にまるで無くったって構わないじゃないか」と思いました。



 だから、昔の私のブログの書き方は、本当に過激でした。「世の占い野郎どもを論破してやる!」と意気込んでいました。しかし、その結果として私のブログは大炎上をしてしまい、脅しのメールを月に何十件も受け取らされるハメになりました。真我から来る議論ならば、もっと周囲と調和できたはずです。



 こちらも、不必要に人を傷つけたい意図はありません。最初はこういった「批判的書きこみ」を無視しようかとも思いましたが、しかし、自分の批判者にこそ耳を傾けなければいけないのではないか? とも、胸の中の自分が言うのでした。



 悩んだ私は2013年の春、ある鑑定師軍団の極秘鑑定会を取材に行きました。やはり、現役の占い師さんたちに、このことは、インタビューしてみる必要があると感じたからです。



 以前、別のイベントで偶然知り合った、人の波動を感じ取れるという女性鑑定家、T・Mさんから、T・Mさんが参加する特別な鑑定会の話を聞いていたので、無理やりそこに取材に行かせていただきました。



 アンチ丸出し、霊能者をボコボコに批判することで有名だった私を、T・Mさんはよくぞ、あの鑑定会に招待してくれたと思います。その優しい人柄にまず感激しました。だいたいの占い師、霊能者は、ほんの少しの疑念を向けるだけで、完全シャットアウトしてしまう人が多いというのに……。



 この日は、女性鑑定家T・Mさん以外にも、すごい鑑定家さんたちが集まっていて、たくさんいろいろなお話を伺うことができました。最初は正直、「どいつもこいつも、我欲まみれの気の小さい連中なのだろう」と思っていたのですが、目の当たりにするととんでもないのです。みんな、クライアントを良い方向に変えようと、真剣にカウンセリングをしている……。



 私は、とてもこの人たちを「ただの精神疾患だ」「ただの虚言癖だ」なんて言えなくなってしまいました。本当に、こうした人たちがいるのだと、むしろ胸が熱くなる思いでした。また、この彼らの仕事の実態を、私ならば世間に知らせることが出来るのではないかと、新たな役割を授かったような気さえしたのです。



 実は、このイベントを取材するに当たり、私は自分のブログで、ブログ読者さんから鑑定家の方々に何か聞きたいことはないかと、広く質問を集めました。



 すると、「どうしてよりによって、たくさんある職業の中から、占い師なんてものを選んでしまったのだ!」というご意見が多く来ました。



 確かに、私もこの質問はぜひ、ぶつけてみたい。



 だってそうでしょう。ここまで見て来た通り、占いや霊能とはイメージングであり、イメージには真我から来るものと、プラクリティからくるまやかしとがあるからです。世のメディア出演する占い師を見ていると、とてもみんな真我で動いている人には見えません。言動も傲慢だし、指輪をギラギラ光らせて、自分の稼ぎに対して自慢げな人さえいます。



 だとすれば、そんな危険な「霊能・占い」でご飯を食べるだなんて――。



 よほどのカネの亡者、守銭奴、そこまでして名声や成功が欲しいのかと、霊能嫌いな人はどうしても思ってしまうのです。江原啓之さんがマスコミから叩かれたのも、どこかそういうイメージがあったからでしょう。ともすると霊能力は「あざとく」なります。だから、私はその霊能者や、占い師や、グルがまず、己のあざとさを越えられている人なのか否かが見たいと思ってしまうわけです。



 すると、T・Mさんの友人で、このときの鑑定会を主宰していた、民間信仰系シャーマンH氏は、我々のバカな質問にも、以下のように明確に答えてくださいました。



「いや、こっちもね、積極的なわけじゃないよね本当は。本業の商売に専念するほうが有難いんですけどね。でも、年がら年じゅう、相談ごとを持ちかけられるとね、仕事してる時間が無くなるよね。僕はまぁ、家の家業がシャーマンだから、シャーマンの修行するのは自然なことだけど、ホントにね、時間が取られてしまうんだよ。向こう(お客さん)はちょっと僕のとこ寄って話すつもりでもね、平気で1時間、2時間でしょ。朝ごはん食べてる最中に来たりすることもあるしね。そうするとこちらも、それなりのおカネちょうだいってことになる。それでもいい、払うという人にだけ、僕は鑑定してるんだけど、それが仕事だとは思ってないの。ただ、ホントにね、僕の本来の仕事をさせてもらえる時間が無いんだよ。ひっきりなしに来るから」(2013年4月・東京北区の料理店で行われた鑑定大会の取材メモより)



 ちなみにH氏は、沖縄の民間信仰の伝統を継ぐ人で、有名政治家や、官公庁との関わりもあるような人です。国賓やVIPを何人も鑑定した方であり、複数の店舗経営をしている実業家でもあります。とても忙しい方なのです。


「でも、悩んで、死にたいとか言う人にね、待てなんて言えないじゃない。だから鑑定は受ける。そして、経営のほうもおろそかにはしない。だから人の何倍も努力を要求される。その苦しみが、神様っていうか、すごくいいモノとつながる感覚になるんじゃないかって、僕は思ってるの。どっちも気を抜けないから大変だけど、でも、修行ってそういうことじゃないかと思うよね」



 そう言って、満面の笑顔を浮かべていたのが印象的でした。



 H氏はなんと、もはや医療では救うことができない、精神科病棟に入れられた人を落ち着かせるボランティアもしているそうです。



 今はそういう悲劇がとても増えている。単なる霊と自我の危機なだけの状態の人に、パキシルを始めとしたSSRI(選択的セロトニン再取り込み薬)を投与して、ごまかしの精神カウンセリングを施し、事態を余計に深刻にさせる精神科医のなんと多いことか。



 H氏は、定期的にそうした施設を回って、霊能者として少しでも霊の苦しみにあるひとに傾聴の時間を作るのだそうです。頭の下がるような大変な仕事です。他にも家出少年や家出少女を保護したり、手に職をつけさせたり、親代わりになったり。覚悟がなければとてもできないことです。真我的な力強さを感じて、私は瞬時に「ああ、よかった。この先生は本物だ」とわかりました。



 H氏や、T・M女史を慕って集う他の鑑定家のみなさんにも、同様の質問をぶつけました。やはり口々に「これが仕事だとは思っていない。仕事ではなくて使命なのだ」と、表現は多少異なるのですが、同じ内容のことを答えてくださいました。みんな真我的です。独特のあざとさ、誇張、自己顕示欲は、この鑑定会に集まっていた占い師さんたちには、微塵も感じませんでした。そういう人は正直で、明るいのです。自分をすごく思わせようとか、偉ぶるとかがないので、一緒にいて気持ちがいいのです。



「酒井さん。霊能力があると、おカネを引き寄せやすくなるんですよ」



 と、鑑定会のあとの食事会で、T・M女史が言いました。



「ええ? おカネを引き寄せやすくなる――?」



「うん。それ以外にも人とのご縁ね。こういう人脈に出会いたい、この人とつながりたいと思ったことが、その通りに起こったりするのよ」



 どこかで聞いたフレーズ。そう――。ここまでさんざ、みなさんにお話ししたヨーガの世界で、イメージング能力が増幅されるようになった結果、もたらされる願望達成という文脈と、T・M女史の発言が図らずも、一致した瞬間でした。



 T・M女史はさらに続けました。



「私は、この能力を素晴らしいとか、嬉しいなんて思ったことは一度もありません。ましてや、自慢に思うなんてとんでもなかった。いつもコンプレックスで、嫌いでした。だから、霊能から離れようといろんな仕事もやってきた。しかし、あるとき、気付いたのです。自分がこの事実を素直に受け入れて、もう、この体、好きなように使ってくださいと、命を丸ごと神様に投げ出したら、全てが回るようになった。今はこの力で、生きている間に一人でも多くの人を幸せにしたい。救いたい。私にはそれしかないのです。それに呼応するかのように、おカネにも困らなくなりました。霊能も、自分で今ではコントロールできるようになった。私もH先生と同じで、これで稼ぎたいとか、有名になりたいなどという思いはありません。いつでも死ぬ覚悟なだけなのです」



 いつでも死ぬ覚悟――。 それが、H氏や、T・Mさんの我欲をコントロールしている――。



 私にはそれがすぐにわかりました。そして、それに呼応する形で、現実が、T・Mさんをむしろ死なせないように、助けてくれるのだと感じたのです。誰かのためになるのなら、死んでも構わない、おカネなんかも要らない、ぜんぶ他の人にあげてください、と、本気で思うと、逆に宇宙は、T・Mさんを死なせまいとして、おカネを連れてきてくれる――。



 この原稿が完成した際、T・M女史に確認のためお見せしたら、「私はおカネ持ちなんかじゃないわ! そこだけは消してちょうだい!」と言われました。でも、霊能に一身を捧げる覚悟で生きていて、それでどうにか暮らしていけるのだから、私はこれこそ「本当の金運」だと思うのですよ。



 人生を賭けられる仕事さえあれば、あとは死なない程度のおカネでいい。高級な存在がもたらす金運というのは、そういうものである気がします。笑って「私は貧乏よ! いつもギリギリよ!」と言えるT・M女史は、やっぱり素敵な人なのです。それでもたまに、直観でくじの当たりを引いたり、小さなギャンブルが当たったりする。でも、それが霊能力の不思議なパワーなのよね、というお話を、脱稿したあとにT・M女史としみじみしてしまいました。みなさんにもこのニュアンスが伝わるでしょうか。



 さらに、なんとT・Mさんは、シャーマンとして生きる覚悟を固めた瞬間、霊能ゆえに若くしてかかってしまったガンが治ったといいます。



「死んでも構わない」という思いが、むしろ成功を引きつける――。命を投げ出した瞬間、ガンが治ってしまう――。成功なんかもう要らないと思った瞬間、道が開ける――。おカネなんか死なない程度でいいと思った瞬間、生涯の天職が定まる――。



 まさに、ヨーガが連綿と訴えてきた、「正しい真我との感応方法」と、ピタリと一致する話でした。T・Mさんにはヨーガの知識はありませんでした。でも、苦しみの中で、ヨーガと同じ結論に到達していたのです。”


成功とは「死を覚悟すること」に他ならない
2016/03/16 11:53
http://ncode.syosetu.com/n7247de/23/
”のちに「こころがよくわかるスピリチュアル臨床心理学」石川勇一 著 という本を読んだとき、このT・M女史の経験は、いわゆる「巫病」とピタリと一致するので驚きました。



 スピリチュアリストの江原啓之さんも、子どもの頃は能力で苦しんだが、大人になって受け入れた瞬間、道が開けたとその著書「人はなぜ生まれいかに生きるのか―新装版・自分のための「霊学」のすすめ」の中で書いていました。



 佐賀鍋島藩士・山本常朝の語録「葉隠」には、有名な「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という一文があります。私はこれは、道を求めてさまよう、この世に生きるすべての人に言えるのではないかと思うのです。







「作家と云ふは死ぬ事と見つけたり」

「スポーツ選手と云ふは死ぬ事と見つけたり」

「歌手と云ふは死ぬ事と見つけたり」

「社長と云ふは死ぬ事と見つけたり」

「占い師と云ふは死ぬ事と見つけたり」





 で、あらゆる生きる道は「死ぬ事と見つけたり」なんです。そうすると心がぐらぐらしなくなって、不動心が生まれ、正しく物事が見られるようになる。その素直に物事が見られている状態を人は「霊能」とか「超能力」と呼ぶのでしょう。



 思えば私が作家に転身したとき、私にはこれでカネが欲しいとか、有名になりたいとかの思いはほとんどありませんでした。「読まれたい」「読んで欲しい」という一心で、無我夢中で、一人一人の読者に、自分で作った本を手渡ししていったのです。それが積み重なっていき、無名作家の自費出版ながらも、2000人もの読者に読まれるという、異例の事態になりました。「あざとさ」というプラクリティに振り回され、そういうのはカッコ悪いとか、泥臭いなどと思っていたら、私は死ぬまで作家になどなれなかったでしょう。この作品を読んでもらえるのなら、もう死んでもいい、死ぬのならこうしたいという、本当の気持ちが見えたからこそ出来たことだと思います。



 そう考えると、死を見つめない人生なんて、いったいなんの意味があるのだとさえ思えます。



 このプロセスを自身が通ってきたからこそ、本物の霊能者は、手に取るように相手の「弱さ」「あざとさ」が見えてしまうのです。T・M女史の鑑定など受けると、もう本当にポンポン、憎たらしいくらいに人の問題点をずばずば言ってのけてくれますが、それが気持ちいいわけですね。この人には本当に、「コレを言ったらこいつに恨まれるなぁ」とか、「ホントの事過ぎて言えないなぁ」というのが無いのだなと思います。



 霊能者や占い師のことを「うそつきだ」「妄言だ」と誤解している人が多いのが、とても残念です。本当の霊能者や、占い師はむしろ逆です。みんなうそがつけなくて、可哀想なくらいの正直者なのです。逆にいうと少しでもその占い師から「あざとさ」とか、「無責任さ」を感じたら、さっさと離れましょう。そういう占い師は要注意です。関わると低俗な霊界に惹きこまれてしまいます。



 私はいつか、小説家として、死ぬまでに傑作と呼ばれるような「死刑文学」を描いてみたいと思っています。自分がさんざ、プラクリティに騙され、よこしまな心で、過激な言い逃げ占いをずっとやってきたり、憎い父をブチ殺すイメージを抱き続けてきて、犯罪者の気分が身につまされるせいでしょうか。殺人犯や死刑囚といった人々に、並々ならぬ関心を寄せてしまう癖があります。



 しかし、死刑囚の中には、死刑判決が出たことで命と真摯に向き合わざるを得なくなり、まるで氷河が一気に解けて濁流となるかのごとく、ダイナミックに悔悛の情を見せる人たちがいるのです。すると急に人生が定まって、もう自分はこれでいいと、静かに死を受け入れるようになる。



 私も、人に笑われてもいい、もう自費出版だって構わないと思って「VICE孤独な予言者」という作品を描いたとき、死を強く覚悟しました。おかげで編集者はかなり困らせました。連中と刺し違える覚悟で、ブッ殺すつもりで原稿を読ませてしまったので――。でも、作家に殺されるなら、編集者は本望ではないですか。私も、編集者が本気で私の原稿をぶっ潰しに来てくれるなら、喜んで受け入れましょう。



 自分の心は殺人犯と同じくらい荒んでいるのだから、だったら、他人を殺すのではなく、自分の小さなプライドや見栄、言い訳をまず真っ先にブチ殺そうと、占い師生活の中で思い至り、死にも等しい激しさで、あの作品を描き上げたのでした。



 あの瞬間私は、すでに誰が認めなくても、作家としてしか生きられなくなっていたのです。夢をかなえるとか、本懐を遂げるとは本来、そういう、とんでもない死ぬ覚悟、天地が逆になるほどの大回転が要るのだと、自分の身を持って思い知らされた気がします。



 だから、なんとなく言葉を越えて、「自分の暗部を受け入れて死ぬ」「人をブッ殺すほどの狂気を自分に向ける」ということが、死の向こう側の真なる存在に触れるには、絶対に必要なのじゃないかと――。そういう気がするのです。そして、その力にひとたび触れれば、イメージはどんどん結晶化していく。それが霊の世界と、霊能力の秘密――。どうしてもそういう気がしてなりません。



 殺人犯も、さんざ人をブッ殺して、大変によくない行為ではありますが、あれも一種のカタストロフというか、グリーンウェル女史がクンダリニー大全の冒頭で言ったような「スピリチュアルなハルマゲドン」なのではないかと感じるわけです。



 そうしてエネルギーを解放したあと、ようやく、憑き物が落ちたように生命の本質が胸に迫ってくる――。



 やはり、殺人犯を裁くのは、殺人犯自身の真我です。なぜ、その刃をまず自分自身の弱さに向けなかったのか。なぜ真っ先に自分をブチ殺してやらなかったのか。お前はけっきょくは、なんの勇気もないじゃないかと。このことに彼らは生きている内も、そして死ねばもっと強烈に苛まれることでしょう。言語を越えて、霊能をひらくとは、こういう究極の迫力に通じた一面が確かにあって、それが自分自身の突破口になる――。そういう真理があるのだと気付かされる思いでした。



 中野にある占いショップ「ばるばら」を主宰する、バルバラ・レピストさんも、私の取材にこう答えてくださいました。



「私は決して、占いのみで食べようとは思いません。これは使命としてやっていること。私はいまでも、きちんと正業を持って働いています。そうでなければ、途端に魔に感応して、よくない波動とつながってしまう。霊能家の世界では、志の高い人は、みんなそれをわかっています。占いで稼ごうとか、儲けようなどと考えると、すべてが崩れてしまうのです」



 つまり、おカネに困っているような人は、いい鑑定師にはなれないし、また、おカネに困っている鑑定師に出会ったら危険である、ということでしょう。



「逆にいうと、今の占いのいけないところは、それなのです。これは儲けるための商売ではなくて、人助けなのです。ですから、私も鑑定料はいただきますが、それは双方の誠実さを確認しあうため。無料で見ることは、お客様にも良くありません。無料にすると、自分で考えて解決するという能力が、ますます弱くなってしまう。私たちがおカネをいただくのは、自分に厳しくする意味と、お客様を依存させない意味の二つだけ。これでいい暮らしをしようなど思いません。好きでやっていることなのです」



 レピストさんはさらにいいました。



「占い師は、何よりもスタンドアローンでいるべきです」



 スタンドアローン――、つまり、孤独でいる、ということです。誰ともツルむな、誰にも頼るなということです。



「おおよそ、活動というのはそうであるべきだと思います。いつもいつも、自分がどうしたいか。何をしたいか。他人をアテにしたり、自分の勇気の無さを他人で補おうとすると、必ずトラブルになる。相手の言い分や計算、思惑に振り回されるでしょう。だから、いつでもこの占いの店は終わらせていい、一人でやるんだと思うと、他者に振り回されないぶん鑑定にも好影響なのです。しかし、残念ながら多くの人は、どんな職業や趣味やビジネスを営むのにしろ――、孤独であることに勇気が出せません。人とツルんで、他人の力で引き揚げてもらおうとしたがる。しかし、この世の不幸の大半は、そこから始まると言っても過言ではないのです」。



 ですから、私はスタンドアローン、ということを、自分には課しているのです、というお話でした。これは私もよくわかります。私が自費出版を選んだのも、レピストさんの言う「スタンドアローン」の実践でした。もしも私が、誰かに製作費をもらって本を作れば、それはその人に口出しされることや、指図されることを認めたのと同じです。私はそれが嫌でした。しかし、私も現役占い師だったときに感じましたが、世の中には、どうしても自立できない、何をするにも他人に期待して、他人をアテにする人間がいるのです。問題の多くはほぼ、その意識がもたらしているのだということを、当の本人が気づけていないのです。



 レピストさんはさらに続けました。



「一般社会で成功できないようでは、人を助けるなどとても無理なのです。ちゃんと一つの仕事を続けられない人、家庭を守れない人、自分は悩みや不満だらけでいる人に、他人を救う力はありません。いくらホロスコープが読めるとか、タロットが切れるとかでも、一般的な仕事を経験せずに占い師になるのは危険です」。



 なるほど。



 成功、と言っても、有名無名とは関係ありません。どのような職業であっても、たとえアルバイトでも、サラリーマンでも、OLでも、自分に自信があり、そこですでに認められ、成功的にやっていられている人。結婚生活に不平不満を抱かず、上手に家計をやりくりして、毎日ニコニコ子育てをしている人。そういう人たちこそが、優れた鑑定師なのだと。



 一般社会で不満だらけ、仕事も結婚も長くは続かず、すぐに他人にキレて、うだつが上がっていないのに、鑑定ではすごいなどという霊能者は、要注意だとレピスト先生はおっしゃっているのでしょう。しかし残念なことに、占い師には、こういうどうしようもない人格の人間のほうが多いのですが。



 やはり占いも、占うその気持ちが、自分の損さえ恐れない「真我」によるものなのか、自分の欲望を満たすだけの「プラクリティ」なのか、それが問題だったのです。レピストさんも、T・Mさんも、表現は違えど言っていることは同じだと感じました。そしてそれは、占いをボコボコに批判していた私と、同じ考えの占い師さんとの初めての出会いだったのです。



 みんな、私と同じような思いで、歯がゆく占い業界を眺めていたのだと知りました。自分が現役だったときは、ライバル心や嫉妬心が強くて、他の占い師さんがぜんぶ敵に見えていただけだったのです。



「酒井さん、あのままあなた、専業占い師だけやって、占星術に染まってしまっていたら、今頃は死んでいたか、精神崩壊していたでしょう。あなたの中の内なる何かが、あなたに、本当に生きる術を教えてくれたのです。あなたは書き続けるべき人。それでいいのです」



 T・Mさんにそう言われた夜、なんだかとても幸せで、占い師とは、なんと素晴らしい立場だろうかと、感動で胸がいっぱいになりました。私は知らせたいと思いました。こんなに素晴らしい人たちがいるのだということを――。占いや、霊能について誤解を解いていくことが、私の残りの人生の使い道かもしれないと、このとき思ったのです。”


Angeliqua@nap master@Ripple1975
”2014年9月5日
魔法の道具だてというのは正直なところ祭壇となるテーブルと
一つの灯りがあるのなら何でもいいのです。
それ以外は枝葉末節だともいえる。
他に必要なものといわれても実は困る。
真理の光を奉納する以外に何がいるのと逆にお尋ねしたい。
四大武器やその他についても同じ。最後はたったこれだけになる。

https://twitter.com/Ripple1975/status/507822795170910208

(術者のレベルが上がるほど必要な道具がどんどん少なくなって
どんどん魔術師に見えにくくなり、
最終的には道具不要、というか自分自身が道具そのものになる。
そういうことを言いたいと思われる。

補足としてはこれら。
特に重要そうなのを精選。
@lanekotaはねこた氏の最初期のアカウント。)


2010年9月7日
最近、私はオカルト用品を全く使わなくなった。
唯一使うのはフード部分を青く着色した卓上型の小型LEDライトだけ。
これは蝋燭の代わりなのだけど電池式で小さく、とても便利。
もはや香や魔術武器も必要ない。
あと必要なのは時間とノートとペン、そして時計しか要らない。

2014年9月28日
本当は象徴操作や呪文、動作なんて凡て枝葉末節に過ぎないの。
どんな方法だろうとやってることは同じこと。
人の心は基本的なところは同じなのだから同じ法則が成り立つ。
文化的差異があろうとも人であることは代わりがないのだから、
数万年以上換わらないところだけを見るの。

2015年1月19日
魔術の趣旨というのは「意識の中に変化をもたらす技術」というように
最終的には体験によって意識変革を行うものです。
その結果として行動が変化して物事が現実となる。
だから知識や道具それ自体は枝葉末節といえるでしょう。
だから魔術道具に拘りすぎるのも駄目なのです。

2013年8月3日
うーん、祭壇とは何かって?
目の前に展開した大地の表現、箱庭。
意識の台座。定義した心の形。
分離・分割したもの。
供物を捧げる場所、祝うための場所。
心との対話の場所。意識の机。
すなわち、Altar。心の視座。

2013年8月11日
科学はわたしたちが呼ぶイデアやヌースを狭義で用い、
わたしたちはそれを心にも適用する。
この点が違うけど、単なる視点の違いなので用語の問題ともいえます。
方や白衣、方やローブです。
机が祭壇になり、
実験器具が四大武器になる。
あとはイメージ操作の違いだけ。


2013年8月26日
地の魔法はとても大事。1=10から4=7までは地の魔法。
地の中の四大の訓練。これが終わるときに地のパンタクル重要性を骨身にしみていないといけない。
フォーチュンは風と火を入れ替えたけど、彼女は風の象徴がうまく使えなかった。
火はそこそこなのにね。意思を分断するものと勘違いしてるし。

うん、そうだね
QT @scarlet_mnm: @Ripple1975 心霊的自己防衛の中でも風を嫌っていましたね、フォーチュン女史。

一般的にポップオカルトに分類されるのはすべて地の魔法。
タリスマンもそうだし、タロットや占星術もそう。
これらはすべて地の魔法。
この魔法を通して物事の本質を理解するの。
最終的には道具なんていらなくなる。
占いなんてその人を見ればプロファイリングが使えるから。
それが地の魔法なの。

実は、わたしはもう占星術とかタロットもやりません。
占いで使わないの。それは象徴を利用するだけでパスワーキングとかに使うだけ。
地の魔法は卒業したので道具が要らないからなの。
友人の頼みだと雰囲気作りでタロット使うけどね。
実際にやるのは緻密な即興プロファイリングです。
こっちのが当たる。

プロファイリング技術はオカルトじゃないと思うでしょう?
けれどきちんとやると直感も当然に働かせるの。
それが欠けるとプロファイリングは正しく働かないから。
これ、統合された四大の地の魔法だよ?
究極的には占いはこうなるのです。


そうみたい。彼女はそれをしってたから仕方なく風と火を入れ替えたと思う。
QT @rideigan: @Ripple1975 @scarlet_mnm フォームチュン女史は極度の高所恐怖症だったみたいですけどそれも原因かな?>風が使えなかった

うん。苦手な風を補うために、火の象徴と風の象徴の道具をいれかえたの。
QT @lanekota: @Ripple1975 @rideigan @scarlet_mnm 横から失礼、ありゃ象徴を入れ替えたんですか。

苦手な分析を補うために、意思で押し切るやっつけ仕事。
これがフォーチュンの姿なのw でも、笑えないよ。本人は苦労してたんだろうから。

フォーチュンは水の扱いを見る限り優しい側面もちゃんとあったから
意思の強さで押し切るの無理してたと思うな。
QT @yamaimoti: @Ripple1975 意思で押し切れるのは・・・すごい・・・。_〆(・_・。)^ カキカキ

フォーチュンは気が強い女性と勘違いされてるけど、
よく観察して分析すると、結構ロマンティストなところもあってとても可愛い女性だと思うな。

四大分類の意味は、
本来なら分割できない心をタイプ別に分けてるだけで
風なら100%風という機能も珍しいの。
心はデジタルじゃなくてアナログ。
だからデジタル・サンプリングに慣れたら、
最終的に生のまま分析するのです。
象徴の型に入れないで。

象徴による分類は便宜的ものだということは、
自然界にあるものをどんどん分類していくと判る。

典型的なものもあるけれど、
分けるのが難しいものもある。楽器とかだと難しいよ?
ハープは水だけど、コントラバスは?水を少し含んだ土と表現したらよいのか。
ちょっと微妙だよ。


2010年9月18日
『神秘のカバラー』を数回呼んだ程度では魔術カバラについて何も語れない。
心に「木」が構築されだすのは10回目以降。30回、50回と読んで本がぼろぼろになる頃、
最初のカバラーの訓練は終わる。
その頃、かれはカバラ用語で日常の全てを語れるようになる。

2010年9月18日
『神秘のカバラー』を卒業するのは熟読30回目以降だけど、
小径に関する学習は10回目辺りから。
このとき、リガルディーの『石榴の園』か『生命の木(洋書)』、
ガーレス・ナイト『カバラ的象徴の実践ガイド(洋書)』が必要になる。
さもなければタロットの門を使ってパス・ワークしかない。

2013年8月23日
わたしが購入したフォーチュンの『神秘のカバラ』は現在で三冊目です。
過去の二冊は完全にぼろぼろになって分解してしまいました。
それでもまだ時間があると読んでます。
既に内容も頭に入ってるけど、
目を通すことで思考をトレースしてるの。
著者より詳しくなることを目指しなさい。三冊目が死にそう。

(この人は英語が母国語だろうから
(じゃあなぜ日本語ツイートなのかは不明)
原著の神秘のカバラ―。
日本語訳は誤訳があるらしいので。
フォーチュンの火の象徴と風の象徴の説明は注意が必要。
原著買えってこと。


ここに引用してないが
自分で自分だけの長さなどの単位とかを創ろうとも言ってる。



2013年8月26日
魔女という言い方がダサイか・・・ならこういうのは? 技芸に優れた女、an intelligent woman、つまり才女。

日本語だと魔女に代わる単語とか難しいから、色んな意味をこめるとやはりtalentedとかintelligentという単語を入れたいところ。そうすると日本語訳で広義の意味の才女が一番相応しい気がする。これは文才があるとかの意味に絞られがちだけど、そういう女性は大抵技芸にも長けてる。

もしも、魔女という単語を日本語にした場合、Sageとかだと哲学少女的な意味合いになるでしょ。それだと本来の姿を表していない。wise woman、つまり賢女としてもいいけど、こちらの意味のほうが近い。思慮深いとかそういうの。けど、活動的ではないからね。技芸に長けるのが特徴だから。

日本語の辞書をよくみたら、仙女ってfairyとかnymphって訳がのってる・・・これだと性的意味強くなるよw


確かに、Wiccaは大地の魔法を主体にするので、精霊とか妖精とかの世界はとても近いのだけど、性的意味が強すぎても変だからなぁ。

それ、スラングだから。 QT @lanekota: @Ripple1975 まぢですか!関係ないけど、goddessも性的な意味あるみたいです。

goddessというのは基本的に崇敬の相手というよりも敬愛の相手とするほうが日本語だと近い。神としてはより人間に親しいというイメージかな?

ああ、それ豊穣神(^^; すべての女神の代表ではあるけど、性的意味合いばかり捉えられてもw
QT @lanekota: @scarlet_mnm @Ripple1975 アレの女神さまの元ネタはルキウス・アプレイウスの「黄金のろば」に出てくるイシスですよね。ロバのルキウスを人間に

ピノキオ? ああ、魂を持たないエレメンタルが人間になりたいといったお話ね。 QT @lanekota: @Ripple1975 @scarlet_mnm すみません、性的な意味のツッコミではなくて、ピノキオの元ネタの話を気になったもんで。

ピノキオに関してはそういう話。黄金のロバだと解釈違うよ。話が劣化したの。 QT @lanekota: @Ripple1975 @scarlet_mnm そういう話なんですか。昔ディズニーのアニメで見ました。


んにょ。そだね QT
@lanekota: @Ripple1975 @scarlet_mnm そうなんでしたかー。なるほどー。黄金のロバはたしか、イシスの密儀の最高度の資料らしいですね。普通のお祭りみたいですが。

黄金のロバの話は獣性からの脱却がテーマなので供犠の祭壇のネタが関係する。
つまり大母神への生贄。


『黄金のロバ』の重要な点はその象徴物にある。
ロバが人間に戻るために必要なのは薔薇の花。
薔薇といえばunder roseの言葉通りの意味があるし、
愛の女神が持つ象徴物。この二点が重要なの。


6月8日
魔法使いにとって占いの道具や鏡の類は全て計測器の一部でしかないの。
だからそういったオカルト的能力というのは計測器の使い方をマスターすることに他ならない。
それは本当に目的ではなくて実験道具だからです。

使えるのなら何でもいいのよ?
それが自分の心を簡単で速やかに、
そして確実に使えるのならばなんでもいいの。
今まで発明されてない占いだってかまわない。
道具にこだわりすぎるとそれ自体が趣味になり横道に外れちゃうから。

占いのよしあしなんてそれこそ趣味の問題ですし、その人の熟練度や癖の問題だからなの。


2019年6月11日
教育って変なものね。それはしばしば正しさを教えるんだけど、
教育課程が終了するというのは正しさから抜け出すことを学び始めるのですから。
適切さというのはあると思うけど正しさはどこにもないの、よくよくみてみると。

いわば正しさというのは形になってる既製品。適切さを形に押し込めたようなものかしら? それをひな形として学んだら、今度はその形から抜け出して中身(適切さ)を自分で求めていく。どんなときに適切なのかを自分の頭で考えるの。

同じような意味でわたしにとっては諸々の占いもそういった既製品に違いない。
あらゆる占いを学んで心の使い方を身に着けたらそれから離れていく。
結局のところ占いの形って心の中身を捉える方法でしかなくて
自分のやり方が身についたら必ずしも決まった形を選ばなくてもいいのですから。


形を学ばずに最初からそれができるひとのことは天才というのでしょう。
わたしは天才ではないから形から入らなくてはいけなかったけど。

まあ、なんていうのかしら? 正しさって自転車の補助輪みたいなものだと思う。

戦国ジャズ・喜内

@sengoku_jazz

天才とは何か、というところに行き着きました。天賦の才のみならず、天の与えたもうた試練による才、も天才なのでしたら、自分は天才かもです。憚られるので、天然もの、と称していますが。


Angeliqua@nap master


@Ripple1975
2019年6月11日
返信先: @sengoku_jazzさん
天才は比較的多くいるのでしょうね。問題は天才のうちで開花する人がとても少ないことにあるような気がしています。それは多くの人が同時に形から教わるからなのかも知れません。

天才を育てるには一対一で教わるほうがいいのだけど、秀才を育てるには形から入ったほうが善いから教育方法が異なってるように思います。尤も、悩ましいことに天才を育てるのに必ずしも天才は必要ないという点。スポーツの天才が必ずしもよいトレーナーになるとは限りませんからね。

なぜ人間はオカルトにハマってしまうのか?
『現代オカルトの根源』の著者、大田俊寛氏に聞く
https://toyokeizai.net/articles/-/18156
”「最近はよくスピリチュアルって言いますけど、昔で言えばオカルトですよね」──オウム真理教による地下鉄サリン事件から16年を迎える頃、ラジオからこんな声が聞こえてきた。
 かつてのオカルトブームの際に唱えられた『ノストラダムスの大予言』=「1999年人類滅亡説」はすでに過去のものとなったが、昨年暮れにもまた、マヤ暦の終焉に基づく「2012年人類滅亡説」がささやかれたことは記憶に新しい。
 一部の人々をとらえて離さないオカルト思想を「霊性進化論」という思想体系から読み解いたのが、『現代オカルトの根源──霊性進化論の光と闇』(ちくま新書)だ。今回、著者で宗教学者の大田俊寛氏に「霊性進化論とは」「オウム真理教の最終目的」「オカルトとサブカルチャー」などについて話を聞いた。
ビジネス界とオカルト
――本書では、現代のオカルティズムが主なテーマとなっています。一般にオカルトに対しては、一部の好事家だけが扱う特殊な世界という印象があると思われるのですが。

いえ、そんなことはありませんよ。その発想は、ビジネスやジャーナリズム、サブカルチャーの世界にもみることができます。

たとえばビジネス界には、船井幸雄という著名な経営コンサルタントがいますが、彼は典型的なオカルティストであり、本書で言う「霊性進化論者」のひとりです。

氏の代表作である『エゴからエヴァへ──地球が変わる・人類が変わる』(PHP研究所)や、『百匹目の猿──思いが世界を変える』(サンマーク出版)では、一部の先進的な人間に意識変革が起こることにより、地球全体の精神レベルを上昇させることができると説かれています。

ここ数年間の船井氏は、「2012年終末論」に盛んにコミットしていました。すなわち、2012年を境に、霊的に進化した人々が「アセンション(次元上昇)」を達成する一方、物質に囚われた人々は淘汰されるといった話ですね。意識革命を達成した人間、霊的に進化した人間が、ビジネスや政治や文化において先導者になるべきだというのが、船井氏の根本的な人間観です。

ビジネスの世界においては、何らかの仕方でイノベーションを起こし続けることが、つねに求められています。そのために多くのビジネス書では、「自己啓発」という名目で、新しい自分に生まれ変わる必要性が繰り返し説かれるわけです。その中にみられるさまざまな精神論は、元をたどれば、オカルトの世界に発していることが多いのですね。また、いわゆる「国際金融資本」にまつわる数々の陰謀論も、主にオカルトの分野を介して普及していったものです。

――今、お話に出た「霊性進化論」は、本書の副題にも挙げられていますが、どのような思想を指すのでしょう?

その端緒と見なされるのは、19世紀後半、ロシアの霊媒ブラヴァツキー夫人が創始した「神智学」というオカルト思想です。彼女は『シークレット・ドクトリン』という著作において、ダーウィンの生物学的進化論に対抗し、「根幹人種論」という特異な進化論を提唱しました。それによれば、地球上で人類は、第1から第7まで、7つの根幹人種を経て段階的に進化する。そして人間は、ひとつの生物種として肉体的に進化するのみならず、その「霊性」もまた進化するのだと唱えたのです。

さらにブラヴァツキーは、人類の中には「神人」に進化しうる種子が含まれている一方、霊性の次元から目を背けて「動物化」する人間もいる、という二元論を立てたのですね。私はこうした考え方を「霊性進化論」と呼んでいます。

日本とスピリチュアル
――二元論的な世界観を持つ宗教は、世の中に数多く見られます。大田さんが以前に研究されていた「グノーシス主義」とも関係しているのでしょうか?

グノーシス主義というのは、紀元2世紀ごろ初期キリスト教の内部で発生した異端的宗派です。その神話では、物質世界を創造したとされる「デミウルゴス」という悪魔的存在と、「プレーローマ界」から降臨した光の神が対立するという二元論的世界観が、クリアに描かれています。グノーシス主義の思想は、西洋宗教史におけるオカルティズムの源流のひとつであり、確かにブラヴァツキーも、そこから大きな影響を受けています。


大田俊寛(おおた・としひろ)
埼玉大学非常勤講師
1974年生まれ。一橋大学社会学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。専攻は宗教学。著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。


しかし、神智学に代表される近現代のオカルティズムにおいて特徴的なのは、「進化」という概念が重要な役割を果たしていることです。キリスト教が支配的であった近代以前の世界観においては、人間は「神に似たもの」として創造された地上の支配者と位置づけられ、人間と動物との間には絶対的な違いがあると考えられていました。

ところが、ダーウィンの進化論において「人間は動物から進化した」と唱えられたことにより、両者の違いは絶対的なものではなくなってしまった。また、その反面、「人間がもっと進化することができれば、神にもなれるのではないか」という発想が呼び込まれることになったのです。生身の人間が、進化して神になったり、退化して動物や悪魔になったりする。「進化」という概念を媒介することによって、従来の二元論がより具体化・先鋭化されたところに、現代オカルティズムの特色があると考えています。

――進化論の影響がオカルト思想にまで及んでいるとは、驚きです。日本では1970~80年代にオカルトブームがあり、現在もスピリチュアルがはやっています。日本にスピリチュアリズムが入ってきたのはいつ頃なのでしょうか?

本書でも触れたように、日本におけるスピリチュアリズムのパイオニアと見なされているのは、戦前に活躍した浅野和三郎という人物です。彼はもともと英文学者であり、その素養を生かして、世界のスピリチュアリズムの動向を積極的に日本に紹介したのですが、すでに彼の思想にも、神智学からの影響をうかがうことができます。

浅野は1923年に「心霊科学研究会」を設立し、その組織を中心として、日本社会にスピリチュアリズムの考え方が普及していきました。ちなみに、「スピリチュアリル・カウンセラー」として有名な江原啓之氏も、その系統に属する人物ですね。

1960年代から80年代にかけて急成長した宗教団体のひとつに、高橋信次という人物が設立した「GLA」があります。この団体の教義は、スピリチュアリズムと神智学を融合させることによって成り立っていました。オウム真理教を創始した麻原彰晃は、若い頃、高橋信次の著作を愛読していたことで知られています。

また、GLAが発展する際には、『幻魔大戦』で知られるSF作家の平井和正が関与していたと言われています。超能力者として覚醒した神的人間と、「幻魔」と呼ばれる悪魔的勢力が対決するという物語の構図は、主に平井氏の作品を通して、サブカルチャーの領域にも普及していきました。


オウム真理教とは何だったか
――オウム真理教について伺います。大田さんは、本書の冒頭において、オウムの幹部であった上祐史浩氏と行った対談について触れていますね。

はい。『atプラス』(太田出版)という雑誌の企画で、上祐氏と対談する機会を与えられました。オウム真理教が起こした一連の事件に対しては、彼らは結局のところ何を目指していたのかと、いまだにさまざまな憶測や議論が交わされています。しかし、対談の場での上祐氏の発言によれば、オウムの活動の最終目的は「種の入れ替え」に置かれており、そのことは教団の上層部において、ある程度共有されていたというのです。


著書では、19世紀の神智学から、オウム真理教・幸福の科学に至る系譜をたどっている
――「種の入れ替え」とは、聞き慣れない言葉です。どのような意味なのでしょう?

麻原の世界観では、人類全体が2つの種類に大別されていました。ひとつは、自らの霊性のレベルを高め、超人類や神仙民族と呼ばれる存在に進化する「神的人間」であり、もうひとつが、物質的欲望におぼれ動物化していく「動物的人間」です。麻原の見解によれば、現在の世界は「動物的人間」がマジョリティを占めており、他方、「神的人間」はマイノリティとして虐げられている。この構図を転覆しようというのが、「種の入れ替え」という言葉が意味していたものです。

オウムは、数々の修行やイニシエーションによって、「神的人間」を創出・育成しようとした。その一方で、人類の霊性進化の妨げとなる「動物的人間」を粛清しようと、70トンという膨大な量のサリン生産計画に着手したわけです。現在の日本をサリンで壊滅させた後、「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれるユートピア国家を樹立しようというのが、オウムの最終目的でした。このように、オウムの世界観においても、「神への進化」と「動物への退化」という霊性進化論的な二元論が、極めて根幹的な役割を果たしていたのです。

※記事初出時、オウム真理教と幸福の科学の教義について、共通性などを論じた一節がありましたが、編集上、配慮を欠いた部分がありました。削除のうえ、関係者の皆様にお詫びいたします。

霊性進化論とエヴァンゲリオン
――最初に、ビジネスの世界だけでなく、サブカルチャーの世界にもオカルト思想の影響が見られるとおっしゃいましたが、具体的にはどのような作品でしょう?

私は、SFやアニメについてそれほど詳しくないのですが、やはり『幻魔大戦』の影響力は大きかったと思います。私も中学生の頃に小説版を熟読し、作品の持つ独特の雰囲気に魅了された記憶があります。無理もないことですが、その世界観がどのような思想に由来するのか、当時の私にはまったくわからなかった。

先ほど述べたとおり、『幻魔大戦』の物語は、超能力に目覚めた少年少女が「幻魔」と戦うというものです。私を含め、1970~80年代の子どもたちは、スプーン曲げで一世を風靡したユリ・ゲラーなどの影響もあり、何らかの仕方で超能力は実在するのだろうと思い込まされていたところがあります。


――私も1970年代生まれですが、小学生の頃に超能力や『ノストラダムスの大予言』などがテレビで大々的に放送され、恐怖を感じたのを覚えています。より最近の作品ではどうでしょうか?

超能力に覚醒した神的人間が悪魔的勢力と対決する、あるいは、霊的に進化した新しい人類が旧い人類を淘汰する、という物語であれば、それこそ数え切れないほど存在していますよね。有名な作品で言えば、『機動戦士ガンダム』や『AKIRA』とか、『鋼の錬金術師』とか。

私は大学生の頃、『ふしぎの海のナディア』や『新世紀エヴァンゲリオン』など、庵野秀明監督のアニメ作品のファンになったのですが、今から考えればこれらの作品も、霊性進化論を基調とした物語だったと思います。『ナディア』は、高度な知性を備えた「アトランティス人」という宇宙人がひそかに地球を支配しており、人工進化によって地球人を創造したという内容であり、本書で触れた霊性進化論者のひとり、エドガー・ケイシーの歴史観ときわめて似通った物語でした。

また『エヴァンゲリオン』は、「ゼーレ」と呼ばれる秘密結社が地球を支配しており、「人類補完計画」によって人間を神的存在に人工進化させようとする物語ですね。人類を進化させるためには、「使徒」を含め、旧人類をすべて粛清しなければならない。その計画をめぐって主人公たちの抱く葛藤が、物語の主題に据えられているわけです。

このように霊性進化論は、サブカルチャーの領域にも広く浸透しており、私たち自身も知らず知らずのうちに、その種の世界観に深く魅了されているところがあります。同時に、アニメやSFの物語では、そうした思想に由来する革命論や粛清論の危険性に対する警鐘が鳴らされてもいるわけです。今後、サブカルチャー批評の分野においても、霊性進化論という思想潮流の存在が正しく認識されるようになればよいのですが。

オカルト思想が栄え続けるワケ
――では、最後の質問です。霊性進化論というオカルト思想は、なぜ社会に蔓延し続けるのでしょうか?

大きな原因として、現代社会における霊魂観の貧困化、より具体的には、霊魂観の個人主義化、さらにはオカルト化、といった問題があると思います。

古今東西の諸文化の中で、「霊魂」に相当する概念を持たなかったものは存在しないと言っていいでしょうし、また近代以前の社会では、さまざまなバリエーションがあったにせよ、宗教と社会、宗教と政治が、なんらかの形で密接に関連していました。人間が死んだらどうなるのか、死者をどのように弔い、彼らの遺産をどのように継承していくのかといった事柄に関して、社会的な合意やルールが存在していたわけです。

――つまり、「死」がよりパブリックなものであったと。

はい。というより、むしろそれは、公共性の中心を占める事柄でした。ところがヨーロッパにおいて、宗教改革後の16~17世紀に宗教戦争が頻発し、それまで信仰によって一体化を保っていた社会が、むしろ信仰をめぐって争いを起こすという事態が引き起こされてしまった。そうした中で、どのような形の信仰が正しいのかを公的には決定しないという合意が成立し、それが近代における「政教分離」原則のバックボーンになっています。以降、霊魂観や信仰をめぐる問題が、公の場で議論されることは少なくなりました。

ただ、忘れてならないのは、現在のように「死後の世界」や「弔いの作法」に関する社会的な共通了解が存在しない状況というのは、長い人類の歴史においても、きわめて特異的な事態であるということです。政教分離をはじめ、近代の諸原則は、確かに一定以上の必然性や必要性から生みだされたものであり、それらを軽視することはできません。しかし、そこになんの問題も存在しないかといえば、そうではない。個々の人間の死に対して社会がどう向き合うのかということは、今も決して避けて通ることができない問題です。

――その空白を突いているのが、オカルト思想ということでしょうか?

そうですね。こうした状況に対して、本来であればまず、宗教の歴史や構造についての体系的な認識方法を提示し、問題の所在を明らかにする必要があるのですが、残念ながら現在の宗教学は、その任を十分には担えていません。その結果、一部の人間が考え出した恣意的な霊魂観が大手を振ってまかり通るという状況を許してしまったのです。霊性進化論は、そうした霊魂観のひとつであると言えます。そこでは、霊魂の存在が、社会や共同体という具体的基盤を喪失して個人主義化するとともに、「宇宙」や「霊界」という抽象的存在と直結するものととらえられるようになった。たとえば「宇宙における私の魂の霊的ステージ」などといった考え方ですね。こうして現代の霊魂観は、誇大妄想的でオカルト的な性質を帯びるようになったのです。

このような霊魂観を克服するためには、「魂とは何か」という問題をあらためて公に論じ合い、社会的合意を形成しなければならないでしょう。しかしそれは、いつ、どのような仕方で可能なのか。率直に申し上げて、現状では、私にも見通しがあるわけではありません。ただ、その前段階として、先ほど述べたように、現在の社会が抱えている困難や弱点の構造を、可能なかぎり明確化しておく必要があるのだろうと考えています。”

(オウム真理教を創始した麻原彰晃は、若い頃、高橋信次の著作を愛読。
GLAが発展する際には、『幻魔大戦』の平井和正が関与していたと言われている。
『幻魔大戦』の作画は石ノ森章太郎。
大物は全員なんらかの形でオウムとオウムの先祖(大本など)と関係があるだろう。
石ノ森の『ギルガメッシュ』は、
要人を殺害しクローンに替え、 老化度合いも合わせる技術があり、
人類始まってからずっと権力者の後ろには悪魔の姿の宇宙人がいるという設定。
結社員すぎる。

桜花
‏ @maiadaisy82
2015年1月18日
平井和正さんの娘さん、平井摩利さんの火宵の月は昔読んでた。
今はスピリチュアルな人になってたのか……Facebook見に行ってびっくりした

Female Trouble@百合の迷宮
‏ @yuri_no_meikyu
2018年7月8日
石ノ森先生、デニケンの引用とか、古代文明ネタも多かったよなあ。

小山田浩史
‏ @magonia00
2018年9月8日
石ノ森先生、宇宙考古学(デニケン的な意味での)好きだったんだろうな。というかオカルト全般。
『ブルーゾーン』とか #100分で石ノ森章太郎





80年代半ば〈月刊ムー〉や〈トワイライトゾーン〉に登場し、80年代後半から週刊誌がオウム批判や、坂本弁護士行方不明の疑惑報道を始める。ところが91年ごろから、主にカルチャー雑誌などが麻原を取り上げ、著名人らと対談させる。91年12月30日には『TVタックル』でビートたけしと共演。
1件の返信 255件のリツイート 203 いいね
ナカネくん
‏ @u_saku_n
2018年7月10日

急にメディアが好意的になったのは、90年の衆院選のインパクトが大きかったせいだろうか?(ぼくは中学生だったが、あの歌は覚えている)
1件の返信 154件のリツイート 131 いいね
ナカネくん
‏ @u_saku_n
2018年7月10日

よく〈月刊ムー〉はオウムで叩かれるけど、90年代の他の媒体も、十分影響力があったんじゃないかな。麻原が登場した雑誌は〈03〉〈別冊太陽〉〈スタジオ・ボイス〉〈i-D JAPAN〉など。メディア露出と信者の加入者数の比較…のような調査はされていないのだろうか?
3件の返信 243件のリツイート 208 いいね
ナカネくん
‏ @u_saku_n
2018年7月10日

雑誌は図書館や古本屋でまだ探せるけど、麻原が出演したテレビ番組は、youtubeの違法アップでしか見られないというのが、なんとも。
メディアとオウム真理教の関係を調べるには、どんな番組でどのように扱われたかもカギのはず。
2件の返信 223件のリツイート 205 いいね
ナカネくん
‏ @u_saku_n
2018年7月10日

テレビ番組は、雑誌・新聞・書籍などの文字メディアと比べると、あまりにも事後調査ができない。そこで番組のアーカイブ化が必要となるのですが、これはこれで「事後検閲」に繋がるという意見も。
thepage.jp/detail/20150803-00000003-wordleaf …
1件の返信 198件のリツイート 171 いいね
ナカネくん
‏ @u_saku_n
2018年7月10日

個人的には放送しちゃった番組に「検閲」のしようはないと思うけど、「報道の自由を脅かす危険がある」という意見がある。しかし放送後の番組に圧力が来たら、それこそ「報道の自由じゃ」と言って跳ね返せばいいのでは。それが言えないということは、やはりメディアが弱体化しているように感じてしまう
0件の返信 183件のリツイート 199 いいね

会話の終了

ナカネくん
‏ @u_saku_n
2018年7月10日

ナカネくんさんがをリツイートしました

どんな内容か気になっていたんですが、リプで教えて頂きました。
https://twitter.com/Tanaka_Kei/status/1016594955614031872?s=19 …

ナカネくんさんが追加
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0件の返信 63件のリツイート 52 いいね

新しい会話
犬神博士
‏ @inugamihakushi
2018年7月10日

返信先: @u_saku_nさん

荒俣先生が本物の宗教者だと褒めた雑誌もありましたね。
1件の返信 26件のリツイート 32 いいね
ナカネくん
‏ @u_saku_n
2018年7月10日

〈03(ゼロサン)〉91年6月号ですね。
0件の返信 18件のリツイート 29 いいね

会話の終了

澤村康
‏ @suwamura
2018年7月10日

返信先: @u_saku_nさん

「小学館の学習雑誌」って親が内容に目を通すってことが意外と少なかったせいか、オカルトとか性とかけっこうアレな特集記事とか多かったですよ。
0件の返信 14件のリツイート 10 いいね

新しい会話
初回特典大ライス
‏ @kosakinium
2018年7月10日

返信先: @u_saku_nさん

直接関係のある話ではないですが、同誌ではその数ヶ月後に『霊界案内人REIJI』(1992年4~6月号)が連載されます。名前を直接出してこそいませんが完全に幸福の科学のPR漫画で、作者はこれ以降幸福の科学系の各媒体で布教漫画を描きますが2012年頃に脱会を表明しています。
1件の返信 38件のリツイート 29 いいね

他1件の返信

新しい会話
もふ⋈きち(゚ω゚)
‏ @LCW_mofu
2018年7月10日

返信先: @u_saku_nさん

学研の「UTAN」で昭和の終わり頃に載せてた記憶があります。空中浮揚とか、ヘッドギアとか。
1件の返信 15件のリツイート 11 いいね
ナカネくん
‏ @u_saku_n
2018年7月10日

〈UTAN〉は最初、科学雑誌として始まって、途中からオカルト雑誌に路線転換しましたね。88年2月号に「麻原彰晃のエジプト・ミステリアスツアー ピラミッドの謎を超能力が解く!?」という記事があることを確認しています。
他にもまだまだあるかと。
1件の返信 17件のリツイート 17 いいね
もふ⋈きち(゚ω゚)
‏ @LCW_mofu
2018年7月10日

科学雑誌からオカルトになって、最後は環境保護過激派になって消滅しましたね…「学研」の「科学」大人版的な扱いで学校から定期購読のチラシもらった覚えもあるのですが。それなりに有名でしたよね麻原…
0件の返信 8件のリツイート 11 いいね

会話の終了

新しい会話
堀井敏之@スフィウスLAB
‏ @imachorii
2018年7月11日

返信先: @u_saku_nさん

私は小学館「ワンダーライフ」でライターしてたので、こういうネタ詳しいですが、これは知らなかったです。小6編集長から清田君の事は聞いてたのですが、これ知ってたら全力で止めてたのにな〜!新見が友人の先生の所に地震兵器の事を聞きに来ました。


(オウム教祖の空中浮遊の例の写真が元の絵が登場。)




(A、さいとう・たかを、手塚治虫と語り合った対談集『漫画超進化論』(1989年)
石ノ森章太郎がホスト役となって、小池一夫、藤子不二雄A、さいとう・たかを、手塚治虫という豪華メンバーとともに語り合った対談集『漫画超進化論』(1989年)。文庫版が河出書房新社から4月8日発売予定。

手塚
「出版産業そのものが崩壊するという、
これは全然別のアクシデント。
もっと違うメディアが世界を席巻する。
テレビなんかは時代遅れで、
もっと違うメディア。
そうすると出版なんてものは、つまり活字文化とか、
印刷文化とかいうのは自己崩壊してしまう。
そういうことも起こり得ると思うんです。

今の文化の進展のスピードからいくと、
本当に何が起きてもおかしくないんですね。」)


神智学も霊性進化論もパチモンのグノーシス主義。
「肉体=物質=邪神が創造した悪」に基づく肉体憎悪、物質蔑視がないなら偽物グノーシス。





2018年10月17日
大抵は弾圧されて消えたグノーシス主義だけどマンダ教は唯一残ってるグノーシス主義系宗教

2016年12月7日
コーランにある「啓典の民」にモーセ、イエス、ムハンマドなどの預言者を否定するマンダ教がある事

2016年11月21日
マンダ教
「洗礼者ヨハネの言葉こそ至高」
2016年10月30日
キリスト、ユダヤ教の預言者を偽物呼ばわりしてるのにマンダ教を啓典の民とするイスラーム教

2016年10月28日
マグダラのマリアはイエスの妻って言うのはマンダ教でも言われてる




(達人になるほど入門で最初に習う技だけで事足りる。
ただの普通の突き蹴り投げ関節とか
ただ歩いただけとか。
歩けば即ち武)

Angeliqua@nap master@Ripple1975
契約の虹のお話はGDのニオファイト儀式に出てくるもので、秘儀参入の三要素となるもの。
実際、それ自体が奥義ともいえるものですし、あとに出てくるものはすべてそれを敷延したものといえるでしょうね。

尤も、最初の儀式こそまさに奥義であると理解するのは5=6になってからのことだと思うけど。

事実上、GDには0=0の儀式よりもすごいものなんて出てこないから。

少なくともわたしはね、それよりもすごい儀式文書を知りません。

本当に大切なものっていうのは隠されていないもの。隠してるのはそれを見る人の目によるものだから。

そうだと思いますよ、隠されていない奥義を開陳できる人なんていないのですから。

だから奥義がほしいのなら今なら50ドルも出せば本屋さんで売ってますよって答えることにしてるの。

聖書も各国語に翻訳されてあふれてるでしょ?
そこがいいのです。お金リない人は小さなペーパーバックで無料配布されたりもしますからね。


本当に必要なものって巷に珍しくも無くあふれていないといけないからです。

希少性とその大切っさて大抵は反比例してるものですから、こと魔法においては。
大切なものほどひとは求めるものだからそのうちに巷にあふれ出すのです。
そうすると希少性がないから多くの人がそこに価値を認めなくなるのです。
それこそが大切なものほど石ころのようになる理由だもの。

鉛ほど黄金になるし、錫だって黄金になるのです。
その中に黄金を見つけられる人に手によれば。

想像してみて? 一部の権力者しか持っていない聖書や数学を教える教科書など。
そんなものにどんな価値があるのか? そういうものって石ころのようにあふれてないといけないのです。

6月15日
魔法の入門書をいくらよんでも読解しないという現象はよく起こるの。常識や思い込みがそれを著しく阻害してる。だから百回読んでもまだたりないというのは経験上思ってる。

わたしたちはあらゆる欲望によって現実を相当捻じ曲げてるのです。だから大切なのは自分の読解力をあまり信じないことかも? 完全に理性的な状態ってそう簡単には訪れないから。

オカルトに近づくのってたいていはいろんな欲望による。そしてその欲望によってオカルトを理解することを妨げているとすればなんて皮肉なことかしら?

仏陀を信仰する人ならば仏陀のようになりたいという欲望がそれを妨げるということになる。これもまた皮肉なお話ですよね。

欲望は悪いことなのか? わたしはそうは思わないの。ただ、欲望は習慣化するのです。だから自由意志によらず習慣で考えてしまうことが問題になってる。それだから意識的であろうとするのは欲望を制御することにもつながるの。欲望は自由意志によらなくちゃ。

なんのお話? アストラル制御にのお話です、専門用語を使うのなら。

思考(主に感情要因)の習慣化によって作られる仮想的体のことね、アストラル体というのは。
だから「欲望体」っていうの。

この用語をきちんと理解していないとお話がつながっていかないと思う。
どうしても霊視によってアストラル体を見るなど見かけの現象にとらわれてその意味するところを理解しないからです。

それだからそういった霊視能力と呼ばれるものを持つ人は相手の習慣をみてるともいえるのです。

例えば怒りを起点にして思考をつかうひとがいた場合、彼のオーラの色をそんな風に見てるのです。

こういうのが何のことかわかるようになると、霊視って結局なんだろうというのがわかってくると思います。

わたしがあまりオカルト用語を使いたがらないのは
その中身を理解しないまま用語を使っても誤解が生じるほうを恐れてるの。
中身が理解できれば用語も次第に紐解けていくから。

オーラを見る力はそこまでうらやむようなものではないと思います。あれば便利だよねと思う計測器みたいなもの。なくてもそれを使うことは出来るから。

善い道具が無くても素朴で基本的な能力である程度はカバーできるもの。精密機器を持っていても使い方をマスターしなくてはいけないから両者の条件は実はそんなに変わらないの。

今もってる能力を最大限に使うことを考えましょう。


たぶんね、いまあるものを最大限に活かせればほとんどのことはうまくいくと思うの。無いものをねだるよりはずっといいから。

誰もが最大の武器をその手に持ってる、すでにね。それを活かせるかどうかにかかってるから。
少なくともわたしはそう信じているの。例外なく誰でもがすばらしい力を持ってるって。
よい包丁を買うよりもいまある包丁をいかに研ぐかなの。そうしたら切れ味抜群になるから。

よい包丁と普通の包丁の一番の違いはよい刃がどのくらい長持ちするかなのです。刃のつけ方を学べばそれがもっとよくわかります。自分の能力もそんなものだと思うのです。

凡庸な能力もきれっきれに研げば素晴らしい力を発揮するのにね、もったいない。
天才を凌駕するのはいつも究極の凡人だと思うの。そういう意味でわたしは凡庸であることを誇りに思ってる。

凡庸に生んでくれたことを一番母に感謝してるかしら?

無いものから何かを生み出すなんてそれこそ凡人にしかできないのです。天才はあるものから生み出しますからね。
愚者とは究極の凡庸のことだから。

「貧しいものは幸いである、天はそのひとたちのものである」というのは全くその通りだと思いますよ?

2019年6月16日
無いものを(実体を持たない)あるかのように見せるもの。それは大魔法でしょうね、現実世界における。

時間という取り決めの魔法、そして貨幣という未来の価値を先取りしてしまう魔法。どちらも大魔法なのです。

アストラル界に飛ばなくても現実世界は魔法だらけ。本当にそうなのです。

現実世界で普通に当たり前のこととして起こってる大魔法の数々、
それを見極めるほうが何よりも先なんじゃないかしら? わたしはそう思ってる。

現実を変えたいのならマルクト(この物質世界)から変えるのがセオリーですから。

そうはいっても金の先物取引なんて全くお勧めしませんけどね。それもまた魔法の流用だもん。


車輪がころころと走り出したときは誰の目にもどこへ向かうかは明らかなの。でも、回転を始めたときを見逃さないのが占いの重要な点ということなのです。あとはそれに本人が気付きさへすれば理由付けが勝手に行われる。
すると思ったところに車輪が転がりだすのです。
占いは兆候の察知の道具なのです。

ぶっちゃけていうとプロファイリングを行う人と占い師の区別ってできないのよ。話術とその心理の動きに長けているとすれば。

わたしたちは無意識的にいろいろなものを受け取ってますからね。
そのサインを何によって(その道具で)表面意識で知覚出来るようにするかの問題なのです。特別な道具を必要としない人も当然いますから。

勿論、占いの道具や水晶球を必要とする人もいます。それはひとそれぞれですけどね。
あとはそう、そのサインを見逃さないようにすることと判断を間違えないようにすることくらいかも知れません。
大切なのはたぶん、自分の心との会話のときに誠実であることくらいでしょうね。
それを妖精だの天使さんだのと呼んでもかまわないのだけど、結局はそういうことだと思うの。

それがタロットだとしたらタロットの天使が教えてくれるっていいますけどね。
その中身、実質はそれをなんと呼ぶかとは関係ないですから。

無意識というのは海洋や地底と大差ないと思います。わたしたちは陸地のことを多く知ってるけれど、まだ海の底や地底深くについてはよく知りません。知ってることといえばごく一部でしかないのだからまだまだ手探りでその秘密を探す段階なのです。
陸地なんて地球全体のごくわずかしかなくて、それは顕在意識と大差ないと思うの。

何も知らないんだよね、本当に。自分自身のことですら。

こころを使う方法で何が合うかはやってみないとわかりません。あるひとはダウジングや水晶玉でうまくいくかも知れない。ある人はタロットや占星術がむくかもしれない。こればかりはね、いろいろとやってみないとわからないの。

インスピレーションがよく働いて比較的いつでも使えるのならそれがそのひとにとってよい方法ですから。
伝統? 伝統をあまり重んじないのが伝統かもね、わたしのところでは。

星の導きにしても姓名判断にしても、何かをきっかけとしてインスピレーションを得るものだからなの。だからそれが強く浮かんだとき、逆理を優先します。
きっかけとなる理屈を優先してしまうとうまくいかなくなるからです。
そういう手順ってジェットコースターの助走みたいなものだから。

正しい手順などあると思った? もしそうだったらこんなにタロットのスプレッドが開発されているはずも無く。ただあるのは心を働かせるのに都合のよい雛形があるだけなのです。
そのいずれかの方法でうまくいくならそれでもいいし改良してもいいのです。

うん、そのひとにとってやりやすい方法があるだけよ?

全ては自分の手になじむように工夫するの。なんといっても同じ心を持つ人は二人といないのだから。

それゆえに占いもまたアートの一種なんですよね。

(度量衡の統一も魔法)


お読みくださり感謝!
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