Text by Daisuke Sato
つねに「急成長」を枕詞にしてきたインド経済が失速している。一時期は8%台の成長率を記録していたアジアの新興国に何が起きているのか? 共同通信ニューデリー特派員の佐藤大介氏が現状を鋭く分析する。
インド経済に灯る10の危険信号
インドが内外に示してきた「経済成長」の旗印に陰りが出ている。
8月30日にインド政府が発表した4~6月期の実質国内総生産(GDP)成長率は、前年同期比で5.0%増にとどまり、四半期ベースでは2013年1~3月期以来、およそ6年ぶりの低い伸び率となった。
14年にモディ政権が発足して以降、一時期は四半期ベースで8%台の成長率を記録していたが、いまやその勢いにはブレーキがかかっている。いま、インドの経済に何が起こっているのだろうか。
9月25日付のインド経済紙「ミント」に、興味深い記事が掲載されていた。「インド経済、10の危険信号」との見出しで、さまざまな経済指標が「Red Flag(危険信号)」の領域に入っていることを記した内容だった。
同紙は、乗用車の販売台数や鉄道貨物輸送量、平均賃金など、独自に選んだ16の経済指標のうち10項目が、過去5年間の平均値を下回る「危険信号」と判断した。いずれも公式に発表されている数字ではあるが、それを一覧にすることで、インド経済の低迷ぶりを如実に示すこととなった。
経常収支はまだ危険信号になっていないものの、貿易収支の悪化や原油価格の上昇によって予断を許さない状態にあるとしたうえで、記事の最後を「インド経済の勢いは史上最低にまで減速したかもしれないが、底を打ったとする証拠はまだない」と結んでいる。
こうした低迷の主な要因になっているのが、GDPの過半数を占める個人消費の冷え込みだ。4~6月期は前年同期比の3.1%増にとどまっており、前年同期が7.3%増だったことを見れば、その落ち込み具合がわかるだろう。
失業率は過去最悪
個人消費の冷え込みを最も反映しているのが、自動車(新車)の販売台数だ。
インド自動車工業会によると、8月の国内乗用車販売台数は前年同月比で31.6%減少し、10ヵ月連続で前年割れを記録する事態となった。インド自動車最大手でスズキ子会社のマルチ・スズキは、同月の販売台数が36.1%減少。在庫調整のため、9月7日と9日の2日間、国内2工場の操業を停止する異例の事態に追い込まれている。
自動車販売の不振は、部品製造業者や販売店など関連産業にも大きな影響を与え、100万人規模の失業者を生んでいるともされている。それは、モディ首相が就任当初に打ち出した製造業の強化政策「メーク・イン・インディア(インドで作ろう)」を骨抜きにするとともに、GDPのさらなる低下を引き起こしかねない危険性をはらんでいるのだ。
この背景を探っていくと、家計の悪化と貸し渋りという2つの要素が浮かんでくる。
2018年の失業率は、都市部の男性が7.1%となるなど、統計をさかのぼれる過去45年間で最悪の水準となり、雇用問題が深刻化している。雇用が不安定になれば、それだけ懐具合が苦しくなるのは当然のことだ。格付け大手CRISILによると、農家の平均世帯収入の伸び率は、18年までの5年間が平均3.6%だったものの、18年はゼロとなった。
インドの労働人口に占める農家の割合は半分以上。物価の上昇を考えると、実質的に収入はマイナスとなっており、当然ながら消費に回せるカネは少なくなる。そうなれば、自動車はもとより、あらゆる商品の売れ行きが低下することになり、経済の成長を阻害することは明白だ。
また、収入が少なくなるなかで消費を維持しようとすれば、借金に頼らざるを得なくなってくる。
だが、国営銀行は不良債権問題が深刻化し、リスク回避のために貸し渋りの姿勢をとり、多くの借り手はノンバンクに向かうこととなった。しかし、ノンバンクは銀行に比べて金融システムが脆弱で、大手が破綻すればすぐに流動性が低下し、貸出の審査条件が突然厳格化するなど、不安定さを露呈する。
結果として、市場全体に「買い控え」の空気が拡大する結果を生み出した。
「経済成長」という看板と「経済の低迷」という現実
こうした状況に対し、インド政府は充分な対応を打てていない。
自動車に関しては、インド政府は7月に、新車の登録費を600ルピー(約900円)から5000ルピーへ、一気に8倍以上値上げすることを発表していた。だが、販売不振に慌てたのか、8月になって20年6月までの延期を決定。政府の各部局に課していた新車購入禁止令を撤廃するなど、需要回復へのてこ入れ策を打ち出した。しかし、需要回復に向けた兆しは見えないままだ。
一方、自動車業界が求めている新車購入に関わる税率を28%から18%に引き下げることは、税収確保の観点から難色を示し、実現に至っていない。自動車業界からは「政府内での利害対立から意見の調整が進まず、最も効果的な減税策を行うことができていない。これでは、展望が開けない」(マルチ・スズキの関係者)といった不満の声も漏れている。
インド政府は8月以降、法人税の減税や銀行の統合といった経済政策を次々と発表している。法人税は実効税率を30%から約25%に引き下げる内容で、民間投資を促進することを目的としている。
だが、これによって1兆4500億ルピーの税収が減少する見通しで、大規模な景気刺激策を打ちづらくなるというマイナス面もはらむ。特に、人口が増加しているこの時期に道路などのインフラの整備や、教育への投資を積極的に行わないと、将来に大きな禍根を残すことになる。
5月に発足した第2次モディ政権は、24年度までにGDPを5兆ドルまでに成長させることを公約に掲げている。そのためには少なくとも10%の成長率が必要で、現在のスピードでは到底手が届かない。
「経済成長」という看板と、経済の低迷という現実を前に、モディ政権の険しい舵取りが当面続くことになる。
PROFILE
佐藤大介 共同通信ニューデリー特派員。1972年、北海道生まれ。明治学院大学法学部卒業後、毎日新聞社入社。長野支局、社会部を経て2002年に共同通信社入社。2006年、外信部配属。2009年3月~2011年末までソウル特派員。著書に『オーディション社会韓国』(新潮社)、『死刑に直面する人たち』(岩波書店)などがある。
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