分かりやすかったのが、YouTubeの対談における立花氏の「『虐殺』発言」と、それに対する他党からの批判を伝える報道だ。
これは、立花氏と地方議員による超党派団体「龍馬プロジェクト」全国会会長の神谷宗幣 (そうへい)氏の対談での発言で、世界の人口増加問題について理想論的な解決策を語る神谷氏に対し、立花氏が人口増加を止める手段としての戦争や、「下等な人類については潰してしまうという無茶苦茶なこと」を、「やれとは思わないし、やるべきではないと思う」と付け加えた上で言及したものだった。
一方で、マスコミは前後の文脈を無視し、立花氏は〝ジェノサイド(民族大虐殺)〟を容認する思想の持ち主であると一斉に報じた。
今後N国党をめぐっては、このような「情報の非対称性」に基づく対立が拡大していくことが懸念される。
「情報の非対称性」とは、分かりやすく言えば「どのメディアに依存しているか」で「見ている風景が異なる」という状況を指している。N国支持者からは一般人がリテラシーのない「情報弱者」に見え、反対に一般人からは、N国支持者こそがカルトに洗脳された「情報弱者」に見えるのだ。この両者の溝、分断こそが「戦線」となる。
しかも立花氏は、このような炎上を招く「非対称戦」をわざと仕掛けているふしがある。「炎上の種」となることを理解した上で発言し、いわゆる「マスコミによる印象操作」を誘発することによって、ソース=YouTubeを参照するフォロワーや、コアなファン層を獲得するのである。
立花氏は自身の言動に関して、オリジナルコンテンツだけでなく、公式の会見や取材を受ける際の動画もYouTubeにノーカットでアップしている。「非対称戦」における「武器庫」として、自らのすべての言動を、誰もが閲覧可能な状態にするためだ。
ここで重要なのは「非対称戦」で優位に立つのは、道義的に「正しい」側ではなく、あくまで「物語」を支配する側であることだ。
P・W・シンガーとエマーソン・T・ブルッキングは、ソーシャルメディア時代の「注目争奪戦」において、「物語」が人々に定着するかどうかを決めるのは「シンプルさ」「共鳴」「目新しさ」の3つだと述べている。
〈「いいね!」戦争はどれも、具体的な目的(候補者を売り込む、譲歩を勝ち取る、戦争に勝利するなど)を念頭に置き、対立者(自分たち以外の人間や集団や国家)を相手にして行われる注目争奪戦だ。勝利を収めるには、アテンションエコノミーのバイラル性と気まぐれさに対する理解と、「物語」、感情、信憑性をコミュニティ構築と絶え間ないコンテンツの供給(情報氾濫)と融合させて伝える能力が必要だ〉(*)
立花氏はYouTubeチャンネルを通じ、NHKに代表される既得権益層の打破という「シンプルさ」、マスコミなどの敵対勢力に向かう怒りや不満への「共鳴」、筋書きが読めない展開が続く「目新しさ」を提供している。つまり、この3つの要件すべてを満たしているのである。