再開された表現の不自由展で再び論争が起こっているようだ。
しかし、騒動に燃料を投下しているまとめサイトでは重要な情報や作品全体の情報が抜け落ちているため、本来の議論ができていない。
そこでちゃんと議論するためにも最低限の情報を確認したいと思う。
制作者は誰か?
問題の作品を制作したのはアート集団、チンポム(Chim↑Pom)
アートに興味のある人なら名前はよく聞くと思うし、アートに興味がない人でも2008年、広島の被爆地上空に飛行機雲で「ピカッ」の文字を描く作品を制作し大きな問題となった事や、2011年に渋谷駅にある岡本太郎の壁画「明日の神話」に原発事故を思わせる絵をゲリラ的に付け足しこちらも大きなニュースとなった事を覚えているかもしれない。
何れも放射能に関する作品で物議を醸している。
問題となった作品は?
そして今回、表現の不自由展で問題視されている作品も同様に放射能に関してである。
『チンポム 気合の100連発』
これは最近制作されたものではなく、2011年震災直後のビデオ作品である。
作品は相馬市で実際に被災した若者ら(と多分チンポムのメンバー)が円陣を組んで各々がそれぞれの想いを叫び気合を入れる作品となっている。
それが、今回表現の不自由展という話題性の高いイベントで注目を浴びる事となった。問題となったのは映像の中で
「相馬市最悪」
「放射能最高」
「放射能出てるよ」
「もうちょっと浴びたいよ」
というフレーズがあった事で、反日的、被災者を侮辱しているとして話題となっている。
拡散されている映像はアート系のチャンネル動画で過去の展示状況であり、作品全編ではない。というより重要な部分が抜け落ちている。また、まとめサイトでは「最悪」等の少数の言葉だけが提示され、作品全体の他の大多数の言葉が抜け落ちているので確認が必要だ。
「相馬市最悪」と「相馬市最高」
「相馬市最悪」と言っているが、その後「相馬市最高」とも言っている。彼らは生まれ育った相馬市を最悪と思っているわけでもなく、被災者であると同時に復興活動を続け街の惨状を目の当たりにしている。被災し十分な支援や救済が行われない(手が届かない)「相馬市の実情」を最悪として生の声を伝えている。
「相馬市の酷い状況」は最悪だが、「生まれ育った街相馬市」は最高であると考えると自然な事で、批判されるような事ではないだろう。
誰でもあれほどの震災で被災者となり生活すらままならない状況になれば最悪と思うし、早く街をなんとかしたいという苛立ちをぬぐえないだろう。少なくとも復興活動を実際にしていた彼らが「相馬市」を最悪と考えるはずもない。
抜け落ちた作品中の被災者の言葉
次は一番の問題「放射能」関連のフレーズだが、その前に完全なオリジナルではなく音楽のリミックスが入ったものだが(叫びの部分は見られる)公式で全編があがっているので確認してほしい。実際に被災した若者たちの叫びとして。
Ki-Ai 100 (rebuild dance mix)Chim↑Pom x Why Sheep?
「ふざけんな原子力」
「日本最高」
「自衛隊ありがとう」
「ボランティアの人たちありがとう」
「立谷市長がんばれ」
「新地町もがんばれ」
「浪江町もがんばれ」
「あきらめんな」
「福島最高」
「車ほしい」
「イカ食べたい」
「ほうれん草買って」
「海に行きたい」
「相馬のイチゴは最高」
「可愛い水着の女の子に会いたい」
「漁師になりたい」
「今年は彼女つくるぞ」
「俺も彼女つくるぞ」
「お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんありがとう」
「友達が欲しい」
(順番適当、聞き取れない音声や要約あり)
他にも多数。
日常の些細なモノへの願望や、東北のアピール、応援、感謝、などなど様々なメッセージが叫ばれている。これはとてもリアルな被災者の声ではないだろうか?(すべての被災者を代弁しているとは言わない)
何故「放射能最高」と叫んだのか?
そして問題は、後半にある「放射能最高」についてだ。
「放射能最高」「もうちょっと浴びたいよ」「放射能出てるよ」などは終わる直前に集中し、まるでネズミ講や詐欺集団のセミナー、宗教団体の集会のように「放射能最高」が連呼される。
これを聴いて直ぐに思い出したのが
これだ。
この映像作品は「すべてアドリブ、一発撮り」公式説明されているが、私は終盤の「放射能最高」「放射能最高ですか?」のくだりは作品の制作意図として誘導的に行っていると考える。
前半のリアルな想いや感謝が次第に円陣という特殊な状況(ある種の催眠状態と高揚感)上記の団体のみたく集団催眠にかかったように、本来おかしなものにすら「最高」と答えてしまう状況を生み出している事を演出している。
そして、もっとも大事なのはこの映像作品では最後にその「放射能最高」を否定して終わっている事だ。
「放射能出てるよ」
「放射能最高」
「放射能最高」
「放射能最高」
「放射能最高ですか?」
「放射能最高なんですか?」
「もうちょっと浴びたいよ」
「放射能最高じゃないよ」
と催眠が解けたかのように完全に「放射能は最高じゃない」と否定。
そして、困難な道だが手を取り合って未来へ進むことを誓い終わる。
これは「放射能最高」と主張したいわけでもなく、被災地や日本を馬鹿にしているわけでもなく盲目的にいつの間にか「最高」と言ってしまっている(思ってしまっている)のに無自覚な人を表現し、最終的にはそれを否定(脱却)する作品。
以上がこの作品だ。念のために記しておくが、現在あいちトリエンナーレの表現の不自由展には足を運んでいないので、実際の展示作品がオリジナルと同じとは限らない。(内容を変えたとは考えづらいし調べた限りしていない)
ただ作品全体を通してみるのと、切り取られた部分だけ見るのとでは印象が変わるかもしれない。
作品をどう評価するのかは各自にゆだねられるべきで、どういう意図であれ「放射能最高」という言葉を発するだけで許せないという人や、「放射能出ちゃってる」というフレーズに納得できない人がいるのも当然だろう。ただ、批判するのも評価するのもどちらでも構わないが、最低限の情報は共有した上で考えてみると良いと思う。
因みにだが、過去問題になった広島の作品や岡本太郎の作品。
その後、被爆者団体と交流し共同作品を作ったり、岡本太郎記念館での企画展など行われており、単なるお騒がせではなく、その後のリアルな交流として作品が生み出されている点は評価されるべきだろう。