「表現の不自由展・その後」が中止になった「あいちトリエンナーレ2019」。文化庁は、運営に必要な補助金約7800万円について、全額不交付にすることを決めた。
表現の不自由展をめぐっては、慰安婦像を表現した少女像や昭和天皇をモチーフにした作品などに抗議が殺到し物議をかもした。萩生田光一・文科相は「(展示の)中身についてはまったく文化庁は関与しておりません」と述べているもの、もはや「後出しじゃんけん」だ。
あいちトリエンナーレに作品を出していたアーティスト集団「Chim↑Pom」 のエリイさんは、「文化の根幹を揺るがしますね。何を名乗って『文化庁』ですか」と怒りをあらわす。
一方、SNSなどでは「アートをやりたいなら自費でやればいい」という意見もある。果たしてそうだろうか?
現在、オーストリアのウィーンで展覧会に参加中のエリイさんにSkypeで話を聞いた。
文化に対する失礼な態度に怒り
今回の文化庁の決定は「日本の文化全体の危機」だとエリイさん。
「文化庁の決定は、文化に携わっている人たちはもちろん、日本で生活している全員の根幹の問題。私個人としては、参加アーティストの一人として、というよりも一人の人間として『文化』の名前を掲げている文化庁が、文化を牽引しないどころか屈してしまい、文化に対して失礼な態度をとったことに怒りを覚えた」
8月1日に展示を開始した「表現の不自由展・その後」は開催3日目で中止に。その後、展示の再開を求めて参加アーティストたちがアクションを重ねてきた。
エリイさん含む6人で構成される「Chim↑Pom」も、展示再開を目指す「ReFreedom_Aichi」への参加を表明し、メンバーの卯城竜太さんが会見に参加したが、エリイさん個人としてはこれまで発信をしてこなかった。
しかし、今回の文化庁のケースだけは次元が違ったという。萩生田光一文部科学相は否定するが、展示内容を理由に国が補助を自由にやめたり、交付したりできれば「検閲」ともとられかねないからだ。
「検閲は絶対に許しません。今回の文化庁の話は、文化に携わる人間にとって生命の根幹に関わること。私は文化を愛している。権力をかざして私の愛する文化を冒涜することを黙って見過ごすことは出来ない」
「アートは自費でやれ」批判
今回、芸術監督の津田大介さんや展示の再開を求めて立ち上がったアーティストたちに対して、SNSなどでは「そんなにやりたいなら自費でやれ」などの声も出ていた。文化庁の決定に対しても、同様の反応をする人たちもいる。
エリイさんはこうした態度を「結局、自分の首を絞めているということに気づけていない」と指摘する。
「そもそもChim↑Pomは行政からの助成金ありきの活動には慎重で、自費で大きなプロジェクトをやる態度を貫いてきました。けれど、そういう個々のアーティストの話と今回の件は根本が違う」
「アートや表現は自分には関係ないからやりたい人だけやってろ、という考えの人や、この件に無自覚な人には、目覚めよ、と言いたい。俺には関係ない、私はそういうんじゃないからって思っている人は、害を受けていることに気づかず加担している。自分にブーメランみたいに返ってくるんだから、今ここで食い止めておかないと取り返しがつかないことになる。このままでは日本国民の民度がどんどん下がっていくことへの危機感があります」
「なぜ文化が民度に関係してくるかというと、人は文化を通して異種多様な考え方や物事の見方に気付けるわけです。他者の考え方や全く知らないことを自分の身に出来る。もし自分の考えが間違っていても、違う価値観を知ることで気付いて自分を訂正することができる。文化は、ものごとの見え方を多角化してくれる重要な役割。文化が廃れば、本当ならもっと選択肢があるのにそれに気付けなくなって、自分たちの首をしめることになる」
日本だけでなく世界中の国や地域でアーティスト活動を展開するエリイさんは、海外と比べても「日本人はアートに関心がないと感じる」という。
「そんなにやりたければ自費でやればいい、という根本から見当はずれな意見が出てくるのが、市井に現代アートが浸透していない証拠です。今回の件は国が金で表現の自由を奪おうとしてるんです。助成金を出す人たちにとって都合のいいアーティストの作品ばかりになれば、ますます真のアートと国民の距離は離れる」と危機感をにじませる。
「気合い100連発」に込めた思い
文化庁の「後出しじゃんけん」のような対応に怒りをにじませながら、「検閲はいまにはじまったことではない」とエリイさんはいう。
現在、Chim↑Pomは、オーストリア・ウィーンにある「ミュージアム・クォーター」という美術館で開催中の展覧会「JAPAN UNLIMITED」に参加中だ。震災後の福島で、現地の若者たちとChim↑Pomメンバーが円陣を組み、彼らが連れて行ってくれた被災した港で声を出して気合いをいれていく様子をおさめた「気合い100連発」、及びそれを再編集した「堪え難き気合い100連発」という映像作品を展示している。
「2014年に、(国際交流基金が日本公式参加の主催者となっていた)バングラデシュのビエンナーレで『気合い100連発』を展示しよう、となったことがありました。その時、Chim↑Pomのスタジオに基金のスタッフがやってきて、作品に登場する単語についてNG部分がある、と言われました。こうしたことはこれまでいつも、メールなどの記録には絶対に残らない形で行われます。その時は別の作品を出しましたが、当時のことや他の”検閲”事例をリークする形でまとめた展覧会『堪え難きを堪え↑忍び難きを忍ぶ』を2015年、自分たちで運営しているスペースでひらきました」
「検閲は数年前から忍び寄っていた。手遅れになる前に意識を持てる人を増やさなければならない。そんな気持ちを込めた出展でもあります。文化への意識を上げていかないと、曖昧な考え方の人や立場の人たちも、気づかないうちに検閲側に回ってしまう事もあるのだと思います。私は私たちのスタジオにまでやってきた職員の方の顔を覚えています。悪気があるわけではない、本人だってそんな事を言いたくて仕事してるわけじゃない。気の良さそうな方たちでした」
『堪え難きを堪え↑忍び難きを忍ぶ』展では、「福島」や「放射能」などの単語をあえて「ぼかす」形で映像を再編集。「堪え難き気合い100連発」と名前を改め、展示したという。この作品はその後、ニューヨークのグッゲンハイム美術館に買い取られ、収蔵された。今回の「表現の不自由展」にも展示された作品だ。
「Chim↑Pomが含まれた展覧会で国際交流基金などの団体から助成金がおりなくても、展覧会の主催者は、他の助成先を探してくるまでです。何があったのか、自分たちに起きたことの過程はウィーンでも他の国でも、展覧会やトークを通して観客に伝えます。日本の恥の現状を世界に知らせることになりますが、権力に忖度しても権力は守ってくれません。私たち芸術家は絶対に屈してはいけない」
炎上からはじまる対話、アーティストの役割とは?
Chim↑Pomは表現の「自由」とともに、その「暴力性」とも向き合ってきたグループだ。
2008年には、広島原爆ドームの上空に飛行機雲でピカッという文字を描いた作品を発表し、被爆者への配慮に欠けるなどの批判を浴びた。
「炎上」からはじまる対話の可能性をどのように実体験してきたのだろうか。
「実は被爆者団体への謝罪会見をした時は、謝られている団体側も市に半ば連れてこられた形で、何が起きたのかすらほとんど知らされてないままの会見でした。本当の交流がはじまったのはそのあと。(会見の時の雰囲気が)何かおかしいなと思ってリーダーがタウンページを使って被爆者団体の代表の電話番号を調べて連絡を取り、趣旨を説明をしたのが交流の始まりでした」
「その後、彼らとは作品を一緒に制作したりもしました。広島市からは、世界中から寄せられて置き場がなくなった折り鶴を私たちが作品に使わせてもらえるよう協力をいただいています。今年の夏には折り鶴をニューヨークに持って行って展示しました。加害国にもかかわらず原爆についてほぼ知らない現地の人に話をしたり、折り鶴の意味を伝えたりしました。作品が起点になって、ものの見方や生き方の選択肢が広がり、変化が起きます」
いま、多くのアーティストが日本での表現活動に不安の声をあげている。アートの力を信じ、実践してきたエリイさんは最後に、アートへの希望と決意を語った。
「今回のように文化を冒涜する存在に対しては怒りを示し、日本の現代アートを成熟させていくのが私たちの役割。文化庁のような国家権力という意味でのパワーじゃなくて、作品の説得力がもつパワー。作品が良ければ、それは説得力を持ち、人智を超える事ができるという作品至上主義が私の基本的な考え方。これからも強度を持って制作します。私はアートを愛してる、アートも私を愛している」
◇「 #表現のこれから 」を考えます◇
「伝える」が、バズるに負けている。ネットが広まって20年。丁寧な意見より、大量に拡散される「バズ」が力を持ちすぎている。
あいちトリエンナーレ2019の「電凸」も、文化庁の補助金のとりやめも、気軽なリツイートのように、あっけなく行われた。
「伝える」は誰かを傷つけ、「ヘイト」にもなり得る。どうすれば表現はより自由になるのか。
ハフポスト日本版では、「#表現のこれから」で読者の方と考えていきたいです。
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