深くにあるもの | 世界はあたしのお庭なの

深くにあるもの

テーマ:My life

誰に話すでもなく、自分自身が感じてきたことを書こうと思う。


内容は性についてのこと。
男性、女性の性(セクシャルマイノリティも含む)。性行為の性。

現世のあたしには割と疎遠なものだったけれど、数年前から思考の中心になっていったものでもあった。
興味や好奇心からではなく、自分の置かれた状況の中で自然と。
今は過去世を見ながら、性というものが自分の人生に深く関わっていたことを知っていっている。
今の人生で避けていたわけではないのだけれど、過去世の影響から疎遠なものになってしまっていたことを知った。
ここにきて深く触れていけていることに、不思議な感覚と興味、言葉では表現しきれない気持ちを覚える。
そして、この世界の性というものが、本当にこれで良いのだろうか?という気持ちにもなる。

あたしは母親になって、子供達に心豊かになる性を体験してほしいと思っていた。
それが…こんな形で自分自身が性というものと向き合うことになるとは思ってもいなかった。
人生というものは不思議なもの。
過去世の記憶があろうとなかろうと、自分がどんな体験をして何を感じて生きるかなんて分からない。
誰かの行動一つ、出来事一つで、自分の置かれている状況は変化し、感じるものも常に変わっていく。
そんな不安定な中で生きている。
今のような体験をしているのは、今置かれている状況だからこそ。
そんな中で書けるものを書いてみようと思う。


あたしは酷く単純だったなと思う。
人に好意を持って、お付き合いするようになって、性的な関係を持つ。場合によっては逆になることもあるかもしれないけれど、お互いが好意を抱く=性行為に進む切符みたいな感じに思っていた。
好意無くしてはありえない。
これは今でも基本的には変わらないのだけど、そんな風にちまっと纏まった感じで表せるくらいのものが、あたしにとっての性だった。
お付き合いをするのは男性と女性(セクシャルマイノリティの場合もあるけれど)だから、自分の性を明らかに意識することが出来る。
お付き合いをしていると、一般的には自然な流れ?で、性行為に向かっていくものだしね。
性行為は男女間の気持ちを確かめ合うコミュニケーションツールみたいなものだと感じていた。
あとは、子供を作る行為。

だからなんだろうな。
性行為自体にそれほど関心が無かったのは。
今これを書いていて思った。
あたしは人と人は心で繋がることが一番大切だと思っていたから、話し合いの中でお互いの心を合わせていくことが大事だと思っていた。
こういうことは同性異性関係なく、年齢や立場関係なく全て同じで、誰でもしようとさえ思えば出来る事。誰でも出来ることだからこそ、それが最も必要なことだと思っていたようだね。今分かった(苦笑)
性行為は補助的なものにしかならないと感じていたんだな、あたしは。

位置的に言ったら凄い下だよ。
顔を合わせての話し合いが最高位だとすると、性行為は20番目くらい。
それくらいの位置だったかもしれない(苦笑)

そんな考えで人生を送っていたあたしが、ここに来て変化してきた。
よーへいとの向き合いが始まってから変化はしてきていたものの、20番に毛が生えたくらいでしか無かったと思う(ゴメンね汗)。
何故毛が生えたくらいでしか無かったかというと、答えは一つしかない。
知ろうとしていなかったから。
性というものの先にあるものを知ろうとしていなかったから。

あたしが変化してきた大きな切っ掛けは、クレオパトラの過去世と紫式部の過去世を比べる機会を得たから。
今までの人生の中には無かった貴重な経験。
なんか凄い…。
この言葉しか出ないな。
何が凄いって…全てが凄いと思った。

性を超えた先にあるものって、男女の性の違いでもなく、性行為で得られる快楽や安らぎでもなく、同じものを持つ者の重なりなんだなと思った。
言葉にするともの凄く軽くなってしまうんだけど、同じものを持つ者の重なりっていっても、普通は意味が分からないと思う。
しがちな解釈は、性行為で一体感的なものを感じるアレ。
でもそれじゃない。

深く深く自分を掘り下げていくと、行き着く先には自分の持っている欲求や望みの塊みたいなものがある。
この世界に初めて自分が生み出された時…多分その時から持っているものだね。
もしかしたら、それが「自分」というものかもしれない。
どんなに歳をとっても、生まれ変わっても恐らく変わらないもの。
そういうものが確かに見えてくる。
それが外に出るのが性行為なんだね。

ただ、決して簡単に出せるわけじゃない。
むしろ出せない方が一般的なんじゃないかと思う。
もうこの時点で、意味の分からない文章になっていると思う。
性行為=いやらしいとか、性行為=男女の交わりという域を超えられない状態だと、この文章は全く意味の分からない文章になってしまうな(笑)
ツインレイみたいな神聖なものと捉えるのも違う。
自分の中にある認めたくない自分を認めて、どうしようもない自分に嘆きながらも生きようともがく者が、自分には無い美しさとか、潔さとか、エネルギーとかを相手を通して感じ、そこから抜け出せなくなってしまう底無し沼のようなものかもしれない。
あたしはそんな風に感じた。

だから思ってしまう。
いやらしさって何だろう?って。
この世界では、セクシーさとか、いやらしさが、性行為の必需品みたいになっているけれど、深いものを見ていくとそういうものは段々消えていって、脳を無闇に刺激したり興奮させたりしなくても、お互いを重ね合わせることが出来るように思うから。
元が重なっていれば、脳の刺激なんてものはまやかしみたいなものでしかなくなる。
相手を誘う香りも、仕草も要らない。
それが先にあって行為がついてくるようなものは、脳を単に誤魔化しているだけでしかない。

でも…。
ある意味それくらいの方が良いのかもしれない。
離れられる関係でいられるからね。
だって、天国なのか地獄なのかよく分からないんだけど(苦笑)
過去世を見ながらそう思うよ。
もしもそこまでいっていなかったなら、きっと今は無かったから。
そしたらよーへいも玄師も苦しまなくて済んだろうにと思う。
あたしは二人を想うことはなかったと思うし。
正に底無し沼。
ズルイあたしは、輪廻転生なければ問題無かったのにねと思ったりもするけれど…。
自分が苦しむのは嫌だけれど、大事に感じる人が苦しむのはもっと嫌だから。
過去世の自分が大事に想った人も同じ。
嫌なものは嫌。
嫌だけれど、苦しんでいる姿を受け止める人間でないと、大事な人なんて言葉は使えない。
苦しまない人間なんていないから。人は苦しみ方を知って生まれてくるからね。

だけど、苦しみの中でしか感じられなかったものは確かにある。
誰かから教えられた道では決して辿り着けない場所は確かにある。
性行為の行き着く先ってそんなところ。
頭で考えすぎるとパンクしてしまうよ。

巷で、ネット等で語られている性行為のテクニックややり方は、まるで紙っぺら。
学校で習うものも、一般的に話されてるものも。
自分はこの先何を見ていくのか分からないけれど、今までの人生では見てこなかった景色を見るのは間違いないだろうな。
目で見るのではなく、心で見る景色ね。
それがどんなものにしろ、受け止められる自分でいたいと思う。
女であるあたしが女であることを受け止めて、自分の中にある可能性と向き合うなんていう機会は、今の自分だからこそ訪れたものなんだろうなと感じる。
20代や30代の頃の自分では無理だったろう。
受け止められないし、あっても気付かずにスルーしてたよ。

よーへいと玄師の性格や表し方、生まれた場所や置かれた環境。周りにいた者達。
あたしの性格や表し方、生まれた場所や環境。
周りにいた者達。
それらを考えると、ここに向かったのは必然なんだろうなと思う。
誰一人、どんな状況一つ欠けてもここには来なかった。
遠い遠い昔、初めて生まれた日から全てはあったのだろうね。
ここに辿り着く種を持って、あたし達は生まれてきたのだろう。