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2019-10-07

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・冗談のように思われるかもしれないけれど、
 趣味というやつは、ほんとうにおそろしいものだ。

 人は、ひょっとすると「趣味のためなら、
 人生を棒に振ってもかまわない」と考えることもある。
 どういう類いの本気なのかはわからないけれど、
 趣味のためなら、本気で生命を賭けてしまうこともある。
 そうなりかけたことのある人なら、わかることだろうが、
 まったく「どうかしている」のである。
 生きていくためには不要不急のものであるはずなのに、
 生きることを疎かにしてでも、それを守ろうとする。
 趣味に身を投じてしまったご本人でも、
 そのばかばかしさについては、わかってはいるのだ。
 それでも、そっちへ行ってしまうことがあるのだ。

 わりに近くにいる某球団ファンの女性が、
 「毎日、その球団の今日や明日のことを考えるのが、
 つらくて、苦しくてしかたがない」と言う。
 うれしいときでも悲観的なことを想像してしまうし、
 チームが不調になったらじぶんの身体まで不調になる。
 「いっそ…」と言う。
 「野球の悲しみを忘れられるように、
 じぶんの身に、もっと悲しいことがあればいいのに」と、
 切実な表情で告白するのであった。
 ん〜〜んっと… バカである。
 大馬鹿者であるし、とてもまちがっている。
 しかし、彼女のその気持を、
 「判らぬでもない」と思ってしまうじぶんもいるのだ。

 もともと、なにかの趣味に非常識なほど熱狂する人は、
 ほんとうの「もっと悲しいこと」を見たくないから、
 趣味やら娯楽の世界に足を踏み入れるのではなかったか。
 それなのに、趣味が高じると、
 「たのしみのための遊び場」のほうの重みがまして、
 そっちのほうが「もっと悲しいこと」になってしまう。
 こころが、真っ逆さまにひっくり返ってしまうのだ。
 まぁ、どんなことでもそういう逆転はあるよね。
 なにかのために「金さえあれば」と思っていたはずが、
 金のためになんでも犠牲にするようになっちゃうとかね。
 「おちつけ」と言うしかないものなんだろうなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
まるっきりの大人になるなんて、できるもんじゃないしね。


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