無責任に「一人で死ね」ということと、倫理に基づいて「一人で死ねと言ってはいけない」ということって、結局誰の死に対しても等分に思い入れが無いという意味で、コインの裏表なんですよね。人の死に対して受けるインパクトを、他人が評価することは慎むべきだといまだに思ってる。
なんせずっと地下鉄サリン事件について考えてきた研究者なんで。人の死って盛り上がっておしまいにして良いことじゃない、というのは原則だと思います。
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殺した人間と、ひっそり自殺した死者を同列に考えているわけはないんです。他人が一人で死ねと言われている事で、弱っている時に自分が言われているかのような錯覚を起こしてしまう人が居るだろうという。公衆の予防のような考えなんだと思います。でもこれも先生は考え済みなのかなと思います
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でも、殺した人間に怒るのはごく自然の感情です。言えない方が不自然だなと思います。直後ほど激しい怒りが発生するものだと思うし(その後静かで強い怒りも出る人もいるとは思いますが)自重する必要があるのが変なんじゃないかと。
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先生が仰るように、ツイッター空間で誰もが見られるようになっている事で苦しくなってしまう特殊性があるから、自然な感情である「一人で死ね」ということを我慢しろと言われたりしてしまうんだなと思います。
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そういう強い怒りを押し込められるのはまたおかしなことで、何か解決のためのシステムが必要なんだろうなと思います。もっと別の方法で、自重のような押し込めではなく、解決が必要なんじゃないかと思います。
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地下鉄サリン事件の話、きちんと一度勉強してみたいと思っています。あまり自分と変わらない位置にいた人間(物理学をやっていたりする)がいたりするので、気になっていたりします。先生は死をずっと考えてきたんだろうと思っていました。
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