「貯金ができない」インドネシア人介護福祉士が不安を抱えながらも施設で働きたいと思うこれだけの理由
- 介護業界が人材不足に苦しむ中、再び同勤務先に戻ってきた
- 「外国人は手間がかかる」施設内の反対意見を一蹴
- 制度では扶養家族に勤務制限があり収入に限界が
ふたたび日本に戻ってきた
メイダ・ハンジャダニさんは現在38歳。インドネシア人の夫との間に4歳の息子がいて、さいたま市内で暮らしている。
原則毎朝、メイダさんが息子を駅近くの保育園に預け、そのまま電車に乗り勤務先へ。午後4時のお迎えは夫の仕事だ。
勤務先は2駅離れたところにある介護施設・ケアポート板橋(東京・板橋区 理事長・竹川 節男)。2017年9月から働いているが、実はこの施設では以前にも働いていたことがある。インドネシアに戻り、夫と結婚。子供を授かった後、ふたたび同じ施設で働くことを希望し、戻ってきたのだ。いま、息子は日本の大学を卒業してほしいと思っている。
介護業界の人材不足は年々深刻化している。EPA=経済連携協定に基づき、日本は2008年からインドネシア、フィリピン、ベトナムから外国人看護師などの受け入れを開始した。メイダさんはこの第一号。この制度では3年の実務経験ののち、国家資格である看護師か介護福祉士に合格すれば、日本に永住することが可能となり、彼女は見事一発合格した。しかし、その後も日本で働き続けてもらわなければ、“抜本的な解決策”にはならない。
そうしたなか、なぜ彼女は合格ができ、さらに日本に住むことを選んだのだろうか。
制度を利用した第一号のインドネシア人女性
メイダさんはもともと看護に興味があり、本国では看護専門学校を卒業。「外国人が日本の介護業界で働くことは可能なのか」という研究に参加し、3ヶ月間来日。そこでヘルパー二級を取得した。その後、ふたたび来日して一級を取得。さらにその翌年から二年間、神奈川県・川崎市内の老人ホームでアルバイトをした。
2008年にインドネシアに帰国し、地元の病院で働こうと面接を受けた際、EPAによる受け入れ制度が始まったことを聞く。もともと日本の文化に興味があったので「これはチャンス」と思い、参加した。
ちなみに、勤務先は本人の希望と、その候補者を見た日本の施設側による希望がマッチングしたときに初めて成立する。
メイダさんは日本語ができ、さらに老人ホームでのバイト経験があったことがケアポート板橋の目にとまった。
しかし、なんせ第一号。彼女も初めてなら施設側も初めての経験だ。
ここから試行錯誤の生活が始まった。
「外国人は手間がかかる」という反対意見を一蹴
そもそも「外国人に一から教えるなんて余計に手間がかかる」と施設内に反対意見があった。しかし、いざメイダさんを受け入れてみると、バイトの経験があったから基本の仕事が身についている。日本語を勉強していたからコミュニケーションも問題なし。反対していたスタッフたちの見る目がかわった。
施設側は定期的にメイダさんのために勉強会を開催。当時責任者で現在施設長の村上隆宏さんは、彼女が不安を抱かないよう、常に連絡がとれる体制を整えた。
3年後、本人の努力の甲斐もあり、見事、介護福祉士に合格。永住資格を得たのだが・・・インドネシアにいる恋人と結婚するために帰国。彼を呼び寄せることもできたのだが、本国で子供を作りたかった。そして無事、子供が生まれたのが2015年。それから二年後に、ケアポート板橋に再び戻ってきた。理由のひとつが「コミュニケーション」だった。
村上さんはインドネシアに戻ったメイダさんと定期的にメッセンジャーなどで連絡をとっていた。だから、彼女がふたたび日本で働きたいとおもったとき、真っ先に手を差し伸べた。それがメイダさんの安心につながった。
日本では、村上さんが住まいを一緒に見て回り、さらに保育園も探した。夫が働けるように、と彼と一緒に入管を訪ねた際「“配偶者”は資格外活動ビザがなければ働けない。勤務先が決まっていれば話は別」と言われれば、村上さんは家の近くの工場に外国人労働者が出入りしている光景を思いだし、何の縁もなかった工場に掛け合って夫を採用してもらい、ふたたび一緒に入管に赴いて「許可」を得た。
徹底的にサポートし、メイダさんとその家族の不安を払拭していったのだ。逆にいうと、ここまでしなければ、家族で異国に移住するうえでの彼女たちの不安を払拭できなかったのかもしれない。
村上さんによるメイダさんの受け入れの経験から、ケアポート板橋ではその後、生活班・勉強班・仕事班のチームを作り、現在総勢10人でその後も受け入れ続けている外国人のサポートを行っている。
ちなみに、メイダさんを初めて受け入れたとき、村上さんがひとりですべてを担っていた。
「貯金ができない」夫は週28時間しか働けない
しかし問題はまだある。
制度的に、扶養家族、すなわちメイダさんのケースでいう夫は週28時間しか働けない。「生活は出来るけれど貯金ができない」と、メイダさんは顔を曇らせた。夫の時給は970円だ。
だから、息子に日本の大学を卒業させてあげられるのか、その学費について不安を抱いている。
施設側も不安を抱えている。
村上さんによると、現在、各国300人の募集枠に対して日本側の採用希望数はおよそ1000人。圧倒的に足りていない。
さらに、ずっとEPAを見続けてきた村上さんは、応募者のレベルも落ちていると感じている。当初、応募者はほとんどが日本語で自己紹介をしていたのに、いまは日本語が出来ない人がほとんどらしい。
一方、日本人の応募者はというと・・・介護業界を目指す人がどんどん減っていて、今や新卒も中途採用も、募集をかけてはみるがまったくといっていいほど応募がなく「来たらラッキー」というレベルだそう。
人材不足が加速するなか、倍率は上がるのにレベルは落ちる。
それが村上さんが現場で感じているリアルな現状だ。
ちなみに、2019年4月に改正入管法が施行され、「特定技能1号・2号」という在留資格が創設されたことで、介護や建設、農業など特定の職において外国人の就労が可能になった。
施設としては、ぜひ制度を利用して外国人に働いてもらいたいと考えているが、まだ制度が始まったばかりで、日本と各国との間での取り決めが各々の国で異なり、さらに受け入れ時点での外国人のレベルなどまだ不透明な部分が多いため、現状では様子見だという。ただ「日本に来てさえくれたらEPAで培った外国人受け入れのノウハウはある」として、来年度以降、特定技能での受け入れも検討している。
村上さんは「せっかく日本に来てくれるのならば、日本でもっと働きたいと思ってもらいたい。お金を稼ぐため、というひともいるだろうけれど、そうした“労働力”としてではなく、長く働ける人を育てていきたい」と語る。
彼女の人一倍の努力と、村上さんをはじめ施設側の徹底的な支援体制がマッチングして、はじめてメイダさん一家は日本に永住する道を選んだ。
制度をただ作れば人材不足が解消するわけではない。外国人介護福祉士が「永住」の道を選ぶまでに、双方にこれだけの努力があることを忘れてはいけない。