ついに消費税率が10パーセントに引き上げられてしまった。万民の痛憤紅涙、措く能わざるところである。
由来、進んで税金を払いたいものなどいない。だからこそ国や自治体は、戦前から「納税思想の涵養」、つまり納税意識の啓発に励んできた。
もっとも、天地を逆さにできないように、嫌な税金を簡単に好きにさせられるはずもなく、その試みは常に苦難と苦笑の連続であった。
戦前日本の納税美談は、その典型だった。どんな苦境にあっても、「納税義務の重大なるを痛感して、『――何はさておいても税金だけは!』と、叫びながら納税する人」を取り上げた物語がそれである。
当局は、勇ましい軍国美談を使って国民の士気を高めたように、感動的な納税美談を使って国民の納税意識を高めようとしたのだ。
もっともありがちなストーリーは、父や祖父の滞納税金を、子や孫が貧窮に耐えながらなんとか工面して代納するというものだった。
納税美談を読むのは大人だから、その良心を刺激しなければならない。そのため、可憐な娘や孫娘の訴えもよく活用された。つぎは、孫娘が滞納者の祖父を涙で責め立てるものだ。
なんとも可愛げのない孫娘である。
こうした納税美談は、境遇が貧しければ貧しいほど、美しく光り輝いた。ただ、あまりに悲惨すぎると、「取り立てが厳しすぎるのでは」「税金が高すぎるのでは」と、政府批判につながりかねないというリスクがあった。
もっとも、幼い子供の代納を美談と讃える、その発想自体がおかしいのだが。