国家権力が表現を弾圧するのは、現在でも幾らでも事例があるけど、同時にみんなの意見、つまり世論というのも、表現を弾圧するし、それは圧倒的に正義に見えてしまう。そういう圧力からの防波堤を作るには、硬直的に表現の自由を守る制度を入れてしまうしかないのです。志じゃ世論には勝てないのです。
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「硬直的に表現の自由を守る制度の方が国家にとって意味がある」という理屈を考えるのが本来的にはリベラルな人の仕事であって、表現の自由を理由として国家制度を直接攻撃してはダメなのです。なぜなら、国家という制度は、硬直的に表現の自由を維持するためには絶対に必要な仕組みだからです。
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良くも悪くも、近代国家以上に優れた社会制度は今のところ無いし当面出てこなさそうなので、近代国家という仕組み自体を批判するのは無理筋なのです。もちろん、今の近代国家の運用が下手という批判は大事です。制度自体の否定と現行運用の否定とは、結果として似ることもありますが全然違うのです。
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近代国家制度を肯定するけど現行運用を否定する場合、現行オペレーションの欠点と改善案を示さねばなりませんが、それは属人的な問題にしてはダメで、制度の変更でなければなりません。個人の責任にしたり個人に期待してはダメです。個人は、山吹色のお菓子をもらったりすると思想信条が変わります。
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間違えた。えー、だから、個人攻撃ではなく「制度の改革」を訴えるのが、民主的で法治主義な近代国家の手続きとして正しいのです。問題は、その改革した制度、今後まともに機能するのかどうか、です。そして、困ったことにこの予測は無茶苦茶難しいのです。未来を予測することと同じなので。
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最後にちょっとライフハック。Twitterでは表現の自由周りでいろいろなネタが日々出ますが、俺は少なからぬ話題を無視します。その判断基準は「制度の改変に至らないものは全部無視」です。属人的な批判も全て無視して大丈夫です。国家でも民間でも、「制度」の改変になる話題だけ、考えれば良い。
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