プロ野球で歴代最多の400勝を達成し、ロッテで監督も務めた金田正一(かねだ・まさいち)さんが6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため都内の病院で死去した。86歳だった。左腕で長身から投げ下ろす速球と大きなカーブを武器に国鉄(現ヤクルト)、巨人でプレー。野球評論家、タレントとしても活躍し、多くの球界関係者から親しまれた。通夜・告別式は近親者のみで執り行う。喪主は長男・賢一(けんいち)氏。後日「お別れの会」を行う予定。
◆偉大すぎる数々の大記録
■投手編 ▼不滅の400勝&4490奪三振 50年に享栄商を中退して国鉄入り。国鉄で15年(50~64年)、巨人で5年(65~69年)と通算20年間で944登板、プロ野球最多の5526回2/3を投げ400勝、4490奪三振をマーク。2年目の51年から、「14年連続20勝以上&200奪三振以上&300イニング以上」は今後、破られることはないであろう金字塔。
▼巨人戦最多の65勝 400勝の内訳は国鉄353勝、巨人47勝。カード別に分けた勝―敗、完封数(円内)は
広島90〈19〉31 巨 人65〈14〉72
大洋77〈15〉54 アトムズ9―7
阪神74〈14〉66 松 竹9〈4〉5
中日73〈15〉61 西日本3〈1〉2
(大洋は現DeNA、アトムズは旧国鉄、産経、現ヤクルト。松竹、西日本は消滅)
広島戦の90勝は1人の投手が同一チームから挙げた最多勝利。巨人戦は唯一の負け越しだが、対戦投手の最多勝だ。歴代2位の82完封を記録したが、古巣のアトムズ戦だけは、マークできなかった。
▼2ケタ奪三振 1試合10奪三振以上の2ケタ奪三振(延長試合含む)を、歴代最多の103度マーク。70度で2位の野茂英雄(近)に大きく水をあけている。奪三振数別の回数は
奪三振(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)
回 数442513844311
67年6月7日大洋戦で、1試合最多奪三振(9回)のセ・タイ記録となる16奪三振。延長試合では、58年に5月27日広島戦(13回完投)で18K。6月19日大洋戦(14回完封)で17K。
52年は6月25日広島戦9K(7回)、28日松竹戦(9回)、7月15日中日戦(11回2/3)と2試合連続15K。3試合連続合計39奪三振(2試合合計30奪三振)もマークした。
▼64回1/3連続無失点 58年4月30日広島戦5回から、5月27日広島戦10回(10試合)まで、4試合連続など5完封を含め、プロ野球記録の64回1/3連続無失点(この間72奪三振)。
他に65年9月12日広島戦8回から、10月8日の中日戦9回まで42回1/3連続無失点。56年(33回)、59年(39回)、62年(33回2/3)30イニング以上の連続無失点をマークした。
▼0、1安打試合 51年9月5日阪神戦でノーヒットノーラン。57年8月21日の中日戦ダブルヘッダー第2試合でプロ野球4人目(当時)となる完全試合を達成。1安打完投が9試合(セ記録)で、無安打試合と1安打試合を合わせた“モストローヒットゲーム”は11度。亀田忠(黒鷲)の13度(無安打3度、1安打10度)に次ぐ2番目の多さだ。ちなみに2安打試合が19度、3安打試合も31度あり、打者にとって打ちにくい投手だった。
▼打撃の神様を本塁打0 通算100打席以上対戦した打者は65人。“打撃の神様”こと川上哲治(巨)を、通算254打席で241打数56安打、43奪三振の被打率・232。本塁打を1本も許さなかった。
長嶋茂雄(巨)は初対戦で4打席4三振。1年目こそ・179に抑えたが、通算(240打席)では211―66、31三振で・313(被打率3割以上は、児玉利一=中→大洋・321、近藤昭仁=大洋・300を加え3人)。最多の18本塁打を打たれた。
王貞治(巨)とは159度の対戦で、138―39([本]〈13〉)、40三振の・283。64年には7本塁打(シーズン同一打者最多被本塁打のプロ野球タイ記録)を献上した。
ちなみに最も多く安打されたのは吉田義男(神)。最多の377度対戦し95安打(328打数、[本]〈8〉)。打率・290で三振は15個だけ。59~64年に通算98打席連続、特に60~63年は4年連続(78打席)で三振を取れなかった。
■打撃編 ▼投手最多の36本塁打 投手登板時に打った本塁打は投手最多の36本(50~60年に11年連続)。他に代打アーチが2本ある(代打出場は108度)。55年にシーズン5発。62年も代打アーチ1本を含め、6本塁打した。また、55年5月26日の中日戦(投手・中山)、59年5月30日大洋戦(投手・秋山)でサヨナラ弾。開幕戦でも通算2発。
通算2054打数406安打、38本塁打、177打点の打率・198。投手の打率を見る場合、1割を足すのが妥当と言われており、金田の・198は打者の3割に匹敵する。
■大舞台でも ▼日本シリーズ、オールスター戦 2大舞台の投手、打撃成績は([本]なし)
【投手=勝―敗、防御率】
日12登板 6―3[防]3・00
オ28登板 3―4[防]2・35
【打撃=打―安、点打率】
日12試21―6 4・286
オ31試14―5 2・357
69年オールスター〈1〉戦の6回、セの代打で弟・留広(パ投手)と球宴初の兄弟対決。二飛に打ち取られた。
オールスター戦通算28登板、84奪三振は、現在も球宴最高記録になっている。
■弟も甥も ▼兄弟で日本一 ロッテの監督(73~78、90、91年)を8シーズン務め、通算471勝468敗72分け。2年目の74年は弟・留広が16勝(7敗)でパ最多勝投手、日本シリーズでも1勝。中日を破り、兄弟で日本一に輝いた。
▼投手一族 9人きょうだいのうち正一(国鉄=通算400勝)、弟の高義、星雄(ともに国鉄、1軍登板なし)、留広(東映・ロ・広=通算128勝)と4兄弟がプロ入り。そして全員投手だった。留広と兄弟ともに通算100勝以上で、合わせて528勝。兄弟そろって100勝以上は金田兄弟だけだ。さらに甥の金石昭人(PL学園高→広・日・巨)も通算72勝。3人合計で600勝をマークした。
プロ入りはかなわなかったが、甥の金田剛士も愛工大名電高→愛知工大→日通名古屋で投手として活躍。まさに投手一族だ。