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【芸能・社会】

〈記者メモ〉豊島将之名人と藤井聡太七段 天才2人の瞳に映る「風景」とは…

2019年10月6日 11時22分

豊島将之名人

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 「豊島先生は将来必ず名人になる人だ」

 そう強烈に思った瞬間がある。あれは2013年6月2日、愛知県一宮市であった「市民将棋大会」に豊島将之名人(29)=当時七段=が指導に来られた時のこと。この年の春は将棋界に激震が走っていた。コンピューターとの5番勝負・電王戦でプロ側が1勝3敗1分と惨敗。「棋士の敗北は歴史的必然」などと騒がれている真っただ中だった。

 豊島名人にファンから質問が飛んだ。「コンピューターと勝負したいですか?」。これに対する答えが明快だった。「将棋が強いというなら、それが何であれ、勝負したいと思うのが棋士。話があれば受けます」。さらに「勝てますか?」と聞かれると「自分の力を出し切れば負けることはないと思っています」とキッパリ言い切ったのだ。AI将棋の本質がどこにあるのか、既に見極めているような口ぶりだった。

 あの時点で「勝てる」と断言できる棋士は、そう多くなかったはず。これを聞いた時「さすが先生。将来必ず…」と思ったものだ。有言実行はその9カ月後。14年3月29日の電王戦第3局に登場した豊島名人が、数少ないプロ勝利局の中でも唯一といっていい圧勝劇をやってのけたのは周知の通り。この年の電王戦は豊島名人以外、全敗だった。

 「天才」とは―。定義はいろいろあるかもしれないが、人には見えない「風景」がその瞳に映る希有(けう)の才能をそう呼ぶのだろう。

 思い起こすのは、16年11月に劇場公開された「聖(さとし)の青春」。腎臓の難病を患い、29歳で夭折(ようせつ)した村山聖九段を描いた同名ノンフィクション小説(大崎善生著)を映画化したものだ。そのなか、松山ケンイチが演じる村山九段にこんなセリフが出てくる。

 「羽生さんの見ている海はみんなと違う」

 羽生善治九段(45)にしか見えない「海」があるという。これこそ言い得て妙。それはきっと豊島名人、そして藤井聡太七段(17)にも当てはまる。藤井七段の場合、昨年の升田幸三賞に輝いた「AI超えの神の手・7七同飛成」が、その才能の一端を物語っていた。

 豊島名人、藤井七段とも「AIの申し子」と表現されることがある。だが、これはAIを「鵜呑(うの)み」にすることとは対極にある。そもそも2人には自分にしか見えない「風景」がある。「風景」は「大局観」という言葉にも置き換えられるだろう。そこからAIを俯瞰(ふかん)し、その長短を把握できるからこそ、2人は自在に取捨選択し、自身の力に変えてこられたのだ。

 愛知県が誇る天才2人が、いよいよ王将リーグの大舞台で激突する10月7日。それぞれの「風景」をぶつけ合う、深遠な戦いとなるのは必至だ。(海老原秀夫)

 

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