「若いうちはやりたい事 何でもできるのさ~」。この歌に一体どれだけの若者が、勇気づけられただろうか。日本中に元気をくれたヤングマンよ、永遠に。
天下井 (西城)秀樹が63歳という若さで亡くなってから1年が過ぎましたが、まだ実感がわきません。'79年の発売から40年も経つ『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』(以下『ヤングマン』)が、若いアーティストにカバーされ、携帯電話(ワイモバイル)のCMで使われるのも、世の中全体が同じ気持ちだからじゃないでしょうか。
川崎 実は僕のデビューのきっかけは、秀樹さんなんです。'76年に関西ローカルの素人ものまねコンテストで、秀樹さんの振りマネをして優勝。それがジャニーさんの目にとまり、ジャニーズ事務所に入りました。
当時13歳の少年だった僕にとって、秀樹さんは憧れのスーパースターでした。『情熱の嵐』('73年)や『傷だらけのローラ』('74年)など名曲は数えきれませんが、記憶に残る一曲と言えば、やはり『ヤングマン』は外せません。
岡村 私は当時、レコード会社のディレクターとして秀樹の曲を数多く担当しましたが、結果として彼の最大のヒット曲(累計180万枚以上)に関われたことは誇りです。あのころ、秀樹はまだ23歳でした。
川崎 『ヤングマン』がヒットした要因といえば、やっぱり、あのノリのいいメロディーと、真っすぐなパワーに溢れた歌詞ですよね。特に「ゆううつなど 吹き飛ばして 君も元気だせよ」という部分には力強いメッセージを感じた。歌自体にも躍動感がありました。
岡村 原曲は、アメリカのディスコグループ「ヴィレッジ・ピープル」が歌っていた『Y.M.C.A.』。それを当時、秀樹のマネージャーだった天下井さんが、日本語に訳詞したんですよね。
天下井 ヴィレッジ・ピープルの原曲は、ゲイを題材にした歌詞でしたが、秀樹には「若者への応援ソング」を歌ってもらいたかった。なので、オリジナルにとらわれすぎないように訳しました。
3コーラス目の「青春の日々は 二度とこないから 思い出になると 思わないか」の部分は、さすがに自分でもちょっと臭いな(笑)と感じたのですが、秀樹は「これがいい。これで行こう!」と言ってくれて、安心したのを覚えています。