『またオタク得意の謎理論が出てきたが、とっくに想定内。
彼の理屈なら「京アニのことを思って何かできないかとアニメを目指します!」と奮い立つ、あるいは奮い立った人間も皆冒涜だ!となるだろう。
毎度毎度呆れるが、考えをまとめるのが絶望的に下手な生き物だ。


で、そこまでして何が言いたいのか?
これも簡単だ。
自分らを「被害者側」に置きたいのだ。

繰り返すが、逃げるなよ。
お前らは「加害者側」の人間だ。
アニメを日々ぶち壊す側の人間だ。

首を洗って待ってろ。
俺はお前らの「敵」だ、そう断言する。』



とオタクの敵を宣言する山本寛さんだが、後のブログにて。



『僕はどうも鼻っ柱の強い子が大好きみたいで、 齋藤飛鳥はもうどストライクなのだ。

根性の悪さを隠してブリブリ接してくる人間は死ぬほど嫌い。

 

彼女は隠さない。

であるがゆえに自然で、何より信用できる。

裏表のなさがいいんだよな。

今までそれで苦労してきただけに……。

 

自分の「核」を持っている。

状況に合わせない。

そもそもそれができる人間こそが、キャンディーズ以来の本当のアイドルなのだと思う。

 

乃木坂で今一番会いたい人です(さゆりんごごめん!)。』




齋藤飛鳥姫君へのこの書き方がオタクでないという事を誰か説明してくれないか?


この書き方自体が視る人によっては、キモヲタに分類されると思われるのだが?


特に、さゆりんごゴメンとか?


さゆりんごにわざわざゴメンと言っちゃう所が自覚なきオタクと思われるのだが?


同類嫌悪か?


少なくてもこの文自体は、オタクのニオイがただようのだが?


誰か、この人が乃木坂46の齋藤飛鳥姫君と松村沙友理姫君のオタクでないという事を証明してくれないか?


この人をそんなに知らない人が、この文を初見で見た時にオタクと思うのは避けられないと思うのだがな?


これほどのオタク臭をさせる文を書いておきながら、オタクの敵と言われるのは、謎のオタク論ですが?