私を育ててくれた企業との出会い
ニュージーランドに長く滞在するためには、就労ビザか学生ビザを取得するしかありません。
本当は、ホスピタリティコースに進み、学生ビザを取得したかったのですが、資金的に難しく、残された道は就労ビザしかありませんでした。
「なんとか私に就労ビザを出してくれる会社はないだろうか」
いろいろ探していたところ「インターン」として3か月無給で働き、仕事を認められれば就労ビザをサポートしてくれるという会社を見つけました。
その会社は、特に人手が足りていないわけではなく、優秀な人材であればビザをサポートする。というスタンスでしたので、私を一人雇用するということは、その分の人件費がかさむということになります。ですので、私に課せられた課題は、インターン期間の3か月の間に、新規事業や新規商品を立ち上げ、現存の商品以外のもので、私の給与分の売上を毎月出すというものでした。
当然、簡単な話ではありません。英語もたいしてできない私には、新規事業開拓など困難の一言でお先真っ暗。最初は諦めようかとも思いましたが、とにかくやるだけやってみようと、3か月間知恵を絞り、がむしゃらに働き、営業もして、広告も作成して、なんとか3か月で、私自身の企画で、私自身の人件費を毎月売り上げることのできる商品を開発することに成功し、就労ビザをサポートしてもらったのです。
結局その会社では、地震でクライストチャーチオフィスが閉鎖となるまで、8年間もお世話になり、その途中で、永住権も取得しました。
私が永住権を申請した当時は、永住権取得はそれほど難しくなく、私は一般職の「Receptionist」で永住権を申請しました。
すべての書類を揃えて移民局に提出した2週間後、移民局から手紙が届き、私は「書類受け取りました」というレターかと思ったのですが、開封してびっくり「永住権がおりました」という内容だったのです!たったの2週間で永住権がおりるなんて、本当に驚きです。しかも、弁護士などを使ったわけでもなく、すべて自分でやりました。
あまりにもあっけない永住権取得に、なんだか実感が湧かなかったことをよく覚えています。
8年というと、日本で働いたどの企業よりも長い期間働いていたことになりますが、その間、一度も「辞めたい」と思ったことはなく、自由に仕事をさせていただいていました。労働環境が良いせいか、オークランド本社のオフィススタッフも、長く勤務している人ばかりです。この会社に勤めることができたおかげで、留学や移住に関するたくさんの知識と経験を得ることができ、多くのお客様の人生の手助けができたのは、本当に何にも代えがたいことでした。
特に「相談にのる」「アドバイスする」「提案する」「お世話をする」という一連の仕事に関しては、「私の天職」と思えるほどに自分の居場所を確立することができました。
それこそ、仕事はオフィスにいる時間だけではなく、家に帰ってからも、週末も、いつでもお客様のメールがチェックできる状態にしておき、新たな問い合わせや、継続のお客様からのメールが来るたびに、そのお客様に最も良いであろうと思われるプランを考え、調査し、アドバイスをするのは、私の楽しみでした。
仕事内容だけ聞くと、ブラック企業と言われてしまいそうですが、それは「やりたくてやっているか」それとも「やらされているのか」の違いだと思うのです。私は自分がやりたくてやっていましたので、苦痛と感じたことは一度もありませんでしたし、むしろ楽しくて仕方がありませんでした。問い合わせのメールが来ているのに、それを放置しておくことの方が、気持ちがムズムズしてしまって落ち着かないのです。
そんな中、クィーンズタウンオフィスマネージャー兼任の辞令が出て、私は月に一度クィーンズタウンへ出張に行くことになりました。
そして、そこで、主人との運命の出会いがあったのです。