黄門ちゃま漫遊記

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№ 68 若宮印鐸大神社 (わかみやいんたく神社)

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 神社正面の拝殿です。鳥居等はなく元取山の中腹に鎮座されています。
 最初、所在が分からず、農作業をしておられた男性にお尋ねして教えてもらいました。
 その際、この場所は明治明治36年、日露間は険悪なムードで、ロシアとの戦いを想定した陸軍大演習が播磨平野を中心に行われた時、、明治天皇が元取山で統監されたことを記念して立てられた「駐蹕碑」があり、かつ、その際の休憩場所に神社が使われたとのことで、この神社には、天皇がお座りになったとき下にひいた「ござ」が残っているとのことで行ってみました。

所在地  姫路市四郷町山脇358
主祭神  神功皇后  ジングウコウゴウ
配祀神  大己貴命 武内大神                    
        オオナムチノミコト タケノウチノオオカミ  
由  緒
 当社の鎮座地は、山脇集落東方の小高い山(元取山)の西麓に位置している。この地区は山脇本村から転住して出来た集落で、新村と称しているが、氏宮である印鐸大神社からは少々遠い。そこでもとの氏宮からの分霊を勧請して「若宮印鐸大神社」と呼んで祀ったのがこの社である。
 もともとこの辺りは「籏野(はたの)」と呼ばれ、文化的にはかなり古くから開けた土地で、すでに『万葉集』にも「あられ降り甚(いた)も風吹き寒き夜や籏野に今宵あがひとり寝む」と詠まれている。地区内には旧山陽道が通り、播磨国国分寺にも近く、多くの遺跡旧跡が残されている。

 当社の創建時期は不明であるが、明治7年(1874)2月に無格社(兵庫県神社誌)として認められているので、それ以前から祀られていたものであろう。伝えによると、社殿の損傷がひどくなった大正初年(1912)頃から村内で社殿改築の気運が起こり、境内の松の神木一本を用いて本幣拝の三殿改築の大事業が行われたのが大正7年(1918)5月であったという。相当巨大な古木であったらしい。
                  

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 この道路は、西国街道から少し南に入った「御幸通」と呼ばれるもので、ほかに「御幸橋」と呼ばれる小さな橋が架かっています。
 この奥の小山が「元取山」で神社が鎮座されています。

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 御幸通りの突き当たりにある神社です。後ろからお参りすrことになります。


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 鳥居などはなく道路を曲がった先に社殿があります。



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 拝殿には多くの額が飾ってあります。



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 後ろからみた本殿です。

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 山頂にある駐蹕碑です。草木が生い茂り播磨平野は望めにくいです、
詳しいことは後日「西国街道」で。

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