お笑いコンビのAマッソがイベント中に「配慮を欠く発言を行った」として、9月24日に所属事務所のワタナベエンターテインメントは公式サイトで謝罪文を発表した。本人たちによる自筆の謝罪コメントも掲載されている。
問題となったのは、9月22日に行われたイベント内で、Aマッソが女子テニスの大坂なおみ選手に必要なものを尋ねられて「漂白剤。あの人、日焼けしすぎやろ」と答えたことだという。イベント終了後、参加者からSNSで批判の声が上がっていた。
私自身が現場にいてその場面を目撃したわけではないので、発言があったときの具体的な状況や話の前後関係は分からないが、報じられているような内容の発言があったとすれば、それはもちろん問題であるし、本人たちは十分に反省すべきだと思う。
ただ、個人的に気になったのは、この発言自体よりも、それにまつわるネット上での人々の反応の大きさである。想像以上に多くの人がこの話題に反応して、彼女たちに非難の声を浴びせた。また、多くのネットニュースサイトなどでもこのことが報じられていた。その扱いの大きさに驚いた。
繰り返しになるが、発言自体を肯定する気はない。もちろん公の場で差別的発言をするのは許されることではない。ただ、彼女たちの犯した罪の大きさに比べて、社会的制裁があまりにも大きすぎるのではないか、と感じられたのだ。
率直に言って、黒人差別とは多くの日本人にとってまだそれほど身近なテーマではない。日本を訪れる外国人の数は年々増えているとはいえ、一部の大都市や観光地や黒人コミュニティーがある地域を除けば、日本人が日常で黒人と接する機会はそれほど多くはないだろう。
黒人差別が根深い社会問題となっているのは、アメリカをはじめとする欧米諸国である。そこではいまだに黒人に差別心を持っている人が存在している。もちろんその背景には奴隷制という負の歴史がある。
だが、日本人の多くにはもともとそういう感覚がない。アメリカなどで白人のレイシストが持っているような本物の差別心を、黒人に対して抱いている日本人はめったにいないだろう。
だから、Aマッソの今回の発言も、彼女たちの内なる差別心の発露ではないと考えるのが自然だ。つまり、これは事件ではなく事故である。差別心から発した本物の差別発言ではなく、無知や誤解からたまたま生じた差別発言なのだ。
「だから彼女たちには罪がない」などと言いたいのではない。もちろん発言自体は問題である。ただ、本来、問題となるべきなのは「差別心」や「差別そのもの」であるはずだ。差別心による発言とそうではないところから出てきた発言は、区別して考える必要がある。
彼女たちは無知や不勉強・不注意によって問題発言をしてしまった。そのこと自体は反省すべきだが、個人的にはここまで大ごとにするほどの問題であるとは思えない。
今回のことで私にコメントを求めてきたあるマスメディアの記者からは「今のお笑い界では差別用語をどんどん言っていこうという風潮があるんでしょうか?」と聞かれた。あるわけないだろ、と思った。彼女たちに過剰なバッシングをする人の中には、このように芸人という職業を見下す「芸人差別」の意識がある人がいるのではないか。
実際、彼女たちに対するネット上の反応を見ていると、明らかに行き過ぎた差別的・暴力的・感情的な表現がしばしば見受けられた。黒人本人や、黒人を家族や友人に持つ者などが感情的になるのはまだ理解できるが、全員がそういう人であるとも思えない。
私がAマッソの2人をそこまで責める気になれないのは、彼女たちが人一倍言葉に敏感なプロの芸人だからだ。ただ目の前の観客を笑わせたい一心で、芸人はさまざまな創意工夫を試みる。「こういうことを言ったら相手はどう思うだろうか」というようなことを日常的に考え続けているのが芸人という人種だ。
そんなプロの芸人が限られた人数の観客の前でミスを犯した。もちろん本人たちは反省すべきだし、実際に深く反省しているだろう。そして、二度とそういうことがないように気をつければいい。それだけの話だ。日本中からバッシングを受けなくてはいけないようなことではない。
ネット上では「絶対悪を叩く正義」が参加コストの安い娯楽になっている。Aマッソは今回たまたまそれに巻き込まれただけだ。しつこいようだが、発言自体を擁護するつもりはない。ただ、彼女たちのことは全力で擁護する。お笑い文化を愛する私にとって、「芸人差別」こそが最も許しがたい差別だからだ。(ラリー遠田)