以下、前衛の街頭論文より、抜粋。 <高浜町ーー関電協力金9億円の怪> 彼の名は、一瀬敏昭。58歳。元高浜町議会議長である。度重なる“糾弾”と脅迫、心労のために、脳卒中で倒れ、一命はとりとめたものに、半身麻痺、言語障害をきたし入院、治療中であった。↓
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人差し指で彼は、私の掌いっぱいに大きく、一字一字ゆっくりと文字を書いた。「カ、ン、デ、ン、ノ、キ、ヨ、ウ、リ、ヨ、ク、キ、ン、ワ、9、オ、ク、ト、チ、ガ、ウ。ホ、ン、ト、ワ、25、オ、ク、エ、ン、ヤ…」…この人は原発を誘致した町首脳グループの一員ではなかったか。↓
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「関電が億のつくてんぼうな協力金をばらまいたらしい。欲どし、はしかい奴らがうごめいてとる」人々の口に噂がのぼりはじめた1978年4月、マスコミがこの疑惑を報じた。町民にはひた隠しの”ワイロ”として私物化していた町長・助役は窮地に立たされた。↓
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この金の預け入れ金融機関であった高浜町農協では、公表に先立ち吉野久男金融課長(当時)らが連日深夜におよぶ作業をすすめ、協力金の実際の受け入れ月日を改ざんした。こうして高浜町は8月になってようやく、「関電からうけた協力金9億円とその利子2800万円について」(町広報)発表した。↓
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この協力金は76年10月から翌年6月にかけ3回にわけて浜田倫三町長の「個人名義の預金口座」に振り込まれたという。9億円のうち「3億3000万円を昭和53年4月に町内の5漁協に分配した。あとの残りは、昭和52年9月補正予算から3回にわけて町予算に入れた」とのことだ。まだ続いた↓
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1979年9月町議会で、初当選した共産党町議の追及にしぶしぶ町長は「高浜1・2号機に関する協力金2億5000万円も、じつは関電が昭和44年から49年にかけて町に支払ったので、学校整備費等にあてた」と53年度決算案で、はじめて報告されたのである。10年も前に受け取っていた協力金が↓
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いまになって突然報告されるのも異常なら、巨額の協力金が「町長の個人名義の通帳」に振りこまれていたというのも常識では考えられないことである。日本の地方自治体史上、前代未聞のできごとというべきであろう。↓
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高浜町では、関電と直結した浜田倫三町長と森山栄治助役が、町行政の隅ずみにまで君臨し、私利私欲をもさぼっていた。町政の実質的なボスは森山助役であった。彼は、…自ら組織した「部落解放同盟」を指揮して、だれかれ容赦なく“糾弾”をくり返してきた。町議会までが町長・助役の脅迫に屈し↓
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その”親衛隊”になりさがっていた。…1979年4月22日ーー結果は、堂々2位の上位当選。渡辺共産党町議の誕生は、またたく間に町民に伝わり、町の話題をさらった。↓
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(小学校教員への解同の糾弾事件)を境に、高浜町の教育は重篤状態に陥っていた。町長、助役は、町内の各学校の運営、人事、教育にまで、我が物顔に介入しはじめたのであった。「盆暮、年度末にきてみなはれ。役場の職員も学校の先生も、助役につけ届けするのがあたり前になっとるのやな↓
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