例によってひじょーー細かい話で恐縮なんですが、ちょっと気づいたことがあるので書かせてください。
最近次女が長女を褒められるようになってきて、軽く感動しました。
順を追って書きます。
以前から何度か書いている通り、しんざき家には3人子どもがいます。
長男が小学6年生。長女と次女が小学2年生の双子。最近長女次女も結構宿題を持って帰ってくるようになって、あの手この手で宿題をやる気にさせる方法を試行錯誤しているんですが、まあそれはその内別途書きます。
で、前からちょっと気になっていたこととして、例えば私やしんざき奥様が長女を褒めると、次女がちょっと怒った感じで「(自分の名前)ちゃんは!?」と言ってくることがあったのです。
長女に「〇〇出来てすごいねー」って言うと、横から「次女ちゃんはすごくないのー!?」とか言ったりする。
つまり、「長女が褒められた時、自分も褒めて欲しいと要求する」及び「長女が褒められるのがあんまり面白くない」っていう傾向がみられるなあ、と思っていたんですよ。
前提として、私と奥様はどちらも「ことあるごとに褒める」方でして、何か褒める機会があるごとに、長男にせよ長女にせよ次女にせよなるべく具体的に褒めているので、別段「次女に比べて長女の方をたくさん褒めている」「次女をあまり褒めていない」ということはないんです。
むしろ、お行儀が良くて片付けが上手な次女の方が、褒めるタイミングは長女より多いかも知れない。
それでも、長女が褒められると次女は面白くないし、自分も褒めてもらいたくなっちゃうわけです。
これってどういうことかというと、恐らく
「長女が褒められて自分が褒められていない = 自分の価値が下がってしまったような気がして不快」
ということですよね。「他の人への褒め言葉」を、イコール「自分を下げる言葉」として受け取ってしまっているように見受けられるなあ、と。
更に言うと、「褒める/褒められるを、必ず相対評価でとらえてしまっている」ということでもあると思います。
人間関係を相対評価でとらえてしまうと、「誰かのポイントアップ」が即「自分のポイントダウン」に結び付いてしまう。
別に、「誰かがすごい」ということは「自分がすごくない」ということを意味しないのに、人に対する「すごい」という言葉を「自分の価値の毀損」として捉えてしまうんですね。
そうなると、「人の長所を認める」ことも多分出来ないんですよ。
認めてしまうと、相手の価値がその分上がって、自分の価値がその分毀損されてしまいますもんね。
勿論、負けず嫌いなのは決して悪いことではないですし、子どもなんだから相対評価に傾いちゃっても仕方ない部分はあります。
即直さないといけない考え方、みたいな話ではないんです。
ただこれ、出来たらちょっとずつでも、違う観方もあるんだよ、違う考え方もあるんだよってことを教えてあげたいなあ、と思ったんです。
つまり、「人を褒めた、あるいは人が褒められたからといって、自分の価値が減るわけではない」という捉え方。
そして、「人を褒めることが出来る」「人の長所を認めることが出来る」ということの価値ですよね。
それを教えたかったんです。
***
ある時、長女が褒められて次女がいつも通り「ねえ、次女ちゃんはー!?」と言った後、丁度いい機会だったので、ちょっと次女と上のようなことについて話してみたくなりました。
いつも通り、ヒアリングから始めました。
「次女ちゃんは、長女ちゃんが褒められてると嫌な気持ちになる?」
次女はちょっと考えてから、
「んー、べつに、いやな気持ちってほどじゃないんだけどー」
と答えました。
「自分が褒められないの嫌だなあ、褒めて欲しいなって気にはなる?」
「うん…」
「けど、長女ちゃんがすごいって言われても、次女ちゃんがすごくないってことにはならないよね」
「そうだけど、なんか、自分だけすごくないって言われてるような気になるの」
大体想定通りです。
こんな話をしてみました。
「あのさ、今、次女ちゃんがそういう風に感じてしまうのは仕方ないと思う。けど、いつか次女ちゃんが、誰か他の人が褒められるのが平気になったり、誰かを褒められるようになったら、それはとーっても凄いと思う」
「どうして?」
「誰か他の人が褒められても平気っていうのは、自分に自信がないと出来ないことだから。誰かに言われなくても自分は凄いってわかってたら、他の誰かが褒められても、「けど私も凄いもんね」って思ってられるから平気だろ?」
「…うん」
「凄い、っていうのも色々あって、次女ちゃんにも凄いところがあるし、長女ちゃんにも全然別の凄いところがある。そういう、自分と違う、人の凄いところが見つけられる、認められる人ってとっても少ない」
「そうなの?」
「そうだよー。パパの会社にだってそんなにいない。だから、いつか次女ちゃんが、そういう人になれたら凄いよなーって思ったんだよ」
一応、その時は納得したようだったので、話はそこでおしまいにしました。
***
当たり前ですが、子どもの成長というものは線形ではなく、三歩進めば二歩以上下がるものです。
何かを伝えたからといってすぐ出来るものでもなく、また一度出来たことでも次の日には出来なくなったりします。
この後も、相変わらず次女の「ねえ、次女ちゃんはー!?」は断続的に続きました。
あれからひと月くらい経ちました。二人で宿題をしている時に、次女がふとこう言ったのです。
「長女ちゃんは、算数よく出来て凄いね」
と。
長女は「うん?」といっただけで特段反応しませんでしたが、横で聞いていた私は結構感動しました。
すぐに、「次女ちゃん、褒めてあげられるなんてすごいなー」と言いました。
次女は「えへへ」と笑いました。
長女が「褒めてあげられるとなんで凄いのー?」といったので、私は長女にも、大体同じような話をしました。
それが、丁度この記事を書いている二日前の話です。
上で書いた通り、子どもの歩みは非線形ですので、この後も次女は褒められたり褒められなかったり、あるいは長女が褒められている時に「次女ちゃんはー!?」と言ったりするのでしょう。それは別にいいのだと思います。
ただ、「人のいい所を認められるのは凄いことなんだ」という言葉が次女の中に残っていて、それが次女を「えへへ」と笑わせたのであれば、それはとても嬉しいことだなあ、と思ったのです。
***
次女にも話したことですが、人間関係を相対評価でしか捉えられない人というのは、実際のところ物凄く多いですし、他人の長所を心から認められない、という人も全然珍しくありません。
それどころか、それで自分の評価が上がるわけでもないのに、相対的優位の為に積極的に他人を下げようとしてくる人すらいます。
「褒めることが出来る」「他人の長所を認めることが出来る」というのは、一つの度量であり、貴重な才能なのです。
自然に褒められる人、自然に人の長所を認められる人、凄い。本当に凄い。
自分自身、「他の誰かが褒められる」ことが決して自分の価値を毀損する訳ではないのだ、ということは強く認識しつつ、色んなバリエーションで色んな人を褒められる、いついかなる時でも人の長所を認められる人間でいたいものだなあ、と。
そんな風に思ったわけです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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(2019/9/28更新)
【著者プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
(Photo:Joshua Clay)