懐かしの町並みを守るには
~失われる伝統的建築物~
解体された築400年の古民家
先月、大阪市である貴重な建物が解体されました。
解体されたのは、江戸時代初期に建てられた市で最も古い民家、渡辺邸。
所有者が亡くなって1年半後のことでした。
およそ800坪の敷地に、かやぶきの大きな母屋と6つの蔵、そして格式高い長屋門。
この堂々たる建物が失われる直接のきっかけは、相続税でした。
渡辺邸を相続したのは、それまでほとんど交流のなかった親戚でした。
土地と建物に対する相続税は1億円以上。
支払いに困った相続人は、渡辺邸を解体して土地を売らざるをえなかったといいます。
背景には、文化財保護の制度が現実の暮らしに対応できていないという問題がありました。
大阪府は昭和44年、指定文化財条例を策定。
渡辺邸は、その候補になりました。
「これが(当時の大阪)府内の民家を調査した報告書です。」
この制度の指定を受ければ、相続人が建物を解体して土地を売ろうとしても府が、それを守る手だてがありました。
しかし、当時の所有者だった渡辺嘉子さんは、家を守りたいと思いながらも府の指定は受けられないと考えました。
理由は、その規制です。
1人暮らしだった嘉子さん。
暮らし続けるために、もし改修が必要になっても許可なしではできません。
さらに、家を公開して見学者を入れることなどが求められるため、年を取るほど負担が大きくなりました。
結局、家を守るのは自分の務めとして指定を受けず、借金をしながら庭の手入れや家屋の補修をし1人で屋敷を守らざるをえませんでした。
いつしか周りの住民は塀の向こうがどんな家かも分からなくなり、その結果、解体が決まっても大きな関心を呼びませんでした。
知らせを聞きつけた親戚の1人、山本憲作さんは急きょ、仲間と解体反対の署名集めに奔走しました。
しかし、願いはかないませんでした。
山本さんは、生前の嘉子さんの思いを聞いていただけに無念で、たまらないといいます。
山本憲作さん
「自分でこの家を守り抜くんだと。
120歳、150歳でも生きると。
亡くなった渡辺嘉子のほうにも、お世話になったんで本当に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。」
大阪府も買い取りなど検討しましたが、予算の削減もあり、断念。
そして先月、渡辺邸は400年の歴史を閉じました。
大阪府教育委員会 地村邦夫さん
「これが条例指定であれば、保存という点に関しては、また違った結果がでたのかもしれない。
私どもも規則の限界、それを今回、痛感した。」
崩壊の危機 消えゆく懐かしの町並み
今、日本各地で行政の制度だけでは、もはや維持しきれなくなっている伝統的な建築物が増えています。
千葉県香取市佐原は、江戸時代の測量家、伊能忠敬のふるさととして知られ、手厚い文化財保護制度で昔ながらの町並みが残されてきました。
川沿いの地域に県の指定文化財の建築物が8軒。
そして、90軒以上の古民家などと合わせて、地域で国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
この制度は室内の改修は自由など、規制は緩やかで住みながら守れるのが特徴でした。
しかし、その制度にも限界があることが明らかになりました。
東日本大震災で歴史ある町並みのおよそ半数、45軒もの家が壊れ、1年半以上たった今も多くが修復されないままです。
佐原に生まれ育ち、町並み保存に取り組む、佐藤健太良さんです。
「ここが、だいぶ時間かかりそうなんですよね。」
今後も、町並みが元どおりになるのは難しいと感じています。
「こんにちは。
どうも、佐藤です。」
倒壊のおそれのあるこの家。
文化財保護制度によって出る修理費用は上限があるため、完全に修復するには1,000万円以上、自己負担しなければなりません。
生活費を年金に頼る中では、もう限界だといいます。
佐藤さん
「やっぱりメンテナンスやっていくと相当、金かかる。」
「私らはできない。」
佐藤さん
「大変なことだよな。」
佐藤さんが最も危惧するのは、直してもしかたないのではという意識が町全体に広がることでした。
この女性は、子どもが県外に住まいを構えたため、ここに住むのは自分が最後だろうといいます。
「私で終わり、子どもら帰ってこないから。
私が死んだら終わり。」
住み手がいなくなるという制度の発足当時には想定していなかった事態が、町並み保全に不安を投げかけています。
NPO 佐藤健太良さん
「解決と言うのは簡単に出来ない。
この町というのは古い形で残していこう、これでやっていこう、そういう再確認をしなければならない。」
失われる伝統的建築物 懐かしの町並み守るには
●なぜ守ることがこれほど難しいのか
いくつか理由があると思うんですけどね、1つは文化財保護の法律の仕組みが、文化財保護法っていうんですけれども、1950年に出来てるんですね。
日本がまだ貧しかった頃に、日本はお金がないので、非常に限定的に、いいものだけ、そのかわり、そこは非常に厳しく守っていくという仕組みになっているんですね。
ですから、文化財というと、何かそのころのイメージがあるものですから、非常に厳しくて、規制が強いということがあって、すそ野が広がっていくということが、後には制度として出来るんですけれども、なかなか広がらなかったということがあると思うんですね。
また、文化財保護法そのものは、ものを守るんですけれども、生活を守ることとは連動してないものですから、そこも問題があったと思うんですね。
●自分が住んでいるときの一般の人への公開、修理の限定
本当はもう少し緩いんですけども、皆さん、やっぱり厳しいと思ってらっしゃいますよね。
それともう一つは、VTRにもありましたけれども、相続税の問題ですよね。
日本の場合は、やはりお金を納めないといけないということで、お金に換えないといけないわけですね。
物納という手段もありますけれども、物納されたものも、基本的にはお金に換える、ということは、もうさら地にして売るということになってしまうわけですね。
そこに非常に重要な建物があっても、その価値がなかなかうまく生かされない。
そこに大きな問題があるんじゃないでしょうかね。
●物納しても所有者はそこに住み続けられない
住み続けられない。
で、それともう一つはやはり高度成長期を通じて、物は新築するものだと。
いろんな予算を決めたり、見積もりを取ったり、工期を計算したりと。
全部やはり新築が前提となって、いろんな仕組みができてるわけですね。
古い建物は何か再利用しようとしても、そのためには調査をしないといけなかったり、どれくらいの工事にするのかというがすごく時間がかかる、分かりにくい。
慣れた職人もいない。
そういう問題があって、新築が過度に進んでいったんじゃないかなと思いますね。
●なぜヨーロッパにはできて日本にはできないのか
ヨーロッパの場合は、開発することそのものが、非常に厳しい規制がかかっているので、自由に開発することができないわけなんですね。
そうすると、やっぱり新しく建物が古い建物とどういうふうにマッチするのかとか、それから古い建物、価値があるものを、本当に壊していいのかというところを厳しくチェックされますし、またそういうものが残っていると、それが地域の価値を高めるということで、特に指定される文化財なんかになりますと、価値が上がりますよね。
そういう両面があるので、やっぱりヨーロッパではいろんなものが残ってきたということがいえるんですね。
●行政はどこまで権限があるのか
もちろん財産権というのは、どこにもあるんですけれども、でも建物の場合は、そこに建つと、周りから見えますので、町並みを建設するわけですよね。
とするとやっぱり、それはみんなのものなんだと。
だから、公共性があるので、そういうものはちゃんとしたルールのもとに守られなきゃいけないんだということになっているわけですね。
●町全体の統一感が失われていく
高い建物を建てれば、瞬間的にはそれを売れば、お金になるかもしれないけれども、長期の視点で見ると、それはやっぱり町にとっては、いい投資ではないわけですよね。
それから、いかに長期的な視点で町を見ることができるかと。
住み手の視点ということですけどね、ということになるんじゃないですかね。
どう守る?大正時代の喫茶店
東京・谷中。
町の一角に1軒の古い建物があります。
大正5年に建てられた喫茶店、カヤバ珈琲。
関東大震災、そして東京大空襲でも焼けずに残った谷中の人々にとってかけがえのない憩いの場です。
「おはようございます。」
「これ、マイカップ。
自分で持ってきた。
常連さんだけやる。」
しかし6年前、この建物は存亡の危機に陥りました。
長年、店を切り盛りしてきた、店主の榧場キミさんが亡くなり相続した親戚は経営を続ける意志がなかったため、解体が予想されたのです。
歴史ある建物を守れ 立ち上がった住民たち
この危機に立ち上がったのは、町内会長の浅尾空人さんです。
歴史ある建物だけでも残せないかと台東区に買い取りを頼みましたが、財政難を理由に断られました。
町内会長 浅尾空人さん
「(区は)これを持つと維持費がかかると言う。
維持費の問題を考えた時に大変だって話になる。
何でもかんでも壊していったら、その区はダメ。」
そこで動きだしたのが、台東区で建物の保存活動を行うNPOでした。
メンバーの椎原晶子さんは、なんとか残せないかと早速、所有者に会いにいきました。
すると、特別な造りではない小さな物件だったため、相続税はかかりませんでしたが、固定資産税や維持管理などが所有者の負担になっていることが分かりました。
そこで考えたのが、建物の管理を所有者に代わってNPOが行うという方法でした。
NPOが店を営業する事業者を探し、貸し出すことで、その賃貸料から固定資産税などを支払えるようにするという仕組みです。
NPO 椎原晶子さん
「『価値があるから全部、持ち主の責任で残してください』と言うのは、元々、大変だと思っているところで、手放したりする話になっている訳ですから、持ち主だけが負っている苦労を一緒に背負わせてくださいという話。」
しかし壁が立ちはだかりました。
通常の不動産契約では、契約期間が過ぎても借りる側の意向で住み続けられるため、所有者が建物を貸すのをためらったのです。
この問題を解決したのは地元で不動産業を営む原田仁教さんです。
思いついたのは、定期借家制度という比較的、新しい法律でした。
この契約なら、所有者が契約期間を更新するかしないか優先的に決めることができます。
そして、修理や維持管理の費用も借りる側が負担すると契約書に明記。
所有者の負担は軽減し、保存が決まったのです。
不動産業経営 原田仁教さん
「借りたい人は『そこら辺は私たちが全部、責任を持って使える状態に修繕します。
もちろん費用も私たちが負担して大家さんには一切迷惑はかけません』という約束をした。
これはお互い利益が合致している訳だから、非常にいい状態だと思う。」
さらに、店の再開に向け、町でアートギャラリーを営む人が資金を提供。
近所の学生たちはボランティアで壁塗り、そして町内会長はドアの木枠を手作りするなどさまざまな人々が自発的に動き連携していきました。
そして。
守られる古き建築物 若者が集う場に
店は、かつての風情そのままに新たに生まれ変わりました。
人気メニューのたまごサンドとココアを混ぜたルシアンコーヒーも引き継がれました。
「お待たせしてます。
2階のお座敷お席か、あと1階のテーブル席が…。」
今、レトロな雰囲気が評判を呼び、遠方からも若い人をはじめ、多くの人が訪れます。
「見た目はすごく古いけど、中はとてもきれい。」
「風情があっていい。」
その後も椎原さんたちNPOは5軒の古い建物を管理。
若者などを中心に、ここに住みたいという人が続々と集まっています。
古い建物に新たな若い住民たち。
これからの時代の町並み保存のモデルが生まれようとしています。
失われる伝統的建築物 懐かしの町並み守るには
●今のケース、どう見たのか
谷中は、すごいやっぱり長い町作りの歴史があるわけなんですね。
そういう中で、いいチームが出来上がってるって、仲間がいて、いろんな土地の仲間の人がいてね、その人たちが知恵を出し合ったというところが、やっぱりすばらしいですよね。
それともう一つは、こういうことを行政が、割合、バンクとしてね、中古の住宅バンクみたいなことをやっているところが多いんですけど、なかなかうまくいっている例はないんですね。
やっぱり行政があると、平等にやらないといけないとか、公平にやらないといけないということで、手続きがすごく煩雑になるんですね。
こういうふうにNPOがやることによって、創意工夫に富んで、おもしろいこと、みんながワクワクするようなことを早くやれるというところで進んでいると。
本当にモデルになるような例だと思いますね。
●佐原地区にとって参考になるのか
佐原は今、非常に大変な時期にあるわけですけれども、こういうピンチはある意味、チャンスでもあると思うんです。
というのは、今までできなかったようなことをやらないといけないし、また大変なので、新しくいろんな人に声をかけて、皆さんにいろんな知恵を出してもらわないといけないということですよね。
そのときに、長い目で見ると、所有と使用というのがうまく分かれていくような、そういう仕組みというのを、佐原でもうまく作り上げていったらいいなと思いますね。
●こういったプロセスが進むことで町はどう変わっていくのか
いろんな実例が出来ていくことが、やっぱり一番大きいんですよね。
新しいものが、新しい再生ができて、それがみんなに目に見えるということで、自信が持てますしね。
自分たちの町を誇りにも思えることができる。
ただ、谷中では官が入っているわけではないんですけど、やっぱりいろんな人が、立場が違う人が議論したり、行政が入ると、例えばいろんな規制をかけたり、補助金を出したり、そうすると税金をどこまで投入していいのかとかですね、さまざまな立場の人の議論が出てくるわけですね。
それはやっぱり、きちんとした形で透明に議論していって、そして収れんさせていくと。
町というのはある意味、大きな民主主義の学校みたいなものだと思うんですね。
そうしたものがやれていくということが、やっぱり大きな町づくり、非常に大事なことになるんじゃないかと思いますね。
目に見えますし、可能性が、ワクワクするような可能性がありますよね。
そういう、日本はやっぱりそういう可能性があると思うので、そういうふうになってもらいたいなと思いますね。