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いつから池袋が演劇のまちに? 豊島区と演劇

東京国際演劇祭88 池袋演劇祭10年の記録 フェスティバルトーキョー09春

昭和23年(1948)「舞台芸術学院」(校主:野尻与顕 学長:秋田雨雀)の開校や、昭和27年戦後都内の区立公会堂第1号となった豊島公会堂のオープンなど、終戦直後の豊島区に演劇文化が芽吹き始めます。

昭和40年代に入ると、小劇場「池袋アートシアター(後のシアターグリーン)」(昭和43年)の開場を契機に、池袋は小劇場、群小劇団の拠点となっていきました。昭和50年代には「文芸坐」(支配人:三浦大四郎)の地下に「小劇場ル・ピリエ」が開場するなど、劇場運動の再興の動きが現れるなか、昭和56年、池袋駅周辺にあった10以上の小劇場関係者により「池袋文化懇話会」が結成されました。

昭和63年に演劇による地域振興を企図して各劇場、豊島区、地元企業、地元商店街等の協働で、「東京国際演劇祭‘88池袋」が開催されます。この流れが現在の「フェスティバル/トーキョー」開催に繋がっていきます。この国際演劇祭をきっかけに、“池袋”と“演劇”のイメージの結びつきを強め、演劇のまち池袋を定着させるため、平成元年(1989)第1回「池袋演劇祭」が始まり、若手劇団の登竜門的演劇祭として現在まで毎年開催されています。

池袋に小劇場、小劇団の拠点が形成され、演劇祭が開催されるなか、公会堂に続き、昭和53年「サンシャイン劇場」、平成2年「東京芸術劇場」、平成16年「にしすがも創造舎」、平成19年「舞台芸術交流センター(あうるすぽっと)」など、中型、大型の民間及び公立の劇場施設もオープンするなど施設面での整備も進み、区民の文化振興に寄与します。

このように地域住民の文化活動から始まった演劇文化は、池袋に根付いていきました。

現在では池袋エリアは東京における舞台芸術の拠点として位置づけられ、平成28年秋からは「フェスティバル/トーキョー」、「池袋演劇祭」を巻き込んだ都市型総合芸術祭「東京芸術祭」が展開されています。

[参考文献]

後藤隆基「戦後の池袋劇場文化史」(『東京芸術劇場の25年』公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場発行、2016年、P109~112掲載)
『豊島区史 通史編4』(豊島区発行、1992年)