「お母さん、ごめんね」 自ら命を絶ってしまった母へ
〈依頼人プロフィール〉
天野雪絵さん(仮名) 女性
茨城県在住
主婦
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母の人生は、娘の私から見ると決して幸せなものではなかったと感じます。18歳で一人故郷の沖縄を離れ、知人もいない関東の田舎に暮らし、21歳で私を出産。その後妹が生まれたときに産後うつを発症し、結局人生の最後まで苦しめられました。
父は仕事が続かず借金を抱えており、家はいつも貧しく、母はいつも「お金に悩む生活をさせてしまって申し訳ない」と口癖のように言っていました。私たち姉妹は親に何かを買ってもらった記憶はなく、高校生の頃からアルバイトで家計を支えてきました。
さらに母は34歳のときにステージ3の乳がんが発覚し、一度は完治したと思ったものの、14年後の48歳のときに転移し、脳腫瘍を発症。右半身が動かなくなり、搬送先の病院で余命1年と告げられました。私が結婚してわずか2週間後のことでした。
「できることなら孫の顔が見たい」と言っていた母に、あと1年で何をしてあげられるのか……そう思っていた矢先、幸運にも妊娠がわかり、母のがんと闘う気力に火がつきました。奇跡的に脳腫瘍は劇的に小さくなり、退院した母に希望通り孫を見せてあげることができました。
ところが、息子が生後5カ月のある日、私は母と今までにないほどの大げんかをしてしまったのです。きっかけはもはや思い出せないほど些細なことです。おそらく、慣れない育児に体力も精神も限界だった時だと思います。人生で初めて母を強い言葉で責めてしまいました。
幼い頃にお金がなくて苦労したこと。母が精神的な病で入退院を繰り返し、私は親戚をたらい回しにされたこと。学生時代をアルバイトざんまいで過ごし、学費も何もかもすべて自分で賄ったこと。大学に行けなかったこと。今思うとなぜそんなことを口にしてしまったのか……後悔しかありません。
母は黙って電話を切り、それが母との最後の電話になりました。1週間後、母は自宅の浴室で睡眠薬を大量に飲み、水を張ったバスタブに沈みました。遺書もなく、誰に連絡することも、愚痴を言うこともなく、自殺してしまったのです。
実は、母は私が中学生のときも同じ方法で自殺未遂を起こしました。そのとき発見したのは学校帰りの私でした。
私はまだおすわりもできない息子を抱きしめて、私とけんかしたせいだ、私がひどいことを言ったせいだ……と自分を責めました。あれから2年が経ちますが、今もまだ気持ちが吹っ切れません。
長年精神的な病のせいで明るい心が持てなかった母ですが、唯一好きなのが花でした。貧しかったので花はぜいたく品。めったに買うことはありませんでしたが、ときどき花を買ってきては、玄関やリビングに飾っていた姿を思い出します。初任給が出たときに、「何が欲しい?」と聞いたときも、母は真っ先に花が欲しいと言いました。
未だに母のお墓に花を手向けることができない私の気持ちを吹っ切るためにも、母への謝罪をこめて、花束を作っていただけないでしょうか。母が好きな花はかすみ草とスズランでした。私はなぜそんな地味な花を、と子ども心に思っていたのですが、母は小さくて控えめな姿がかわいらしくて好きなのだとよく言っていました。そして、それと同時に、いつか大きな白いユリの花を飾りたいとも……。できれば母の好きな花で、緑と白の静かで控えめな花束になればうれしいです。
花束を作った東さんのコメント
お母様のこと、大変つらかったでしょうね……。その世代の母親たちは自己犠牲を強いられることも多く、大変な思いをした女性も多いことでしょう。エピソードを読んでいて、僕もつい自分の母親のことを思い出し、ぐっときてしまいました。
今回はご要望の通り、グリーンと白の花でまとめています。季節的にスズランがなかったので、白いムスカリの球根と、カスミソウとユリをこれでもかというくらいたくさん挿しました。また、緑を少し加えるため、デルフィニウムのつぼみをところどころに混ぜています。今はまだユリがつぼみの状態なので、全体的にグリーンの面積が大きいですが、花が開いていくと、もっと白っぽい印象の花束になるはずです。
ふだんユリを使うときは、全開に花が開くよりも途中まで咲いて枯れる方が美しいと思うので、ぎゅっとつめて隙間なく挿すのですが、今回はどうしても大きく咲いて欲しかったので、意図的に間隔を少し離して挿しました。つぼみのまま終わらず、きちんと咲きそうなユリだけを選んでいますので、水やりをしっかりやっていただければ、これからどんどん大輪の花を咲かせるはずです。
お母さんへの思いが天に届きますよう、祈りを込めて……。
(写真・椎木俊介/ライター・宇佐美里圭)
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PROFILE
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宇佐美里圭
1979年、東京都生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒。在学中、ペルー・クスコにて旅行会社勤務、バルセロナ・ポンペウファブラ大学写真専攻修了。ワールドミュージック誌、スペイン語通訳、女性誌、『週刊朝日』編集部を経て、『アサヒカメラ』編集部。料理研究家・行正り香さんの書籍を多数手がける。ラテン音楽、山、ワインが好き。
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椎木 俊介(写真)
ボタニカル・フォトグラファー
2002年、東信とともに、銀座にオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。東が植物による造形表現をはじめると時期を同じくして、カメラを手にし、刻々と朽ちゆき、姿かたちを変容させていってしまう生命のありようを写真に留める活動に傾倒していく。日々、植物に触れ、その生死に向き合ってきたからこそ導き出すことのできる、花や植物のみが生来的に有する自然界特有の色彩や生命力、神秘性を鋭く切り取っていく。
2011年に初の作品集となる東信との共著『2009-2011 Flowers』(青幻舎)を発表以降、常に独特の視点ですべての東の作品を捉え続け、近年は映像制作にも力を入れ、多岐にわたる活動を行っている。