『あいつ今何してる?』(あいついまなにしてる?)は、テレビ朝日にて、2015年10月10日に放送が開始されたドキュメントバラエティ番組である。現在は水曜19:00-20:00枠で放送中。
放送日 | 2019年10月2日(水) 19:00~21:48 |
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放送局 | テレビ朝日 |
オープニング映像が流れた。
神奈川県の進学校「私立サレジオ学院中学校高等学校」はカトリック系の中高一貫の男子高となっている。東京大学など合格数は100以上ある進学校の特徴は、夏休みに高校2・3年制を対象に4泊5日の勉強合宿を行うという。硬式テニス部は全国中学生テニス選手権大会に優勝しているサレジオ学院で、先生方は石川さんという生徒が奇才だったと紹介していた。子役として幼稚園から歌舞伎の世界に入った石川さんは、爪楊枝でアートを作ったりしていた。天才歌舞伎子役でありながら、割引券を集めていた石川さんは東大に合格していたという。
スタッフは石川さんに会うために「私立サレジオ学院中学校高等学校」から、東京都文京区にある「東京大学」の赤門前までやってきた。石川さんはグレーのスーツを着て待っていた。
石川聡彦さんは東京大学本郷キャンパスの中にある、オフィスで働いていた。そんな石川さんはメーカー勤務の父と、専業主婦の母の間に生まれた。年中から一般家系出身で歌舞伎の世界に入った石川さんは、歌舞伎の先生に素質を見抜かれて市川海老蔵さんらと共演していた。天才子役と言われていた石川さんは、歌舞伎の世界でトップはとれないと思って小学5年で引退した。貧乏を刷り込まれていた石川さんは「私立サレジオ学院中学校高等学校」に進学し、トップの東京大学に入学する事ができた。しかし、その後石川さんには挫折が待っていたという。
東京大学に進学し、ビジネス系サークル「KING」に入った石川さんは大学3年で趣味趣向を登録すると興味のある商品情報が毎日得られるスマホアプリを開設した。その後、学生向けのビジネスコンテストに出場した石川さんは優勝していた。石川さんは優勝特典の資金を元手に、大学3年で開発したスマホアプリの会社を設立させた。大学を休学して会社の経営をした石川さんは、負債額1千万円を抱えてしまった。先輩のアドバイスを聞かない鼻持ちならないやつだったと自分を振り返る石川さんは、復学して東京大学大学院に進学した。そんな石川さんは24歳の時に人のアドバイスを聞くようにし、ForbesJAPANの世界を変えていくかもしれない30人に選ばれていた。
AIシステムの内線化の事業に、現在石川さんは携わっていた。今は一般企業でもAIを導入し、業務を効率化する企業が増えていた。例えば、とある化粧品メーカーはお客さんが過去に購入した商品の履歴を分析して次に興味を示しそうな商品をAIが選んでいた。石川さんの会社「Aidemy」では、AIシステムの作り方そのものをレクチャーし、オンラインで学べるサービスを教えていた。企業を立ち上げたきっかけは、AIの需要を見抜いていた東大の先輩からの助言だった。年商1億円となった企業は、50名以上となっていた。東大の研究成果を活用する「東京大学エッジキャピタル」にアイデミーは加盟しているので、東大内にオフィスがあるという。
科捜研の女でもおなじみの大女優である沢口靖子さんは、大阪府堺市で育った。そんな沢口さんは小学校の時から、家族ぐるみで仲が良かった中村順子さんを紹介した。中村さんは「東宝シンデレラオーディション」に応募することを沢口さんにすすめ、応募先が載っていた新聞を校長室で探した。ところが見つからなかったので、東宝に電話をして高校の近くから履歴書を投函したという。
スタッフは芦屋川付近で中村順子さんと待ち合わせた。平岡幼稚園で沢口さんと知り合った中村さんは、幼稚園児時代から美しさが別格だったと話す。共に堺市立平岡小学校に入学した中村さんは、沢口さんについていつも笑っているような純粋な子だったという。さらに2人はその後「堺市立上野芝中学校」に進学して体操部に入部した。中2の時に沢口さんは赤坂台中学に転校したが、進学校の泉陽高校で中村さんと再会していた。
北川景子さんと松重豊さんは出演している「ヒキタさん!ご懐妊ですよ」の紹介をしていた。
沢口靖子さんの大親友である中村順子さんは、高3の9月頃に家のテーブルに置いてあった新聞に東宝シンデレラの募集広告が目についたという。その時、中村さんは「東宝シンデレラにはさわしかいない」と思い、沢口さんに応募をすすめたという。しかし、10月31日の締切日に沢口さん達はお互いが新聞の切り抜きをもっていると思い込んで、宛先が分からないままになっていた。校長室に駆け込んで新聞を探すもなかったので、電話して東宝の宛先を電話で聞いた。放課後に郵便局に駆け込み、当日有効の消印を押してもらって応募する事ができた。その結果、3万1653人の中から東宝グランプリに選ばれた。
上京した沢口さんが1番最初に出演したのは「刑事物語3 潮騒の詩」で、次に出演した映画「ゴジラ」では「日本アカデミー賞 新人俳優賞」を受賞していた。NHK連続テレビ小説「澪つくし」に全国区となった沢口さんに対し、中村さんは「人生を変えてしまって申し訳無い気持ちがあった」などと打ち明けた。中村さんは後悔を密かに抱えながら関西外国語大学に進学し、卒業後にアパレルの会社に入った。23歳の時に開業医の旦那さまと結婚していた。一方の沢口さんは34歳の時、現在まで人気が続く「科捜研の女」に出演して法研究医を演じていた。
沢口靖子さんの紹介VTRを見た中村さんは沢口さんが感謝していると話している事にすいて「良かった本当にそう思ってくれて」と話していた。沢口さんが新大阪駅から東京に行く時に、新幹線の窓越しに泣いていたのを中村さんは忘れないという。自分の後押しは正解だったのか、中村さんは後悔しながら見送ったと話す。2人は離れ離れになってからも文通を続け、中村さんは沢口さんが載っている新聞や雑誌の切り抜きを集めていた。しかし、中村さんは演技が上手くなっていった沢口さんをみるのが気恥ずかして見れないという。
沢口さんは平岡小学校時代に交換日記をしていた吾郷さんと仲良くしていた話をした。小学校以降、連絡をとっていないという吾郷さんに会うため、スタッフは和歌山県紀の川市にやってきた。粉河駅で待ち合わせると、吾郷さんはその後に壮絶な過去を明かしてくれた。
平岡小学校卒業から41年、吾郷さんはご主人の会社である「株式会社 粉河」に身をおいていた。この会社は襖の敷居部分やドアノブなど、住宅に関する様々な部品を調達していた。現在は中国の上海にも進出している粉河で、10歳下の旦那様を支えるために経理を吾郷さんは担当していた。そんな吾郷さんは、テニスコートなどがある旦那様の実家の実家で7年前の辛い過去を話してくれた。
平岡小学校の5年から沢口さんと意気投合をした吾郷さんは、大阪府立登美丘高校に進学した。その後、医療事務に従事していた吾郷さんは7年前に長女を8歳で交通事故で亡くしてしまった。吾郷さんは1年間引きこもって泣き、当時は1歳ながらも弟の脩汰君が「ねぇね」と呼んでいた。小学1年で脩汰君に娘の死を打ち明け、月命日には学校の先生も訪れて話をするようになったと吾郷さんは語った。それから、吾郷さんは2年前にご主人のすすめで旦那様の会社を手伝うようになったという。
母校の平岡小学校にやってきた吾郷さんは、沢口さんが会いたいと話していた保健室の先生だった森楠先生を紹介してくれた。小学校時代に沢口さん達をプールに連れて行ってくれた、面倒見の良い森楠先生は沢口さんの過去について語ってくれた。
小学校時代に沢口さん達をプールに連れて行ってくれた、面倒見の良い森楠先生は今年3月に教師を定年退職していた。沢口さんの紹介VTRを森楠先生と吾郷さんは見ると、森楠先生は沢口さん以外にも色んな生徒をプールに連れて行ったと話した。森楠先生は勘違いしていた事を、見学に来ていた平岡小学校の現在の校長先生にも謝罪していた。さらに森楠先生は、沢口さんと同じ学校に通っていた元教え子から親衛隊があったと聞いた事を明かした。親衛隊は電車に乗っていた沢口さんを守っていたという。大女優になる沢口さんを恐れ多く思った吾郷さんに対し、森楠先生は周りに沢口さんの事を大々的に宣伝していると話す。
平岡小学校を卒業する時の、卒業アルバムのメッセージを吾郷さんが紹介してくれた。沢口さんは転校した後、吾郷さんに向けてプールを誘う手紙を送っていた。中学転校以来、40年も会えていない中で記憶に刻まれていた事が嬉しいと話す吾郷さんは「これからもご活躍を祈っています」と沢口さんに伝えた。そして森楠先生は沢口さんに「一緒にお酒飲みませんか」などとメッセージを沢口さんにおくっていた。
私立の立教高校には県外出身者や運動部の学生など、生徒の約1割が寮で共同生活をしていた。一茂さんは大学からアメフトをやってプロになってから連絡をとっていない吉川さんが、今何をやっているか気になると話した。
大学時代はアメフトで活躍していた吉川さんは、法人のお客様に対する営業企画をすすめていた。吉川さんが勤める大手金融機関は、従業員約3千人がいる国内最大級のクレジットカード会社だった。企業向けに決済の仕組みを教えている吉川さんは大学卒業後、実業団チームのある都内の銀行に就職した。
東京の千代田区で吉川さんとスタッフは待ち合わせをした。そんな吉川さんは繊維用品の卸売会社を経営している家にうまれ、立教中学から立教高校に進学した。高校で一茂さんと一緒になった吉川さんは、周りから話題になっていたのを聞いた。一茂さんと意気投合をした吉川さんは、1年生の時に野球部に入部した。それから柔道部に入った吉川さんは、県大会ベスト8まで進出する。立教大学へ進学した吉川さんは、関東学生アメリカンフットボール1部で準優勝を果たした。一方、一茂さんは大学4年生の頃から内野手として活躍し、22歳の時にドラフト1位でヤクルトに入団した。プロ初安打でホームランを打った一茂さんは26歳の時に移籍したが、その3年後に長嶋茂雄から戦力外通告を受けて減益を引退した。現役時代に明石家さんまから、引退したら俺の番組に来いと誘われた一茂さんはさんまさんのレギュラー番組に出演していった。さらに一茂さんは34歳の時にNHK朝の連続テレビ小説「オードリー」にも出演した。
大学時代はアメフトで活躍していた吉川さんは、法人のお客様に対する営業企画をすすめていた。吉川さんが勤める大手金融機関は、従業員約3千人がいる国内最大級のクレジットカード会社だった。企業向けに決済の仕組みを教えている吉川さんは大学卒業後、実業団チームのある都内の銀行に就職した。
2人の母校がある「立教新座高校」で、吉川さんは寮生活をともにしていた高橋さんと森本さんを紹介してくれた。バレー部の高橋さんとよく遊んでいたという森本さん達は一茂さんの紹介VTRを見ていた。しかし、吉川さんは柔道部に入ったキッカケについては、一茂さんは関係ないと話す。さらに高橋さんは悪ふざけで一茂さんに技をかけられたと話し、屋上で正座させられた話をした。吉川さんはある日、一茂さんからNCAAのアメリカの大学バスケットボールの試合に誘われて行くと、長嶋茂雄さんがいたと話した。ヤクルトスワローズに入団した一茂さんについては、仲間たちで当時ヤクルトで乾杯したという。
東京六大学野球連盟に所属していた立教大学野球部は、6つの大学で春と秋に年2回のリーグを行っていた。そんな立教大学野球部にいた一茂さんは、副主将の先輩である細谷さんが今何しているか気になると話す。当時、野球部の寮では4年生が部屋長として管理しており、一茂さんの部屋は細谷さんが部屋長だったという。細谷さんは優しくて怒らない人だったので、失礼がなかったかどうかも含めて聞きたいと一茂さんは話す。
立教大学のグラウンドで待っていた細谷孝志さんは、人工芝のグラウンドはそのまま残っているものの寮は場所を変えずに残っていると紹介した。さらに細谷さんは、一茂さんが抜け出して1人で行っていた「梅香軒」にやってきた。細谷さんは「1年で抜け出して食べに来ていた」と当時を振り返っていた。
沢口靖子さんは自身が出演している「科捜研の女」の紹介をしていた。
一茂さんの先輩である、強豪の立教大学野球部で4番の実力者だった細谷さんは長嶋茂雄さんに憧れて立教大学に進学したという。細谷先輩自身も先輩からのしごきを受け、細谷先輩が4年生の時に寮で一茂さんと一緒になった。相部屋時代、細谷さんは一茂さんについておとなしい印象だったと話す。そんな細谷さんはロサンゼルス五輪で活躍した広澤克実さん達を見て、野球人生に終止符を打つことに決めた。細谷さんはその後、大手電機メーカーで人事一筋の勤務をした。22年前にメーカーを退職し、コンサルティング会社を設立して社長になっていた。
立教大学のグラウンドで待っていた細谷孝志さんは、人工芝のグラウンドはそのまま残っているものの寮は場所を変えずに残っていると紹介した。さらに細谷さんは、一茂さんが抜け出して1人で行っていた「梅香軒」にやってきた。細谷さんは「1年で抜け出して食べに来ていた」と当時を振り返っていた。
長嶋一茂さんは自身が出演している「ザワつく!金曜日」の紹介をしていた。
一茂さんがお世話になっている先輩たちと長嶋茂雄を交え、細谷さんは食事に行ったことを話した。田園調布のお宅まで行き、長嶋茂雄さんの車でお店に連れて行ってもらった細谷さんは車がお店に突っ込んでいるのを見ていた。お店の奥に案内された時に、長嶋茂雄さんは店員さんに車を停めていると話していた事を明かした。細谷さんはさんまのスーパーからくりTVに出ていた一茂さんはいじられキャラで違和感があったが、今はコメンテーターなど確立されているので、違和感はないなどと話していた。
一茂さんの先輩である細谷さんは「一茂から私の名前が出たと聞いた時は正直びっくりしました。卒業以来会っていないが、最初のうちはテレビの一茂を見て違和感があったが最近は安心して見ていられるかなと。また食事行く機会があったら行きましょう」などと一茂さんにメッセージをおくっていた。メッセージを聞いた一茂さんは「優しいまんまだね」とコメントしていた。
あいつ今何してる?の次回予告テロップ。
報道ステーションの番組宣伝。「小判」「金貨」「米ドル」…関電役員が受け取ったもの
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