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大震災に耐えた女川原子力発電所の今 -安全確保に終わりのない取り組み 石井孝明(経済・環境ジャーナリスト) 2018.4.19

 東北電力の女川原子力発電所(宮城県女川町)は、東日本大震災の巨大な揺れと津波に耐えた。震災から7年。安全を確保した経緯と、再稼動を目指す現状を紹介する。


(写真)
再稼動に向けて、安全対策の一環で建設されている海抜29mの防潮堤

なぜ女川原発津波から守られたのか

 2011年3月に発生した東日本大震災で、女川原発では3つの原子炉のうち、稼働中の2つ、起動中の1つが停止した。一方、福島第一原発では、冷却に失敗して3つの原子炉が損傷した。地震加速度は、女川は567ガル(1号機)、最大の津波高さは13m。福島第一は550ガル(2号機)、最大津波高さは同じ13mだった。原子炉の型は、いずれも沸騰水型軽水炉(BWR)だ。

 女川では、福島第一と違って、津波による浸水被害はなかった。発電所につながる外部電源も、5つのうち1回線が残った。8台の非常用ディーゼル発電機のうち6台が使え、これらの電源はどの原子炉にも融通でき、原子炉の冷却ができた。機器の重大な破損はなかったが、1号機の電源機器からの出火、屋外の重油貯蔵タンクの津波による倒壊、2号機の冷却水系統の浸水などがあった。しかし、いずれも所員の対応で、消火や止水ができた。

 なぜ、大事を防げたのか――。現地を訪れると、東北電力による地震への事前の備えが、徹底したものだったことが分かった。

 女川では、2010年6月までに3つの原子炉、で合計6600カ所もの耐震安全性を向上する工事を行っていた。例えば配管に支柱を添えたり、建物の外部に耐震用の鉄筋を補強したりする取り組みだ。

 建設後、プラントの改善にも努めた。女川では海水を取って冷却する緊急時のポンプ室を壁で囲んでいた。福島第一ではこれらは海側に並び、津波に壊されている。 

 東北地方は、宮城県沖地震(1978年、2003年)など何度も地震に襲われている。そのたびに教訓を取り入れ、所員が実際に動けるように訓練を重ねた。

安全を追求する組織のDNA

 発電所の設計そのものにも、余裕を持たせる工事をしていた。1号機の運転開始は1984年。社内の委員会で68年ごろに建設の概要を決めた際に、敷地の高さを14.8mにした。当初想定していた津波の高さは海面から3 m程度だったが、古記録を調べて想像を超える津波の可能性を考えた。

 検討の際は、明治三陸地震(1896 年)、昭和三陸地震(1933 年)の地震に加え、1611 年の慶長地震、869 年の貞観地震までの古記録を調べたという。関係者によると、徹底的な調査は、電力制度づくりを主導した財界人「電力の鬼」松永安左衛門氏の信頼が厚く、東北電副社長や電力中央研究所の理事長を務めた平井弥之助氏の主導によるものという。平井氏の貢献の程度は記録の上では明確ではないが、社内委員会にも参加し助言を重ねていたそうだ。

 ただ、大震災に耐えたのは、平井氏や先達の功績だけによるものだけではない。「愚直に安全を追求し、たゆまず日々向上させよ、ということは、東北電力の組織全体で繰り返し語られてきたことです」。震災を経験した、女川原発の菅原勲所長代理はこう語った。

 女川原発は地域も守った。女川町は発災時に約1万人の人口があったが、827人が震災による津波でなくなった。発電所には道路が波で寸断されて、社員330人を含む1500人が発電所に閉じ込められた。そして、そこに周辺の住民約360人が避難した。社員は3日ほど1日1食しか取らず、住民や関連会社の人たちに食事、避難場所、防寒着を提供した上で、発電所の復旧活動を行った。
 国際原子力機関(IAEA)は女川原発を2012年7月に調査し、「驚くほど損傷を受けていない」と評価し、報告を公表した。さらに世界原子力発電事業者協会(WANO)は13年、女川原発の当時の渡部孝男所長(当時)を原子力功労者として表彰した。

 原発の安全確保、そして被災した住民を受け入れ、地域と共に困難を乗り越えたことが表彰の理由だ。これらは同業者のためでは決してなく、事実に基づき評価した真の賞賛であろう。 

29mの防潮堤を建設-さらに安全性の向上を

 東北電力は今、原発の再稼動を目指し、努力を重ねている。原子力規制委員会による新規制基準への対応に加え、さらに安全性を高めようとしているのだ。規制委との協議で得たプラントの基準地震動は加速度1000ガルという大変高い数字だ。その数字に合わせて、発電所のすべての重要機器の安全性を見直している。

 震災で女川原発付近は1mほど地盤が沈下したが、津波の被害を避けるために海抜29m(高さ16m)の防潮壁を建設中だ。その他にも発電機、防水工事など多重な安全対策が行われている。

 菅原所長代理は、「評価をいただいた大震災での対応も、火災や浸水などがあり、完全ではありませんでした。社会に広がる原子力の不安を少しでもなくせるように、日々、より高い安全を達成できるよう、終わりのない取り組みを続けます」と語る。

 女川原発の安全が守られたのは奇跡ではない。愚直に安全を追求し続ける東北電力の人々の努力、備えによりもたらされたものだと思う。
 
 原子力について、さまざまな意見がある。しかし東北という土地にとっては女川原子力発電所が重要な電源であり、それを東北電力の人が何十年も安全向上の努力を現在進行形で続けていることは、どの意見の人も知るべきであろう。

 女川原発で生まれた地元産の電気による東北の復興の加速を期待したい。この原発とそこで働く人々の姿を見て、そんな思いを抱いた。

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