「どこの・なにを・どうする」
これは日本語では馴染み深い言葉の順序なんだけど
CSSを開発したのは元々海外のはずよね?
英語の主流である「どこの・どうする・なにを(SVO系)」とは違うのに
わざわざこうなっている部分を興味深く想います。
「今からすることを絵で表現せよ(漫画・紙芝居)」というテストでは
海外の人でも「どこの・なにを・どうする」という順番で描いたといいます。
海外の人でも「どこの・なにを・どうする」という順番で描いたといいます。
つまり、英語の言葉並びの順序は
【人間のイメージ感覚に沿っていない】のではないでしょうか?
日本人の言葉は世界的に見ても珍しく「情緒・感覚」に特化してるという。
(言い回しが多すぎるので、絶対ルールであるプログラミング等には向かないかも)
(言い回しが多すぎるので、絶対ルールであるプログラミング等には向かないかも)
でも、言葉は元々気持ちを伝える為の道具なのだから
「情緒・感覚」を最優先に進化してるは当たり前だと想うんだよね。
日本人が英語を覚えられないのは
【覚える必要性を感じない】からだと想う。
経済的な観点では、そりゃ何国語でも喋れる方が有利だろうし
世界標準語の英語はその筆頭なのもわかる。理屈ではね。
でも「言語としての完成度が低い」から「感性が拒否する」んだと想う。
わざわざ、旧世代のプログラミングでWEBを組もうなんて人が居ないように。
「伝わらない言語」を脳が拒否する。
「伝わらない言語」を脳が拒否する。
10000色の絵の具が入った絵の具箱を既に持ってるのに
100色の絵の具しか入ってない絵の具箱は要らない。
指定の100色絵の具じゃなきゃ「大きなパレット」に絵を描いちゃイケナイというなら
そんなパレットはこっちから願い下げ(脳が拒否)・・・・というのが
何年も基礎教育で英語を教えられても、一向に日本人が英語を覚えない理由
ではないかな~~と想う(笑)
英語って言葉というより、ポジションが数字に近いと想うんですよ。
そんなパレットはこっちから願い下げ(脳が拒否)・・・・というのが
何年も基礎教育で英語を教えられても、一向に日本人が英語を覚えない理由
ではないかな~~と想う(笑)
英語って言葉というより、ポジションが数字に近いと想うんですよ。