『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に出演する中居正広、出川哲朗 (C)TBS

 タレントの出川哲朗が、4日放送のTBS系バラエティー『中居正広のキンスマスペシャル』(後8:57)に出演する。

【別カット】“実はちゃんとしらない男”出川哲朗

 今回番組では2時間にわたり『金スマ レジェンド波乱万丈!』と題して、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンと同世代で芸歴は35年の出川。2018年タレントCM起用社数ランキングでは13社で1位を、今や揺るぎない好感度を獲得しながらも“実はちゃんと知らない出川哲朗”の、お坊ちゃまだったという幼少期から転落やコンビ解散の挫折、盟友・ウッチャンナンチャンとの出会い、バラエティーへの転向そして、日本一の人気者となった今までの波乱万丈な人生を紐解いていく。また芸能界でも古くから交流のあるMC・中居正広とのマル秘エピソードも公開される。

 出川の実家は、明治27年創業、従業員30人を抱える老舗海苔問屋『蔦金商店』。当時は、お歳暮やお中元といえば海苔を贈るのが一般的だっことから、超がつくほどのお金持ち家庭で生まれ育った。幼稚園には超高級外車で送迎。家にはお手伝いさんが5人もいて、そのうちの1人は出川専属だったという。さらに驚くべきは商売によるお金持ちというだけではなく、家系図を辿ると多方面で活躍した偉人や著名人がたくさんいた。小学校時代は現在のキャラからは全く想像できない子どもだったという。当時の出川について、出川の兄が語る。しかし、そんな出川よりも、ずっと破天荒な人物が父・誠一郎だったという。

 出川は高校時代、軟式野球部に所属。厳しかった野球部時代こそがのちに芸能界で成功するための能力が培われる場所となった。まず、培われたのは『上下関係』。野球部の上級生が登校するたびに大きな声で挨拶し、上級生の制服のアイロンがけや時間割を見て授業の準備などを経験。ほかにも、出川の人気を確立させた『リアクション芸』は、野球部の練習後に始まったという。それは当時、大流行していたインベーダーゲーム。なんと軟式野球部では卓上ではなく、自身がキャラクターになって対決するリアルなゲームとして行われていたのだ。出川はこのインベーダーゲームで大活躍。出川の真骨頂“リアクション”はこのゲームによって培われていた。

 負けず嫌いなうえ、好きなことを見つければ一生懸命。学生時代に培われた能力は、多くの人から愛される現在のキャラクターにつながっている。そしてこのあと、全く興味のなかった芸能界へ入るきっかけとなる大事件が起きる。一体なぜ、出川は芸能界に進むことになったのか。3つの大きなターニングポイントがあった。

■出川哲朗の運命を変えた3つのターニングポイント そして役者の道へ…

 まず1つ目は、高校卒業を間近に控えた18歳の時、父が小豆の先物取引やクラブ経営に失敗。億を超える莫大な借金を背負ってしまった。あれだけ繁盛していた家業は倒産寸前に。そこで出川は高校卒業後、進学をやめみずから働きに出た。2つ目は『尼寺修行』。全く自由がない厳しい修業の毎日。その過酷な日々は、初公開となる37年前の出川本人の日記から明らかになる。そして3つ目は、ロック界の大スター・矢沢永吉だという。矢沢の著書『成りあがり』は、広島で生まれた矢沢永吉がスターに駆け上がるまでの半生が綴られている。そこに書かれていた一節が、出川が芸能界を目指す原点だという。

 こうして、役者を目指し入学したのが『横浜放送映画専門学院』(現・日本映画大学)。そこで出川の運命を変える盟友との出会いが待っていた。今回の取材では、出川との再会が十数年ぶりとなる元相方が登場し、コンビ時代のネタ音源も入手。コンビ時代のネタをテレビ初公開する。

 出川は自身で劇団を立ち上げるもうまくいかず、日本を代表する劇団の一つ『青年座』のオーディションを受けるが、卒業式の直前、それにも落選。組んでいたコンビも解散。全てが白紙になり、実家は借金まみれ。そんな出川が卒業式で語った、今でも学校で語り継がれている伝説のスピーチがあるという。

 卒業後、本格的に『役者の道』を目指し始めた出川。その結果、脇役として映画に出演し、山田洋次監督の映画『男はつらいよ』にも5作連続で出演。しかし、役者としてはまだまだ先が見えない日々が続いた。その一方で出川が座長となり、ウンナンの二人を含む同期7人で『劇団SHA・LA・LA』を結成。都内の小劇場を中心に活動し、演出・脚本は内村光良が担当するなど念願の一座を始動する。

 座長として出川が劇団を引っ張っていく中で、役者人生に転機が起きる。キッカケはウンナンのブレイク。2人は冠番組を持つようになると、劇団も一躍脚光を浴び、出川も度々、バラエティ番組を中心にテレビに出始める。そんな中、あくまでも役者志望だった出川に心境の変化が生まれてくる。大きな影響を与えたのが、『ダチョウ倶楽部』の存在だった。

 その後、伝説のバラエティ番組『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』(日テレ)へ出演。名だたる先輩芸人を抑えて若手の出川が出場2回目で初優勝。 世間に大きなインパクトを残し、出川哲朗が広く世に知られた。これをきっかけに出川は数々の人気番組に呼ばれるようになり、一人の芸人として歩み出した。ちょうどこの頃、出川は中居正広とも出会う。スタジオでは、今だからこそ語れる、中野のスナックでの話や、野球観戦での中居の意外な一面などエピソードを披露する。

 一方で、一人の芸人として人気を確立した出川にとって最もつらかったことが、自分がひどい目にあっている番組を見て、「もう耐えられないからテレビ局に電話します」と大好きな家族を悲しませてしまったこと。そして、そんなつらいときも出川を救い誰よりも応援してくれた、母・泰子さんとの別れ・・・。そして伝説のスピーチから35年後。ゴールデンタイムで冠番組を持ち、CM起用社数ランキングで1位を獲得。ついに出川哲朗はポジティブな意味でも芸能界の頂点に立った。そんな彼が語った唯一の心残りとは・・・


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