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【羽ばたけ中部勢】

大相撲・三段目 満津田 いつかは炎鵬と再戦 17年秋場所優勝決定戦惨敗、雪辱果たす

2019年10月2日 紙面から

秋場所で勝ち越した満津田=両国国技館で(斉藤直己撮影)

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2017年秋場所千秋楽、三段目の優勝決定戦で、炎鵬(右)に押し倒しで敗れた満津田=2017年9月24日、両国国技館で

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 大相撲の東三段目30枚目の満津田(25)=まつだ、峰崎=が、秋場所で4勝3敗と勝ち越し、幕下復帰へ一歩前進した。2017年秋場所の三段目優勝決定戦で、現在は幕内まで駆け上がった人気の小兵・炎鵬(宮城野)と顔を合わせたのを励みに「いつか幕内の土俵で再戦したい」と地道な出世を誓う。

 満員の歓声に包まれるやりがいと緊張感を知ったからこそ、土壇場でも慌てなかった。満津田は秋場所、3勝3敗で迎えた七番相撲で柔道経験を生かし、二丁投げで豪快に勝ち越し。「投げは柔道の癖。相撲だから前に出ないと…。喜びよりも、反省のほうが大きいっす」。脳裏には今でも、これまでの相撲人生で一番の大舞台が焼きついている。

 2017年秋場所の千秋楽、全勝同士の三段目優勝決定戦で対峙(たいじ)したのが、当時はまだざんばら髪の炎鵬だった。相手得意の左下手を警戒したが、低い当たりに圧力負けして一方的に押し倒された。

 「(炎鵬は)技術が注目されるけど、小さくても前に攻める気迫がすごかった。基本の大切さを教えてもらった」と感謝しきりで振り返る。続く九州場所前、飲食店で鉢合わせて「お互いもっと上で、また対戦しよう」と誓い合った。

 その後、幕内昇進を果たして三賞も手にした相手の活躍は、誰もが知る通り。「炎鵬関は幕内に定着すると思う。再戦には自分が頑張るしかない」と刺激を受けない日はない。

 もう1つの原動力は郷土愛。しこ名の由来は、生まれ育ったの長野県飯田市で120年以上続く実家の「満津田食堂」だ。師匠の峰崎親方(元幕内三杉磯)からスカウトされなければ、店を継ぐつもりだった。

 何とも不思議な字面は、先祖が名乗った屋号という。本人によると「津(水場)からの水が田に満ちて、稲が穂を垂れる。確かそんな感じです」。まずは幕下復帰、そして念願の関取昇進へ。故郷から拝借したしこ名の通り、実りの瞬間に近づいていく。 (志村拓)

 ▼満津田誉彦(まつだ・たかひこ) 本名は松田誉彦。1994(平成6)年9月19日生まれ、長野県飯田市出身の25歳。181センチ、115キロ。柔道に打ち込んで、相撲部や道場での本格的な経験はないまま、飯田工高(現飯田OIDE長姫高)卒業後に角界入りし、2013年春場所で初土俵。最高位は西幕下53枚目。得意は左前まわしからの寄り、投げ。

 

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