救援一筋532試合目。渾身(こんしん)でも134キロだったのは、最後の一滴まで絞りきった証しでもある。阪神・高橋聡が現役を引退した。チームが用意したマウンドは7回。福田を三ゴロに打ち取り、福留と大野雄から花束を渡された。
「チームのこと、広島のこと。そこで僕が投げるのが本当に正しいのか。真剣に向き合ってきたつもりの野球を、バカにしていることにはなりませんか」。彼の体を包むのは縦じまだが、ハートは今も青い。ラスト登板には深い葛藤があったが、最終戦の相手が中日だから投げた。中日で14年、阪神で4年を振り返ってもらった。
まずは2004年4月13日の巨人戦(東京ドーム)での初登板。落合監督は9-9の9回に、高卒3年目の高橋聡をマウンドに送った。清水、小久保、高橋由。回をまたいでペタジーニ、ローズ…。当時最強と呼ばれた打線をねじ伏せた。
「地に足がついてないとはこういうことかと…。でも、覚えているのは抑えたことより打たれたことなんですよ」
今も心に刻む失敗は、10年6月2日のオリックス戦(スカイマーク)。7-0の8回に3点を返され、無死一、二塁。あわててマウンドに向かった高橋聡は、四球に続いて満塁弾を浴び、追いつかれた。
「あれは出番がないと思ったからじゃなく、回の頭からと決め付けて、自分じゃなかったから(スイッチを)切ってしまったんです。あの試合が僕に教えてくれたのは、どんなときも名前を呼ばれた瞬間にスイッチを入れるってことです」
敗戦がリリーバーを成長させてきた。入団時の監督だった山田久志さんが、しみじみと話した。「スカウトは『打者にしましょう』って言ってたくらいなんだ。あいつはよく頑張ったよ。まじめにやったからだな」。打者転向論をはねのけて、投手人生を全うした。両軍ベンチ、スタンドが祝福してくれる、幸せなフィナーレだった。