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本日の日記過去の日記一覧
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マイペース
2019年10月02日 (水曜日)
今はね。色んな情報が入って来るものだから、自分のやりたいことがわからなくなっているのでは、と思います。
私はスマホもパソコンも出来ないので、情報の先取は出来ません。
そのことが良いのか悪いのかも考えないものだから、自分のやりたいことをいつもと同じようにやっています。
意外と自己流っていいですよ。
周りに振り回されずに済みますからね。
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海援隊と“いろは丸”
2019年10月02日 (水曜日)
「坂本龍馬」―― 龍馬という名前はインパクトがあります。
龍と馬 どちらも元気印です。
坂本龍馬といえば物語は幾つもありますが、海援隊も又、魅力のある名前を付けたものです。
「海援隊」=「海を援助する隊」の代表者は勿論、坂本龍馬。
海援隊が運航する小型汽船のいろは丸と紀州藩の軍艦とが衝突。
この衝突でいろは丸は沈没してしまいました。
これがいろは丸事件です。
現在の広島県福山市沖16km。
1867年4月23日、この事故は瀬戸内海で起きたのですが、いろは丸に積んであったと言われる金や武器は、本当に瀬戸の海に汽船と共に沈没したのでしょうか。
戦国の世の瀬戸内の海には、駆逐艦関船といった快速性を重視した関船もありました。
衝突した紀州藩の軍艦とはどのような船だったのでしょう。
江戸幕府は諸大名に大型の軍船の保有を禁じていましたから、各藩は中型船である関船を水軍の主力にしていたのです。
戦のない世には御座船になり、参勤交代にも用いられたといいます。
天地丸が幕府の最大の軍船になったと言われるのですから、紀州の軍艦ってどんなに大型だったのでしょう。
又、いろは丸には海援隊員が何人乗り、金や武器の重さはどれだけあり、いろは丸の大きさはどのくらいあったのか、私は凄く興味が湧くのです。
紀州藩は航海法で敗訴して、龍馬は紀州藩から、現在の金額で180億円をせしめたのです。
いろは丸は日本製ではありません。
180億円の行方はその後わからずじまい。
もしかすると、一番喜んだのは岩崎弥太郎だったかもしれません。
龍馬暗殺はこのお金が原因だったのかも‥‥。
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月刊SYO10月号をアップしました!
2019年10月01日 (火曜日)
月刊SYO10月号の「世の中の動き」は、アフリカについて松原照子が「感じる」ことを書かさせて頂きました。 徒然コラムでは、人の「西郷隆盛」をテーマにコラムを書かさせて頂いております。 ◉月刊SYO掲載内容 ・今月の言葉 […]
個別相談受付を一時休止します。
休止日時:2019年9月29日(日)13:00
2019年09月29日 (日曜日)
いつも「幸福への近道」をご愛顧頂き、ありがとうございます。 個別相談の受付についてですが、誠に勝手ではございますが、下記日時を持ちまして、一時休止とさせて頂きます。 個別相談受付 休止日時:2019年9月29日(日)13 […]
【第33回世見深掘り】出雲大社は邪馬台国と関係がある!?
2019年09月24日 (火曜日)
月刊ムー制作担当者が、世見を独自の視点で探究する会員限定特別コラム「世見深掘り」。 第33回は、2019年9月12日の世見「出雲大社」に書かれている内容を深掘りします。